気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

金曜日 鉄道の日…鉄道開業150周年!

今日の名古屋は朝から良い天気で、ちょっと暑いくらいでしたね。

そして夕方は今日も素晴らしい夕焼けでした。

そんな書き出しで始まると夕焼けブログになるのが何時ものパターンですが、今日は違います。

今日10月14日は1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本で始めて鉄道が開通した事を記念した鉄道の日で、今年は鉄道開業150周年を迎えます。

はてな鉄道ブログの末席にいる者として、記念すべきこの日に鉄道ブログを書かないと言う選択肢は無いので、今日は鉄道ブログです。

とは言え150周年に相応しい事は書けないので、今日も撮影したけど覚えて無い「こんなの撮ってたんだシリーズ」です。
ネガスキャンなので、例によって色と画質に纏まりが無い事だけはご承知おき下さいませ。

 

それでは、始めましょう。

 

あ、今回は年月日が記されて無いのは、全て1985年4月と記されたネガからです。

ではまずこちらから

f:id:okinawa-rail:20221015011235j:image名古屋駅第3ホームから望遠で、中2番線に停車中の165系を撮ってました。
編成番号がC11と読み取れるのと、先頭車の屋根上には箱型の大型通風器があるので、この165系は大垣電車区のクモハ165+モハ164+クハ165の3両編成ですね。
ところでこのカット、クモハの一部分だけを切り取ったアングルに見えますが、実はこちらが原版です。
f:id:okinawa-rail:20221015011313j:imageコマの半分が光線被りしてますが、これはウッカリ裏蓋を開けたのではなくてネガの最初のコマで、カメラにフィルムを装填した後で空写しをするのですが、その際に写らないのは承知で中線に停車中の165系を狙って空写ししたら半分だけ写ってたので、写ってる部分をトリミングしたのが1枚目です。

今にしてみれば、165系を空写しの対象にしてるのですから、なんて贅沢な事してるのやら(笑)

因みにクモハ165は雨樋が短いので、1~55までの初期グループで、大垣電車区に所属したこのグループのクモハは相棒のモハ164に後部デッキに簡易運転台がある500番台とユニットを組むのがほとんどでした。

分かりにくいですが2両目はモハ164-500番台で、簡易運転台があるので、トイレの白い窓とドアの位置がクモハのそれとは入れ替わってます(86年10月)

f:id:okinawa-rail:20221015011343j:image名古屋駅6番線に停車中の165系です。
撮影した時の記憶は無いのですが、ピントは165系に合わせて手前の乗客は暈かしてるので、何かに影響されて、ホーム上の乗客を敢えて入れた写真を撮影したようですが、原版は車両が小さく写ってるので、映えを良くするために大胆にトリミングしてあるのを白状します。
この165系は4両編成なので、大垣電車区が担当してる急行「富士川」編成ですが、富士川の他に大垣~大府間の区間列車にも使用されてました。
昼間の利用者が少ない時間帯とは言え、2扉デッキ付の車両で間に合ってしまう所が名古屋が“巨大な田舎”と言われる要素の一つなんでしょうかね。

f:id:okinawa-rail:20221015011432j:imageこちらは別の場所から撮影した上の列車の編成全体です。
前から2両目のモハ164は、屋根の肩の部分に通風器があるので、中間電動車ユニットは山陽本線急行増発用に冷房付で製造されたモハ165-18~21+モハ164-81~84のどれかです。
モハ164は普通屋根なので神領電車区所属時に中央線の低断面トンネル対策で、折り畳み高さが低いPS23パンタに交換されてますが、身延線はそれでもトンネル内でパンタを緊急降下させた際に、パンタと架線の間に絶縁距離が保てない極小断面トンネルがあるのでモハ164はパンタ部が低屋根の800番台限定と幾つかの書籍で読みましたが、こうして普通屋根でPS23パンタに交換したモハ164が富士川編成に入ってるじゃないですか。

もう何が正しい記述なのやら。

参考までに……
f:id:okinawa-rail:20221015011608j:image分かりにくいですけど、2両目がモハ164-800番台です。(91年10月20日)

因みに身延線用の115系2000番台f:id:okinawa-rail:20221015011636j:imageのモハ114-2600番台はPS23パンタグラフですが、取り付け部を2センチ低くする事で、絶縁距離を確保してます。(87年3月31日 甲府)
f:id:okinawa-rail:20221015011717j:image山と渓谷社 国鉄車両形式集4より

f:id:okinawa-rail:20221015011743j:image廣田尚敬氏の動止フォトグラフに影響されたのか、名古屋駅に入線する113系を、広角レンズを使用してスローシャッターで流してました。
撮影した時の記憶が無いのですが、背後にホームが3本あるので、7番線に到着する中央西線の列車を6番線から撮ったと思われますが、7番線に到着する列車なら進入速度はそんなに速くないはずなのにこの流れ具合なので、かなりのスローシャッターで撮ってるようです。
撮影当時の機材はキャノンAV-1で撮影モードは絞り優先だけなので、かなり絞ってますね。
プライバシーが過保護になってる昨今では左端のドア部に立ってる少年はカットすべきなのかもしれませんが、絵的にカットするには惜しいので、そのままにしました。
この少年、中学生くらいなので、現在では50歳くらいですね。

f:id:okinawa-rail:20221015011849j:image名古屋駅に到着する特急「しらさぎ6号」です。
特急「しらさぎ」は1985年3月ダイヤ改正から9両編成と7両編成の二つのグループに分かれて、9両編成は489系の特急「白山」と共通運用なので、先頭車はボンネット車(85年8月)f:id:okinawa-rail:20221015012020j:imageから“電気釜”と呼ばれた非貫通型までバリエーション豊富でしたが、7両編成は485系「加越」と共通運用だったので、非貫通型が多かった印象があります。

ところで、「こんなの撮ってたんだシリーズ」は撮影した覚えがないカットばかりなのに、「しらさぎ」6号だと分かるのは、編成が7両編成っぽいのと、運転台助手席の下に機械室の点検口があるので先頭車はクハ481-300番台である事と、このカットの前に15時25分を指してるホームの時計が写ってたので、それを頼りに手持ちの1985年当時の金沢運転所485、489系運用表で調べたら、485系7両編成で運行される「しらさぎ」6号だと分かったのです。

いやいや、時計は写しておくものですね。

f:id:okinawa-rail:20221015012148j:image折り返し整備中の特急「しらさぎ
線路上では地上作業員が給水しています。
快適な列車の旅は、運行乗務員は勿論、このような作業員の方々によって支えられています。

……なんて柄にも無い事を書いてますが、実はこちらが原板です。f:id:okinawa-rail:20221015012218j:image原板は見ての通り幕回しを狙ったのですが、ヘッドマークはズレてるし、構図も最後部は切れて先頭車も右側に余裕が全く無いぎっちぎちなので、ならば地上作業員メインにしてしまえ!と大胆にトリミングしたのが1枚目だったりします。
まだトリミング出来ますが、流石に粒子が目立つので、この辺りが限界ですね。

ところで、線路上がアスファルトで覆われてますが、これは地上作業員が歩行し易くする為ではなくて、垂れ流し式トイレから落とされる排泄物を洗い流す為だったと思われます。
今は列車のトイレは汚物処理タンクが付いてるのが当たり前ですが、国鉄時代は車両基地でタンクから汚物を抜き取る装置が未整備だったり、装置があっても抜き出した汚物を何処で処理するかの問題があって垂れ流し式トイレの車両がまだまだ多くて(85年当時最新型の185系も垂れ流し式でした)トイレのドアやトイレ内に「停車中は使用しないで下さい」と注意書きがありましたが、無視するのか切羽詰まってたのか、停車中でも使用して線路上には排泄物とチリ紙が落ちてるのが日常で、地上作業が給水ホースから水を出してそれらを洗い流すのを何度か見た事ありますからね。

いやいや、昭和って凄い時代だったんだなぁ←遠い目

f:id:okinawa-rail:20221015012354j:image先ほどの地上作業をアップにしたカットの別バージョンです。
地上作業員を入れたい、ヘッドマークを入れたい、特急シンボルマークを入れたい、JNRマークも入れたいと欲張ったら、肝心の地上作業員が目立たなくなりました(笑)

ところでこのカット、一見すると上野駅ヘッドマークがズレた「はくたか」が折り返し整備で給水受けてるようにも見えますね。
因みに「はくたか」は489系「白山」と共通運用だったので、運転台下に機械室があるクハ481-300番台の「はくたか」は通常ではなかったです。異常時に備えて485系でも運用出来るようにクハ481にもマークは用意されてたようですね。

f:id:okinawa-rail:20221015012454j:image何の変哲もない縦構図の特急「しらさぎ」ですが、私にとっては珍しい縦構図だったりします。

写真をアルバムに収める際に、台紙に貼るレイアウトフリーの“フエルアルバム”なら縦構図でも構わないのですが、私が愛用してるアルバムはバインダー式なので縦構図だと写真が見辛くて、よほどの事がないと縦構図では撮らないので、気まぐれで撮ったと思われるこのカットは私的には結構レアだっりします。

今見るとそこそこ良いアングルなんですが、写真が残ってないのは、アルバムへの収まりが悪いので処分したんでしょうね。

余談ですが“フエルアルバム”は湿度の管理がされた場所に収納しないと、厚紙の台紙が湿気でボコボコになります。←経験者は語る(笑)

 

鉄道開業150周年記念、こんなの撮ってたんだ1985年4月編…そんなタイトルだったの?…最後までお付き合いありがとうごさいました。

鉄道150周年記念なので、予告してた1991年夏北海道を書こうかと思いましましたが、秋に夏の北海道もどーかと思って止めました。

 

次の鉄道ブログは小ネタを挟みながら、「1982年11月さよなら急行きそ」を予定しておりますので、期待しないでお待ち下さい。

 

さぁ予告したので写真スキャンして記事考えないと。

って、全く手付かずじゃねぇか!(笑)


それでわぁ~