今日は曇りがちの天気で、蒸しってましたねぇ。
そんな今日の天気はそこそこに早速昨日の続きで91年8月の新疋田、サルベージ写真編です。
ネガが劣化してるので正しい発色じゃない事だけはご承知おき下さいませ。
新疋田を午前5時に通過する寝台特急つるぎです(笑)
昨日も書きましたけど私が冗談半分で「つるぎ」から撮影しようと言ったら友人達が乗り気になって名古屋を午前2時頃に出発して新疋田までやって来ましたけど、ここで「つるぎ」を撮影するには夏至の頃じゃないと明るくないので、91年当時に同時プリントに出した際には露光不足と判断されてプリントされなかったのですが、最近ネガを発掘したのでスキャナーにかけてみたらそこそこな画像になるじゃないですか。
でも、も少し暗かった覚えもあります。
日本海2号です。
カニ24のJRマークって異様に大きかったんですね。
ところで、右側の山肌が大きく抉られてますけど、これ土砂崩れじゃないですかね?
JR東日本新潟色の雷鳥です。
この雷鳥は「新潟雷鳥」と呼ばれた列車で、車両はJR東日本持ちになった特急「白鳥」用に車内がグレードアップされた上沼垂運転区(現、新潟車両センター)の485系で、最後部には国鉄時代に北海道で雪と奮闘した1500番台が連結されてます。
この車両の運用は上沼垂を雷鳥で出区して大阪へ行き、翌日から2日間かけて「白鳥」で大阪~青森間を往復、4日目に漸く「雷鳥」で上沼垂に帰る壮大な運用でした。
写真は下り列車なので、4日ぶりの我が家、上沼垂に帰る途中ですね。
ボンネット雷鳥です
国鉄末期に一部の「雷鳥」に七尾線に直通する「ゆぅトピア和倉」を併結するようになり、併結当初は大阪方のクハは密着連結器を装備してる200番台と300番台に限定されてましたが、91年から運用の効率化を高める為に向日町運転所(現在の吹田総合車両所 京都支所)のボンネット車も連結器を密着連結器に交換して併結運用に就く事になったので、スカートが大きく欠き取られて密着連結器と胴受けが剥き出しになって、優美なスタイルを大きく崩してしまったので、ガッカリ感が半端なかったです。
当日はそんな雷鳥を他に2列車撮影しましたけど、連結器カバーの色が全て違ってました(笑)
スーパー雷鳥の大阪方の先頭車です。
スーパー雷鳥は富山寄りのパノラマグリーン車が有名で、鉄道誌も大概パノラマグリーン車の写真ばかりなので、大阪方の先頭車の塗装はうろ覚えだったんですけど、こんな…こんなって…塗装だったんですねぇ。
湖西線内での130km/h走行に備えて、6基のパンタを高々と上げてるのが良いですねぇ。
敦賀色…多分…のキハ48です。
滋賀県と福井県の県境に近い新疋田には数は少ないですけど普通列車もありました。
当時その少ない普通列車の中でも、人の流れから米原からの普通は更に少なくて451系や419系の電車だったので、これは湖西線の永原からの直通列車ですね。
特急「加越」ですけど、車両は白山色の489系だったりします。
これ、発掘ネガを見て一番驚きましたねぇ。こんな列車走ってたんだ。
撮影したのはお盆休みの真っ最中なので、「白山」もフルで運転されてて「加越」に車両を回す余裕は無いと思うのに「加越」に就いてるので、謎の列車です。
余談ですけど、この白山色の489系は某はてなブロガーさんのブログによると後年には「しらさぎ」にも就いてました。しかも先頭車はボンネットだったりします。
撮影順は前後しますけど国鉄時代と変わらない姿の加越、雷鳥、しらさぎです。
新潟色やスーパー雷鳥色、白山色の485系、更には大きく口を開けて連結器を剥き出しにしたボンネット車を見てから国鉄色でノーマルな485系を見るとホッとしましたねぇ。
その中でもしらさぎは変化が激しい北陸特急の中では頑なに「国鉄」を堅持してました。
だからでしょうか名古屋住みの者には「しらさぎ」は見慣れた存在ですけど、ついつい撮ってしまいました。
サルベージ編は以上です。長々とお付き合いいただきありがとうございました。
それにしても、昨日も書きましたけどこの日に撮影したのは36枚ですけどプリントで残ってたのは6枚だけなんですよね。
露光不足の「つるぎ」と「日本海2号」はプリントしてもらえなかったとしても、他はプリントしてるはずなのに残って無いのが謎です。
特に白山色の加越なんてレア物なんですけどねぇ(笑)
当時と今とでは価値観が違ってたんでしょうかね?
当時の自分に聞いてみたいです。
はい。
それでは。