気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

水曜日 桜の花びら…どこから飛んで来たん?


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f:id:okinawa-rail:20240410193223j:imageおよそ1週間ぶりの更新で唐突に貼った2枚の写真は今朝の自宅ベランダの排水溝の様子です。

排水溝には昨日の雨水が溜まってるのですが、そこに桜の花びらが2枚だけプカプカと浮いてました。

え!?どこから飛んで来たん?

最も有力なのは自宅から北へ150メートルほど離れた場所にある公園の桜なんですが
f:id:okinawa-rail:20240410233625j:imageそこから北風に飛ばさても真っ直ぐにはベランダに落ちないので、自宅の南側にある家に風が当たって、回り込んでベランダに落ちたんでしょうね。

こんなの初めて見ました。

なのでアングルを変えつつ6枚ほど撮ってました(笑)

そんな花吹雪状態の桜ですが、今年もそこそこ撮ってますが、数が多くて画像の整理が全く出来て無いので、ブログに垂れ流すのは、まだ先になります。

今月中にはUpしたいかなぁ

とりあえず予告編で数枚だけ貼って今日は締めましょう。
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f:id:okinawa-rail:20240410194159j:image
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f:id:okinawa-rail:20240410194246j:image各キャプションは省略しました。
予告編なので本格的にUpする際には色調が変わってるかも知れません。

それでわ~

月曜日 植物ブログ…桜はまだだけど、野草は逞しい

今日の名古屋市は概ね晴れの天気で最高気温も21.9℃と心地良い一日でしたが、夜になったら寒くて、最低気温の12.1℃は21時10分に観測されてます
f:id:okinawa-rail:20240401220557j:image(気象庁ホームページより)
多分今は更に下がってるんじゃないかな?

そんな天気の話しで始まるとこの先は鉄道ブログになりますが、ここのところ鉄道ブログが続いてたので、今日は植物ブログにしましょうか。

まずはこちらから
f:id:okinawa-rail:20240401220736j:image近所の公園の桜です。
名古屋市は先週の木曜日に桜が開花しましたが、近所の公園の桜の木は遠くから見てもピンクっぽく見えないので、昨年夏頃から公園横の道路で水道管とガス管の更新工事が行われていて、歩道も掘り返したので、地下茎が影響受けて咲かないのかな?と近くまで見に行ったら
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f:id:okinawa-rail:20240401220929j:imageまだ固い蕾の状態でした。
因みに満開になるとこんな感じです。
f:id:okinawa-rail:20240401221020j:image昨年の満開状態です。

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f:id:okinawa-rail:20240401221459j:image別の桜の木ですこの桜の木の近くでは工事してなかったので、ちらほらと咲いてます。

f:id:okinawa-rail:20240401221543j:image同じ公園内に咲いてる芝桜です。
こちらの方が満開状態ですね。
f:id:okinawa-rail:20240401221629j:imageこちらも同じ公園内に咲いてる花で、サンデーリップルでしょうか。
そのそばに自生したのか植えたのかは分かりませんが、ちょっと気持ち悪いけど、目を引く植物です。
f:id:okinawa-rail:20240401221707j:imageこれ何でしょうか?
野草の勉強しましょうと何度か書いてますが、未だにしてません(笑)

でも、これは知ってます
f:id:okinawa-rail:20240401221744j:imageムスカリです。
このムスカリくん、実に逞しくてアスファルトの隙間から咲いてるんですよ。
f:id:okinawa-rail:20240401221822j:image自宅マンションの門柱の下のアスファルトの隙間から毎年咲いてるので、春の楽しみの一つです。
ムスカリ自体は小さいので、スマホで撮るとピントが合わせ難くて
f:id:okinawa-rail:20240401221908j:imageこちらは壁にピントが合ってしまいました(笑)

自宅マンションの草生した生け垣に自生してる名前を知らない可憐な花です
f:id:okinawa-rail:20240401222113j:image咲いてるのはこんな場所でf:id:okinawa-rail:20240401222004j:image雑草に負けない逞しさに萌えてしまいます。
上の2枚を撮影したのは先週の28日木曜日ですが、30日土曜日にはf:id:okinawa-rail:20240401222555j:imageこんな状態になってました。
f:id:okinawa-rail:20240401222841j:image傍らにはムスカリくんも頭出してます。
最後はこちらで締めましょう

f:id:okinawa-rail:20240401222958j:imageセイヨウタンポポです。
これも自宅マンションの敷地内の防犯の為に敷き詰められてるバラストの隙間から咲いてます。
よっく見るとバラストの隙間からは小さな野草と言うか雑草が生えてるので、雑草の逞しさには見習うべきところがあります。

これ、以前にも書いてるかもですが、雑草の様に生きたいと行ったら、高山植物の方が良いと言った友人がいます。

手厚く保護されるからかぁ~!

それでわ~

日曜日 過去鉄…名古屋市電廃止から半世紀

今日の名古屋は黄砂で霞んでますが、まずまずの天気で、最高気温も25.2℃と夏日で暑かったですね。

さて、今日は2024年3月31日ですが、今から50年前の1974年3月31日は名古屋市電が廃止された日です。

正確には3月30日に営業運転を終了して、翌日の31日は廃止を惜しんで全線無料で開放されて77年の歴史に幕を下ろしました。

その無料開放された日に市電に乗りに行っていて、その時に写した写真のネガが発掘されたので、僅かですが「過去鉄、名古屋市電廃止から半世紀」としてそのカットを貼っていきましょう。

まずはこちらから
f:id:okinawa-rail:20240331172118j:imageピンぼけてますが、名古屋市電の主力車両の1400系で、傍らにいるのは8歳児の私です(笑)
私、小学校2年生の頃から一人でバスと電車乗り継いで親戚の家まで行ってましたが、流石に混雑した無料開放された路面電車に一人で乗りに行くのは無理があるので親と一緒に行ってますが、路面電車と一緒に写真を撮ってもらったなんて記憶になかったので、発掘された古いネガからこのカットを見付けてた際には心底驚きました。
f:id:okinawa-rail:20240331172414j:image酷いピンぼけですが、背景からおそらくは金山橋で市電に乗る前に撮ったようです。

車両は名古屋市電の名車1400系で
f:id:okinawa-rail:20240331174550j:image(Wikipediaより)
張り上げ屋根の均整がとれたスタイルは子供でも綺麗だと思ってました。

f:id:okinawa-rail:20240331172646j:imageこれまた酷いピンぼけですが後部運転席からの風景です。
これは場所がどこか分かりませんが、道路が広いので市道環状線のどこかだと思われます。
当日は金山橋から新瑞橋を経て港東通りまで乗ってるので、桜山町でしょうか。
f:id:okinawa-rail:20240331172958j:image後部運転台の窓をフレームにして、真鍮が鈍く輝くドラム式マスコンハンドルを入れてすれ違った市電を撮る……
まるでプロが撮るようなアングルで8歳児が撮影してるのですから驚きです。(笑)

まぁシャッターを切ったら偶然に撮れたんだと思いますけど、狙って撮ったんだとしたら自画自賛になりますけど、子鉄凄いです。

ところで、歩道にアーケードがあって道路が結構カーブしてるこの場所は何処でしょうかね。昭和の名古屋の街の貴重な風景だと思うのですけど……

このカット2020年にInstagramに投稿した際に桜山ではないか?とのコメントを頂きましたが、未だ判明してません。
東通りまで乗ってるので、新郊通り辺りかもしれないです。

って名古屋の土地勘が無い方にはさっぱりですね。

ごめんなさい。

でもこの後も名古屋の土地勘が無い方にはさっぱりです。

名古屋市電廃止時の路線は金山橋~沢上町~桜山町と大曽根の近く矢田町10丁目から市道環状線上を今池~桜山町~新瑞橋~笠寺西門~港東通と、市道環状線の大久手から分岐して安田車庫までだけで、その内乗車したのは金山橋~桜山町~港東通新瑞橋だったのは覚えています。

新瑞橋からは前日の30日に開通したばかりの(こちらも今年で半世紀です)名古屋市営地下鉄4号線に乗りました。
f:id:okinawa-rail:20240331173420j:image(1983年8月撮影)
この4号線は金山~新瑞橋名古屋大学~本山~砂田橋大曽根間の路線として計画されながらも永らく金山~新瑞橋間だけで、大曽根~名古屋港間の名城線の支線扱いで路線名もなかったんですよね。

しかし、20世紀末の2000年に大曽根砂田橋間が開通すると次第に路線を伸ばして2003年には名古屋大学まで、2004年には名古屋大学から新瑞橋まで開通して既存の路線と繋がり、大曽根~栄~金山~新瑞橋名古屋大学大曽根間の日本初の地下鉄環状線爆誕しました。
f:id:okinawa-rail:20240331173520j:image(Wikipediaより)

名古屋大学新瑞橋間の開通に際して路線名がなかった4号線にも路線名が付けらるのですが、先に書いたように環状運転するので、名城線と名付けられたので、従来名城線を名乗り、都市計画上でも大曽根~名古屋港間の2号線として建設された内の金山~名古屋港は支線扱いになり、路線名も名港線に改められてしまいした。
f:id:okinawa-rail:20240331173623j:image(Wikipediaより)

これ、金山~名古屋港間にしてみたら、路線名がなかった4号線に名城線の名を貸したばっかりに全線開通した4号線に路線名取られたんですから、“軒を貸して母屋取られる”ですよ(笑)

なんて哀れな……

とは言え名港線名城線が分岐する金山駅は2面4線で
f:id:okinawa-rail:20240331173654j:image
(Wikipediaより)
外側1、4番線の名城線に挟まれるように名港線(2、3番線)が入り、栄方に名港線が折り返す引き上げ線がある構内配線で1967年に建設されたので、計画時から金山~名古屋港は支線になる事が確定してたんですね。

ところで余談ですが、環状運転する路線は、東京の山手線や大阪の大阪環状線共々方面を“内回り”、“外回り”と呼んでますが、名城線は“右回り”、“左回り”と呼んでます
f:id:okinawa-rail:20240331173803j:image(Wikipediaより)
これ地下鉄だから外が見えないので内回り、外回りだと分かりにくいからだそうですが、右回り、左回りだと何を基準に右左を決めてるのか分からないので、余計に分かりにくいと思うのは、私だけでしょうか?

実際、環状運転が始まってから20年経てますが、右回りと左回りがよく分かってないです。

気が付けば路面電車より地下鉄名城線の話しの方が長くなってる「過去鉄、名古屋市電廃止から半世紀」を最後までお読み下さいましてありがとうございます。

最後くらいは路面電車の話しに戻してこちらを貼って締めましょう
f:id:okinawa-rail:20240331173857j:image写真集、名古屋を走って77年です。
名古屋市電廃止を惜しんで1974年に名古屋市交通局が発行した市電写真集で、
f:id:okinawa-rail:20240331173928j:imageモノクロ写真中心ですが、
f:id:okinawa-rail:20240331173945j:imageカラーページもあって至高の書籍ですが、価格が高くて子供の頃は買ってもらえる訳がないので、学校図書室で授業の合間の放課中(名古屋弁で休み時間の意)や、図書委員の立場を利用して、貸し出しカウンターの中で繰り返し見てました。

それから約20年後に金山駅にあった名古屋市交通局の案内所だったかで5000円で販売されてるのを見付けて、大人の財力に物言わせて秒で購入しました(笑)

以来大切に保管して、年1度程度風に当てるので購入してから30年経てますが、発酵…つまりカビ臭い…も進んでない良好な状態を保ってます。

この書籍、鉄道古書を扱うお店では定価以上の値が付いてたりしますね。

だからと言ってこの書籍を売るつもりは、この書籍のページの紙を構成してる分子一つ分も無いです!

それでわ~

木曜日 過去鉄…1984年春まだ浅い名古屋

今日の名古屋は昨日とは違って朝から曇りで、夕方から雨も降り始めました。

そんな一日でしたが、今日名古屋は桜が開花しました。
これ、昨年よりも11日遅く、平年よりも4日遅いそうです。

そんな天気とか桜開花の話しもそこそこに、過去のブログの焼き直し……
いやいや、リメイク版で、今日は2021年3月5日のブログokinawa-rail.hatenablog.jpをメインに「過去鉄、1984年春まだ浅い名古屋」と題して1984年2月から3月にかけて撮影した写真を長ったらしいキャプションを添えて貼っていきましょう。

毎度の事ながら写真とネガスキャンの混合なので、画質に纏まりが無いのはご承知おき下さいまし。
色がくすんでるのがネガスキャンですよ。

ではまずはこちらから

f:id:okinawa-rail:20240328192604j:image春まだ遠い2月16日、朝陽を浴びて名古屋駅3番線に停車中の東小倉発汐留行きの荷物38列車です。
朝陽を浴びて顔のクリーム部分が白く飛んでいるので、ナンバーが読み取りにくいですが、牽引機はEF58 138号機です。

1984年2月ダイヤ改正では、老朽化が進んでた東海道山陽本線の荷物列車牽引機のEF58を、信越本線碓氷峠を通過する貨物列車の廃止で大量に余剰が発生する高崎機関区のEF62に置き換えられるのですが
f:id:okinawa-rail:20240328212307j:image(置き換え後の1986年10月撮影)
改正前日までは信越本線でEF62が必要なので、改正と同時にEF62に置き換える事が不可能でした。
その為一旦新たな荷物列車牽引機の基地になる下関機関区にEF62と同数のEF58を配置して、改正後に高崎機関区からEF62が到着して荷物乗務員訓練が終了するまでの3月下旬くらいまで荷物列車牽引運用に就かせる事になったので、2月1日付けで下関機関区に移動になったEF58は引退宣告を受けたのと同じです。

この138号機もその中の1両で、[関]の所属札が138号機に3月末までの引退を如実に伝えています。

実はこの写真、大胆にトリミングしてありまして、元はこんなんです
f:id:okinawa-rail:20240328192854j:image左側が大きく空いてますけど、84年当時の名古屋駅の様子が分かるので、これはこれで良いかもです。

因みにこの138号機はヘッドライトが「ブタ鼻」と呼ばれたシールドビーム2灯化されていてあまり好みではないのですけど、東海道山陽本線の荷物列車牽引機がEF58からEF62に置き換わるまで1ヶ月切ってるので、好み関係なしで撮ってたようです。

EF58は暖房源が蒸気なので冬場は吹き上がるスチームが魅力的なのですが……
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f:id:okinawa-rail:20240328212201j:imageこれは吹き上げ過ぎです。138号機どころか、4番線に停車中の特急「ひだ」3号も覆い隠してます(笑)

ところで1枚目は吹き上がるスチームを強調すべく原版から大胆にトリミングしてるのを白状しますが、その原版(2枚目)も写ってる車両が素敵すぎるので添えてみました。

そんな素敵カットなのに写真が残ってないのですよ。

浅めに焼かれてて、真っ白な写真だったから処分したのかな?

1984年とは離れた余談ですが、荷物列車牽引機のEF58を置き換えた下関機関区のEF62ですけど、2年8ヶ月後の1986年11月ダイヤ改正で荷物列車自体が廃止されたので、JRに継承される事なく全車引退しました。
f:id:okinawa-rail:20240328233610j:image(荷物列車廃止1週間前の1986年10月)
このカット、先のEF58のカットとほぼ同じ位置で撮影してるので、何気に定点比較になってます。

次は今年の2月でデビュー40年を迎えた名鉄6500系f:id:okinawa-rail:20240328193235j:image(2023年11月11日 山王駅)
その本格デビュー前の2月26日行われた試乗会後の撮影会の様子です。

試乗区間西枇杷島新木曽川間の往復で、西枇杷島到着後に、西枇杷島三角線で撮影会が行われました。

f:id:okinawa-rail:20240328193401j:image豊橋方ク6400
f:id:okinawa-rail:20240328193441j:image豊橋方ク6400、正面からドン!
f:id:okinawa-rail:20240328193628j:image岐阜方ク6500
1次車は尾灯が白赤2灯式で、2次車から白赤切り替えのLED1灯式になりましたが
f:id:okinawa-rail:20240328193719j:image(2022年4月 本笠寺本星崎)
個人的には1次車の2灯式の方が良かったです。
f:id:okinawa-rail:20240328193921j:imageモ6550のFS521A動力台車
名鉄はこの6500系から動力台車のブレーキシューは片押し式になりました。

この試乗&撮影会は鉄道友の会主催で、高校の部活、鉄道部の顧問の先生が友の会 会員で、当日は都合(おそらくは卒業式の準備)で行けないからとチケットを譲って下さったので、友の会 会員ではなかったのに参加出来たので貴重なカットなんですが、土砂降りの中での撮影だったので、写真の仕上がりが良くなかったのか、写真が残ってないのが残念です。

次は春まだ浅い3月2日の名古屋駅です
f:id:okinawa-rail:20240328212640j:image4番線に停車中の特急「ひだ」です。
ホーム軒下の時計が15時を差してるので、14時46分着の「ひだ」4号から15時30分発の金沢行き「ひだ」7号への折り返し整備中のようです。

44分間4番線を占有して折り返し整備するのですから、撮影当時はホームに余裕があったんですね。

ところで国鉄時代82系、181系気動車特急のヘッドマークがイラスト入りになるのは1985年3月ダイヤ改正からですが、「ひだ」だけは1980年の飛騨高山キャンペーンからイラスト入りになってるので、撮影当時に文字だけヘッドマークは珍しいはずなんですが、当時書いてた日記には「絵なしひだを写した」と淡々と書いてあるだけで、レアな物を撮ってテンションが上がって様子は文章から感じられません。

もしかしたら、文字だけヘッドマークの「ひだ」もそれなりに走ってたのでしょうか?

f:id:okinawa-rail:20240328212719j:image3番線でクハ489-300番台を先頭にで熱田への出発待ちをする「しらさぎ」6号です。
名古屋に到着した「しらさぎ」6号はお客様を降ろした後は折り返し整備で熱田へ向かうのですが、その際にはヘッドマークは[回送]に幕回しなければならないので、撮影した時の記憶はありませんが、私の事なので1982年11月ダイヤ改正で廃止された「はくたか」が出るの待ってたと思われるので、当時書いてた日記を見ると次の事が書いてありました。

しらさぎ6号が489系だったのでマークを変えるまで粘っていたけど、結局変えなかった。しかし発車してからマーク変えはじめやがった、ちくしょ~」

これを読んで自分が書いたのに大爆笑しました。

よほど悔しかったんだろうなぁ、18歳の私。

因みに「はくたか」のヘッドマークは1年後に撮影する事が出来ました
f:id:okinawa-rail:20240328212844j:image(1985年3月 名古屋)f:id:okinawa-rail:20240328213135j:imageEF65-1001号機です
名古屋駅第1ホームの岐阜方には機関車留置線があって何時も某の機関車がいるので、今日は何がいるかな?と見に行くのが、名古屋駅に行った時のルーティンになってました。

その留置線は1983年末頃に廃止されましたが、1番線と3番線の間の中2線が留置線代わりに使われていて、この日はEF65-1001号機がパンタを上げて停車中だったので、綺麗な型式写真が撮れました。

EF65-1001号機は長らく宇都宮機関区所属でしたが84年2月ダイヤ改正で宮原機関区に移動したので、後期型と呼ばれた小型の下枠交差型パンタPS22装備のEF65-1000番台ばかりだった東海道本線でも大型パンタのPS17を装備した初期型が見れるようになりましたけど、暖地の東海道山陽本線を走るからか、あるいは京都~下関間でブルートレインを牽引するので走行距離が伸びて台車検査を頻発に施行するので検査に支障するからか、スノープロウが外されて、スカートの下がスノープロウ取り付け台座を兼ねてるATS車上子保護板だけなのが物足りなかったです。

このEF65-1000番台は、高速旅客、高速貨物両方牽引可能なので、旅客PassengerのPと貨物FreightのFからEF65PFと呼ばれていて、1001号機はそのトップナンバーとして、現在はJR貨物の中央研修センターで保存されています。

次は3月18日ですf:id:okinawa-rail:20240328220009j:image中央西線金山~鶴舞間の波寄カーブを行く113系2000番台です。
この場所は中央西線に沿った道路上で、市道大津通り線に架かる高座橋からの下り坂と、鶴舞高架線から降りて来る中央西線が交わる所で、撮影当時は腰の高さくらいの金網があるだけで、目の前を列車が通過するので迫力がありましたね。
でも背後にはラブホテルがあって50ミリ標準レンズで撮影すると
f:id:okinawa-rail:20240328220155j:imageこの様にラブホテルがガッツリと写ってしまうので(笑)、ここは望遠レンズで切り取るしかないのですが、撮影当時は標準レンズだけだったので、最初のカットと、この後で貼る同じアングルのカットは大胆にトリミングしてあるのを白状します。

f:id:okinawa-rail:20240328220245j:image長野行きの特急「しなの」号です。
下り列車を撮るとこの様にラブホテルが嫌でも入ってしまいます。

余談ですがこのホテル、オーナーが変わったのか別の名前になってますが、現在でもこの場所にあります。

f:id:okinawa-rail:20240328220334j:image165系の回送列車です。
撮影時期的に長野へのスキー集約臨時列車の戻りの回送と思われる大垣電車区165系で、先頭車はシャッター付タイフォンに屋根上にはクラリオン笛が装備されてるので、冷房付で製造されたタイプで大垣電車区にはクハ165-204~206の3両が存在してました。
206なら製造ラストナンバーなんですけどネガを限界まで拡大してもナンバーは分かりません。
因みに製造ラストナンバーと記したのは、飯田線を新性能化する際に165系を投入しましたが、偶数向きのクハが1両不足したので神領電車区で処分保留車になってた奇数向きに固定されたクハ165-9を偶数向きに方向転換してナンバーを偶数向きの追番の208に改番して、こちらがナンバー上でのラストナンバーになってるからです。f:id:okinawa-rail:20240328220616j:image振り子の本領発揮して高速で波寄カーブを通過する名古屋行き特急「しなの」です。
この直後に大津通りに架かる高座橋をくぐり抜けて、ピィフォ~ン!!と大音量でタイフォンを鳴らしながら金山駅を通過します。

f:id:okinawa-rail:20240328220950j:imageEF64 65号機牽引の貨物列車です。
ワム80000が見えるので王子製紙春日井工場からの紙製品を輸送する“春日井貨物”でしょうか。
この場所は高校時代にも下校途中に立ち寄っていて、ある日に友人達と子供みたいに貨物列車に手を振っていたら、機関士がドヤ顔(当時そんな言葉ありませんが)でビシッと敬礼して返してくれたのを今でも覚えています。

この場所はこの場所はカーブを通過する列車が格好良く撮れるのですが、背景が悪すぎて撮影したのはこの時だけで、現在では2メートルくらいのフェンスがあるので、撮影は不可能になりました。

余談かつ私事ですが、幼少の頃はこの“波寄カーブ”の近くに住んでいて、無謀にも高座橋からの坂道を三輪車で駆け下りて見事にすっ転んで、その時に出来たと思われる傷が今でも額に残ってます(笑)

 

余計な事書き過ぎて長くなってますが、もう少しお付き合い下さいませ。

 

日記には書かれてませんが(理由はのちほど)微かな記憶と金山、波寄カーブと同じネガに写ってるので、金山から熱田に移動したようです。

f:id:okinawa-rail:20240328221131j:image熱田駅で機回しをするEF58 48号機です。

熱田駅には小荷物取り扱い基地があって、東海道本線の荷物列車はここで増解結したり、関西本線中央西線の荷物列車はここが起終点でした。

写真のEF58 48号機も熱田止まりの荷物車の入れ替えを始めるのか、終えたのかどちらだと思われます。

因みにこの48号機も1984年2月1日付けで下関機関区に配属されたので、撮影時期的にあと2週間ほどで引退です。

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f:id:okinawa-rail:20240328221246j:image何がなにやらですが、東海道本線熱田駅を通過するEF66牽引の高速貨物列車(1枚目)と、熱田駅を発車した117系「東海ライナー」(2枚目)です。
okinawa-rialの事だからネガスキャンして限界までトリミングしてんだろ?と思われるでしょうが、ネガスキャンはしてますが、原版のままでトリミングはしてません(笑)

撮影場所は名鉄神宮前駅前の御田跨線橋で、今は立派な跨線橋になってますが
f:id:okinawa-rail:20240328221322j:image(Wikipediaより)
40年前は古レールを用いたか細い跨線橋
f:id:okinawa-rail:20240328221341j:image(Wikipediaより)
上部がアーチ型のトラスの隙間からだと真下を通過する列車までの距離が近いので、50ミリ標準レンズでも望遠レンズで切り取ったかの様な迫力で撮れました。

撮影時の詳細な記憶はありませんが、EF66は単にピントが合ってないだけですけど、東海ライナーは若干あまいですが列車番号表示器にピントが合ってるので、シャッタースピードを遅くして117系を流したようです。

因みに撮影当時の快速は熱田駅に停車してたので、発車直後で速度は40km/hくらいなのにこの流れ具合から、かなりのスローシャッターではないかと。
シャッター開け過ぎて、117系のオデコから頭頂部のクリームが若干オーバー気味になってますし(笑)

 

さて、1984年は1月から3月まで日記を書いていたので、この間に撮影した写真は詳しい撮影日が分かりましたが、就職するタイミングで日記を書かなくなったので、金山波寄カーブと熱田御田跨線橋は微かな記憶で3月18日に撮影したと分かりますが、次に貼る2枚目だけは何時撮影したのか分かりません。
金山、波寄カーブ~熱田御田跨線橋で撮影したカットと同じネガのラスト2コマに写ってるので、同じ日だと思われますが、熱田御田跨線橋の後で名古屋駅まで行った記憶もないので、1984年3月じゃないかもしれませんが、と前置きして……

f:id:okinawa-rail:20240328221808j:image名古屋駅10番線に停車中の宮原機関区のEF65-1131号機です。
1983年頃からジョイフルトレインが続々と登場して、事前に運転情報を調べなくてもふらりと名古屋駅に行けば何かが来てました。

f:id:okinawa-rail:20240328221905j:imageこの日も金沢鉄道管理局の12系客車ジョイフルトレインEF65-1131号機に牽引されて東海道本線を上って行きました。
スロフ12の傍らにEF62が写ってますが、これはEF58に変わって東海道山陽本線の荷物列車牽引の任に就くEF62で、おそらくは乗務員や車両検査係員の訓練に使用されてると思われます。

因みにスロフ12を撮影したのは10番線のホーム先端ですが、ここは現在立ち入りが厳しく規制されてるので
f:id:okinawa-rail:20240328222106j:image同じアングルでの撮影は不可能で、規制線ギリギリでもホームの幅に余裕がないので点字ブロックギリギリになって発車時にはホーム係員から「点字ブロックから離れて下さい、列車発車出来ません!とアナウンスされるので、アングルを似せるのは
f:id:okinawa-rail:20240328222203j:imageこれが限度です。

因みにEF65の写真と同じアングルでは現在でも撮影出来るのでついでに貼っておきましょう
f:id:okinawa-rail:20240328222239j:imageこのブログで何度なく書いてますが、名古屋駅前に高層ビル群が城壁の様に聳え建ってるので、40年前にあった空がなくなりました。

余計な事を書き過ぎて長くなった「過去鉄、1984年春まだ浅い名古屋」は以上です。最後まで辛抱強くお読み頂き誠にありがとうございます。

「リメイク版過去鉄、1984年1月から3月の名古屋シリーズ」(そんなシリーズだったの?)実はもう一つ、2月8日の名古屋の大雪がありまして、そちらは2022年2月7日のブログokinawa-rail.hatenablog.jpに書いてありますので、宜しければお読み下さいませ。
時系列的には3月21日のブログokinawa-rail.hatenablog.jpの次になりますね。

 

では最後にオマケ的なこちらを貼って締めましょう
f:id:okinawa-rail:20240328222359j:image信越本線(現、しなの鉄道)小諸駅
f:id:okinawa-rail:20240328222428j:image史跡、小諸城懐古園の入り口
1984年3月3日、4日に高校卒業旅行でソロで小諸まで行ったんですが、写真を撮ったのは上の2カットだけで、道中の横川や軽井沢でのEF63
f:id:okinawa-rail:20240329001810j:image(イメージで、1988年11月撮影の写真から)
など鉄道風景は一切撮ってないんですよ(笑)

これ、おそらくはカメラ出すのが面倒くさいからだったとだと思うんですが、何の為にカメラ持って行ったのやら……

当時の自分をネチネチと問い詰めたいです。

それでわ~

水曜日 移動の季節、愛知県にようこそ…でも車には気を付けて

今日の名古屋は昨日までの雨も止んで朝からすっきり快晴の素晴らしい天気でした。

最高気温も17.6℃と春本番の暖かさで、車の中は暑かったですね。

これまでヒーター作動させてましたが、今日は窓こそ開けないけど、ヒーター切って送風にしてました。

でも夜は寒くてヒーター作動させて、暑さんだか、寒いんだか良く分かりません(笑)


それにしても、今日は悪名高き“名古屋走り”が目立ったなぁ。

ウインカー出さずに進路変更する、僅かな隙間に強引に入る、交差する道路側の右折信号が赤になってもまだ右折するなどなど、名古屋走りの事例の枚挙に暇がないほどで、極めつけは道路工事の片側交互通行で、交通誘導員が止まれの指示を出してるのに、無視して進入しやがるので、危うく正面衝突するところでしたね。

今の時期は転勤などで、愛知県に引っ越して来る方もいらっしゃいますが、愛知県は名古屋市内でも車がないと生活出来ないので、お車を運転されるでしょうが、名古屋の車の運転マナーはネットとかで挙げられてる以上の悪さなので、十分にご注意下さいませ。

あと、名古屋市内を東西に貫く市道出来町線には全国でも唯一の道路中央走行方式の基幹バスレーンf:id:okinawa-rail:20240327222122j:image(Wikipediaより)
があって、殆どの交差点の車線はセパレート方式で、左側から左折、直進、右折、直進基幹バスレーンになってるので、慣れない名古屋以外のナンバーの車が基幹バスレーンで右折待ちして、基幹バスや基幹バスレーンを直進する一般車に鬼クラクションを鳴らされてるのを見ますね。

その交差点は多くが交差点内でバスレーンが変則的に曲がってるので
f:id:okinawa-rail:20240327222206j:image(Wikipediaより)
交差点内で対向車線に入ってしまう車があったりします。

あと、この出来町線、すべての交差点がセパレート方式なら問題ないのですが、一部の交差点では通常の交差点と同じで右折レーンが最も右側にあって、その場合は道路表示に従って第1通行帯から基幹バスレーンを跨いで
f:id:okinawa-rail:20240327222247j:image(Googleストリートビューより)
f:id:okinawa-rail:20240327222335j:image(Googleストリートビューより)
右折帯に入らなければならないのですが、そこは悪名高き名古屋走りの車が横行する名古屋です、基幹バスレーンは文字通り基幹バス優先で、基幹バスが接近したらレーンから出て、バス専用時間帯には一般車の走行は禁止されてるにもかかわらず、バスレーンを高速走行レーンだと思ってるようで、制限速度40km/hを大きく上回る70km/hくらいで走りやがり、右ウィンカーを出しても入れようともしないので、セパレート方式以外の交差点で右折するには至難の技なので、走る場合は細心の注意が必要です。


名古屋走りの車は、車を運転中だけでなくて生活道路を歩いてる際にも脅威になります。

特に幹線道路と並行してる生活道路は混雑した幹線道路を避けた車が、ゾーン30と呼ばれる制限速度30km/hの道路なのに、その倍の速度60km/hで走りやがるので、幹線道路と並行してる生活道路を歩く場合も細心の注意が必要です。

ホントにね、生活道路での名古屋走りは厳しく厳しく取り締まるべきです。

あと、幹線道路と並行してる生活道路は細かく一方通行にして、走り抜けられないようにするべきなんですが、警察は規制に動く気配は微塵も無いです。

 

そんな交通マナー最悪な愛知県ですが、都市部でも少し郊外に出れば自然豊かなので、四季折々の楽しさはあるかもしれません。

今の季節なら桜でしょうか。

名古屋市内なら瑞穂区山崎川とか
f:id:okinawa-rail:20240327222620j:image2004年
f:id:okinawa-rail:20240327222651j:image2004年
港区の荒子川緑地(写真は無いです)
岩倉市なら日本桜百選の一つ五条川の桜並木
f:id:okinawa-rail:20240327222753j:image2015年
f:id:okinawa-rail:20240327222734j:image2015年
岡崎なら岡崎公園(写真は無いです)でしょうか。

愛知県はネットとかで評判は良くないし、書いてある事も概ね合ってますが、それでも良い所もあるかも知れないので、このブログをお読みの方で、春から愛知県に住まわれる方もいらっしゃるでしょうが、自分なりに良い所を見付けて愛知県ライフを楽しんで下さいませ。

それでわ~

木曜日 過去鉄…1984年1月の落ち穂拾い

今日の名古屋は昨日ほどではないですが風が強くて寒~い一日でした。

2月頃だったか名古屋の桜の開花予想日が今日でしたが、この寒さでは咲く様子もないです。

そんな今日の天気の話しで始めると大概今日の天気とは関係ないブログになるのですが、今日もその通りです。

昨日は「リメイク版1984年の急行比叡」と称して2021年1月31日に書いた記事を大幅に加筆修正しましたが、その元記事には「鉄道ネタ…日曜日の落ち穂拾い」と称して2021年2月4日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2021/02/04/214504で続きの記事を書いてるので、それに倣って今日は「過去鉄、1984年1月の落ち穂拾い」として2021年2月4日のリメイク版をダラダラと書いていきましょう。

リメイク版ですが写真とネガは極力再スキャンしてありますよ。

昨日は急行「比叡」について書きましたが、撮影したのは「比叡」だけではないので、今日は「比叡」以外の写真を紹介しましょう。

毎度の事ですけど、写真とネガスキャンの混合なので、画質に纏まりが無いのはご承知下さいませ。

汚いのがネガスキャンですよ。

先ずは1月15日の東海道本線山崎~高槻間の今はサントリーカーブと呼ばれてる山崎の大カーブでの撮影からですが、山崎のカーブについてざっくりと説明しましょう。

山崎のカーブは東海道線本線の山崎~高槻(1984年当時)間にある線路が大きくカーブした場所で、そのロケーションの良さから撮り鉄なら1度は訪れたい場所でした。
因みに今は近くにサントリー醸造所があるので“サントリーカーブ”と呼ばれてますが、国鉄世代には“山崎の大カーブ”と呼んだ方がしっくりきます。

f:id:okinawa-rail:20240322023806j:imageクハ581を最後部に大阪へと急ぐ特急「雷鳥」6号です。
581系は世界初の寝台/座席両用電車で、夜は通路を挟んで上中下3段式の寝台特急
f:id:okinawa-rail:20240322205958j:image寝台仕様(Wikipediaより)
昼間は寝台を向かい合わせ4人掛けの座席に変えて昼行特急で走ってました。
f:id:okinawa-rail:20240322210107j:image座席仕様(Wikipediaより)

特急で向かい合わせ4人掛けのいわゆるボックスシートはサービスダウンは否めませんが、夜は1.9メートルの寝台になるだけあってシートピッチは広くて、大人4人が座っても窮屈な印象はなかったですね。

f:id:okinawa-rail:20240322024114j:image113系と併走する浜松機関区のEF58 164号機牽引の荷物列車です。
このカット、一見すると荷物列車が軽~く113系に追い越されてる様に見えますが、撮影当時の時刻表を見るとこの荷物列車は大阪駅10時17分に米原行き750Mと同時に発車して、京都まで抜きつ抜かれつのデッドヒートの真っ最中の荷物2032列車だと分かりました。
因みに勝敗は、1分差で荷物2032列車が京都に先着しますが、2032列車は京都で13分停車するので、その間に750Mが先行して、最終的には750Mとは15分差で米原駅に到着します。

f:id:okinawa-rail:20240322024219j:image酷いピンぼけですが内線を走行する新快速です。
国鉄時代の京阪神複々線区間の外線は国鉄本社直轄の特急、急行、荷物、貨物列車が走行する線路なので、大阪鉄道管理局は自由に使わせて貰えなかったので、大阪~京都間をノンストップ走行する新快速も内線を走ってました。

それの意趣返し……だったかどうかは定かではありませんが、大阪を急行「比叡」の5分後に発車した新快速が内線を激走して「比叡」を猛追、向日町運転所(現在の吹田総合車両所 京都支所)付近で「比叡」を抜き去り、京都に1分早着するダイヤを組んでたので、ここ山崎のカーブでは新快速と「比叡」が、ほぼ併走してるはずなんですが、この日はそんなシーンは見られなかったです。

新快速と「比叡」どちらかが遅れてたのかな?

f:id:okinawa-rail:20240322024524j:image富山行き特急「雷鳥」13号です。
特急「雷鳥」は大阪から金沢、富山、新潟を結ぶ北陸本線を代表する特急でした。
編成はグリーン車2両、食堂車1両が組み込まれた北陸特急伝統の12両編成で、山崎のカーブはその編成美を撮影する事が出来ました。

因みに山崎の大カーブは山崎駅近くから高槻方向を向いて撮影するのが定番みたいですが、それではつまらないと一緒に行った友人が主張したので、撮影場所は山崎のカーブを抜けた高槻側から山崎駅方向を望んでます。
だからでしょうか、この写真をInstagramに投稿した際には、このアングルは新鮮だとコメントを頂きました。

f:id:okinawa-rail:20240322024618j:image顔が半分切れてますが、12系客車です。
牽引機がEF81なので北陸本線に直通する列車だと見当が付くので、こちらも撮影当時の時刻表を見ると大阪10時45分発の急行「加賀」1号だと分かりました。

ネガを見るとこの急行「加賀」の次のコマがこの日の本命の名古屋行き急行「比叡」なので、再掲載になりますが急行「比叡」を貼っておきます
f:id:okinawa-rail:20240322024741j:image昨日よりも更にトリミングしてますが、原版はしっかりとピントが合ってるので、ボケる事がないです。

f:id:okinawa-rail:20240322024824j:imageEF66 43号機牽引の高速貨物です。
この43号機は翌年の1985年3月ダイヤ改正でまさかのブルトレ牽引機になりました。

この高速貨物を撮影してから引き上げてますが、ここ山崎のカーブには113系と201系、103系も走ってるのに、ネガを見ても1カットも撮影してないんですよ。

113系103系は名古屋でも走ってますが、ここを走る103系はヘッドライトは2連式のシールドビームで、客窓は四隅が四角のユニット窓になった第1次改良車と呼ばれるグループと
f:id:okinawa-rail:20240322112743j:image(Wikipediaより)
それをベースにした冷房量産車と呼ばれるグループでf:id:okinawa-rail:20240322112802j:image(Wikipediaより)
名古屋の103系とは
f:id:okinawa-rail:20240322112839j:image
f:id:okinawa-rail:20240322112852j:image形態が違うし、113系は撮影当時は大阪地区のみだった正面の行き表示幕を使用してたので
f:id:okinawa-rail:20240322112926j:image(1985年米原)
103系113系大好きっ子が撮らなかったのが謎です。

更には国鉄時代スカイブルーの201系はここだけの存在だったのに
f:id:okinawa-rail:20240322112957j:image(山と渓谷社 20世紀なつかしの東京、大阪の電車より)
それを撮影しなかったのは理解出来ないので、当時の自分をネチネチと詰問したいです。

そうそう、余談ですが、帰りは大阪へ出て、近鉄の急行(伊勢中川乗り換え)で帰って来ました。
f:id:okinawa-rail:20240322025151j:imageイメージなので稲穂が頭を垂れてるのは気にしないで(笑)

次は1月29日です。

f:id:okinawa-rail:20240322025337j:image名古屋駅6番線に停車中の富山行き特急「しらさぎ」9号です。
ホーム軒下の時計が写っていてそれを見ると14時10分なので、発車まであと5分です。
右側の第4ホーム岐阜方にあった欠き取り式の荷物ホームに繋がる留置線には型式は読み取れませんが、低屋根と窓の形状からクモニ83 800番台と思われる湘南色の荷物電車が停車中です。
低屋根車なので、夕方の中津川行きに併結される荷物電車でしょうか。

因みに撮影してる第3ホームは牽引機も含めて15両編成の寝台特急が余裕で停車出来る320メートルの長~いホームで、撮影場所の後ろにまだ60メートルほどホームがありましたが、現代ではリニア中央新幹線名古屋駅の建設工事に伴い、しらさぎ9号の3号車辺りからホームがなくなりました。
f:id:okinawa-rail:20240322025433j:image昨年に撮影した第3ホーム岐阜方先端からの岐阜方向です。1984年当時はガーター橋の先まで第3ホームがありました。

この「しらさぎ」9号と隣のクモニ83をそのまま現代にタイムリープさせると「しらさぎ」の1号車と2号車は、工事現場に架かるガーター橋の上に停車して、クモニ83は路盤ごと線路が無いので、工事現場に落下します(笑)
f:id:okinawa-rail:20240322025600j:image2022年に撮影した第4ホーム岐阜方先端からの岐阜方向です。
ガーター橋を渡ってる6番線を発車した列車の先頭車の位置がちょうど「しらさぎ」9号の先頭車の位置になり、7番線からの線路の左側の路盤が無い部分がクモニ83が停車してる場所なので、クモニ83が工事現場に落下するってのがお分かり頂けるかと(笑)

話しズレたついでにちょっと現代に戻ります。

f:id:okinawa-rail:20240322025825j:image名古屋駅第4ホームから見た岐阜方のリニア中央新幹線名古屋駅建設工事現場です。

リニア中央新幹線名古屋駅名古屋駅岐阜方の地下に在来線、東海道新幹線と直交する形で設けられ、その工事は開削工法で行われているので開削工事をする部分の盛土で造られた在来線部分は盛土が撤去されて土留めの壁があるのですが、その壁の部分に一見するとレンガ積みの橋台みたいなのが見えます。

現在の在来線部分は1887年(明治20年)に開業した旧線の西側のやや離れた場所に盛土の高架線で敷設されて1937年(昭和12年)に開業してますが、それよりも先の1925年(大正14年)に稲沢線が開通した際に高架線の基礎も出来たと文献にあるので、その時に架道橋を造るつもりで橋台を建てたけど、計画が変更されて盛土を造る際の土留めに使われ、そのまま盛土の中に埋没したのが盛土の撤去で“発掘”されたのか?と妄想の翼を拡げました。
しかし以前の名古屋駅は第4ホームは12両編成が停車出来る240メートルの長さがあって写真の工事現場を跨ぐ橋梁の中ほどまで、隣の第3ホームは、機関車を含む16両編成の寝台特急はやぶさ」も停車出来る330メートルの長さがあって橋梁の向こうまでホームで、ホーム下には荷物運搬の通路もあったのを思い出して、レンガ積みの橋台みたいに見えるのは、昭和初期特有のタイル貼りの通路の壁だと気が付きました。f:id:okinawa-rail:20240322030002j:image
埋もれた橋台(しかも勝手に妄想)では無いのにはガッカリしましたけど、これも昭和の名古屋駅の遺構には違いないです。

 

話し1984年に戻ります。

f:id:okinawa-rail:20240322030101j:image中9番線を通過するEF64 0番台重連です。

このカット若干トリミングしてますが、ネガにも後部補機のEF64の第4フィルターまでしか写ってないので、牽引してる列車はどんな列車だったのかは分かりません。

おそらくは石油貨物ではないかと。

ネガを見るとこのカットの前が「しらさぎ」9号で、次のカットは名古屋14時14分着の急行「比叡」なので、石油貨物なら現在の5875列車と時刻はほとんど変わってないですね。

当時書いてた紙ブログには「比叡のサボを撮ろうとしたらおっさんが外してしまった、クソ」と書いてあるので、14時10分に6番線で「しらさぎ」9号を撮影してから直ぐに第5ホームに移動して、11番線に到着した急行「比叡」のサボを撮ろうとしたら、折り返し整備をする作業員さんがサボを外してしまったので、外すの早いよと思ってるとこに中9番線をEF64重連が通過して行くので、慌てて撮影したって感じですね。
そして12番線に移動してサボ交換が終了して線路側のドアも閉まった「比叡」の編成を撮影したようです。
f:id:okinawa-rail:20240322030218j:image(比率を変えて再掲載)

最後は「比叡」運転最終日の1月31日です。


f:id:okinawa-rail:20240322030302j:image
f:id:okinawa-rail:20240322030514j:imageEF58 93号機牽引のサロンエクスプレス東京です。

サロンエクスプレス東京は1982年に登場した欧風客車、いわゆるジョイフルトレインです。
このサロンエクスプレス東京には専用機はありませんでしたが、品川客貨車区所属だったので、EF58 61が専用機みたいなモノだったので
f:id:okinawa-rail:20240322030611j:image(1985年3月 高崎機関区)
61号機じゃなくてガッカリしたと当時の紙ブログ(要は日記です)に書いてありました。

何贅沢な事書いてるんだか(笑)

牽引機は浜松機関区所属の93号機で、東海道のEF58に対して大鉈を振るった1984年2月ダイヤ改正では廃車前提の下関機関区への移動を免れて、蒸気暖房が必要な「シナ座」と呼ばれた品川客貨車区のスロ81f:id:okinawa-rail:20240322030730j:image(1982年11月 名古屋)
牽引用に東の名門、東京機関区に“栄転”になります。

因みに浜松機関区から下関機関区に転属しなかった唯一のゴハチでもあります。

山崎のカーブで113系とデッドヒートを繰り広げた浜松機関区の164号機は、下関機関区に転属しましたから……

 

「過去鉄、昨日の落ち穂拾い」は以上です。最後までお読み頂きありがとうございます。

この過去のブログのリメイク企画はもう暫く続きますので、よろしければお付き合い下さいまし。

 

それでわぁ~

水曜日 過去鉄…リメイク版1984年の急行比叡

今日の名古屋は朝方に降ってた雨は10時頃には止みましたが、風がめっさ強く吹いて愛知県には暴風警報が発令されました。


春先は低気圧が台風並みに発達するので、時として暴風警報が発令される事もあるのですが、今日が正にそれでした。


そんな春先の話しをしながら書くのは1月31日に廃止された急行「比叡」だったりします。

え!?急行「比叡」廃止?何時の話ししてんの?って思いますよね。

私もそう思います(笑)

実は今年は国鉄時代に名古屋~大阪間に走ってた急行「比叡」が廃止されてから40年なので、過去鉄1984年急行「比叡」として、2021年1月31日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2021/01/31/215052を大幅に加筆修正したリメイク版をだらだらと書いていきます。

例によって写真とネガスキャンの混合なので画質に纏まりがないですが、写真、ネガ共に再スキャンしてあります。

それでは始めましょう。

まずは急行「比叡」についてざっくりと説明しますと、「比叡」は1952年に名古屋~大阪間の準急としてデビュー、1966年に急行に昇格してピーク時は8往復運転されてましたけど、東海道新幹線開業後は年々運転本数が減らされて80年10月のダイヤ改正では遂に1往復になり、グリーン車も廃止されて急行としての体面が保てなくなり、それでも頑張って走ってましたが、利用率が悪いとの理由で、84年2月1日のダイヤ改正で廃止されてしまいました。

廃止の報を聞いたのは何時だった覚えてはいませが、1月15日に急行「比叡」に乗車…当時高校生ですがお年玉で懐が豊かでした…して東海道本線の名撮影地山崎の大カーブ(サントリーカーブ)に比叡を撮りに行ってるので、それまでには廃止を知ってたようです。

その山崎の大カーブでの写真です
f:id:okinawa-rail:20240321015702j:imageこの場所では初めての撮影なので勘が掴めず列車が小さくなってしまったので、大胆にトリミングしてあります。

後追いです。
f:id:okinawa-rail:20240321015808j:image酷いピンぼけですが、この日の「比叡」の編成が良く分かるカットです。

急行「比叡」は大垣電車区のC編成の8両組ですが、撮影当時165系の中間付随車サハ165は全車運用から外されてたので8両貫通編成ではなくて、4両編成を2本併結した8両編成でした。

地方幹線の急行用で支線や地方私鉄への乗り入れがし易い様にクモハ165(Mc)+モハ164(M’)+クハ165(T’c)の3両編成f:id:okinawa-rail:20240321162814j:imageを基本とする165系で、4両貫通編成を組むのに必要なモハ165+モハ164の中間電動車ユニットは21本だけで、全て大垣電車区に所属してましたが、大垣電車区が担当してる12両編成の急行「東海」3編成に9本(1編成中3本使用)
f:id:okinawa-rail:20240321015847j:image(1986年9月 新子安)
5両編成の急行「富士川」4編成に4本使用していて
f:id:okinawa-rail:20240321015951j:image(鉄道ジャーナル別冊No.11より)
残りは8本なので数の上では1編成中2本使用する8両編成の「比叡」4編成も賄えるのですが、大垣電車区は愛知、岐阜、三重県の中学校が修学旅行で利用する「東海3県中学校連合」の集約臨時列車「こまどり」も担当していて(写真はありません)、この列車は長編成で多くの座席数が必要なので(運転室がなければ座席数が8席増える)中間電動車ユニットは「こまどり」に優先的に使用されてたので、ノーマルなTcMM’T’cの4両編成は数が足らなくて、この「比叡」も前4両はノーマルな4両編成、後ろの4両編成はクモハ165の前に奇数向きのクハ165(Tc)を連結した変態な4両編成を組み合わせた
f:id:okinawa-rail:20240321020111j:image(JR移行後の1989年9月 名古屋)
TcMM’T’c+TcMcM’T’cです。

ところで撮影当時の大垣電車区にはクモハ165が12両在籍していて、それらとユニットを組むモハ164は7両が回送用運転台付きでトイレとデッキの位置が他車と逆になってる500番台f:id:okinawa-rail:20240321020441j:image(神領電車区所属時代に中央線で急行運用中のモハ164-500)
4両がパンタ部分が低屋根の800番台
f:id:okinawa-rail:20240321020716j:imageで、残り1両がノーマルな0番台のモハ164-68でした。
それを踏まえて改めて後追いのカットを見ると
f:id:okinawa-rail:20240321052436j:image後ろの4両編成のモハ164を見るとパンタの形状からPS23なので普通屋根車ですが、後部デッキとトイレの位置が入れ替わってないので500番台ではなくてノーマルな0番台と分かるので、この編成は撮影当時の大垣電車区では唯一の存在のクモハ165+モハ164-0番台ユニットが組み込まれてるレアな編成だったりします。

この大垣電車ではレアなユニットクモハ165-104+モハ164-68は
f:id:okinawa-rail:20240321020837j:image(JR移行後の1988年1月 岡崎)
1985年3月ダイヤ改正で新前橋電車区から相棒にモハ164-0番台を持つクモハ165-108+モハ164-72が転入してくるまでは孤高の存在でしたf:id:okinawa-rail:20240321020934j:image(1985年6月 名古屋)

いけない、いけない、話しがマニア過ぎに横にそれました(笑)

 

続いては廃止まで3日に迫った1月29日です。

f:id:okinawa-rail:20240321021033j:image名古屋駅に到着した急行「比叡」です。
急行「比叡」は1980年10月ダイヤ改正で遂に1往復になり、車両運用が宮原電車区から大垣電車区に移管されて、「中京快速」と共通運用になりグリーン車も外されたので、急行としての体面が保てなくなりました。

「比叡」の唯一の急行の証は正面の「急行」の種別幕と側面の「比叡」と書かれた列車名サボなんですけど、この編成は名古屋到着後は普通大垣行きになるので、到着後直ちに急行幕は巻き上げられて、比叡サボもあっという間に外されてしまいました。

当時書いてた紙ブログ…日記帳です…には「比叡のサボを撮ろうとしたら、作業員のオッサンが外してしまった、クソ!」と書いてありました(笑)


いよいよ運転最終日の1月31日です。

f:id:okinawa-rail:20240321021225j:image大垣電車区では珍しい白熱灯ヘッドライトのクハ165を先頭に名古屋駅に到着する急行「比叡」の運転最終列車です。
大阪~名古屋間の伝統的急行「比叡」は翌日のダイヤ改正で廃止されるので、この日が運転最終日なのですが、送別のヘッドマークも無い普段通りの姿でした。

この日は平日でしたが、翌日からは高校の卒業試験…はいそこ、今の年齢計算しない!(笑)…が始まる為に授業は午前中までだったので、授業後に名古屋駅へ駆けつけたのですが、送別ヘッドマークが無い姿にガッカリしましたね。

因みに前4両編成はクハ165の後ろにクモハ165が連結された“変態編成”です。

f:id:okinawa-rail:20240321041917j:image名古屋駅11番線で急行「比叡」から普通大垣行きへ折り返し整備中です。

運転最終日の急行「比叡」なので送別のヘッドマークが付いてるかなぁ?と淡い期待を抱いてたんですけど、残念ながらヘッドマークは付いてませんでした。
しかし運転台の窓にはファンからの送別メッセージカードが幾つか貼られてましたね。

急行「比叡」から大垣行きへの折り返し時間は僅か7分なので、この日も急行幕は光の速さで巻き上げられて、勢い余って内房線の千倉の行き先幕が出てかかってます。

ん!?千倉?

撮影時の大垣電車区には幕張電車区勤務経験があるクハ165はいないぞ?何で入ってるの?←これについては後ほど詳しく

それにしても、この写真、線路に降りて撮ってますが、撮影当時の名古屋駅第6ホーム岐阜方の先端は階段状になっていて線路上まで降りる事が可能で、もちろん降りてはダメですが、この日は多くの撮り鉄が線路上に降りてたので連れて降りてしまったようですが、こんな場所で撮ってはダメです。

ヘッドマークは付いてませんが、最後部の運転台窓にはファンからの送別メッセージカードが貼られてたのでf:id:okinawa-rail:20240321042042j:image限界までトリミングしてみましたが、何が書かれてるのかは分かりませんでした。

先にちらっと書きましたが、種別表示の急行幕が光の速さで巻き上げられて、勢い余って内房線の千倉の行き先幕が出かかってますが、これ謎だったりします。
千倉が入ってるならこのクハ165は幕張電車区勤務経験車なんですが、撮影時の大垣電車区のクハ165には幕張電車区勤務経験車はいないんですよ。

考えられるのは幕張電車区以外で千倉の幕が入ってる可能性があるのは首都圏の波動用任務がある電車区の勤務経験車なので、限界までトリミングついでにナンバーを見たら二桁なのは分かりますが、何番かは読み取れないです。

二桁ナンバーで大垣電車区にいたのは、10、11、31、63で、調べてみると10と11は首都圏の波動用として田町電車区で勤務した事があり、31は新前橋電車区の勤務経験があり、新前橋電車区165系も波動用で首都圏に顔を出す事もあるでしょうから千倉の行き先が入っていても不思議ではないです。

因みに63は初任地が松本運転所で1972年12月に大垣電車区に転属になってます。

まぁね、そんなに複雑に考えなくてもっと単純に広域転勤に備えて予め千倉の幕が入ってたとか、破損した幕の補充で幕張電車区から廃車になった153系の幕を貰ったかもしれません。

些細な事ですが、マニアには「急行比叡最終列車」と言う本筋とは関係ない長ったらしいキャプションを書くくらい凄く気になるのです(笑)

 

さて、急行「比叡」が廃止されたのは利用率が悪いからですけど、これは大阪11時25分発、京都12時01分発、名古屋14分14着の上り列車に限った事で、こんなに早い時間帯ではビジネスや観光には全く使えないので、利用率が悪くて当然です。

下りは名古屋7時30分発、京都9時36分着、大阪10時10分着で、新幹線の駅が無い湖東地区と呼ばれる近江八幡草津や、新幹線が通らない岐阜、大垣から京都、大阪へのビジネスや観光に都合が良くて、始めの方で書きましたが、実際に山崎の大カーブに行く際に京都まで下りの「比叡」に乗りましけど、新幹線が通らない岐阜や大垣からの乗客で満席になりましたからね。

更に遡って1980年10月ダイヤ改正以前の2往復運転されてた際に、京都観光の帰りに京都を夕方に発車する4号に乗車した事がありますが、春休みだった事もありますけど、大垣までの約1時間40分間、座れなかったです。

 

1984年頃は国鉄改革の名の元に便利な列車が次々と廃止されていきました。


寒い時代だとは思いませんか?

 

相変わらず余計な事を書き過ぎて長くなってますが、もう少しお付き合い下さいまし。

運転最終日に送別のヘッドマークは掲出されませんでしたが、「さよなら比叡記念乗車券」が名古屋鉄道管理局から発売されました。
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f:id:okinawa-rail:20240321043641j:image5枚目から8枚目は1枚目から4枚目の裏面です。6枚目は見にくいですが、敢えて横向きにしてあります。

当時はこの記念乗車券の発売は全く知らなくて、今世紀になってから高校の部活鉄道部の先輩から購入しました。

3枚セットなのですが個人的に注目したのは2枚目の乗車券で、第5ホームの発車案内表示器に「比叡」に並んで紀伊勝浦、奈良、京都の行き先が表示されてる事でしょうか。これは3列車併結の多層建て急行「紀州1号、かすが、平安」です。
この列車は「比叡」が廃止された1984年2月ダイヤ改正でも生き残り、翌年の1985年3月ダイヤ改正で「紀州」と「平安」が廃止され「かすが」の単独運行になるまで、毎朝名古屋駅構内に煙幕を張って10両編成で発車して行きました。

この列車は絶好の被写体なんですが、撮影してないのが惜しいです。

記念乗車券ではもう一つマニア過ぎな部分があります(笑)
f:id:okinawa-rail:20240321044043j:image2枚目の写真部分の拡大ですが、急行「比叡」は4号車の一部から1号車までが写っていて、3号車がクモハ165なので、この写真の比叡の編成は、奇数向きと偶数向きのクハが背中合わせで連結されてる急行「富士川」の5両編成に3両編成を併結した
①号車:クハ165(偶数向き)
②号車:モハ164
③号車:クモハ165
④号車:クハ165(偶数向き)
⑤号車:クハ165(奇数向き)
⑥号車:モハ164-800
⑦号車:モハ165
⑧号車:クハ165(奇数向き)
か、あるいはクモハ165+モハ164-500番台のユニットを二つ連ねた超変態8両編成の
①号車:クハ165(偶数向き)
②号車:モハ164
③号車:クモハ165
④号車:クハ165(偶数向き)
⑤号車:モハ164-500
⑥号車:クモハ165
⑦号車:モハ164-500
⑧号車:クモハ165
だったかもしれません。

こんな愉快な編成の「比叡」も撮りたかったです。

 

マニア過ぎる解説ばかりな過去鉄、リメイク版1984年急行比叡キャプションは以上です。
最後までお付き合い下さいましてありがとうございます。

これ、日付合わせで1月31日に書こうと思ってましたが、1月26日に感染性胃腸炎に罹患したのと、同じ企画をInstagramでも投稿してたので、そちらを優先してブログにまで手が回らなかったので、ボツにしようかとも思いましたが、現在計画中のブログネタとの絡みもあるので、急遽今日書きました。

現在計画中のブログネタとは何かは近日中に公開しますので、どうぞお楽しみに

 

え!?誰も楽しみにしてない?

 

ですよねぇ~

それでわぁ~