今日は朝方は雨が降ってましたけど、午後からは晴れてきました。
そんな今日の天気とは全く関係ない過去鉄ネタですけど、今日は以前に告知したように引退迫る185系にスポットを当てましょうか。
その前に185系についてざっくりと説明しましょう。
185系は1981年に登場した車両で
注釈1
東海道本線田町電車区の153系置き換えを目的とした0番台と、
注釈2
東北、高崎線新前橋電車区の165系置き換えを目的とした200番台があります。
車体は普通列車での運用も考慮してたので、1メートルの幅広いドアを装備して、
座席もグリーン車はリクライニングシートですが、普通車は当時の特急普通車は簡易リクライニングシートが主流になっていたのに、転換クロスシートを採用して
注釈3
更には普通列車での混雑時を考慮して窓も開閉する、特急車らしくない使用だったので、国鉄史上最低の特急車なんて揶揄されたりもしました。
そんな185系ですけど、JRに移行してからは座席をフリーストップのリクライニングシートに取り替えるなどのリニューアルされながら
Wikipediaより
今日まで使用されて来ましたが、今週末のダイヤ改正で遂に引退する事になり、今では一大ブームが起こっています。
本来ならその引退迫る姿を記録するところなんでしょうけど、私はいわゆる葬式鉄が嫌いなので、ここでは過去の姿を紹介しましょうか。
それではお待たせしました、185系出発です。
特急踊り子です。
先に書いたように185系には東海道本線向けの0番台と東北、高崎線向けの200番台があり、0番台は当時の国鉄としては斬新過ぎる斜めストライプ帯を纏った塗装がファンの度肝を抜き、急行「伊豆」で暫定使用された後に、81年10月からその「伊豆」と特急「あまぎ」を統合した特急「踊り子」として本格的に走り出しました。
185系0番台にはグリーン車2両が組み込まれた10両編成(A編成)と伊豆箱根鉄道に乗り入れる修善寺編成と呼ばれる附属の5両編成(C編成)があり、最大で15両編成を組んでました。
その姿は現在でも変わりません。
注釈4
1990年4月にスーパービュー踊り子がデビューしてからは車両運用に余裕が出来たのか、波動輸送にも使用されるようになりました。
1990年8月 熱田
この列車は撮影時期的に関東地区の高校野球甲子園出場校の応援団輸送の戻りだと思われますけど、白昼に名古屋の地で185系が撮れるとは思いませんでしたねぇ。
後年、ムーライトながらで定期的に名古屋に来る事になりますが、ムーライトながらの名古屋到着時間が5時09分と早すぎて撮影出来なかったので、名古屋の地で撮影した185系はこれが唯一だったりします。
次は200番台ですけど、長くなるので、続きはまた明日にでも書きましょう
それでは。
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注釈
1:田町電車区153系の写真が無いので、1981年5月に飯田線船町で撮影した大垣電車区の153系で代用しました。
2:1985年3月 京浜東北線 川口
3:山と渓谷社1987年発行 国鉄車両形式集③ 直流系電車 特急.急行編より
4:テイチクビデオJR特急1号の購入特典にスーパービュー踊り子のL判写真が付いてました。