今日の名古屋の最高気温は37.4℃で、そこそこ暑かったです。
そこそこってもう感覚が麻痺してますよ(笑)
朝の最低気温も28.1℃でしたけど、特に暑いとは感じませんでしたからね。その証拠に扇風機も止まってましたから。
暑いと身体が勝手に動いて高さ30センチのベッドから降りて、ベッドから2メートル程離れた場所にある扇風機を動かしてるのに、今朝は止まってたので、もう28℃は暑くないって事でしょうね(笑)
因みに22時でも室温は32℃!ありましたけど、クーラーは使わずに扇風機だけです。
さて、今日東海地方で最も暑かったのは岐阜県多治見市で最高気温は38.4℃でした。
この最高気温が記録された時間帯は南西の風が吹いてたので、都市化でヒートアイランド現象が顕著になって名古屋が出す暑い空気がフェーン現象となって多治見市に吹きおりてるので、名古屋市民としては「ごめんなさい」とあやまるしかないんですよ。
多治見市が暑いと言われるようになったのは今世紀からで、90年代にはそんなに暑くはなかったと思うのですよ。
と言う事で久しぶりのネガからの復活写真は、まだ暑くなかった頃の90年8月末に多治見で撮影した写真です。
撮影場所は多治見駅の土岐市寄りの踏み切りで、何故ここで撮ろうと思ったのかは全く思い出せません。
多分駅から適当に歩いて良さげな場所だったんじゃないないでしょうかね。
それでは始まり始まりぃ~
多治見駅に到着する上りの「しなの」です
この頃の「しなの」は基本編成がクロ381を先頭にした6両編成で、その基本編成を半分に分割して基本編成に増結しての9両編成や、基本編成から電動車ユニットを1ユニット抜いた4両編成を基本編成に増結した10編成など、多彩な編成が見られて、写真の「しなの」は名古屋方に分割した3両を増結した9両編成でした。
単機で通過したEF64です
この日の撮影目的は石油貨物だったと思うのですけど、石油貨物の時刻は今とほぼ同じなので、夕方には上りの返空は無いのですけど、今ほど情報溢れてる訳ではないので、確かこの時間にあったような……そんな感じで行ったので、当然ながら上りの返空は撮れませんでした。
写真のロクヨンは下りの石油貨物だと思うのですけど、夏場なので石油需用が無いのかロクヨンだけだったんでしょうね。
113系2000番台の普通です
この頃には中央線の主力は211系5000番台でしたが、日中の快速と朝夕には113系も運用されてました。
ところで中央線は多治見駅を発車すると20‰を登って虎渓山トンネルに突入して、その後も随所に20~25‰が存在し、1968年の中津川電化時には中央線用として、交流化された奥羽本線の板谷峠から転用されたEF64が稲沢機関区に配置されるほどの勾配線区なので85年7月稲沢機関区
旧型国電70系を鉄道ピクトリアル誌より
新性能化する際に115系が投入されなかったのが不思議なんですよねぇ。
もし115系が投入されてたら東海道本線と区別する為に70系の横須賀色を引き継いでたかもしれないと思うと想像の翼が膨らみます。
写真はイメージで90年7月に松本駅で撮影した中央東線用の三鷹電車区の115系ですけど、中央西線に115系が投入されてるなら、この三鷹電車区に冷房付きの300番台が投入されて、そこから押し出された非冷房の初期車が神領に転入したでしょうね。
因みに中央線の新性能化は1973年に大船電車区から横須賀線用の113系初期車が転入した事から始まり、塗装も横須賀色のままでしたけど、東海道本線でも使用するので直ぐに湘南色に変わってしまいました。1986年11月定光寺
写真では分かりませんけど、車体を間近で見ると横須賀色の塗り分けラインが残ってました。
さて、明日も暑くなるそうです。
皆様熱中症にならぬようご自愛下さいませ。
それでは。