気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

月曜日 過去鉄…1988年ゴールデンウィーク納沙布岬への旅

1週間ぶりの更新です、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。

なんか大作を書くとその反動でブログの更新が滞るのが定番となって来ましたね(笑)

さて、今日は先週予告した通りに過去鉄北海道シリーズ…そんなシリーズだったの?…第4弾で、1988年ゴールデンウィーク納沙布岬への旅です。

この旅については2020年5月15日…おぉ!3年前の今日だ…と、翌16日に記事にしてるので、それらを再構成した大幅加筆修正版としてお届けしましょう。

最初にぶっちゃけておきますが、この納沙布岬への旅は自分で撮影した写真が少ないので、他の旅で自分で撮影した写真や、他所から引用写真が多くなりますので、予めご了承下さいませ。

それでは1988年ゴールデンウィーク納沙布岬への旅、スタートです。

先週は4日間に渡って1987年ゴールデンウィーク北海道旅行を記事にしましたが、翌年1988年のゴールデンウィークも1日から5日まで連休だったので、また北海道に行きました。

この時の目的地は日本最東端の納沙布岬でした。
f:id:okinawa-rail:20230515160305j:image
f:id:okinawa-rail:20230515160326j:image恒例の手書きの行程表です。1枚で貼ると文字が小さくなるので分割してみました。

前年の旅では名古屋を朝に出発してますが、今回は名古屋を4月30日の夜…正確には5月1日の未明…の夜行急行「銀河」82号で出発しました。
急行「銀河」は東京~大阪間の寝台急行ですがf:id:okinawa-rail:20230515143924j:image(Wikipediaより)
繁忙期には14系座席車
f:id:okinawa-rail:20230515215733j:image(Wikipediaより)
の臨時列車が走っていて、よく利用しましたね。
余談ですが本家の寝台列車も名古屋から乗車出来たので、東京に行く際に利用した事があります。
名古屋0時59分発、東京6時47分着なので、睡眠時間は5時間半くらい。料金の急行券+寝台券で7200円は新幹線グリーン車より800円安いだけでした(笑)


東京…と言うか上野から盛岡までは東北新幹線「やまびこ」ですが
f:id:okinawa-rail:20230515144049j:image(Wikipediaより)
今回はなんとグリーン車で行きました。
当初は自由席にするつもりだったんですが、東京駅から上野駅への移動中にグリーン車にしようかなぁ…と思いついて、上野駅みどりの窓口でグリーン券を購入しました。
特急や急行編成が間合い運用で普通や快速に就いてる際にはグリーン車が無料で解放されていて、それには何度か乗った事ありますが、新幹線のグリーン車は初めてなので、豪華な車内…88年レベルです…と相まって変に緊張しました(笑)
f:id:okinawa-rail:20230515144124j:image(山と渓谷社 国鉄車両形式集6より)

変な汗をかきながら盛岡に到着した後は函館行きの特急「はつかり」5号に乗り換えです。
f:id:okinawa-rail:20230515144235j:image(イメージです)

盛岡発函館行き特急「はつかり」5号…そうです、開通したばかりの青函トンネルを通過したのですよ。
今回の旅の目的の一つが世紀の大工事の末に完成した青函トンネルの通過ですけどf:id:okinawa-rail:20230515144310j:image(Wikipediaより)
いざ通過してみれば長~いトンネルってだけで、車掌さんが「今は海底の真下です」と解説してくれましたけど、ふぅ~んって感じで特に感動は無かったですね。
長~いトンネルを抜けても本州と変わらない風景に北海道へ来た実感がなかったのですが、木古内を過ぎて海沿いを走ってる際に函館湾の対岸に函館山が見えた時には、海底トンネルを通って北海道に来たんだと漸く実感しましたね。

函館駅では盛岡からの特急「はつかり」5号と札幌行き特急「北斗」11号が並んでたので妙な感じがしました。
f:id:okinawa-rail:20230515144359j:imageぶっちゃけ写真は撮影してないので91年7月に撮影したので代用してますが、88年当時もこんな感じでした。

函館からは特急北斗85号で札幌まで行きましたけど、この北斗85号は82系気動車
f:id:okinawa-rail:20230515144506j:image(鉄道ジャーナル別冊JR北海道より)
当時はJR北海道では定期仕業からは退いて臨時で細々と走ってる貴重な存在だったんですけど、82系は名古屋でも走ってるからと写真を撮影して無いのですよ。

今思うとなんて勿体ない事したんだか。

て言うかここまで1枚も写真を撮影して無いのですよ。

これは東北新幹線は先頭車まで遠いし、何より上野は地下ホームで、盛岡も屋根に覆われて暗いので撮影には不向きで、特急「はつかり」は前年に撮影して事もあったのですが、実は単にカメラを出すのが面倒なだけだったりします(笑)


北斗で札幌に到着してその日はホテルで一泊して翌朝の特急「おおぞら」で釧路に向かうのですが、ここで漸く列車を撮影してます。

f:id:okinawa-rail:20230515144647j:image8両編成の特急「ライラック」です。
ライラックに使用してる781系国鉄時代は6両編成でしたけど
f:id:okinawa-rail:20230515144813j:image1984年8月 札幌駅
86年11月の国鉄最後のダイヤ改正までに中間車を先頭車化改造して6両編成8本から4両編成12本に数を増やして列車の増発を図ると共に、ピーク時には2本併結した8両編成で走るようになり、その運転形態はJR移行後も続きました。

f:id:okinawa-rail:20230515144843j:image札幌から乗車した特急「おおぞら」1号です。
釧路駅で非電化なので架線が無いからスキッリしてますね。

釧路からは急行「ノサップ」に乗るのですが、その写真はありません(笑)

撮影しなかった理由はおそらく乗り継ぎ時間が5分と短いから「おおぞら」を撮るので精一杯だったからと思われますが、車両は北海道専用のキハ56に廃車になったキハ27の運転台部分を接合して両運転台車に改造したキハ53で、道東と道北の限られた路線で走ってたので、何で撮影しなかったのかと、当時の自分を詰問したいです。

急行「ノサップ」で根室に到着してから
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f:id:okinawa-rail:20230515145925j:image(2枚共に鉄道ジャーナル別冊17より)
根室交通のバスで納沙布岬に向かうのですが、この根室交通は当時は名鉄系なのでバスの色からシートのモケットまで当時の名鉄バスと全く同じだったので、日本最東端まで来た気がしませんでした(笑)

このバスも撮影しておけばと後悔してます。

なのでWikipediaから引用しました。都合良く納沙布岬行きですし(笑)
f:id:okinawa-rail:20230515145959j:imageWikipediaより

納沙布岬での滞在時間は僅かに35分!でしたので、f:id:okinawa-rail:20230515150034j:image納沙布岬の碑
f:id:okinawa-rail:20230515150057j:image北方領土返還記念シンボル像の「四島のかけ橋」
f:id:okinawa-rail:20230515150129j:image
f:id:okinawa-rail:20230515150149j:image
f:id:okinawa-rail:20230515150208j:image北方領土貝殻島
f:id:okinawa-rail:20230515150239j:image寛政の乱和人殉難墓碑
を慌ただしく撮影してました。
寛政の乱和人殉難墓碑に関しては書くと長くなるので、こちらhttps://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/tatakai/4719.htmlをご覧下さい。江戸幕府松前藩アイヌ民族を奴隷扱いしてたのがよく分かります。


さて、納沙布岬を後にしてバスで根室駅に向かい、普通列車で釧路へ行き急行「まりも」の寝台車に乗車するですが、その車内で笑劇…いや、衝撃の事実が判明しました。

納沙布岬を巡った日の夜は釧路から札幌行きの急行「まりも」の寝台車が宿で、納沙布岬、慌ただしかったけど良かったなぁと思いつつ、自分のベッドで荷物の整理をしてる時に「あの、ここは私達の寝台なんですけど…」と一組の家族連れが現れました。

はぁ!?何言ってるの? 間違えてるのそっちじゃない?ダブルブッキング?と互いに寝台券を見ると、私の寝台券の日付が5月2日じゃないといけないのに翌日の3日なってた事が判明しました。

えぇ!?マジ?

どうやら寝台券を購入する際に申込書に日付を間違えて記入したようで、自分の寝台券が正しいと思い込んでだけに顔からさぁ~っと音をたてて血の気が引き、家族連れに「すいません!!」と平身低頭で謝り、荷物を纏めて脱兎の如く寝台車から降りました。

時は発車まで約5分です。

さぁどうしようと列車を見ると指定席車は勿論、自由席車も満席で、時刻表には載ってない特発の続行の臨時急行「まりも」82号も満席なので、札幌まで一晩立って行く事も覚悟しましたが、ダメもとでみどりの窓口マルスを叩いて貰ったら…マルスと呼ばれる指定席等の発券機を操作する事です…奇跡的に「まりも」の寝台券が取れて、無事に「まりも」に乗れました。

購入した寝台は上段でしたが、極度の緊張感から開放されたので、札幌までぐっすりと眠れましたね。
f:id:okinawa-rail:20230515150321j:image釧路駅で購入出来た寝台券
この寝台券、先に奇跡的に取れたと書きましたが、今思えば私みたいに日付を間違えて寝台券を購入する“うっかりさん”の為にJRが予め確保してる寝台券だったかもしれないです。

そうそう、急行「まりも」の寝台券を貼ったついでに今回の旅行で乗った列車の切符が残ってたので貼っておきましょう。長いサイズの切符に合わせるので、小さいサイズの切符は余白が多いですが気にしないで下さいな。
f:id:okinawa-rail:20230515160624j:image急行「銀河」
f:id:okinawa-rail:20230515160648j:image特急「はつかり」と「北斗」
f:id:okinawa-rail:20230515160719j:image特急「おおぞら」
f:id:okinawa-rail:20230515160740j:image北海道ワイド周遊券
このゴールデンウィーク旅行は北海道ワイド周遊券を使ってるのですが、帰りは空路でした。
JRに乗車した距離は分かってるだけで(理由は後ほど)名古屋~根室間と根室~札幌~千歳空港間の2611.8km(運賃計算距離)で、運賃は2万3千円なので、普通に乗車券を購入した方が安いのに、何で周遊券を使ったのか、今でも謎です。
名古屋~東京間の急行「銀河」82号や、函館~札幌の特急「北斗」85号は指定席で、釧路~札幌間の急行「まりも」は寝台車で、周遊券でも急行、特急の指定席や寝台車に乗る際には急行券特急券を購入しなければならないので、JR全線の急行自由席と、北海道内の特急自由席が無料になる周遊券の恩恵は、釧路~根室間の急行「ノサップ」だけなんですよ(笑)

 

ホント謎です。

 

話し横にそれたのでグイッと戻しましょう。


釧路駅で急行「まりも」発車前に寝台券の日付が違ってるハプニングもありましたが、グッスリと眠ったので爽やかな気持ちで朝を迎えて札幌到着後には乗車した「まりも」を撮影したようです。
f:id:okinawa-rail:20230519192822j:image特急オホーツクと並んでましたが、朝陽をまともに浴びてるので、オホーツクの顔は白く飛んでました。

 

札幌到着後は撮影タイムですけど、前年の旅行で札幌駅ではいっ~ぱい撮影してるので、今回は札幌の次駅苗穂で撮影してました。

f:id:okinawa-rail:20230515161512j:image特急「おおぞら」1号です。
今ではヘッドライトは常時点灯ですが、当時は昼間は消灯してたので、私が撮影してるのを見付けた運転士さんがライトを点灯してくれました。

運転士さん、ありがとうございまぁ~す!

f:id:okinawa-rail:20230515161648j:image撮影順は前後しますが、特急「北斗」2号です。
特急「北斗」は88年3月改正から120km/h運転が開始されたので、編成は出力が660PS(先頭車は発電機付きなので330PS)にパワーアップされたインタークーラーターボエンジンを装備したNN183と呼ばれたキハ183-550、1550番台車のみで組成されていて窓の大きさが揃ってます。

画面の右に見切れるように写ってるクリームと青の車体は紛れもなく583系の付随車サハネ581で、国鉄末期にJR北海道ジョイフルトレインへの車両改造の種車になるようにと、サロ481
f:id:okinawa-rail:20230515161906j:image(Wikipediaより)
サシ481
f:id:okinawa-rail:20230515161931j:image(Wikipedia)より
と共に国鉄本社からJR北海道の本社が置かれる札幌鉄道管理局に贈られた車両ですが、サシ481は寝台特急北斗星」のスシ24-500番台
f:id:okinawa-rail:20230515162023j:image(Wikipediaより)
に活用されましたが、サロ481とサハネ581は使い物にならないので、JR移行2年経ても苗穂工場に放置されたままでした。

これ、体の良い処分保留車の押し付けではないかと(笑)

因みに食堂車の型式がスシなのは、客車は機関車に牽引されて走るので編成としての重量を把握する必要から細かく重量区分されていて、軽い順にコ、ホ、ナ、オ、ス、マ、カと片仮名記号が付けられていて、スシ24の種車のサシ481の自重が37.9トンだったので、重量区分が37.5~42.5トン未満のス級になったからですが、食堂車で「スシ」は出来すぎです(笑)

話しまた横にそれましたね、グイッと戻しましょう。


苗穂駅で撮影したのは上記の2枚だけだったようで、ネガにも写ってません。

この後の行動は全く覚えてなくて、多分列車で小樽に行ったり、札幌大通り公園でジャガイモを食べてたんじゃないでしょうか。

もしかしたら周遊券が無駄になるのが分かってたので、元を取る為に特急ライラックで札幌~旭川間を往復してるかもしれません(笑)


先に書いてますが、この旅行の帰路は空路だったので、札幌駅から千歳空港まで列車で向かうのですが、その前に札幌駅でトマム&サホロエクスプレスを撮影してました。
f:id:okinawa-rail:20230515162640j:image
トマム&サホロエクスプレスは北海道リゾート列車の第3弾として80系気動車種車に87年12月に登場し、後に食堂車などが追加されて豪華になりました。
その豪華になった姿を翌年に北陸本線の名撮影地の新疋田ループで撮影してます。
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f:id:okinawa-rail:20230515162816j:image1989年11月
何かのイベントで大阪で展示されるので長駆北海道から回送されて来たのですが、平日なのに撮り鉄…当時そんな言葉ありません…でいっぱいでした(笑)

……と、ここまで2020年5月15日の記事を元に加筆修正を加えたところで札幌駅でのトマム&サホロエクスプレスの原版を改めて見るとホームの時計が写っていてその時計は8時20分を指してましたf:id:okinawa-rail:20230521215152j:imageトリミング前の原版で8時20分を指してる時計が見えます。
ん!?と言う事はトマム&サホロエクスプレスは千歳空港に行く前ではなくて、苗穂駅で札幌を8時04分に発車した特急「おおぞら」1号を撮影した直後に札幌駅に戻って撮影したって事?

じゃあ、その後は千歳空港に行くまでの約7時間は何処で何してたのやら。

先に周遊券が無駄になるのが分かってるので旭川まで行ったなんて冗談半分で書きましたが、強ち間違いではないかも知れません(笑)

因みに1988年当時の時刻表を見ると札幌駅9時30分発の網走行き特急オホーツク3号がありますf:id:okinawa-rail:20230521220841j:image(イメージです。)
このオホーツク3号に乗って旭川まで行き183系のDML30HSのエンジンサウンドを堪能して、旭川から特急「ライラック」で札幌に折り返す事も私なら十分にやりかねません(笑)

いや、マジで。

また話しそれました、北海道旅行の記憶が残ってる(笑)部分に話戻します。

くどいようですが、この旅行の帰路は空路で、
f:id:okinawa-rail:20230515162942j:image(イメージです)
当時の旅客機の座席指定は事前予約はなくて空港カウンターで搭乗手続き時の早い者勝ちだったので、搭乗手続き開始の1時間くらい前には空港カウンターに並んでましたね。
f:id:okinawa-rail:20230515163008j:image当日の搭乗券で、前から6列目です。
オマケにANA708便に充当する機材が出発地の悪天候で1時間くらい遅れたので、都合2時間くらい千歳空港で待たされた覚えがあります。


なんか2年連続での尻すぼみな旅になりましたけど、それなりに楽しかった思い出を胸に名古屋空港に到着して、空港から自宅までの経路は朧気ですが、自宅最寄りのバス停行きのバスは名古屋空港へのファイナルアプローチコースの真下を通るので、名古屋空港へ降りて行く旅客機をf:id:okinawa-rail:20230521232657j:image(イメージで、実際には夜です。)
あの様に降りて来たんだなぁ…と感慨深く見てたのを覚えています。


実は翌年もGWに北海道へ行く事を計画してたですけど、翌年は当時勤めてた会社で労働組合青年部の役員になってしまったので、GW休暇中も雑務に駆り出されて纏めて休めなくて北海道へは行けなかったですね。

 

珍しく(笑)一つに纏まった過去鉄 北海道シリーズ第4弾「1988年ゴールデンウィーク納沙布岬への旅」は以上です。最後までお読み頂きありがとうございました。

過去鉄 北海道シリーズは
第1弾 1984年夏
第2弾 1986~87年冬
第3弾 1987年ゴールデンウィーク
がありますので、宜しければお読み下さいませ。
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次の北海道旅行は翌年の夏休みですが(笑)、これは家族旅行で鉄道は絡んでなくて記事にならないので…いや、むしろそっちを記事にしなよ…次の過去鉄北海道シリーズは夏頃に「1991年夏北海道」を予定しています。

さぁ予告したから写真集めて記事考えないとって、そっからかよ(笑)

それでは。