今日も良い天気でしたが、昨日ほどではないですけど、黄砂で霞んでましたねぇ
。
車がめっさ汚いです。
それはともかく、今日は3月31日で年度末ですね。
年度末と言えば様々な物事が終わりを迎えますが、今から34年前の1987年3月31日は、国鉄こと公共企業体 日本国有鉄道が、1949年に発足してから38年、始まりである工部省鉄道寮が1872年(明治5年)に日本初の鉄道として新橋(旧汐留)~横浜(現在の桜木町)間を開業してから115年に及ぶ国有鉄道の幕を下ろした日です。
ややこしい事を書いてますけど要は国鉄最後の日です。
その最後の日に送別の意味を込めて「さよなら国鉄のびのびツアー」と称して、青春18きっぷを使って名古屋~塩尻~甲府~富士~名古屋の一筆書きルートで乗り鉄…当時そんな言葉ありませんが…してるので、今日は久しぶりの旅日記として、その様子をお届けしましょう。
まずはこちら
当日の行程表です。
ワープロ購入前なのでレポート用紙にシャーペンで手書きです。
それはともかく、なんでも残しておくものですねぇ(笑)、当日は最初っから身延線を乗りに行ったと思ってのですけど、行程表を見ると、飯田線も検討してたようです。
身延線か飯田線、どちらにするかは中央線の車内で決めようとしてたのかな?
名古屋駅です。
この日は乗車した列車は撮影しようと決めてたので、最寄りの国鉄駅、大曽根から名古屋まで乗った117系です。
乗車した列車ではありませんが、211系0番台です。
3月31日なのでまだJRではありませんが、既によろしくJR東海のヘッドマークが掲出されてました。
実はこの2枚は本来なら撮る事がなかった写真ですが、その訳は後ほど説明しましょう。
さぁ出発です。
塩尻まで乗車した「しなの」1号です(笑)
ちょっと画面をスクロールして[さよなら国鉄のびのびツアーと称して]の辺りまで戻ってほしいのですけど、そこには何て書いてありますか?
そうです、青春18きっぷを使ってと書いてありますね。
青春18きっぷで特急に乗れるでしょうか?
乗れません。
にもかかわらず乗車した列車として「しなの」を撮っているのは、当日寝坊して中央線の始発に乗れなかったからです(笑)
当日は中央線の始発列車の中で待ち合わせだった友人と二人で行ったのですが、今と違って携帯電話が無い時代なので友人に連絡する術もないから、ツアーを中止する事も出来ないので、名古屋駅まで行って乗車券と特急券を購入して「しなの」で塩尻まで先回りしました。
そのしなの1号に乗る前に117系と211系0番台を撮ってたので、本来なら撮る事がなかったと書いた理由がお分かり頂けたでしょうか。
名古屋を出発した「しなの」1号は連続する急カーブをものともせずに車体を左右に振りながら木曽路を突っ走り、途中駅で友人が乗ってる普通を追い越すのですが、その際にホームで不安な顔してる友人を車内から見付けて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたね。
でも、その直後に塩尻で呑気に「しなの」を撮影してるのですから説得力の欠片もありません(笑)
因みに私は地元駅の始発列車の都合上中央線の始発には大曽根からしか乗れないので、その大曽根から乗ってくるはずの私が乗って来ないので、友人はこのまま乗り続けるか降りるか判断に迫られたそうです。
友人、今更だけどホントごめん(>_<)
身延線は甲府からなので、中央東線で甲府に行く途中の日野春で特急退避の際に乗車した169系を撮影してるのですが、
ここは背後に八ヶ岳連峰が見えるはずなのに、何で八ヶ岳連峰を入れなかったんでしょうか?
甲府に到着しました。
甲府では乗り換え時間が1時間あったで撮影タイムです。
行き先は川崎塩浜で、中央西線の石油返空列車も行き先が四日市塩浜なので、どちらも塩浜なのが面白いです。
急行富士川です。
身延線の急行には新宿~身延間の「身延」と静岡、三島~甲府間の「富士川」がありましたが、86年11月ダイヤ改正で「身延」は廃止されて「富士川」だけになりました。
その「富士川」は86年11月ダイヤ改正から担当が大垣電車区から静岡運転所に移管されたので、貫通ホロが偶数向きのクハから奇数向きのクハに付け替えられる事に今気が付きました。
身延線の115系は1981年に投入されましたが、車体色は地域色として甲州ワインをイメージしたワインレッドを纏ってました。
甲府にはこの他に三鷹電車区の横須賀色と松本運転所の湘南色の115系が来てたので(注1)
3色の115系が見れましたが、身延線のホームは中央東線からやや離れた場所にあったので、それらが一同に介したかは不明ですね。
ところで「あずさ」がありません。
甲府に1時間いたらあずさが1本くらいは来るはずなのにネガ見ても写ってません。
何で撮ってないのでしょう?
甲府発が13時11分なので身延線の車内で昼食でしたけど、食前酒と称してワンカップの甲州ワイン飲んでたら友人が呆れてました(笑)
全世界初公開の私ですが、全てを晒す訳にはいかないので、目線を入れさせて頂きました(笑)
昼食は当然駅弁ですけど、今ならインスタ(注2)にUpするからと駅弁を撮るのですけど、当時はそんなものありませんし、これから食べる物を撮るなんて考えは微塵も無いので、駅弁の写真は撮ってありません。
何食べてたんでしょうか?
当時の時刻表を見ると甲府駅には「甲州焼肉弁当」600円也があるので、これかなぁ?
甲府から富士まで普通列車で2時間40分かかるのですけど、この間の記憶は全くありません(笑)
車窓からは富士川の渓流とか富士山などが見えてるはずなんですけど、それらはネガを全く撮影してないのですよ(笑)
朝早かったから寝落ちしてのかなぁ。
富士で東海道本線に乗り換えて名古屋へ向かうのですけど、乗り換えも全く覚え無いので、冒頭に貼った行程表を見ると乗り換え時間は僅か5分でした。
そりゃ覚えてないわ(笑)
そんな慌ただしい乗り換えをしたからか、乗った列車を全て撮るってのを浜松で友人に「この列車撮った?」言われるまですっかり忘れてました(笑)
友人、ありがとう!
その浜松で撮影した大垣行きです。
この列車は沼津発なので、当時は途中1回の乗り換えで、東京から大垣まで普通で行けた事になりますね。
あと、編成番号がS2なので車両は静岡運転所の113系なんですけど、翌日はダイヤ改正せず前年11月ダイヤ改正のダイヤを踏襲するので、JRになっても静岡運転所の113系が大垣まで来てたんですね。
陽もすっかり暮れて夜の帳が降りた名古屋駅に到着です。
さよなら国鉄のびのびツアー、最後に乗ったのは中央線の103系でした。
この列車、普段から帰宅するのに乗ってる列車なので、日常に戻ったからか国鉄最後の列車って感じは全くなかったです。
朝寝坊して予定の中央線始発列車に乗れず一人特急と言う飛び道具で追いかける波乱に満ちた送別ツアーでしたけど、実に楽しかったですねぇ。
実は当初は3月31日(夜行列車は4月1日に最初に降りるまで)限定で新幹線や特急、急行も使えて国鉄全線が乗り放題の「国鉄謝恩フリー切符」…そんな名称だったかと…を使って一日で名古屋まで戻ってこれる限界まで行こうとしてたんですけど、販売数が限定されてる切符は入手出来なかったので、青春18きっぷによる「さよなら国鉄のびのびツアー」になったのですよ。
でも結果的はこちらの方が正解で、全国の特急、急行は大変な混雑だったらしくて、とてもじゃないけど、送別の感慨に浸る雰囲気ではなかったと、謝恩フリー切符を使って山形まで行った先輩が言ってましたねぇ。
てか、よくフリー切符入手したな(笑)
因みに、後の臨時大垣夜行になる9345Mはこの時初めて運転されたそうです。注3
翌日からは新会社に移行するのですが、車両にJRマークが貼ってあるだけで、他は急に何かが変わるはずもないので、普段と同じ姿にちょっと拍子抜けしましたねぇ。
88年 高蔵寺~定光寺間
長々と書いた「さよなら国鉄のびのびツアー」最後までお付き合い頂きありがとうございました。
次の旅日記と言うか撮影日記は時を遡って85年の春休みに行われた高崎機関区の一般公開を予定しております。
近日公開予定ですので、期待しないでお待ち下さいませ。
さぁ予告したから記事考えないと。
って、そこからかよ(笑)
それでは。
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注釈
1: 何故か甲府駅で撮ってないので、三鷹電車区横須賀色の115系は90年7月に松本駅で。松本運転所湘南色の115系は86年7月に横川~軽井沢間で撮影したので代用。
2: インスタグラムやってます。宜しければユーザーの方はsigure2019で検索して下さいませ。鉄道写真がメインですけどね。 ユーザー以外の方は……なんとかたどり着いて。閲覧方法あったんですけど、忘れました。
3: 友人が撮影した写真を引用させて頂きました。