気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

木曜日 過去鉄…1984年春まだ浅い名古屋

今日の名古屋は昨日とは違って朝から曇りで、夕方から雨も降り始めました。

そんな一日でしたが、今日名古屋は桜が開花しました。
これ、昨年よりも11日遅く、平年よりも4日遅いそうです。

そんな天気とか桜開花の話しもそこそこに、過去のブログの焼き直し……
いやいや、リメイク版で、今日は2021年3月5日のブログokinawa-rail.hatenablog.jpをメインに「過去鉄、1984年春まだ浅い名古屋」と題して1984年2月から3月にかけて撮影した写真を長ったらしいキャプションを添えて貼っていきましょう。

毎度の事ながら写真とネガスキャンの混合なので、画質に纏まりが無いのはご承知おき下さいまし。
色がくすんでるのがネガスキャンですよ。

ではまずはこちらから

f:id:okinawa-rail:20240328192604j:image春まだ遠い2月16日、朝陽を浴びて名古屋駅3番線に停車中の東小倉発汐留行きの荷物38列車です。
朝陽を浴びて顔のクリーム部分が白く飛んでいるので、ナンバーが読み取りにくいですが、牽引機はEF58 138号機です。

1984年2月ダイヤ改正では、老朽化が進んでた東海道山陽本線の荷物列車牽引機のEF58を、信越本線碓氷峠を通過する貨物列車の廃止で大量に余剰が発生する高崎機関区のEF62に置き換えられるのですが
f:id:okinawa-rail:20240328212307j:image(置き換え後の1986年10月撮影)
改正前日までは信越本線でEF62が必要なので、改正と同時にEF62に置き換える事が不可能でした。
その為一旦新たな荷物列車牽引機の基地になる下関機関区にEF62と同数のEF58を配置して、改正後に高崎機関区からEF62が到着して荷物乗務員訓練が終了するまでの3月下旬くらいまで荷物列車牽引運用に就かせる事になったので、2月1日付けで下関機関区に移動になったEF58は引退宣告を受けたのと同じです。

この138号機もその中の1両で、[関]の所属札が138号機に3月末までの引退を如実に伝えています。

実はこの写真、大胆にトリミングしてありまして、元はこんなんです
f:id:okinawa-rail:20240328192854j:image左側が大きく空いてますけど、84年当時の名古屋駅の様子が分かるので、これはこれで良いかもです。

因みにこの138号機はヘッドライトが「ブタ鼻」と呼ばれたシールドビーム2灯化されていてあまり好みではないのですけど、東海道山陽本線の荷物列車牽引機がEF58からEF62に置き換わるまで1ヶ月切ってるので、好み関係なしで撮ってたようです。

EF58は暖房源が蒸気なので冬場は吹き上がるスチームが魅力的なのですが……
f:id:okinawa-rail:20240328211808j:image
f:id:okinawa-rail:20240328212201j:imageこれは吹き上げ過ぎです。138号機どころか、4番線に停車中の特急「ひだ」3号も覆い隠してます(笑)

ところで1枚目は吹き上がるスチームを強調すべく原版から大胆にトリミングしてるのを白状しますが、その原版(2枚目)も写ってる車両が素敵すぎるので添えてみました。

そんな素敵カットなのに写真が残ってないのですよ。

浅めに焼かれてて、真っ白な写真だったから処分したのかな?

1984年とは離れた余談ですが、荷物列車牽引機のEF58を置き換えた下関機関区のEF62ですけど、2年8ヶ月後の1986年11月ダイヤ改正で荷物列車自体が廃止されたので、JRに継承される事なく全車引退しました。
f:id:okinawa-rail:20240328233610j:image(荷物列車廃止1週間前の1986年10月)
このカット、先のEF58のカットとほぼ同じ位置で撮影してるので、何気に定点比較になってます。

次は今年の2月でデビュー40年を迎えた名鉄6500系f:id:okinawa-rail:20240328193235j:image(2023年11月11日 山王駅)
その本格デビュー前の2月26日行われた試乗会後の撮影会の様子です。

試乗区間西枇杷島新木曽川間の往復で、西枇杷島到着後に、西枇杷島三角線で撮影会が行われました。

f:id:okinawa-rail:20240328193401j:image豊橋方ク6400
f:id:okinawa-rail:20240328193441j:image豊橋方ク6400、正面からドン!
f:id:okinawa-rail:20240328193628j:image岐阜方ク6500
1次車は尾灯が白赤2灯式で、2次車から白赤切り替えのLED1灯式になりましたが
f:id:okinawa-rail:20240328193719j:image(2022年4月 本笠寺本星崎)
個人的には1次車の2灯式の方が良かったです。
f:id:okinawa-rail:20240328193921j:imageモ6550のFS521A動力台車
名鉄はこの6500系から動力台車のブレーキシューは片押し式になりました。

この試乗&撮影会は鉄道友の会主催で、高校の部活、鉄道部の顧問の先生が友の会 会員で、当日は都合(おそらくは卒業式の準備)で行けないからとチケットを譲って下さったので、友の会 会員ではなかったのに参加出来たので貴重なカットなんですが、土砂降りの中での撮影だったので、写真の仕上がりが良くなかったのか、写真が残ってないのが残念です。

次は春まだ浅い3月2日の名古屋駅です
f:id:okinawa-rail:20240328212640j:image4番線に停車中の特急「ひだ」です。
ホーム軒下の時計が15時を差してるので、14時46分着の「ひだ」4号から15時30分発の金沢行き「ひだ」7号への折り返し整備中のようです。

44分間4番線を占有して折り返し整備するのですから、撮影当時はホームに余裕があったんですね。

ところで国鉄時代82系、181系気動車特急のヘッドマークがイラスト入りになるのは1985年3月ダイヤ改正からですが、「ひだ」だけは1980年の飛騨高山キャンペーンからイラスト入りになってるので、撮影当時に文字だけヘッドマークは珍しいはずなんですが、当時書いてた日記には「絵なしひだを写した」と淡々と書いてあるだけで、レアな物を撮ってテンションが上がって様子は文章から感じられません。

もしかしたら、文字だけヘッドマークの「ひだ」もそれなりに走ってたのでしょうか?

f:id:okinawa-rail:20240328212719j:image3番線でクハ489-300番台を先頭にで熱田への出発待ちをする「しらさぎ」6号です。
名古屋に到着した「しらさぎ」6号はお客様を降ろした後は折り返し整備で熱田へ向かうのですが、その際にはヘッドマークは[回送]に幕回しなければならないので、撮影した時の記憶はありませんが、私の事なので1982年11月ダイヤ改正で廃止された「はくたか」が出るの待ってたと思われるので、当時書いてた日記を見ると次の事が書いてありました。

しらさぎ6号が489系だったのでマークを変えるまで粘っていたけど、結局変えなかった。しかし発車してからマーク変えはじめやがった、ちくしょ~」

これを読んで自分が書いたのに大爆笑しました。

よほど悔しかったんだろうなぁ、18歳の私。

因みに「はくたか」のヘッドマークは1年後に撮影する事が出来ました
f:id:okinawa-rail:20240328212844j:image(1985年3月 名古屋)f:id:okinawa-rail:20240328213135j:imageEF65-1001号機です
名古屋駅第1ホームの岐阜方には機関車留置線があって何時も某の機関車がいるので、今日は何がいるかな?と見に行くのが、名古屋駅に行った時のルーティンになってました。

その留置線は1983年末頃に廃止されましたが、1番線と3番線の間の中2線が留置線代わりに使われていて、この日はEF65-1001号機がパンタを上げて停車中だったので、綺麗な型式写真が撮れました。

EF65-1001号機は長らく宇都宮機関区所属でしたが84年2月ダイヤ改正で宮原機関区に移動したので、後期型と呼ばれた小型の下枠交差型パンタPS22装備のEF65-1000番台ばかりだった東海道本線でも大型パンタのPS17を装備した初期型が見れるようになりましたけど、暖地の東海道山陽本線を走るからか、あるいは京都~下関間でブルートレインを牽引するので走行距離が伸びて台車検査を頻発に施行するので検査に支障するからか、スノープロウが外されて、スカートの下がスノープロウ取り付け台座を兼ねてるATS車上子保護板だけなのが物足りなかったです。

このEF65-1000番台は、高速旅客、高速貨物両方牽引可能なので、旅客PassengerのPと貨物FreightのFからEF65PFと呼ばれていて、1001号機はそのトップナンバーとして、現在はJR貨物の中央研修センターで保存されています。

次は3月18日ですf:id:okinawa-rail:20240328220009j:image中央西線金山~鶴舞間の波寄カーブを行く113系2000番台です。
この場所は中央西線に沿った道路上で、市道大津通り線に架かる高座橋からの下り坂と、鶴舞高架線から降りて来る中央西線が交わる所で、撮影当時は腰の高さくらいの金網があるだけで、目の前を列車が通過するので迫力がありましたね。
でも背後にはラブホテルがあって50ミリ標準レンズで撮影すると
f:id:okinawa-rail:20240328220155j:imageこの様にラブホテルがガッツリと写ってしまうので(笑)、ここは望遠レンズで切り取るしかないのですが、撮影当時は標準レンズだけだったので、最初のカットと、この後で貼る同じアングルのカットは大胆にトリミングしてあるのを白状します。

f:id:okinawa-rail:20240328220245j:image長野行きの特急「しなの」号です。
下り列車を撮るとこの様にラブホテルが嫌でも入ってしまいます。

余談ですがこのホテル、オーナーが変わったのか別の名前になってますが、現在でもこの場所にあります。

f:id:okinawa-rail:20240328220334j:image165系の回送列車です。
撮影時期的に長野へのスキー集約臨時列車の戻りの回送と思われる大垣電車区165系で、先頭車はシャッター付タイフォンに屋根上にはクラリオン笛が装備されてるので、冷房付で製造されたタイプで大垣電車区にはクハ165-204~206の3両が存在してました。
206なら製造ラストナンバーなんですけどネガを限界まで拡大してもナンバーは分かりません。
因みに製造ラストナンバーと記したのは、飯田線を新性能化する際に165系を投入しましたが、偶数向きのクハが1両不足したので神領電車区で処分保留車になってた奇数向きに固定されたクハ165-9を偶数向きに方向転換してナンバーを偶数向きの追番の208に改番して、こちらがナンバー上でのラストナンバーになってるからです。f:id:okinawa-rail:20240328220616j:image振り子の本領発揮して高速で波寄カーブを通過する名古屋行き特急「しなの」です。
この直後に大津通りに架かる高座橋をくぐり抜けて、ピィフォ~ン!!と大音量でタイフォンを鳴らしながら金山駅を通過します。

f:id:okinawa-rail:20240328220950j:imageEF64 65号機牽引の貨物列車です。
ワム80000が見えるので王子製紙春日井工場からの紙製品を輸送する“春日井貨物”でしょうか。
この場所は高校時代にも下校途中に立ち寄っていて、ある日に友人達と子供みたいに貨物列車に手を振っていたら、機関士がドヤ顔(当時そんな言葉ありませんが)でビシッと敬礼して返してくれたのを今でも覚えています。

この場所はこの場所はカーブを通過する列車が格好良く撮れるのですが、背景が悪すぎて撮影したのはこの時だけで、現在では2メートルくらいのフェンスがあるので、撮影は不可能になりました。

余談かつ私事ですが、幼少の頃はこの“波寄カーブ”の近くに住んでいて、無謀にも高座橋からの坂道を三輪車で駆け下りて見事にすっ転んで、その時に出来たと思われる傷が今でも額に残ってます(笑)

 

余計な事書き過ぎて長くなってますが、もう少しお付き合い下さいませ。

 

日記には書かれてませんが(理由はのちほど)微かな記憶と金山、波寄カーブと同じネガに写ってるので、金山から熱田に移動したようです。

f:id:okinawa-rail:20240328221131j:image熱田駅で機回しをするEF58 48号機です。

熱田駅には小荷物取り扱い基地があって、東海道本線の荷物列車はここで増解結したり、関西本線中央西線の荷物列車はここが起終点でした。

写真のEF58 48号機も熱田止まりの荷物車の入れ替えを始めるのか、終えたのかどちらだと思われます。

因みにこの48号機も1984年2月1日付けで下関機関区に配属されたので、撮影時期的にあと2週間ほどで引退です。

f:id:okinawa-rail:20240328221228j:image
f:id:okinawa-rail:20240328221246j:image何がなにやらですが、東海道本線熱田駅を通過するEF66牽引の高速貨物列車(1枚目)と、熱田駅を発車した117系「東海ライナー」(2枚目)です。
okinawa-rialの事だからネガスキャンして限界までトリミングしてんだろ?と思われるでしょうが、ネガスキャンはしてますが、原版のままでトリミングはしてません(笑)

撮影場所は名鉄神宮前駅前の御田跨線橋で、今は立派な跨線橋になってますが
f:id:okinawa-rail:20240328221322j:image(Wikipediaより)
40年前は古レールを用いたか細い跨線橋
f:id:okinawa-rail:20240328221341j:image(Wikipediaより)
上部がアーチ型のトラスの隙間からだと真下を通過する列車までの距離が近いので、50ミリ標準レンズでも望遠レンズで切り取ったかの様な迫力で撮れました。

撮影時の詳細な記憶はありませんが、EF66は単にピントが合ってないだけですけど、東海ライナーは若干あまいですが列車番号表示器にピントが合ってるので、シャッタースピードを遅くして117系を流したようです。

因みに撮影当時の快速は熱田駅に停車してたので、発車直後で速度は40km/hくらいなのにこの流れ具合から、かなりのスローシャッターではないかと。
シャッター開け過ぎて、117系のオデコから頭頂部のクリームが若干オーバー気味になってますし(笑)

 

さて、1984年は1月から3月まで日記を書いていたので、この間に撮影した写真は詳しい撮影日が分かりましたが、就職するタイミングで日記を書かなくなったので、金山波寄カーブと熱田御田跨線橋は微かな記憶で3月18日に撮影したと分かりますが、次に貼る2枚目だけは何時撮影したのか分かりません。
金山、波寄カーブ~熱田御田跨線橋で撮影したカットと同じネガのラスト2コマに写ってるので、同じ日だと思われますが、熱田御田跨線橋の後で名古屋駅まで行った記憶もないので、1984年3月じゃないかもしれませんが、と前置きして……

f:id:okinawa-rail:20240328221808j:image名古屋駅10番線に停車中の宮原機関区のEF65-1131号機です。
1983年頃からジョイフルトレインが続々と登場して、事前に運転情報を調べなくてもふらりと名古屋駅に行けば何かが来てました。

f:id:okinawa-rail:20240328221905j:imageこの日も金沢鉄道管理局の12系客車ジョイフルトレインEF65-1131号機に牽引されて東海道本線を上って行きました。
スロフ12の傍らにEF62が写ってますが、これはEF58に変わって東海道山陽本線の荷物列車牽引の任に就くEF62で、おそらくは乗務員や車両検査係員の訓練に使用されてると思われます。

因みにスロフ12を撮影したのは10番線のホーム先端ですが、ここは現在立ち入りが厳しく規制されてるので
f:id:okinawa-rail:20240328222106j:image同じアングルでの撮影は不可能で、規制線ギリギリでもホームの幅に余裕がないので点字ブロックギリギリになって発車時にはホーム係員から「点字ブロックから離れて下さい、列車発車出来ません!とアナウンスされるので、アングルを似せるのは
f:id:okinawa-rail:20240328222203j:imageこれが限度です。

因みにEF65の写真と同じアングルでは現在でも撮影出来るのでついでに貼っておきましょう
f:id:okinawa-rail:20240328222239j:imageこのブログで何度なく書いてますが、名古屋駅前に高層ビル群が城壁の様に聳え建ってるので、40年前にあった空がなくなりました。

余計な事を書き過ぎて長くなった「過去鉄、1984年春まだ浅い名古屋」は以上です。最後まで辛抱強くお読み頂き誠にありがとうございます。

「リメイク版過去鉄、1984年1月から3月の名古屋シリーズ」(そんなシリーズだったの?)実はもう一つ、2月8日の名古屋の大雪がありまして、そちらは2022年2月7日のブログokinawa-rail.hatenablog.jpに書いてありますので、宜しければお読み下さいませ。
時系列的には3月21日のブログokinawa-rail.hatenablog.jpの次になりますね。

 

では最後にオマケ的なこちらを貼って締めましょう
f:id:okinawa-rail:20240328222359j:image信越本線(現、しなの鉄道)小諸駅
f:id:okinawa-rail:20240328222428j:image史跡、小諸城懐古園の入り口
1984年3月3日、4日に高校卒業旅行でソロで小諸まで行ったんですが、写真を撮ったのは上の2カットだけで、道中の横川や軽井沢でのEF63
f:id:okinawa-rail:20240329001810j:image(イメージで、1988年11月撮影の写真から)
など鉄道風景は一切撮ってないんですよ(笑)

これ、おそらくはカメラ出すのが面倒くさいからだったとだと思うんですが、何の為にカメラ持って行ったのやら……

当時の自分をネチネチと問い詰めたいです。

それでわ~