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視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

火曜日 今日は文化の日…数字の並びから113系の日

今日11月3日は「晴の特異日」と言われてるだけあって未明まで降ってた雨が朝には止んで秋晴れの良い天気でしたねぇ。

しかし、夕方には北風が強くなってその風に流されて来た雲が拡がって夜には雨が降りだしました。

これ、冬の時雨と同じですよ。


今年は秋短いですねぇ。



それはともかく、11月3日は文化の日ですけど、鉄道ファン的には数字の並びから113系の日なので、今日は113特集です(笑)


先ずは113系についてざっくり説明しますと、この車両は両開き3扉の近郊型で、1962年に111系がデビューして、翌68年にはモーター出力を増強した113系が登場して、以降1982年までに2936両が製造された国鉄を代表する車両の一つです。


そんな車両だけに結構な数を撮影してるので、その中から幾つか紹介しましょうか。

再掲載写真もありますけど、まぁ気にしないで下さいな。



f:id:okinawa-rail:20201103213817j:plain86年11月

中央西線定光寺駅に停車中の113系初期車です。

名古屋地区に最初に113系が投入されたのが中央西線で、1972年に横須賀線ATC冷房付きの1000番台'が投入されたので、押し出された非冷房の初期車が大船電車区から神領電車区に転入しました。


f:id:okinawa-rail:20201108214328j:plain83年8月
東海道本線熱田付近を走る大垣電車区の10両編成です。

大垣電車区113系が配置されたのは1977年からで、大阪の高槻電車区に冷房付の新車が配置されたので、非冷房の在来車が押し出されて大垣電車区に転属して来ました。



f:id:okinawa-rail:20201103213947j:plain85年5月

定光寺駅に停車中の2000番台です。

近郊型の113系の座席は4人掛けのボックスシートですけど、通勤輸送も兼ねてるので、扉付近や通路のスペースを広く取る為にシートピッチや横幅が狭くて快適とは言えなかったので、シートの寸法を急行型と同じにしたのがこの2000番台です。

この様な新型車は先ずは首都圏に配置されて、それによって押し出された在来車が地方へ行くのが、従来の車両転配でしたけど、首都圏の113系はほぼ冷房付きの車両に置き換わっていたので、2000番台が最初に配置されたのは大垣電車区で、1978年にトップナンバーを含む40両が配置されて旧型国電の80系を置き換えました。

神領電車区にも50両が配置されて、旧型国電70系を置き換えました。

その後も神領には80年に12両、82年も12両が配置されて、双方合わせて114両の2000番台が走ってたので、2000番台は名古屋の車両ってイメージがあります。

f:id:okinawa-rail:20201103214045j:plain83年春 名古屋駅
左は神領電車区、右は大垣電車区所属です。


f:id:okinawa-rail:20201103214140j:plain86年10月 名古屋駅

中央西線の2000番台オンリーの10両編成ですけど、2000番台デビュー当時は2000番台だけで10両編成を組んでたのは神領電車区だけでした。

余談ですけど、2000番台のトップナンバーは大垣電車区に配置されましたけど、ラストナンバーは神領電車区に配置されました。


f:id:okinawa-rail:20201103214231j:plain85年7月 名古屋駅

東海道本線普通列車です。
クハ111の通風器はデビュー当初は円形の通風器でしたが、1968年製造分からは小型の通風器に変更されました。
この車両もその内の1両で、85年3月ダイヤ改正で名古屋地区輸送力増強目的で国府津運転所から大垣電車区に転入した車両で、国府津所属時に大船工場で冷房改造受けたので小型通風器のままですけど、大垣電車区所属車両を担当する名古屋工場で冷房改造受けた車両は種車が小型通風器でも円形通風器に交換されていたので、小型通風器のまま冷房改造されたこの車両は、大垣電車区ではレアな存在でした。

この編成は後追いなので最後部は0番台ですけど、その後ろは全て1000番台で組成されています。

1000番台は総武線の東京地下線用に不燃、難燃化対策が施された車両として1969年から製造されたグループですけど、地下線がATC化される事になったので、新にATCを搭載した冷房付きの1000番台'(ダッシュ)が製造されたので、従来の1000番台は千葉地区や東海道本線に転用されました。



113系はJR移行後も使われ続けられましたが、改造車が現れました。

その中で最も大がかりな改造はモハ113からクモハ113への改造でしょうか。

f:id:okinawa-rail:20201103214406j:plain89年11月 清州

これは2000番台の6両編成は輸送単位が大きくて昼間は休んでる事が多かったので、モハ113に運転台取り付け改造を施してクモハを先頭車にした3両編成にして、輸送単位を小さくすると同時に、編成を増やして列車を増発する目的で施行されました。

ただ改造されたのが初期のグループで、これらはトイレが大阪方の偶数向きクハ111-2000だけだったので、3両編成化に際してトイレが無い奇数向きクハ111-2100を偶数向きに方向転換したクハ111-2200を組み込んだ編成にはトイレが無くて113系で初めてのトイレ無し編成が登場しました。

このトイレ無し編成は大垣~岡崎間等の短距離運用に限定使用されてました。


この2000番台の3両編成は改造当初は大垣電車区に配置されてましたが、90年頃には静岡運転所に集中配置されてました。
f:id:okinawa-rail:20201103214535j:plain90年冬 浜松駅


f:id:okinawa-rail:20201103215125j:plain91年10月 名古屋駅

12両編成の2000番台です。

6両編成で残った2000番台は主に朝夕の中央西線で使用されて、朝の運用を終えた車両は神領車両区に引き上げるのですが、線路を有効に利用する為に2本纏めた12両編成で回送されてました。


国鉄時代に冷房付きの2000番台が多く投入されたとは言え非冷房車も多く、国鉄時代は冷房改造が進まなかったですけど、JRに移行してからは個人的に弁当箱クーラーと呼んでるJR東海オリジナルのC-AU 711Bを搭載した冷房改造車が増えました。
f:id:okinawa-rail:20201103214652j:plain89年2月 清州

このクーラーは見た目の悪さに加えて効きも悪かったので、個人的には好きじゃなかったですねぇ。

因みにこのクハはジャンパ線がKE76×3なので小型の通風器を装備して製造されたグループですけど、先にも書きましたけど、名古屋工場で冷房改造を受けると小型通風器が円形の通風器に交換されたので、この車両も円形通風器に交換されてます。


名古屋地区の113系の営業列車は最大10両編成でしたけど、東京の東海道本線ではグリーン車2両が組み込まれた11両編成や、それに付属の4両編成を増結した15両編成の列車が走ってました。

ここからはそんな東京の113系です。

撮影は全て86年9月で、場所は京浜東北線新子安駅…横浜から東京へ向けて二つ目…です。


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静岡運転所の東京乗り入れT編成です。

東海道本線の中距離列車に使用する列車は編成本数が多いので、静岡運転所からも東京まで乗り入れてました。

ここの113系グリーン車には特急車から改造された車両が多くいて写真の編成にもサロ481から改造されたサロ110-350番台が組み込まれてます。


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田町電車区の11両編成です。

東海道本線普通列車には153系も使用されてたので、それを置き換える為に1980年に新製の2000番台が投入されたので、この編成は普通車は2000番台、グリーン車は同じく新製のサロ110-1200番台と、全て新製車で揃えられています。


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国府津運転所の付属編成です。

85年頃から平塚までの短距離列車には付属編成を2本連結したグリーン車がない8両編成も走るようになりました。


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国府津運転所の15両編成です。

実は国鉄時代には15両編成は撮れなかったので、この写真はJR移行後の91年に撮影してます。



f:id:okinawa-rail:20201103215852j:plain83年3月

錦糸町に進入する総武快速線の1000番台'(ダッシュ)です。

先にチラッと書きましたけど、総武線錦糸町から地下線で東京駅まで乗り入れるのですが、地下線で信号の見通しが悪いので、ATCが導入される事になったので、新にATCを搭載して冷房付きの車両が製造されました。

写真では分かりませんけど、このグループからは客窓がユニット窓になり、運転室も作業環境改善で急行型と同じく奥行きが深くなったので、在来車とは車両形態が変わってますが、新番台にはならず1000番台の追番で付番されたので、便宜的には1000番台'(ダッシュ)と呼ばれてます。

余談ですけど、地上線向けの0番台も冷房付で新製されたグループから1000番台ダッシュと同じ車体になりましたけど、こちらも番台区分されなかったので、0番台ダッシュと呼ばれてます。


113系横須賀線の横須賀色以外では圧倒的に湘南色が多かったですけど、大阪の113系には地域色の始まりとも言える関西線快速色と阪和線色がありました。

f:id:okinawa-rail:20201103215952j:plain83年3月 奈良駅

関西線快速色は1973年の関西線奈良~湊町間(現、JR難波)電化時に導入されて朱色は奈良の春日大社の柱を表してるそうです。


f:id:okinawa-rail:20201103220041j:plain83年3月 天王寺駅

阪和線色は東海道本線にブルーライナーと呼ばれた新快速の運転が開始されたのと同じ1972年に阪和線にもブルーライナーと同じ塗装を施された113系による新快速が設定されて、それ以降その塗装が阪和色として定着しました。


大阪には86年11月ダイヤ改正で全線電化された福知山線用に黄色に青帯を纏った福知山色もありましたけど、こちらは撮影してません。



2900両余りの圧倒的な勢力を誇ってた113系ですけど、殆どがJR東日本、東海、西日本、四国の4社に継承されましたが、今世紀に入ると急速に数を減らして、今では西日本に132両が残ってるだけですけど、更新や改造、塗装変更で原形を失ってるので、撮りに行こうとは思えないですねぇ。


長々とお送りした113系特集如何だったでしょうか?


次は11月5日の115系特集……といきたいですけど、115系は特集組む程の写真が無いので、出来ません(笑)


それよりも以前から予告してる急行アルプス第2段をUPしないといけないのですが、記事がまとまらないので、もう少しお待ち下さいませ。


って、113系特集書く暇があるなら…昨日と一昨日に書きました…記事纏めれるのでは?(笑)



それでは。