今日は風が冷たくて寒い一日でしたねぇ。
空模様も晴れたり、曇ったり、雨がパラついたりと、まるで冬の日本海側の空模様でした。
さて、昨日からGWの連休に入ってるのですが、今年も新型コロナの感染防止でステイホームで何処にも行けないので、古いネガを漁ってたら今日5月2日に相応しいのが出てきたので、今日は久しぶりに鉄道ネタにいきましょうか。
鉄道で5月2日と言えば機関車ではD52、EF52の日。気動車ではキハ52の日。そして電車ではクモハ52の日ですよね。
その中で手元に写真があるのはクモハ52だけなので、今日はクモハ52の写真を貼っていきましょうか。
先ずはクモハ52についてざっくりと説明しましょう。
クモハ52は旧型国電52系の先頭車で、東海道本線の吹田~神戸間の急行電車(今の新快速)用として1936年(昭和11年)に登場した電車で、車体スタイルは当時世界的に大流行してた流線形を取り入れた優美な電車でした。
戦後は急行電車の任を80系に譲って、阪和線を経て1957年頃から活躍の場を飯田線に移してましたが、老朽化で1978年に80系に置き換えられて引退しました。
その引退を惜しんで1978年11月19日にさよなら運転が行われましたが、その時の様子がこちらです。
クモハ52の入線を待つ撮り鉄…当時そんな言葉ありませんけど…です。あ、私がいるって人いますかね(笑)
このクモハ52004覚えておいて下さいね。
セレモニー中の遠望です。
くす玉が用意されてるのが分かります。
出発するさよなら列車です。
酷いブレブレですけど、当日クモハ52の顔を捉えた唯一のカットだったりします。
当時撮影したカメラは110フィルムを使用するポケットカメラで、写真が残ってないのでネガスキャンしてるから色と粒子が酷いのはご勘弁くださいまし。
飯田線と言えば旧型国電なので、こちらもついでに貼っておきます。
旧型国電には詳しくないので型式は分かりません。クモハ54?
52系を置き換えるべく大垣電車区から転入した80系で、52系のファンからは憎まれてましたけど、80系自体も廃車が進んでいて、この飯田線が最後の砦で、4年後には80系フィーバーが起こります。
オマケの名鉄6000系高速です。
高速は急行の上位種別で、今の全車一般席特急に相当しますけど、ギア比6.7最高速度100km/hでの高速運用は過酷ではないかと……
クモハ52は飯田線から引退後001が国鉄吹田工場(現、JR西日本吹田総合車両所)に、004が日本車輌豊川製作所で保存されていて、1982年12月に高校の部活…鉄道部です…の校外活動で日本車輌豊川製作所に工場見学に訪れた際に撮影する事ができました。
さよなら運転の時はポケットカメラでの撮影だったので、購入したばかりの一眼レフカメラで撮影出来たのは嬉しかったですねぇ。
その後のクモハ52004はJR東海に移管されて佐久間レールパークを経て、現在ではリニア鉄道館で製造当時の姿と色に復元されて展示されてます。
2015年8月撮影
この姿はJR西日本吹田総合車両所で保管されてる001と同じなので、004は飯田線で活躍してた横須賀色にして欲しいと思うのは私だけでしょうかねぇ。
ところで、今回発掘された110ネガには凄い車両も写ってたので、それは明日にでも紹介しましょうか。
そうそう、以前予告した名鉄瀬戸線の「さよなら赤い電車」撮影記は発表を延期します。
発掘された110ネガの中にも瀬戸線を写したのがあったので、それも合わせて紹介したいので、記事を一から練り直しです。
それでわ~