気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

月曜日 病ブログ…良性発作性頭位目まい

今日の名古屋の最高気温は34℃で涼しかったですね(気象庁ホームページより)
いやいや、30℃越えるんだから暑いはずですが、平気で38℃越える気温に慣れてるので、34℃は涼しいんですよ(笑)

今朝は雨音で目が覚めるました。
朝から雨降ってるのは夏には珍しいなぁ…と起きたら何やら身体がふらつくじゃないですか。
起立性目まいだと思ってトイレに行ったら目まいが酷くなって全身から汗が出て、手足も痺れるので、これは熱中症だと思って冷蔵庫からOS1を出して飲んで、アイスノンで首の後ろを冷やし、自室のクーラーを付けて横になりましたが、1時間ほど経過しても目まいは治まらず、私、元々目まいの持病があるのでメリスロンのジェネリック薬を処方されてるのでそれを服用して更に横になりました。

クーラー付けっ放しで部屋の中は寒いくらいで、体温も36.3℃なのに、起きてもまだ目まいが続くので、これは熱中症の目まいではなくて耳鼻科領域の良性発作性頭位目まいだと確信、幸いにも今日は耳鼻科の受診日なので、耳鼻科で点滴を…と思ってましたが、立ち上がると目まいが酷くなり歩くのもままならず、タクシーにも乗れないので、耳鼻科に行ったのは目まいが収まった午後診からでした。

何か最近目まいの頻度が多くて、5月始めにも同様の良性発作性頭位目まいを起こして、耳鼻科を受診してるんですよね。
で診察時に先生に2011年にメニエール病で倒れてから約6年ほど総合病院の耳鼻科に通っていた事を話した上で、今日の目まいは良性発作性頭位目まいと思われるとか、全身からの発汗や手足が痺れたのは目まいによる自律神経の乱れと思われる…などと概要を話したら、先生が流石長年目まいで通ってただけあるねと変に感心されましたね(笑)

あ~やっと頭のポヤポヤ感がなくなって気分がよくなって来ましたよ。

それにしても真夏の目まいは熱中症による物か、耳鼻科領域の物かは区別が付きにくいです。

熊本の被災者もこんな感じなんでしょうかね。

それでは。

追記、今日は添付写真を撮る気力がないので、冒頭の1枚だけです。

金曜日 雑談…36℃が涼しかったり、職務質問されたり。

今日の名古屋の最高気温は36.3℃と涼しかったですね(気象庁ホームページより)
いやいや、おかしい、おかしい!
35℃超えてるんだから猛烈に暑いはずですが、平気で40℃上がるので、最早36℃は“涼しい”の範疇なんですよ。

じゃあ30℃は“寒い”になるん?

真面目に書くと、今年の名古屋の夏は北西の風が吹く気圧配置で(ウェザーニューズより)
名古屋の北西には伊吹山があって(2002年11月)
その伊吹山を吹き降りる際にフェーン現象が起きて乾いた熱風が名古屋がある濃飛平野を吹き抜けるので、名古屋特有の蒸し暑さじゃなくて、乾いた暑さなので、気温が35℃でも木陰に入れば意外と涼しかったりするんですよね。

因みに冬は伊吹山から吹き下ろす風で名古屋はクソが付くほど寒くなります。(1992年12月 名古屋空港)
見るからに寒そうでしょ。この写真を撮影した日は、翼の下に写ってる風速を示すウィンドソックスが千切れんばかりに真横に靡いてるので20ノット(約10メートル)の伊吹下ろしが吹き荒れてました。

ところで、話し変わりますが、今日、名東区の三洋堂書店よもぎ店の駐車場で警察官から職務質問されました。(イメージイラスト ChatGPTで作成)

名東区内で女子高生が襲われる事例が多発してるからとの事でしたが、車内の隅々や鞄の中に財布に入ってるカードも丹念に調べられたらから、他の嫌疑でしょうね。

薬物?

私、やましい事は一切無いので、職質中は警察24時みた~い!とワクワクしてました(笑)
とは言えそこまで丹念に調べられるとあまり気分が良い物では無いです。
あと、リアゲートを開けて中を見たお巡りさん、「あ、綺麗」って言ってたけど、何気に失礼だよ。
見た目汚いと思ってたんですかね。
そうそう助手席側のダッシュボードを開けた際に中にこの書籍が入ってました(笑)
部屋の中に無いと思ってたら車の中にあったのか。
一体何時から入ってたのやら…

さて、またまた話し変わりますが、前回の記事で予告した撮影から今年で40年シリーズ、1986年7月EF55復活運転、横川駅、上田電鉄丸窓電車は、写真も用意して記事も考えてましたが、令和8年熊本地震の被害状況を鑑みて、発表を少々延期します。

現在熊本は大変な状況下にあるので呑気に40年前の事を書く気にはなれないのでね。
Instagramへの投稿も控えてるくらいですから。
熊本が少しでも落ち着いた状況になる事を祈って。
それでは。

日曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1986年6月~7月の名鉄

今日の名古屋は昼から雨が降り出して、梅雨らしい天気でしたね。

って何しれっと今日の天気を書いてんだか(笑)

改めまして、お久しぶりです。
色々とやる事がありまして、余所様のブログにコメント書くけど、自分のブログにまでは手が回らずに、丸っと1ヶ月放置してしまいました。
まぁブログのタイトルに違わないって事でご了承下さいまし。

さて、今日も過去鉄で、撮影から今年で40年シリーズで、今回は1986年6月から7月にかけての名鉄電車です。

撮影場所毎に貼っていきますが、撮影順ではない事だけはご承知おき下さいませ。
何せ撮影場所があっちで4枚、こっちで2枚と纏まってなくて、撮影当時の記憶がないので、なんでこんな移動したのか、あるいはそれぞれ違う日なのか分からないんですよね。

ネガ見て頭抱えました(笑)

さ、前置きはこれくらいにしてサクサクっと貼っていきましょう。
そうそう、今回も写真とネガスキャンの混合で画質と色に纏まりがないのはご了承下さいまし。

ではまずはこちらから

犬山線の犬山橋を渡る8800系パノラマDXです。
パノラマDXはハイデッキ展望室やパーテーションで仕切られたリクライニングシート装備の2人用、4人用、6人用区分室(画像は省略します)を備えた観光特急用として1984年に登場しました。
そのハイデッキ前面展望室構造はパノラマスーパーの原型になり(1988年11月 島氏永カーブ)
更には国鉄北海道のアルファコンチネンタルエクスプレスにも波及しました。(1987年5月 札幌駅)
車両は上から下まで完全な新製車ではなくて制御器などの電装品はパノラマカー1、2次車の中間車からの流用ですが、台車は種車のFS335の(Wikipediaより)
ベローズ式空気バネでは、ハイデッキ構造で重心が高い事から増大した左右動を吸収出来ないので、左右動の吸収に優れたダイヤフラム式の空気バネを持ち、斬新なデザインの車体に似合うSミンデン台車FS384を(Wikipediaより)
7000系8、9次車の中間車と7700系7713Fから転用して、台車を供出した車両には空気バネを格納してた台枠の大穴を鉄板で塞いでそこに種車のベローズ式の空気バネを直結させてFS335台車を履かせるかなり手間がかかる台車振り替えを行ってます。
デビュー当時は2両編成でしたが、1989年にはサロンコーナーを備えた中間車サ8850を組み込んで、3両編成になりました(1989年8月犬山橋)

1次車2編成と展望室にワイパーを備えた2次車2編成の全4編成ありましたが、バブル崩壊の景気後退で観光需要が減少したので、団体用に1編成残して他の3編成は中間車を普通座席に改装して西尾特急で活躍してましたが、空港線が開業した2005年1月29日ダイヤ改正で全車引退しました。

観光バスに思いっきり被られますが鵜沼から国鉄高山本線に乗り入れて富山まで行く特急北アルプスです。
犬山橋は道路と鉄道の併用橋で、犬山は観光地で観光バスも多いのでバスに被られるのは宿命でした。
ところでパノラマDXみたいな車両解説してませんが、それは書くのが面倒…いやいや、パノラマDXは後で貼る車両との絡みとの兼ね合いで書いてるだけなので、北アルプスの車両解説は今回は見送ります。

場所が変わって名古屋本線の呼続~桜 間の跨線橋からです。

呼続駅方向を見ています。
小さくて分かりにくいですが、上り線を呼続を通過した7000系パノラマカーが笠寺台地へ駆け上がってます。
上のカットを撮影したのとは反対側です。町工場や住宅が混在してる典型的な下町の中を赤い電車が駆け抜けて行きます。
街並みは今でもあまり変わりませんが、町工場は操業を止めて廃業、住宅に変わってる所もあるようです。
風景写真なので車両の解説は省略しますね←書くのが面倒くさいとも言う(笑)

跨線橋から降りて来ました。

今では見る事がない6000系の豊橋行きの急行です。
増備の度にマイナーチェンジしてた6000系ですが、1979年7月に製造された4次車は行き先表示器の大型化と乗降扉窓の大型化に、車内貫通扉は片開きなど、前年に製造された100系(1993年8月 岩倉駅)
の仕様がフィードバックされてるので、個人的には“6100系”と呼んでます。
6000系は普通列車用として製造されてるので、ギア比は6.1で最高速度は100km/hなので、性能を越えた走りを強いられる本線の急行運用では、モーターが悲鳴を上げてます。

6000系の最終増備グループの10次車6051Fです。
9次車からは車体が6500系と同じ車体になって正面は鉄仮面と呼ばれる非貫通スタイル(1988年11月 島氏永カーブ)
側面は乗降扉の配置を変更したので、乗務員室扉と乗降扉の間の窓がなくなりました。
上の1、2枚目共に車体の一部を切り取った大胆なアングルですが、初めて行った撮影場所なのでアングルに迷いが出て、原版では1枚目は画面の左側2/3が切り通しの雑草生い茂る法面で、2枚目も右側に雑草が目立つので、それらをカットした結果なのを白状します。
で、その原版をChatGPT(以下チャッピーと称する)で高画質化しましたが、文字、数字が判別出来なかったようで、こちらは種別の[急]が象形文字に、こちらは型式が8051になってます(笑)

ところで、この場所は土手の上に大きな桜の木があって春になると素敵な写真が撮れるので、暫くは春になると通ってましたね(1992年4月)

堀田駅に移動しました。

敢えて斜めな大胆なアングルで撮影した3800系の豊明行きの普通列車です。
3800系は1948年(昭和23年)の岐阜~豊橋間の直通運転に備えて製造された車両で、製造当時は終戦後の物資不足で、私鉄の車両製造にあたり運輸省が車体寸法や、モーター、制御器、パンタグラフなどの使用機器について細かく規格を制定していて、その規格に基づいて製造されたので運輸省規格型と呼ばれていました。
1948年から翌49年にかけてモ3800とその相棒ク2800双方合わせて71両が製造されて、パノラマカーが製造されるまでは名鉄の一大勢力を誇ってましたが、戦後の物資不足の時代に製造されてるので痛みが早く、1962年から外板の張り替えやウィンドシルと呼ばれる窓下の補強帯の埋め込みに、窓枠のアルミサッシ化、運転台の高運転台化などの重整備を受けてます。
1960年代後半頃から一部の車両は富山地方鉄道や(1983年1月 貫通扉の埋め込みとヘッドライトは左右2灯化されてます)
大井川鐵道(画像はないです)に譲渡されたり、1971年には吊り掛けパノラマカーと呼ばれた7300系(1990年4月)
の種車になったりして半数近くが姿を消して、残った車両も6000系や6500系の増備に伴い数を減らして、最後まで残った3827Fが1989年9月に引退して系式消滅しました。

チャッピーでダークグリーンにしました。
原版のピントが合ってるので文字や数字も読み取れるので、違う行き先にしたり、違う型式にはしないだろう…と思ってたら行き先は良いのですが、型式が3521になってました(笑)

書体がきちんとローマン書体なだけに惜しい!

ところで、スカーレット1色になる前の名鉄の旧型車の塗色は、ロングシート車はダークグリーン、転換クロスシート車はストロークリームにスカーレットの帯を纏っていて、3800系は転換クロスシート化が進んでいて、ロングシートで残った車両は1971年までに富山地方鉄道に譲渡されたり、7300系の種車になって姿を消してるので、私は世代的にダークグリーンの3800系を見た記憶がないので、3800系をダークグリーンにしておきながら、今一つ実感が湧かないです(笑)

ついでにストロークリームとスカーレット帯の3800系も貼っておきます(1977年9月 金山橋)
この塗装の現役時代を見てるので、6000系に復刻した塗装は帯の幅が狭くて違和感があります。(2025年11月 本星崎)イモムシと呼ばれた3400系です。
3400系は名古屋本線の東半分の東部線の特急用として1937年に製造されました。
製造当時世界的に流行してた流線形を採用した張り上げ屋根の美しい車体で、前面の窓ガラスも車体の曲線に合わせた曲面ガラスを採用して、空気抵抗を減らす為に連結部は全周ホロで覆われて床下もカバーが取り付けられた優美なスタイルで、性能面でも東部線の車両では初めての自動進段制御器を備えて1937年当時では活気的な回生ブレーキを試用する“高性能”な車両でした。
1967年から車体更新が行われて、全周ホロは外されましたが、前面は3枚窓から大型曲面ガラスの連続窓になり、スカートも残されたので優美さは失われませんでしたが、1984年頃に他のAL車と連結する為にジャンパ線と空気ホースが付けられたので、優美なスタイルが崩れてしまいました。この写真、原版は横構図で余白が多過ぎるので余白をカットして縦構図にしたらピンボケが目立ったので、チャッピーで補正しましたが、右上の出発信号機の[出発]の文字が判別出来なかったようで象形文字で誤魔化されました(笑)

3900系の蒲郡行き急行です。
3900系は名古屋本線の特急用として1952年(昭和27年)に登場しました。
登場時はモ3900+ク2900の2両編成でしたが、後に中間にサ2950+モ3950を組み込んで4両編成になりましたが、編成の美観を考慮して中間電動車モ3950にはパンタグラフ搭載されずに、ク2900に搭載されました。
この3900系は全4編成が製造されましたが、ラストの第4編成は製造時から両端をク2900とした4両編成で、機器類も分散配置される等、後に製造される初代5000系(Wikipediaより)
の試作要素が強かったようです。
この3900系は重整備は受けてないので、オールドロマンスカーと呼ばれた旧性能特急用車両3400系、3850系(画像はない)3900系の内で最も早く引退が始まり、1985年11月に第4編成3904Fが瀬戸線の6650系(1990年7月 旭前~尾張旭)
の種車になって引退。残りの3編成は2代目3300系(1987年10月 豊明~富士松)
の種車になって1987年3月31日までに引退してます。

チャッピーでストロークリームにスカーレットの帯塗装に似せてみました。前面の帯のカットのラインが逆なのは3回トライしても直らないし、これ以上トライするとチャッピーさんが拗ねて利用制限かけて、直ぐに解除したけりゃ課金しなと言ってくるので諦めました(笑)

3900系の蒲郡行き急行を追い越す豊橋行き高速です。
高速は急行の上位種別で、現在の全車一般席特急に相当します。
かつて名鉄には料金不用の特急と指定席料金が必要な座席指定特急の二つの特急がありましたが、座席指定特急は専用車両で運行されてる訳ではなかったので、お客様から違いが分からないとの声が多くなったので、1977年春のダイヤ改正から特急は全て有料の指定席として、料金不用の特急は新たな種別を設定、それが[高速]です。
その[高速]の7000系は車番は読み取れませんが、クーラーが白いFRP製キセ(カバー)のRPU2208を装備して、台車はSUミンデン式のFS384を履いてるので、1974年6月に製造されて、編成としては最後の製造となった8次車です。
その8次車は7045Fと7047Fの2本でしたが、7047Fは撮影した前年に製造されたパノラマDX1次車の製造に伴う7000系の編成組み換えで3号車と4号車は編成から外されて、パノラマDXの種車として廃車された7013Fの3号車と4号車の代替車として7013Fに組み込まれ、残りの4両は白帯を纏った特急専用の白帯車になってるので、このパノラマカーは7045Fだと分かります。
余談ですが7045Fも翌年にはパノラマDX2次車製造と第2次特急専用車両整備に伴う書くのが面倒な7000系の複雑な編成組み換えで中間の3号車と4号車が、両開きドアを持つ9次車7050系100番台の(Wikipediaより)
モ7103+モ7102に変わるので、このカットは8次車だけで編成を組んでる7045Fを記録した唯一の写真になりました。

ところで7000系パノラマカーの運転台は2階式なので、車両基地での地上から運転台への登り降りは落下の危険があるので、平屋の運転台にして欲しいとの現場からの要望で、7000系の増備は1971年1月製造の7次車(あとで出てきます)で終了して1973年には平屋の運転台で、分割併合を考慮して正面に貫通扉を持った7700系(1989年6月)
が製造されましたが、7700系デビュー直後に試乗したパノラマカーの発案者で当時の名鉄会長の「これは何処の電車か」の声に車両設計陣がビビって翌年から再び2階式運転台に展望室がある7000系8次車の製造に至った逸話があります。

豊橋行き急行です。
堀田駅は地上線時代は島式ホーム2面の2面4線で緩急接続が出来ましたが、高架化された際に2面4線ですが、ホームは相対式で中2線がホームが無い通過線なので、急行停車駅ですが緩急接続が出来なくて、撮影時は鳴海まで普通列車が先行してました。
停車してるのは7000系で、運転台窓の形状とクーラーは国鉄のAU12と同型のTAC15-T2-21を装備してるので2次車です。
この2次車は6両固定編成で製造されましたが、7000系の度重なる編成変更で中間の3号車と4号車にはオリジナルのモ7150系奇数番+モ7050系偶数番ではなくて、扉がラッシュ対策で両開き扉になったモ7050系100番台に入れ替わってます。
更には2次車は特別保全工事が施行された際に行き先表示板が自動巻き式の方向幕に交換されましたが、従来の行き先表示板よりも高い位置に取り付けられた車両がありました。
それらを踏まえると3号車と4号車にモ7050系100番台を組み込んで、方向幕が高い位置に取り付けられてるので、この7000系は7007Fか7009Fと推測できます。
最後部のモ7000の車番をルーペで文字通り目を皿の様にして確認すると下1桁が[0]に見えるので最後部がモ7010なら7009Fですね。
実にどーでも良い事ですが、マニアには長ったらしいキャプションを書いてしまうほど気になるのです(笑)

堀田駅の通過線を走る豊橋行き特急です。
名鉄は1977年春のダイヤ改正で特急は全て有料になりましたが、専用車両は無くて、座席のモケットが赤いパノラマカーが優先的に特急に運用されてる程度でした。
しかし、国鉄が1982年春から名古屋本線と並行する東海道本線の快速にパノラマカーと同等の座席を持つ117系(1983年9月 熱田~名古屋)
を投入すると発表したので、名鉄はそれに対抗して座席を個別の枕カバーが付いた座り心地が良い座席に交換、通路には絨毯を敷き、車体には上級車を表す白帯を纏った特急専用車両を整備しました(車内の画像はありません)
撮影当時7000系の特急専用車両は12本あって写真の車両は最初に特急専用車両として整備された5本の中の1本、7039Fで、クーラーがFRP製のキセを持ったRPU2208に変更された7次車です。
特急専用車両の中ではRPU2208クーラーを装備してたのは少数派で、7039Fの他には同じ7次車の7041Fと、8次車の7047Fの3本だけでした。

余計な事を書き過ぎて長~くなった1986年6月~7月で名鉄、最後まで我慢してお読み頂きありがとうございます。

次の撮影から今年で40年シリーズは、EF50復活運転と碓氷峠と上田電鉄丸窓電車になります。

今月末なので、写真と記事を用意するのも容易なので、日にち合わせで公開出来る?

って疑問なのかよ(笑)

それでわ~

日曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1986年5月名鉄黒野駅

今日の名古屋の最高気温は31.2℃で5月とは思えない暑さでした(気象庁ホームページより)
明日から6月とは言え、40年前の5月はここまで暑くはなかったですよ。
40年前って具体的な時期を書いてますが、それは今日は前回の記事で予告した撮影から今年で40年シリーズで、名鉄揖斐線黒野駅をダラダラと書いていくからだったりします。

長いので前置きはこれくらいにしてサクサクッと始めますよ。
毎度の事ですが、写真とネガスキャンの混合なので画質に纏まりが無いのはご勘弁下さいませ。

先ずはこちらから

750系モ759号です。
写真が残ってないので撮影した記憶が出て来ないのですが、構内配線とネガを見ると二つ先のコマに北野畑駅の駅名板の横でナルシスってる自分の写真(笑)が残ってるので、これは谷汲線の北野畑駅に到着する黒野行きですね。

北野畑駅を黒野に向けて走り去るモ759号です。
北野畑駅は谷汲線で唯一1面2線の配線を持ち列車交換が可能な駅で、行楽シーズンの休日や毎月18日の谷汲山命日に列車が増発する際に列車の交換が行われました。
かつては貨物輸送も行われていた様で、貨物側線の跡もありますね。
ところで、写真が残ってないのは車両が小さく写ってるからだと思われます(なのでネガスキャンしてトリミングしてます)が、今見ると処分するほどの失敗作ではありません。
一方で自分が写ってるコマは写真がしっかり残ってるので、どんなけ自分大好きなのやら(笑)

場所がいきなり変わってますが、黒野駅を発車したモ510系+モ520系の岐阜行きです。
モ510とモ520については後ほど詳しく書くので、撮影場所の黒野駅について少々書きましょう。

黒野駅は岐阜駅前から約16キロメートルの岐阜県揖斐郡大野町にあった揖斐線の駅で、ここから谷汲線が分岐して検車区もあった揖斐線の拠点駅でした。
そんな拠点駅だけに時間帯によっては2面3線あるホームが全て列車で埋まる事があって、訪れた時は正にその列車で埋まる時間帯でした。

岐阜駅から直通されて来たモ513の急行が2番線に到着しました。
撮影した時の記憶がないので写ってる状況からの判断ですが、後方にモ520が連結されてるようです。上のカットのトリミング前の原板で、1番線には黒野~本揖斐間の区間運転に勤しんでるモ758、3番線には忠節行きのモ703+ク2323が停車中です。3番線に停車中のク2320系です。
ク2320系は名鉄の東半分の前身の愛知電気鉄道が1926年(大正15年)に製造した電7形で、デハ3080形に改称された後に、名鉄の西半分の前身の名岐鉄道と合併して誕生した現在の名古屋鉄道ではモ3200形になりました(交友社 私鉄電車のアルバム1Aより)
全長16.7メートルの中型車ですが2扉でクロスシートを備えてましたが、大正末期に製造された半鋼製車体の為に鋼体化の対象になり、1964年に3730系に主要機器を譲って制御車ク2320系になりました。
写真のク2323号は1965年に瀬戸線の木造車を一掃する為に瀬戸線に入線して、モ900系の相棒を務めてたので、1966年の特急運転開始時には、車内はロングシートでしたが(制御車化された際にロングシート化)スカーレットに白帯を巻き、正面には逆さ富士型の行き先表示板を取り付け、ミュージックホーンも装備した特急専用車に整備されて、ミュージックホーンを鳴らしながら瀬戸線を疾走してました。(奥に留置されてるのは最後まで白帯が残ってたク2302ですが見た目は同じです)
1978年3月の瀬戸線1500ボルト昇圧に伴い揖斐線に移りモ700系、モ750系とコンビを組んで余生を送り1997年9月にモ700系と共に引退しました。
ところで、古い車両の電装品を流用して車体を新しくするのは車体更新車と呼ばれ、この様な車両は他の私鉄にもありましまたが、他社は旧車体は用途廃棄、解体していたので、旧車体を制御車化して引き続き33年間も使用したのは名鉄だけです。

2番線に停車中のモ520系524号です。
モ520系は美濃電気軌道が1923年(大正12年)に製造したBD505形で、書くのが面倒な経緯を経て名鉄に合併してからはモ520系になりました。
1967年にモ510系と共に揖斐、谷汲線と岐阜市内線の直通運転車両に抜擢されて、車内に二人掛けと一人掛けの転換クロスシートが設置され(Wikipediaより)
車体色も赤白二色塗りになりましたが、制御装置はモ510系がHL制御と呼ばれた間接非自動制御に改造されたのに対して、モ520系は直接制御のままで、モ510との重連運転の際は総括制御が出来ないので(それぞれの仕組みを書くと長くなるので、そういう物だと思って下さい)モ520系はモーターをカットした制御車として扱われて、揖斐方の運転台には自身が単行運転する際に使用する“ドラコン”と呼ばれる巨大なドラムコントローラーと、モ510系との重連運転時にモ510系のHL制御器をコントロールするウエスチングハウス製の小ぶりなマスコンが設置されてました(使える写真はありません)
型式がモ520なので、モ510系よりも新しいように思えますが、モ520系の方が3年古くて、車体も木造なので1964年に補強工事で外板に鋼板が張られたニセ…セミスチール車の為に、1987年に冷房付きで新製されたモ770系(Wikipediaより)
と入れ替わるように全車引退しました。
そんなモ520は撮影してないと思ってたのですが、引退する1年前に黒野駅に行った際にそこそこ良いアングルでしっかり撮影してましたが、写真が残ってないんですよね。
何で残さなかったのか、当時の自分を詰問したいと思います。

2番線に停車していたモ513+モ524が、モ703+ク2323の忠節行きが発車した3番線に入れ替えられて来ました。
モ510は美濃電気鉄道が1926年(大正15年)に製造したBD510系で、書くのが面倒な細かい経緯を経て名鉄が発足した1941年(昭和16年)にモ510系になりました。
先に書きましたが1967年に開始された揖斐線と岐阜市内線の直通運転用車両にモ52と共に抜擢されて、車内に一人掛けと二人掛けの転換クロスシートを配置して車体は赤白二色塗装が施されてました。
1977年頃から開始された車体の単色化でスカーレットになってからは、地味な存在になってしまいましたが、1987年に永年に渡り活躍し続ける車両を称えるエバーグリーン賞を受賞した際に赤白二色塗装が復活し再び注目を集めました。
そんな赤白二色塗装に復活したモ510は撮影してないと思ってたんですが、新たに“発掘”されたネガの中から出て来ました。
そのカットも撮影から今年で40年のカテゴリーからは外れますが貼っておきましょう。ネガ袋の中に写真もあったのでそれを見たら1995年5月頃に、ほんの気まぐれで揖斐線に乗りに行った記憶が、真空管テレビが点くようにじわっ~と甦って来ました(笑)
その写真は真っ白にすっ飛んでいてスキャンすると更に白くなるので、ネガスキャンしました。

1番線にモ705+ク2326の普通列車が到着しました。
先頭のモ700系は名鉄の西半分の前身の初代名古屋鉄道が1927年(昭和2年)に製造したデセホ700系で、車端部と中央に扉を備えた半鋼製15メートルの中型車両ですが、AL制御と呼ばれる電動カム軸式間接自動加速制御装置を備えてました。
1930年(昭和5年)に美濃電気軌道を合併して誕生した名岐鉄道では主力車両でしたが、1935年(昭和10年)に名鉄の東半分の前身の愛知電気鉄道と合併して誕生した現在の名古屋鉄道では1948年に旧名岐鉄道線の架線電圧が1500ボルトに昇圧されると、まだ600ボルトだった小牧線や各務原線、広見線を転々として、1965年頃からは瀬戸線と揖斐、谷汲線で使用されて、最終的に揖斐、谷汲線に集結して、片運転台車なのでク2320系とペアを組んで黒野~忠節間の普通列車で勤しんでましたが、1998年に600ボルト線区では初のVVVFインバータ車モ780系と入れ替わるように引退しました。

モ703とペアを組んでたク2326です。
ク2320系の出自は先に書いてるので省略しますが、ク2326号はモ3208時代に踏切り事故で前頭部を損傷したので、高運転台で修復されましたが、車体幅が2.6メートルと狭いので面長に見えます。

原版のピントが甘いのでChatGPTで補正しました。

補正ついでに車体色を昭和世代にはどストレートなグリーンしましたが、正面の左右の窓周りがリベットで補強されてます。
いやいやチャッピーさん、実車に無いのを付け足さないで(笑)

黒野駅に来た時に1番線にいたモ758が2番線に入れ替えられてました。
モ750系はモ700の増備車で1928年(昭和3年)にデセホ750として製造されました。
車体形状はドア下部の台枠の下がりがモ700より小さい以外はモ700と同じで、制御装置も電動カム軸式間接自動加速制御ですが、モ750系はモーターの界磁コイルに流れる電流を弱めると回転数が上がる弱め界磁制御の準備工事が施された当時としては高性能な車両でした。
製造から揖斐線への経緯もモ750系と同じですが(1978年2月 瀬戸線時代のモ759)
モ700系が1998年に引退したのに対してモ750は沿線に変電所がなくて揖斐線から供給される架線電圧降下が激しくてモ780

(ウィキペディアより)
が入線出来ない谷汲線用として走り続けて世紀越えをしましたが、2001年9月30日の谷汲線廃止と共に引退しました。

モ758の別アングルです。
ローアングルで良さげなんですが、ホームが驚くほど低いです。
撮影した1986年はバリアフリーの概念が無い時代とは言えドアステップとホームの差があり過ぎです。
これ、車椅子利用者は乗車出来ないです。

黒野駅での最後のカットですが、モ513+モ524の停車位置が先の3番線への入れ替え直後のカットと違います。
発車するのを撮ったのかもとトリミングしたカットを見ましたが運転台に運転士がいません。
撮影した時の記憶がないので、どんな状況だったんでしょう?
3番線にモ702+ク2323の普通列車と縦列停車していて、普通列車が発車したので、ホーム先端まで出て来たとかでしょうか。

撮影してから今年で40年シリーズ、1986年5月黒野駅編、最後までお読み頂きありがとうございます。

最後はこちらの写真で締めましょう。

一緒に行った友人に頼んで撮って貰った谷汲線北野畑駅でナルシスってる私です(笑)
最初の方で書いてますが、この駅で撮ったモ759の写真は処分したのに自分が写ってるカットは写真が残ってるので、どんなけ自分大好きなのやら(笑)

撮影してから今年で40年でサングラスして顔がはっきりと分からないので、ワールドワイドで晒します。

若い!
細い!!
髪の毛いっぱい有る!!!←これ、最も重要!

それでわぁ~

木曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1986年ゴールデンウィークSL1世紀号

今日の名古屋は暑くて最高気温は28.7℃を記録しました(気象庁ホームページより)
5月は爽やかなイメージがありましたが、そんな爽やかさはどこかに行ってしましたね。

そんな今日の天気の話しはこれくらいにて、今日は撮影から今年で40年シリーズ、1986年ゴールデンウィークSL1世紀号をだらだらと書いていきますよ。

でもその前にこちらから

EF66牽引のコンテナ列車です。
これ、写真だけがひょっこりと出てきて、撮影した場所は東海道本線の共和~大高間の“リンタツカーブ”で、ピントは甘いですが、列車はブレずに止まってるし、EF66の傍らに機関士らしき人と国鉄職員らしき人が立ってるので、初見では事故か故障で立ち往生してるのを偶然撮影したのかと思ったのですが、ふと思い当たって「86年5月武豊線SL」と書かれたネガを見たら、このカットがありました。
この写真を撮影した時はどうやら武豊線開通1世紀を記念して武豊~木曽川間に運転された「SL1世紀号」の試運転があったようで、EF66はごくごく普通の通過列車で、線路内に立ってる国鉄職員は安全確保の監視要員だったみたいです。

因みにそのSL1世紀号の試運転列車は写してないです。

何で?(笑)

牽引機のEF66、写真からではナンバーが読み取れませんが、車体形態的にもしや27号機?とワクワクしてネガスキャンして限界まで拡大してナンバー確認しましたが、残念ながら27号機ではなくて33号機でした。東海道本線の共和~大高を快走する113系です。
撮影当時は流し撮りを練習してた頃で、このカットもその練習だったと思います。
背景や道床の流れ具合からかなりの低速シャッターで撮影してますが、多少ピントは甘いけど所属表記の名カキがブレずに読み取れるので、練習の成果は上がってるようです←自画自賛
因みに名カキとは名古屋鉄道管理局大垣電車区の略称で、現在では東海鉄道事業本部大垣車両区の略称で海カキになってますが(Wikipediaより)
国鉄世代としては名カキの方が良かったですね。
とは言えこの車両の前任地かも知れない南フナ(東京南鉄道管理局大船電車区)が、横クラ(JR東日本横浜支社鎌倉車両センター)になって(画像はないです)原型を全く留めてなくて、どこ!?それ?ってなるより、「カキ」が残ってるだけましですけどね。
…と書いたところで記事の整合性を確認したら、JR東日本で組織の改変があって現在では首都圏本部の管轄になって[都クラ]になってました。
JR東日本、組織変えすぎです。

いけない、いけない話しそれてきた、リンタツカーブに戻しましょう。

リンタツカーブですれ違う165系の普通列車とEF65F牽引の貨物列車です。
急行用として製造された165系が就いてるのは急行富士川と共通運用の大垣~大府、岡崎間の短距離列車。
高速貨物牽引用と製造されたEF65Fが牽引してるのはワム80000が主体で最高速度は75km/hの低速貨物列車なので、どちらも都落ちな感があります。
ところで東海道本線の隣に写ってる綺麗に整地された空き地は、国鉄時代に大府~笹島間で計画されてた東海道貨物線、通称南方貨物線の建設予定地です。
一見するとその建設予定地内に入って撮影してる様に見えますが、この場所には東海道本線を跨ぐ踏み切りがあって、貨物線の建設は国鉄時代に財政悪化で凍結されていて、踏み切りの遮断器も貨物線建設予定地内にあるので、鉄道敷地内であっても踏み切りに繋がる道路上と言う微妙な場所です。
その踏切のカットで(ChatGPTで補正)
普段は誰もいないのに、SL1世紀号の試運転があるので、撮り鉄の数が半端ないです。
このカット、建設予定地に入ってる様に見えますが、建設予定地外ギリギリで撮影してるのを書き添えておきます。

さて、ここからはお待ちかねの(誰も待ってないって?)SL1世紀号です。

先にちょっと書きましたが、1986年は愛知県に鉄道が敷設されてから1世紀を迎えたので、ゴールデンウィーク期間中に、愛知県で最初に鉄道が敷設された武豊~木曽川間にC56牽引のSL1世紀号が運転されました。
因みに武豊から木曽川まで鉄道が敷設された経緯はこちらのブログ

okinawa-rail.hatenablog.jp

に書いてありますので、宜しければお読み下さいまし。
1986年のゴールデンウィークは前半は天気が良かったのですが、後半は雨続きで、当時勤務してた会社では5月1日から5日までがゴールデンウィーク休暇だったので、SL1世紀号を撮影した5月4日(多分)は土砂降りでした。

武豊線の尾張森岡付近を行く衣浦臨海鉄道のKE65牽引の貨物列車です。
衣浦臨海鉄道のKE65は国鉄のDE10と同型機で(1984年8月米原機関区)
衣浦臨海鉄道の自社発注車と国鉄からの譲渡車がありました。ピントが甘いのでChatGPTで補正しましたのでナンバーは文字化けしましたが、原板ではナンバーはなんとなく[3]と読み取れので3号機です。
この3号機は衣浦臨海鉄道の自社発注車で1975年に導入されて今年で車齢51年ですが現役です。

石ヶ瀬川橋梁からの下り勾配を降りて来るキハ58です。
ネガスキャンで、空の色が不気味オレンジになったので、ChatGPTで補正してます。武豊線の尾張森岡付近を行くキハ58系とキハ35系の混成列車で、撮影時の記憶がないので(笑)ネガからの判断ですが、一つ前のキハ58のカットの次のコマに写ってるので、同一列車だと思われますが、この日の武豊線は多数の臨時列車が走ってたので、別の列車かもしれません。
それはともかく、国鉄の気動車は181系以外は一般型から特急型までブレーキと制御システムが同一なので、どの形式でも混結可能で、特急型はその性格上他系列車との混結はありませんが、急行型と一般型は混結して走る事が多々ありました。
武豊線は普段はキハ30、キハ35の2両編成ですが(1990年名古屋工場 ChatGPTで補正)
先に書いたようにこの日の武豊線は多数の臨時列車が走ってたので、その臨時列車だと思われます。
ところでこの列車の先頭は(トリミング再掲載)
ダブルエンジン車のキハ58なので冷房用の発電機は搭載してなくてキハ35も非冷房なので発電機は無く、冷房用の三相電源引き通し回路も無いので、後ろのキハ28からも冷房用電源は供給されないので、先頭のキハ58はクーラーは使えません。
撮影した日は雨降りとは言え5月なので、車内は蒸し暑かったんじゃないかな。
余談ですが、このカットはSL1世紀号の練習なんですけど、あとで出てくる本命よりも練習の方が綺麗に撮れてるのは何ででしょうね(笑)

何が何やらですが、盛大に煙りを上げて石ヶ瀬川橋梁を通過中のSL1世紀号です。
土砂降りで視程が悪く曇も灰色なのでC56が吹き上げる煙りが曇と同化してますが、灰色の中で輝くC56のヘッドライトでなんとか1世紀号だとわかります。
武豊線はほぼ平坦なので盛大に煙りを上げるのは、大府を発車直後の石ヶ瀬川橋梁へ向かう上り勾配くらいでしたね。石ヶ瀬川橋梁からの下り勾配を駆け下りて来ます。
傘を差してる撮り鉄と雨合羽を着て警備してる国鉄職員から土砂降りの雨だったのがお分かり頂けるかと。盛大にドレンを排出してるC56を正面からドン!
などとしれっと書いてますが、原版は縦構図で、余白が多過ぎるので、トリミングで横構図にしたのを白状します。そのトリミング前の原板で、武豊線尾張森岡駅付近を驀進するこの日の本命のSL1世紀号です。
土砂降りだったので、f4.5の暗いレンズでは最悪な撮影状態でしたね。

尾張盛岡駅付近で1世紀号を撮影した後は武豊駅に移動して、武豊駅で折り返し時間の間に展示されてた1世紀号を撮影してた……
と思ってましたが、友人から1世紀号運転最終日のチケットを購入して武豊まで往復してるので、その際に撮影したかもしれませんと前置きして、武豊駅でのカットです。牽引機のC56 160号機を斜め後からパチリと。
色とピントが甘いのでチャッピー(Chat GPT)に直して貰ったら型式をC12にされました(笑)1世紀号の最後部のスハフ12です。
テールマークが付いてたのを撮影から40年経て初めて知りました(笑)
こちらもチャッピーに直して貰ったら客車の型式はオハフ45に、テールマークの列車名は「ながさき」になってます(笑)
「ながさき」は1984年1月31日まで門司港~長崎、佐世保間に走ってたB寝台車が連結された夜行の普通列車ですが、チャッピー何で知ってるの?(笑)雨降りですがギャラリーの数が多過ぎるので編成写真は諦めて視点を変えてギャラリーを入れて撮影したようです。
1枚目は青年の顔がガッツリと写ってたので、アイコンで加工しました。
この2枚もチャッピーで補正しましたが文字がないので良い仕事してます。
チャッピー、文字が判別出来なかったら適当にでっち上げるんですね(笑)ギャラリーの隙間からなんとかC56だけは撮影してました。

余計な事を書き過ぎて長くなった1986年ゴールデンウィークSL1世紀号、最後までお読み頂きありがとうございました。
前回の更新で写真と記事は用意してあるので、明日にでもUpする……なんて書いてますが、やはりUp出来なかったですね(笑)

次の撮影から今年で40年シリーズは名鉄揖斐線、黒野駅を予定しております。
ネタ的に5月24日にUp出来ると良いけど、出来るかなぁ……

ま、期待しないでお待ち下さいまし。

それでわぁ~

日曜日 撮影から今年で40年シリーズ…特急「ひだ」と東中野の桜と菜の花と

お久しぶりです。
前回の更新が3月22日だったので1ヶ月と2週間放置してましたね。

この間何してたかは、単に書く暇がなかったからだったりします。

え!?うちのブログにコメント書いてたよね?って思う方もいらっしゃるでしょうが、余所様のブログ閲覧する暇はあっても、記事考えて資料で整合性を検証して、写真も用意しながら自分のブログ書く暇はなかったんですよ。

って前回のほぼコピペですがな(笑)

笑い飛ばしてますが書く暇がなかったのは本当です。

そんな更新しなかった言い訳はそこそこにして、今日も撮影から今年で40年シリーズで40年前の写真を垂れ流していきますよ。

まずはこちらから。

高山本線の美濃太田駅ですf:id:okinawa-rail:20260510221807j:image(山と渓谷社 日本の鉄道7より)
美濃太田は高山本線と美濃太田~多治見間の太多線と美濃太田~北濃間の越美南船(現、長良川鉄道)が発着して美濃太田機関区も併設された高山本線南部の拠点駅でした。
そんな美濃太田駅で前回の記事で書いた仙台旅行の一週間後に特急「ひだ」を撮ってました。
f:id:okinawa-rail:20260510221856j:image特急「ひだ」1号です。
ピントが甘いので同じ写真をチャッピー(ChatGPT)に直してもらったのですが、f:id:okinawa-rail:20260510222033j:imageよっく見るとf:id:okinawa-rail:20260510232049j:imageヘッドマークがおかしくなってます(笑)
f:id:okinawa-rail:20260510222110j:imageひだ2号です。
平仮名縦書きの駅名表示になんか萌えます
f:id:okinawa-rail:20260510222147j:image1号と2号の並びで、撮影時の特急「ひだ」は1号~8号までありましたが、美濃太田駅での並びはこの1号と2号が唯一でした。

美濃太田で特急「ひだ」の並びを撮影してから友人5人で2台の車に分乗して国道41号線を北上して高山本線の良さげな場所で撮影してるのですが、撮影場所が思い出せないです(笑)

f:id:okinawa-rail:20260510222250j:imageそんな忘所を行く下りの急行「のりくら」です
急行「のりくら」は名古屋と高山、富山を結ぶ列車で、1985年3月ダイヤ改正では特急「ひだ」が飛騨古川止まりになったので、岐阜~富山間の高山本線を全線走破するのは急行「のりくら」だけになりました。

この場所でもっと撮ってると思ってたのですが、ネガを見るとこの「のりくら」の方には上りの「のりくら」1本だけでした。
f:id:okinawa-rail:20260510222335j:imageその上りの「のりくら」ですが、色が出ないのでモノクロにしてみました。

次はこちら
f:id:okinawa-rail:20260510222408j:image(山と渓谷社日本の鉄道5より)
中央線東中野~中野間の桜と菜の花です。
この書籍の他に数々の鉄道誌で東中野の桜と菜の花の写真を見て自分も撮ってみたいと思いましたけど相手は自然です、何時も同じタイミングで咲くとは限らないし、今と違って開花状況がネットで分かる時代ではないので、東京の桜は満開になったとのNHKの全国ニュースの報を頼りに行ってみるかと、初めて乗る国鉄東名ハイウェイバス「ドリーム号」で東京に向かいf:id:okinawa-rail:20260510222445j:image(Wikipediaより)
東京駅から中央線快速と各駅停車を乗り継いで4月5日(だと思う)早朝の東中野駅に降り立ちました。
改札口を抜けてちょっと冷たい朝の風を感じながら咲いてるかな?とドキドキしながら桜並木に到着するとそこには春霞がない青空をバックにした満開の桜と黄色い菜の花が咲く素晴らしい光景が拡がってました。

f:id:okinawa-rail:20260510222522j:image甲府行き535Mだと思われます。
中央東線の東京~高尾間は201系(あとで出てきます)が数分間隔で走る国電区間で、115系の中距離列車は立川始発で、新宿始発は早朝と夜遅くの数える程でした。
編成も通勤輸送は担ってないので最大6両編成で、上野口みたいな15両編成にはならなかったです。f:id:okinawa-rail:20260511002824j:imagef:id:okinawa-rail:20260511002850j:image川口を通過する上野行きで編成全体が写ってないので今一つ伝わらないですが、7両+4両の11両編成、若しくは7両+4両+4両の15両編成です。
f:id:okinawa-rail:20260510222628j:image急行アルプス1号、こまがね1号だと思われます。
だと思われますってのは、当時は撮影時間を記録する習慣がないので、はっきりとした列車名が分からないので、光線具合と微かな記憶を頼りに当時の時刻表からの推測だからで、このあとの写真も光線具合と微かな記憶頼りの推測です(笑)

東京行きの201系快速です。
撮影当時の201系には電照式の種別表示器が付いて無いので、201系本来のすっきりとした顔です休日運転のホリデー快速の送り込み回送だと思われます。中央快速線の201系ですが、ヘッドマークが付いてるのと、行き先の文字数が多いので、青梅、五日市線に直通する休日運行の特別快速「おくたま」でしょうか。特急あずさ3号だと思われます。
ネガを見るとこの「あずさ」で撮影は終わって、他にネガも無いので、この場所からは引き上げた様ですが、あずさ3号が最後だとすると8時過ぎには東中野を離れてますね。
この後は東急田園都市線の二子玉川駅付近を歩いた記憶が微かにあるだけで、他は全く記憶が無いです。

二子玉川までどこで何してたのやら?

そもそもなんで二子玉川に行ったんだろ?
当時の自分の行動謎過ぎです(笑)
…と書いていてなんとなく思い出しました。
東急大井町線にも桜と電車を絡めて撮れる場所があるのを鉄道誌で見て、東京に来たついでにそれも撮ろうと大井町線に乗って車窓を見ながら探してたんだ。
で、等々力付近にそれは見事な線路を覆う桜のトンネルがあったのですが、写真は勿論、ネガも無いので、どうやらそこには行ってない様です。
その桜のトンネルは駅から離れていて、歩く距離があるっぽいので、夜行バスであんまり寝てない事もあって急に疲れ行く気が失せたんじゃないかな?

撮影から今年で40年シリーズ、特急「ひだ」と東中野の桜と菜の花、最後までご覧頂きありがとうございます。
微かな記憶頼りに書いてるので、違ってるかもですが、春になり暖かくなると共に鉄活を始めた様で仙台、松島旅行から3週連続で撮り鉄(当時そんな言葉ありません)してたのは自分でもビックリしてます。

次の撮影から今年で40年シリーズは武豊線に走ったSL1世紀号になります。
こちらは既に写真と記事も用意してあるので(ぶっちゃけInstagramからの流用です)明日にでもUp出来ると思います。

多分(笑)

それでわぁ~

日曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1986年春先の杜の都と松島

お久しぶりです。
前回の更新が1月17日だったので2ヶ月放置してましたね。

この間何してたかは、単に書く暇がなかったからだったりします。

え!?うちのブログにコメント書いてたよね?って思う方もいらっしゃるでしょうが、余所様のブログ閲覧する暇はあっても、記事考えて資料で整合性を検証して、写真も用意しながら自分のブログ書く暇はなかったんですよ。

そんなブログ放置した言い訳はこれくらいにして、今日の本題に行きましょう。

f:id:okinawa-rail:20260322173434j:imageいきなり貼ったのはかつて国鉄が発売していた南東北ワイド周遊券です。
今から40年前の3月は21日から23日まで3連休だったので、旅行で仙台と松島に行ってるので、この周遊券はその時に使った物です。

ホント何でも残してあるなぁ(笑)

因みに使用開始日が3月20日になってますが、この日は木曜日で仕事だったので、2時間の残業を終えて帰宅後すぐに出発した記憶が微かにありますが、名古屋から何に乗ったのかは曖昧です。

春休みも始まる時期なので名古屋0時10分発の14系座席車の急行銀河52号f:id:okinawa-rail:20260322174034j:image(14系座席車のイメージなので列車名が違うのは気にしないで)
が運転されていたらおそらく乗ってますが、22時04分発の最終の「こだま」で豊橋まで行ってそこから東京行き普通340M(当時名古屋発21時43分発でした)に乗った覚えも微かにあるので、どっちだったかなぁ?f:id:okinawa-rail:20260322174219j:image(340Mのイメージです)

さて、この仙台、松島旅行では未乗だった東北本線の郡山~岩沼間に乗る事も目的の一つだったので、上野から新特急なすの1号で黒磯に向かい、黒磯からは仙台まで普通列車でした。

f:id:okinawa-rail:20260322174327j:image黒磯駅に停車中の新特急なすのです。
新特急は1985年3月ダイヤ改正で東北、高崎線に登場し特急で、グリーン車のみ指定席で普通車は全席自由席で、特急料金も
50キロまで500円(通常600円)
100キロまで800円(通常1000円)
150キロまで1200円(通常1600円)
200キロまで1500円(通常1900円
と割安で、急行では利用出来なかった定期券でも利用可能な新形態の列車でした。
車両は新幹線リレー号f:id:okinawa-rail:20260322180440j:imageの廃止で余剰になった185系200番台で、当時の座席はフカフカな座り心地の転換クロスシートだったので(絶版した鉄道ジャーナル別冊No.15より加工して引用)
向かい合わせ4人掛けのボックスシートよりは快適でしたが、停車駅は列車によっては前身の急行なすのより増えてるので、体の良い値上げ感は拭えなかったです。f:id:okinawa-rail:20260322174425j:imagef:id:okinawa-rail:20260322174446j:image黒磯駅に停車中の129M福島行きの715系1000番台です。
東北本線の普通列車の多くは旧型客車による客車列車で運行されていたので、これを電車化する為に583系f:id:okinawa-rail:20260322180618j:imageから改造されたのが715系1000番台です。
12両の長編成を4両の短編成化すると、先頭車が足らないので、サハネ581に運転台ブロックを取り付けて先頭車化改造を行いましたが、改造工事の簡略化の為か、運転台は二階式ではなくて、平屋でクモユニ74f:id:okinawa-rail:20260322180529j:image由来の平妻非貫通型で細長い窓の高運転台になりましたが、583系独特の車体断面から異様な顔になりました。
ところで、1枚目と2枚目とでは色調が違いますが、これは2枚目がプリント時の露光不足で白くすっ飛んではいますが、クリームの色調が、登場時の黄色っぽいクリーム1号から白っぽいクリーム10号に変更されたからです。
撮影時はその過渡期でトリミング再掲ですがf:id:okinawa-rail:20260322184229j:image福島方4両がクリーム1号、f:id:okinawa-rail:20260322184252j:image上野方4両がクリーム10号でした。

この旅行ではまだ恒例の手書きの行程表は書いてないので詳しい行程は分からないから微かな記憶と当時の時刻表を頼りに書いてますが、その時刻表を見るとf:id:okinawa-rail:20260322184819j:image(7月号ですが時刻は同じです)
129Mで福島に向かい、福島で仙台行き普通に乗り継ぐのですが、福島駅で列車を乗り換えた記憶がないので、この編成が福島で列車番号を変えながら仙台まで直通してたようです
f:id:okinawa-rail:20260322185054j:image黒磯駅6番線に到着したED75 97号機牽引の貨物列車です。
ワムハチと呼ばるワム80000オンリーで組成された列車なので、東京の飯田町にあった紙流通センターに印刷用紙を輸送する紙列車でしょうか。
このカットには写ってませんが、直流電車が停車してる傍らで、赤べこと呼ばれる赤い機関車ED75が見られるのは日本で唯一交流と直流の切り替えが地上で行われて、駅構内で交流と直流が混ざり合う黒磯駅ならではですね。
日本で唯一の交直地上切り替えの仕組みについて書こうと思いましたが長くなるので止めました(笑)

黒磯から3時間53分かけて杜の都、仙台に到着しましたf:id:okinawa-rail:20260322185141j:image(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
これまでの旅行は主に列車に乗る「乗り鉄」でしたが、この旅行から観光地巡りも始めたので、仙台駅から宮城交通のバスで青葉城に向かいました。
因みに宮城交通は名鉄系列で、車体色も名鉄バスと同じ赤白塗装だったので、名古屋住みには馴染み深かったです。f:id:okinawa-rail:20260322191414j:image(Wikipediaより 今世紀の画像ですが塗装パターンは当時と同じです)
f:id:okinawa-rail:20260322191452j:image伊達政宗像
f:id:okinawa-rail:20260322191523j:image何かしらの記念碑でしょうか
f:id:okinawa-rail:20260322191606j:image誰かしらの胸像
f:id:okinawa-rail:20260322191659j:image山々の形がユニークだったのでパチリと。
ネットで調べたら七つの山々が密集してる通称七ツ森だとか。
f:id:okinawa-rail:20260322191741j:image広瀬川と仙台市街地
f:id:okinawa-rail:20260322191812j:image市街地の奥に発電所?が太陽光で輝いてました。
f:id:okinawa-rail:20260322191844j:imageこちらも仙台市街地です。

青葉城は仙台駅から近かったのですが、バスを乗り間違えたので途中で降りて歩いて青葉城まで行ってるので、ゆっくりと見れなかった記憶が薄らと残ってますね。

青葉城を見た後はホテルにチェックインしてるのですが、その後の記憶はないです。
夜の街に遊びに行く…はずないので、ホテルのレストランで夕食を食べて寝たかな?

さて、翌日は7時近くにチェックアウトしてます(笑)

そんな早くにチェックアウトしたのは今回の旅行の最大の目的である高校の修学旅行で訪れていて、その時からもう1度ゆっくりと訪れてみたいと思っていた松島に行く為ですが、その前にもう一つの目的の東北本線の未乗区間である利府支線に乗る為だったからです(画像はありません)
利府支線がなんたるかは書くと長くなるので省略(書くのが面倒くさいとも言う)しますが、支線だけあって運転本数が少ないので利府まで乗った電車で折り返してるはずです。
当時の時刻表を見ると仙台7時23分発、利府7時41分着。利府7時55分発、仙台8時13分着があるので、多分このパターンでしょう。
仙台からは仙石線で松島に向かいますが、仙石線の電車はスカイブルーの103系でf:id:okinawa-rail:20260322233127j:image(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
普段通勤で利用してる中央西線の103系f:id:okinawa-rail:20260322233200j:imageと同じなので、遠くに来た気がしなかったですね(笑)
松島海岸駅f:id:okinawa-rail:20260322233233j:image(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
に到着した後は松島湾内の遊覧船に乗船してるのでその時に撮影した湾内の松が生えてる岩の写真をキャプション無しで貼り付けておきましょうf:id:okinawa-rail:20260322233459j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233521j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233541j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233605j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233629j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233654j:image2011年3月11日に発生した東日本大震災では、松島湾内にも津波が襲来しての島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生しましたが、津波は浅い湾内に入ると急激にエネルギーを失うので、軽微な被害で済んだそうです。

松島湾内巡りの後は国宝で伊達政宗の菩提寺の瑞巌寺に行ってますf:id:okinawa-rail:20260322233840j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233910j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233937j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233959j:image高校の修学旅行で訪れた時の瑞巌寺境内は松並木とかが立派だった印象が残ってましたが春先なので枯れてました。
f:id:okinawa-rail:20260322234156j:image拝観を終えて出た瑞巌寺の門(だったと思う)ですが古色蒼然として萌え(当時そんな言葉ありません)ました。
ところで瑞巌寺に入った所でガイドは如何ですか?と言われましたが、一人だったし有料(だったかな)なので断りましたが、団体拝観者の後に付いてしっかりとガイドを聞いてました。
聞こえて来るんだもん仕方ないじゃない(笑)

1986年春先の杜の都と松島は以上です、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後にこちらを貼って閉めましょう。
f:id:okinawa-rail:20260322234451j:image日本エアシステムのDC-9-41で、纏ってるカラーは前身の東亜国内航空のレッド&グリーンです。
今回の記事とは関係ないように思えますが、松島から仙台に戻った後は東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで名古屋に帰るのですが、まだ乗った事がなかった飛行機で帰ろうかな?とも思っていて、空路なら東亜国内航空、後の日本エアシステムの仙台~名古屋線で、機材がDC-9だったので空路にすればよかったなと後悔してます。

それでわ~