お久しぶりです。
前回の更新が1月17日だったので2ヶ月放置してましたね。
この間何してたかは、単に書く暇がなかったからだったりします。
え!?うちのブログにコメント書いてたよね?って思う方もいらっしゃるでしょうが、余所様のブログ閲覧する暇はあっても、記事考えて資料で整合性を検証して、写真も用意しながら自分のブログ書く暇はなかったんですよ。
そんなブログ放置した言い訳はこれくらいにして、今日の本題に行きましょう。
いきなり貼ったのはかつて国鉄が発売していた南東北ワイド周遊券です。
今から40年前の3月は21日から23日まで3連休だったので、旅行で仙台と松島に行ってるので、この周遊券はその時に使った物です。
ホント何でも残してあるなぁ(笑)
因みに使用開始日が3月20日になってますが、この日は木曜日で仕事だったので、2時間の残業を終えて帰宅後すぐに出発した記憶が微かにありますが、名古屋から何に乗ったのかは曖昧です。
春休みも始まる時期なので名古屋0時10分発の14系座席車の急行銀河52号
(14系座席車のイメージなので列車名が違うのは気にしないで)
が運転されていたらおそらく乗ってますが、22時04分発の最終の「こだま」で豊橋まで行ってそこから東京行き普通340M(当時名古屋発21時43分発でした)に乗った覚えも微かにあるので、どっちだったかなぁ?
(340Mのイメージです)
さて、この仙台、松島旅行では未乗だった東北本線の郡山~岩沼間に乗る事も目的の一つだったので、上野から新特急なすの1号で黒磯に向かい、黒磯からは仙台まで普通列車でした。
黒磯駅に停車中の新特急なすのです。
新特急は1985年3月ダイヤ改正で東北、高崎線に登場し特急で、グリーン車のみ指定席で普通車は全席自由席で、特急料金も
50キロまで500円(通常600円)
100キロまで800円(通常1000円)
150キロまで1200円(通常1600円)
200キロまで1500円(通常1900円
と割安で、急行では利用出来なかった定期券でも利用可能な新形態の列車でした。
車両は新幹線リレー号
の廃止で余剰になった185系200番台で、当時の座席はフカフカな座り心地の転換クロスシートだったので
(絶版した鉄道ジャーナル別冊No.15より加工して引用)
向かい合わせ4人掛けのボックスシート
よりは快適でしたが、停車駅は列車によっては前身の急行なすの
より増えてるので、体の良い値上げ感は拭えなかったです。
黒磯駅に停車中の129M福島行きの715系1000番台です。
東北本線の普通列車の多くは旧型客車による客車列車で運行されていたので、これを電車化する為に583系
から改造されたのが715系1000番台です。
12両の長編成を4両の短編成化すると、先頭車が足らないので、サハネ581に運転台ブロックを取り付けて先頭車化改造を行いましたが、改造工事の簡略化の為か、運転台は二階式ではなくて、平屋でクモユニ74
由来の平妻非貫通型で細長い窓の高運転台になりましたが、583系独特の車体断面から異様な顔になりました。
ところで、1枚目と2枚目とでは色調が違いますが、これは2枚目がプリント時の露光不足で白くすっ飛んではいますが、クリームの色調が、登場時の黄色っぽいクリーム1号から白っぽいクリーム10号に変更されたからです。
撮影時はその過渡期でトリミング再掲ですが
福島方4両がクリーム1号、
上野方4両がクリーム10号でした。
この旅行ではまだ恒例の手書きの行程表は書いてないので詳しい行程は分からないから微かな記憶と当時の時刻表を頼りに書いてますが、その時刻表を見ると
(7月号ですが時刻は同じです)
129Mで福島に向かい、福島で仙台行き普通に乗り継ぐのですが、福島駅で列車を乗り換えた記憶がないので、この編成が福島で列車番号を変えながら仙台まで直通してたようです
黒磯駅6番線に到着したED75 97号機牽引の貨物列車です。
ワムハチと呼ばるワム80000オンリーで組成された列車なので、東京の飯田町にあった紙流通センターに印刷用紙を輸送する紙列車でしょうか。
このカットには写ってませんが、直流電車が停車してる傍らで、赤べこと呼ばれる赤い機関車ED75が見られるのは日本で唯一交流と直流の切り替えが地上で行われて、駅構内で交流と直流が混ざり合う黒磯駅ならではですね。
日本で唯一の交直地上切り替えの仕組みについて書こうと思いましたが長くなるので止めました(笑)
黒磯から3時間53分かけて杜の都、仙台に到着しました
(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
これまでの旅行は主に列車に乗る「乗り鉄」でしたが、この旅行から観光地巡りも始めたので、仙台駅から宮城交通のバスで青葉城に向かいました。
因みに宮城交通は名鉄系列で、車体色も名鉄バスと同じ赤白塗装だったので、名古屋住みには馴染み深かったです。
(Wikipediaより 今世紀の画像ですが塗装パターンは当時と同じです)
伊達政宗像
何かしらの記念碑でしょうか
誰かしらの胸像
山々の形がユニークだったのでパチリと。
ネットで調べたら七つの山々が密集してる通称七ツ森だとか。
広瀬川と仙台市街地
市街地の奥に発電所?が太陽光で輝いてました。
こちらも仙台市街地です。
青葉城は仙台駅から近かったのですが、バスを乗り間違えたので途中で降りて歩いて青葉城まで行ってるので、ゆっくりと見れなかった記憶が薄らと残ってますね。
青葉城を見た後はホテルにチェックインしてるのですが、その後の記憶はないです。
夜の街に遊びに行く…はずないので、ホテルのレストランで夕食を食べて寝たかな?
さて、翌日は7時近くにチェックアウトしてます(笑)
そんな早くにチェックアウトしたのは今回の旅行の最大の目的である高校の修学旅行で訪れていて、その時からもう1度ゆっくりと訪れてみたいと思っていた松島に行く為ですが、その前にもう一つの目的の東北本線の未乗区間である利府支線に乗る為だったからです(画像はありません)
利府支線がなんたるかは書くと長くなるので省略(書くのが面倒くさいとも言う)しますが、支線だけあって運転本数が少ないので利府まで乗った電車で折り返してるはずです。
当時の時刻表を見ると仙台7時23分発、利府7時41分着。利府7時55分発、仙台8時13分着があるので、多分このパターンでしょう。
仙台からは仙石線で松島に向かいますが、仙石線の電車はスカイブルーの103系で
(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
普段通勤で利用してる中央西線の103系
と同じなので、遠くに来た気がしなかったですね(笑)
松島海岸駅
(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
に到着した後は松島湾内の遊覧船に乗船してるのでその時に撮影した湾内の松が生えてる岩の写真をキャプション無しで貼り付けておきましょう




2011年3月11日に発生した東日本大震災では、松島湾内にも津波が襲来しての島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生しましたが、津波は浅い湾内に入ると急激にエネルギーを失うので、軽微な被害で済んだそうです。
松島湾内巡りの後は国宝で伊達政宗の菩提寺の瑞巌寺に行ってます


高校の修学旅行で訪れた時の瑞巌寺境内は松並木とかが立派だった印象が残ってましたが春先なので枯れてました。
拝観を終えて出た瑞巌寺の門(だったと思う)ですが古色蒼然として萌え(当時そんな言葉ありません)ました。
ところで瑞巌寺に入った所でガイドは如何ですか?と言われましたが、一人だったし有料(だったかな)なので断りましたが、団体拝観者の後に付いてしっかりとガイドを聞いてました。
聞こえて来るんだもん仕方ないじゃない(笑)
1986年春先の杜の都と松島は以上です、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後にこちらを貼って閉めましょう。
日本エアシステムのDC-9-41で、纏ってるカラーは前身の東亜国内航空のレッド&グリーンです。
今回の記事とは関係ないように思えますが、松島から仙台に戻った後は東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで名古屋に帰るのですが、まだ乗った事がなかった飛行機で帰ろうかな?とも思っていて、空路なら東亜国内航空、後の日本エアシステムの仙台~名古屋線で、機材がDC-9だったので空路にすればよかったなと後悔してます。
それでわ~
(
(ディスプレイがモアレってるのは気にしないで)
廉価版arrowsの後継機種ですね。
左側がWe2、右側がBe4で、撮影した機材の都合で発色がマゼンタ気味なのでディスプレイの色は正確には再現されてないですが、色が違うのは伝わるかと。
冬晴れの昼下がりに、
こんな色になってました(笑)
近所の河川敷からですが、太陽が昇る方向に高台があるので、
堤防上にはススキが残ってたので、ススキと絡めてみましたが、初日の出と言うより、秋の夕陽と言った方が良いかも(笑)
喜多山駅の瀬戸方先端です。
アクロス小幡パーキング5Fです。
(写真は撮らなかったので2年前の
初日の出は方向的には見えないです。
(
(
14系座席車のイメージなのでテールマークが「
中央1灯式(ブタ鼻シールドビームに改造されてますが)ヘッドライトが特徴的なEF70の1次型13号機です。
ネガスキャンの汚いカットですが、
EF70 1001号機です。
(イメージです)
急行「
(イメージです)
ネガの劣化でどー頑張ってもローズピンクにならないのでモノクロですが、
1975年5月の滋賀植樹祭で運行されたお召列車牽引の本務機だったEF81 120号機です。
1976年10月の佐賀国体の際に運転された
双方似てませんか?


お召し装備が施された
(1986年10月)
この


長くなってるので個々のカットの解説は省略しますが、背景から

イメージですが、
(
この機関区一般公開の目玉とも言える初代ユーロライナー牽引機の
(撮影してないのでJR移行後にユーロカラーになった112号機で代用)
機関区一般公開の定番と言える、お召し装備を施した




(
知らないオッサン…こほん、男性は今ならスキャンしてトリミングでカット出来るので、何で残さなかったのかと当時の自分を小一時間ネチネチと詰問したいです。
EF59 1号機です。
写真が残ってなくても惜しくはなかったです(笑)
機関区一般公開の喧騒をよそに休息中の展示機ではない稲沢機関区の機関車たちです
(再掲 1992年
ネガの劣化が酷くて補正しきれないのでモノクロですが、稲沢機関区脇の稲沢線を赤ホキを牽引して通過する
(1114号機 1983年9月熱田)