気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

木曜日 瀬戸線ブログ…序章、瀬戸線のこれまで

今日は朝から雨でしたね。
最高気温も24℃台で涼しかったです。

そんな天気の話しもそこそこに、以前このブログで瀬戸線について書きますなんて事を予告しましたけど、漸く書く気になったので(笑)今日から暫く…多分3回シリーズくらい?…瀬戸線ブログをお送りしましょうか。

先ずは瀬戸線がどんな路線かをご説明しましょう。

瀬戸線名古屋市都心部栄町から瀬戸物の街、尾張瀬戸を結ぶ20.6kmの路線で、他の名鉄線とは繋がっていない単独路線です。

その歴史は古くて1905年(明治38年)の矢田~尾張瀬戸の開業に始まります。

古くから窯業が盛んだった瀬戸は瀬戸物の輸送に鉄道が必要だと認識していて、建設が計画されていた官営の中央線を瀬戸経由にするように誘致運動を展開していましたが、多治見から瀬戸にかけては山越えになり20‰の勾配が介在するので、現在の庄内川に沿ったルートで建設されて、瀬戸からは大きく外れる事になりました。
そこで次善の策として瀬戸街道の起点で、瀬戸との繋がりがある大曽根村(現在の名古屋市東区大曽根)に中央線の駅を造るように請願を出して、国から条件として大曽根と瀬戸を結ぶ鉄道の建設が提示されて、それを受けて瀬戸自動鉄道が設立されたのです。

瀬戸自動鉄道は中央線の名古屋~多治見間が開業した5年後の1905年に瀬戸~矢田間を開業させて、翌年には大曽根まで開業しました。

開業時は非電化で、日本では珍しいフランス製のセルポーレ式蒸気動車を導入しました。
f:id:okinawa-rail:20210820015406j:image中日新聞社 せとでん100年より

セルポーレ式蒸気動車は石炭よりも火力が強いコークスを燃料とする小型の蒸気機関を搭載してますが、取り扱いが難しくて翌年には使用を断念して電化、社名も瀬戸電気鉄道に改めて、路面電車スタイルの電車の運行を開始しました。
f:id:okinawa-rail:20210820015537j:image中日新聞社 せとでん100年より

路線は1911年に大曽根~堀川間を延長開業してますが、都心部近くへの路線延長で用地買収を少なくする為に、名古屋城近くの土居下からは当時名古屋城を管理してた陸軍と交渉して名古屋城外堀の中に線路を敷設する荒業で開業してます。これが後に「お堀の電車」として親しまれる事になります。
f:id:okinawa-rail:20210820020447j:image絵はがきより

昭和初期1930年頃から車両が郊外電車スタイルになり、瀬戸電気鉄道オリジナルのホ103型なども製造されましたが、
f:id:okinawa-rail:20210820015832j:image中日新聞社 100年より

戦時中の交通統制で名鉄に合併させられてからは本線系統の中古車両ばかりが集まる路線になりました。
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f:id:okinawa-rail:20210820020114j:image中日新聞社 せとでん100年より

余談ですが、瀬戸線路面電車スタイルから始まり、郊外電車スタイルに変わり、その車両も徐々に大型化されたので、ホームも高さも車両に合わせ嵩上げされてるので、大森金城学院前駅のホーム擁壁にはその跡が残ってます
f:id:okinawa-rail:20210820021903j:image路面電車スタイルのホームを土台に郊外電車スタイルのホーム、その上に栄町乗り入れに備えて投入された大型車に対応したホーム、そしてバリアフリー化で車両床面との段差をなくす為に三度の嵩上げ跡が分かります。

 

都心部近くの堀川まで乗り入れて、途中の大津橋は愛知県庁や名古屋市役所に近くて、それなりの利用者はありましたが、抜本的な改革はやはり都心部の栄乗り入れでした。


一時期に土居下から名古屋市営地下鉄2号線との相互乗り入れも計画され、急曲線の緩和や軌間名古屋市営地下鉄に合わせて標準軌に改軌されるので、枕木の標準軌用枕木への交換工事も始まりましたが、名古屋市側が2号線を黒川経由で大曽根に至る現在のルートに変更したので、乗り入れ計画は白紙撤回されたので、名鉄が単独で栄町への路線を建設する事になりましたが、市内への新規路線の建設を渋る名古屋市と交渉は難航したので、名鉄が持っていた現在の地下鉄鶴舞線赤池~八事間の路線免許を名古屋市に譲渡する事で漸く名鉄単独での栄町への新線建設免許を取得して、1978年8月に念願の栄町乗り入れが実現しました。

 

栄町乗り入れ以降は爆発的に利用者が増えて、現在ではラッシュ時には地下鉄並みの4分間隔運転をする都市型路線になりました。

 

そんな瀬戸線は地元の路線でもあるので、1978年頃から写真を撮ってますが、長くなりましたから次回からはその写真を紹介しましょうか。

 

それでは。