今日の名古屋は朝から雨で最高気温も18.1℃でした。
因みにこれは未明の0時に記録していて
(気象庁ホームページより)
日中は14~15℃なので5月にしては寒かったですね。
(気象庁ホームページより)
さて、ゴールデンウィークも今日で終わりで、昨年は三岐鉄道まで撮り鉄に行きましたが、okinawa-rail.hatenablog.jp
今年はどこにも行かずに、昨日ちょっとドライブに行っただけでした。
まぁ、実際には車の6ヶ月点検でディーラーに行っただけなんですが、このディーラーが南区の星崎にあるので、我が家がある守山区からはちょっとしたドライブなんですよね(笑)
連休中なので市内の道路は空いていて、何時も必ず渋滞する場所があってそこを避けて迂回するほどですが、そんな渋滞も無くてストレスフリーで走れました。
名古屋走りする奴もいなかったですし。
などと、ブログらしく日常の事をちょっと書いたところで、ここからは今日の本題で、撮影から今年で40年シリーズで、1985年4月の米原機関区一般公開です。
国鉄は悪化する財政をなんとかしようと1984年頃から日本各地の機関区や車両基地の一般公開を頻繁に開催する様になって1985年4月28日、29日に米原機関区でアンコール撮影会と銘打つてEF58の撮影会が行われました。
などとしれっと書いてますが、1985年のゴールデンウィーク頃に米原機関区でEF58を撮影したのは写真が残ってるので覚えていますが、2日間だけのアンコール撮影会だと知ったのはつい最近だったりします(笑)
この春の米原機関区一般公開はいつだろう?これに書いてないかな?と鉄道ファン誌1985年6月を読んでたらイベント情報にしっかり書いてありました(笑)
おかげで米原機関区に行った日にちが4月28日だと分かりました。
1985年当時は5月1日がメーデーで会社…と言うか労働組合員は休みになる代わりに29日は祝日だけど出勤してるはずなので、28日だと断定出来るのです。
さ、前置きはこれくらいにして米原機関区に行きましょう。
でもその前に前座です(笑)
米原機関区脇の東海道下り本線を走るEF66 23号機牽引のコンテナ貨物です。
このカット撮影した覚えが全く無いのでネガを見てもしかすると27号機か?とワクワクしてスキャンしたら23号機だったのでガッカリしました(笑)
でも、映えを良くする為に右側の駐車場をトリミングしてカットしてますが、それはほんの少しなので、何で写真を残さなかったのかと当時の自分を詰問したいです。
寄り道もそここそに米原機関区内に入りましょう。
横1列に並ぶEF58です。
1984年頃から始まった機関区一般公開、開始当初は単に機関車を縦や横に並べてるだけでしたが、この頃になると見せる工夫も施して、横1列ですけど各車の停止位置をずらして、狭いながらも横から見ても単調にならないようになってました。
それにしても壮観な並びですよね。
今この様な機関車撮影会が行われたら財布から何人もの渋沢栄一さんが出て行ってしまいますが、当時は無料でした。
先に国鉄は悪化する財政をなんとかしようと機関区一般公開を始めたと書きましたが、ほとんどは入場料金は徴収してなかったです。
では何んで収入を得たかと言うと遠方から来場するファンが支払う運賃や新幹線、在来線の特急料金だったりします。
実際この米原機関区へは名古屋から国鉄で行ってますし、一昨日に書いた
高崎機関区へは名古屋~東京~高崎~長野~名古屋の一筆書きルートで、東京までは夜行普通列車でしたが、上野~高崎間は上越新幹線の自由席
(Wikipediaより)
高崎~長野間は特急「あさま」の指定席
(イメージです)
長野~名古屋間は急行「赤倉」の指定席を利用したので
(イメージです)、
運賃は9200円、新幹線特急料金と特急「あさま」に急行「赤倉」の指定席料金は3列車合わせて5200円で合計14400円を国鉄に支払ってますからね。
遠方からの方はもっと支払ってるので、国鉄からすれば“良いお客様です”。
話し横にそれました、米原機関区に戻ります。
お召し仕様のEF58 61号機です。
お召し列車専用機のEF58 61号機がお召し仕様になってますが、つい1ヶ月前に高崎機関区でいっ~ぱい撮ってるので、ちょっと飽きてました←なんて贅沢な(笑)
展示機の正面からのカットです。
96号機
74号機
61号機
36号機
横1列留置でも単調にならずに留置位置をずらして留置したとは言え、横との間隔は狭いので、個別に撮るには正面からだけでした。
展示機は並び順に96、74、61、36、138号機で、61号機はゲストですが、それ以外は全て84年1月31日までは米原機関区に所属し、翌日には廃車前提で下関に移動して84年3月末までに廃車になり、84年8月に米原機関区で開催された機関車展示会で展示する為に米原に戻ってきて、以来米原機関区で保管されていた車両たちでした。
ところで36号機の隣にいる138号機の写真がありませんが、138号機はヘッドライトが“ブタ鼻”と揶揄されたシールドビーム改造機で、好みのスタイルではないので撮影はしたけど写真は残ってないのかな?とネガを見たら撮影すらしてなかったです。
分かりやすいなぁ(笑)
とは言え仲間外れも可哀想なので現役時代に名古屋駅で撮影したのを貼っておきます
好みではないですが、撮影したのは1984年2月で、EF58が荷物列車牽引機からの引退まで1ヶ月切ってる時期だったので好み関係なく撮ってたようです。
あ、今気が付きましたが、反対側はおそらく違うヘッドマークを付けてたはずですが、ネガを見ても撮影してません。
なんで撮ってないんだろ?
米原機関区アンコール撮影会ではEF58以外にもEF65PFとEF81が展示されてました。
西日本の機関区一般公開の定番の「サロンカーなにわ」のヘッドマークを付けたEF65-1010号機です
東の「サロンエクスプレス東京」はEF58 61号機が専用機みたいになってたので、EF65PFが牽引機だと“ハズレ”なんて言われましたが
(1983年9月 東海道本線 熱田)
「サロンカーなにわ」は特にこれと言った牽引機はなかったので、EF65PFでも“ハズレ”とは言われなかった気がします。
ところで、EF65-1010号機はEF65PFと呼ばれる客貨両用のEF65-1000番台の初期型で、東海道本線筋でのEF65PFは後期型がメインだったので
(1984年2月 名古屋)
1985年3月ダイヤ改正で吹田機関区や稲沢機関区に転入してきた初期型は“新顔”になりますが、イベントに駆り出されてもEF58の影に隠れて目立たない存在になってしまうので、少しでも華を持たせようとの配慮からか前後で違うヘッドマークを掲出して
2エンド側は急行「北国」のヘッドマークを掲出してました。
このヘッドマークは大阪~新潟間の夜行急行「きたぐ」が1985年3月ダイヤ改正で14系座席車と
(Wikipediaより)
14系寝台車
(Wikipediaより)
が混成された客車列車から、583系電車に置き換わるので
(イメージで583系の雷鳥で代用)
客車列車の送別で実際に85年3月改正前の3月9日の上りの客車「きたぐに」の牽引機EF65-1138号機が掲出してた物です。
因みに送別ヘッドマークはもう一つ違うデザインがあったので、「サロンカーなにわ」のヘッドマークも良いですが、どうせなら「きたぐに」で統一した方が良かったのでは?とネガスキャンしていて思いましたね。
米原機関区でEF58が展示されてるのは機関庫前の陽が当たる側でしたが、その機関庫の反対側で文字通りEF58の影に隠れて展示されていたEF81 1号機です。
掲出してるヘッドマークは1985年3月ダイヤ改正で廃止になった北陸本線の長距離客車普通221列車の送別ヘッドマークです。
ところでEF81が赤2号になってますが、これは真っ赤になるくらい劣化してるネガをスキャンしてるので、緑色になったEF81を補正してもローズピンクにならないだけなんですよ(笑)
参考にローズピンクのEF81の写真を貼っておきます
(1984年1月 敦賀駅)
EF81 1号機が掲げてた221列車送別ヘッドマークをトリミングしてみました。
実物を見た記憶がないのでネガスキャンしたカットで判断してますが、手作り感あふれるように見えるヘッドマークに、個人が作ったヘッドマークを、機関区一般公開 会場で展示されてるEF81 1号機に国鉄特認で掲げてたと思ってたのですが、この記事を書くのに参考にしてる鉄道ファン誌85年6月号
にこのヘッドマークを掲出して走行してる221列車の写真が掲載されてたので、国鉄公式のヘッドマークだったのかと、ちょっとビックリしましたね。
因みにEF81をローズピンク見えるように補正したので全体的にマゼンタ気味になってヘッドマークの地の色がスカイブルーになってますが、鉄道ファン誌によるともっと濃い青色です。
本筋よりも余計な事が多い気がする「撮影から今年で40年シリーズ、1985年4月の米原機関区一般公開」最後までお読み頂きありがとうごさいました。
次の撮影から今年で40年シリーズは「ゴールデンウィークわいわい新疋田」を予定してますが、貼る写真をちょっと手直ししてるので暫しお待ち下さいませ。
その暫しって1ヶ月くらい?(笑)
それでわぁ~