今日の名古屋は昼から雨が降り出して、梅雨らしい天気でしたね。
って何しれっと今日の天気を書いてんだか(笑)
改めまして、お久しぶりです。
色々とやる事がありまして、余所様のブログにコメント書くけど、自分のブログにまでは手が回らずに、丸っと1ヶ月放置してしまいました。
まぁブログのタイトルに違わないって事でご了承下さいまし。
さて、今日も過去鉄で、撮影から今年で40年シリーズで、今回は1986年6月から7月にかけての名鉄電車です。
撮影場所毎に貼っていきますが、撮影順ではない事だけはご承知おき下さいませ。
何せ撮影場所があっちで4枚、こっちで2枚と纏まってなくて、撮影当時の記憶がないので、なんでこんな移動したのか、あるいはそれぞれ違う日なのか分からないんですよね。
ネガ見て頭抱えました(笑)
さ、前置きはこれくらいにしてサクサクっと貼っていきましょう。
そうそう、今回も写真とネガスキャンの混合で画質と色に纏まりがないのはご了承下さいまし。
ではまずはこちらから
犬山線の犬山橋を渡る8800系パノラマDXです。
パノラマDXはハイデッキ展望室やパーテーションで仕切られたリクライニングシート装備の2人用、4人用、6人用区分室(画像は省略します)を備えた観光特急用として1984年に登場しました。
そのハイデッキ前面展望室構造はパノラマスーパーの原型になり
(1988年11月 島氏永カーブ)
更には国鉄北海道のアルファコンチネンタルエクスプレスにも波及しました。
(1987年5月 札幌駅)
車両は上から下まで完全な新製車ではなくて制御器などの電装品はパノラマカー1、2次車の中間車からの流用ですが、台車は種車のFS335の
(Wikipediaより)
ベローズ式空気バネでは、ハイデッキ構造で重心が高い事から増大した左右動を吸収出来ないので、左右動の吸収に優れたダイヤフラム式の空気バネを持ち、斬新なデザインの車体に似合うSミンデン台車FS384を
(Wikipediaより)
7000系8、9次車の中間車と7700系7713Fから転用して、台車を供出した車両には空気バネを格納してた台枠の大穴を鉄板で塞いでそこに種車のベローズ式の空気バネを直結させてFS335台車を履かせるかなり手間がかかる台車振り替えを行ってます。
デビュー当時は2両編成でしたが、1989年にはサロンコーナーを備えた中間車サ8850を組み込んで、3両編成になりました
(1989年8月犬山橋)
1次車2編成と展望室にワイパーを備えた2次車2編成の全4編成ありましたが、バブル崩壊の景気後退で観光需要が減少したので、団体用に1編成残して他の3編成は中間車を普通座席に改装して西尾特急で活躍してましたが、空港線が開業した2005年1月29日ダイヤ改正で全車引退しました。
観光バスに思いっきり被られますが鵜沼から国鉄高山本線に乗り入れて富山まで行く特急北アルプスです。
犬山橋は道路と鉄道の併用橋で、犬山は観光地で観光バスも多いのでバスに被られるのは宿命でした。
ところでパノラマDXみたいな車両解説してませんが、それは書くのが面倒…いやいや、パノラマDXは後で貼る車両との絡みとの兼ね合いで書いてるだけなので、北アルプスの車両解説は今回は見送ります。
場所が変わって名古屋本線の呼続~桜 間の跨線橋からです。
呼続駅方向を見ています。
小さくて分かりにくいですが、上り線を呼続を通過した7000系パノラマカーが笠寺台地へ駆け上がってます。
上のカットを撮影したのとは反対側です。


町工場や住宅が混在してる典型的な下町の中を赤い電車が駆け抜けて行きます。
街並みは今でもあまり変わりませんが、町工場は操業を止めて廃業、住宅に変わってる所もあるようです。
風景写真なので車両の解説は省略しますね←書くのが面倒くさいとも言う(笑)
跨線橋から降りて来ました。
今では見る事がない6000系の豊橋行きの急行です。
増備の度にマイナーチェンジしてた6000系ですが、1979年7月に製造された4次車は行き先表示器の大型化と乗降扉窓の大型化に、車内貫通扉は片開きなど、前年に製造された100系
(1993年8月 岩倉駅)
の仕様がフィードバックされてるので、個人的には“6100系”と呼んでます。
6000系は普通列車用として製造されてるので、ギア比は6.1で最高速度は100km/hなので、性能を越えた走りを強いられる本線の急行運用では、モーターが悲鳴を上げてます。
6000系の最終増備グループの10次車6051Fです。
9次車からは車体が6500系と同じ車体になって正面は鉄仮面と呼ばれる非貫通スタイル
(1988年11月 島氏永カーブ)
側面は乗降扉の配置を変更したので、乗務員室扉と乗降扉の間の窓がなくなりました。
上の1、2枚目共に車体の一部を切り取った大胆なアングルですが、初めて行った撮影場所なのでアングルに迷いが出て、原版では1枚目は画面の左側2/3が切り通しの雑草生い茂る法面で、2枚目も右側に雑草が目立つので、それらをカットした結果なのを白状します。
で、その原版をChatGPT(以下チャッピーと称する)で高画質化しましたが、文字、数字が判別出来なかったようで、
こちらは種別の[急]が象形文字に、
こちらは型式が8051になってます(笑)
ところで、この場所は土手の上に大きな桜の木があって春になると素敵な写真が撮れるので、暫くは春になると通ってましたね
(1992年4月)
堀田駅に移動しました。
敢えて斜めな大胆なアングルで撮影した3800系の豊明行きの普通列車です。
3800系は1948年(昭和23年)の岐阜~豊橋間の直通運転に備えて製造された車両で、製造当時は終戦後の物資不足で、私鉄の車両製造にあたり運輸省が車体寸法や、モーター、制御器、パンタグラフなどの使用機器について細かく規格を制定していて、その規格に基づいて製造されたので運輸省規格型と呼ばれていました。
1948年から翌49年にかけてモ3800とその相棒ク2800双方合わせて71両が製造されて、パノラマカーが製造されるまでは名鉄の一大勢力を誇ってましたが、戦後の物資不足の時代に製造されてるので痛みが早く、1962年から外板の張り替えやウィンドシルと呼ばれる窓下の補強帯の埋め込みに、窓枠のアルミサッシ化、運転台の高運転台化などの重整備を受けてます。
1960年代後半頃から一部の車両は富山地方鉄道や
(1983年1月 貫通扉の埋め込みとヘッドライトは左右2灯化されてます)
大井川鐵道(画像はないです)に譲渡されたり、1971年には吊り掛けパノラマカーと呼ばれた7300系
(1990年4月)
の種車になったりして半数近くが姿を消して、残った車両も6000系や6500系の増備に伴い数を減らして、最後まで残った3827Fが1989年9月に引退して系式消滅しました。
チャッピーでダークグリーンにしました。
原版のピントが合ってるので文字や数字も読み取れるので、違う行き先にしたり、違う型式にはしないだろう…と思ってたら行き先は良いのですが、型式が3521になってました(笑)
書体がきちんとローマン書体なだけに惜しい!
ところで、スカーレット1色になる前の名鉄の旧型車の塗色は、ロングシート車はダークグリーン、転換クロスシート車はストロークリームにスカーレットの帯を纏っていて、3800系は転換クロスシート化が進んでいて、ロングシートで残った車両は1971年までに富山地方鉄道に譲渡されたり、7300系の種車になって姿を消してるので、私は世代的にダークグリーンの3800系を見た記憶がないので、3800系をダークグリーンにしておきながら、今一つ実感が湧かないです(笑)
ついでにストロークリームとスカーレット帯の3800系も貼っておきます
(1977年9月 金山橋)
この塗装の現役時代を見てるので、6000系に復刻した塗装は帯の幅が狭くて違和感があります。
(2025年11月 本星崎)
イモムシと呼ばれた3400系です。
3400系は名古屋本線の東半分の東部線の特急用として1937年に製造されました。
製造当時世界的に流行してた流線形を採用した張り上げ屋根の美しい車体で、前面の窓ガラスも車体の曲線に合わせた曲面ガラスを採用して、空気抵抗を減らす為に連結部は全周ホロで覆われて床下もカバーが取り付けられた優美なスタイルで、性能面でも東部線の車両では初めての自動進段制御器を備えて1937年当時では活気的な回生ブレーキを試用する“高性能”な車両でした。
1967年から車体更新が行われて、全周ホロは外されましたが、前面は3枚窓から大型曲面ガラスの連続窓になり、スカートも残されたので優美さは失われませんでしたが、1984年頃に他のAL車と連結する為にジャンパ線と空気ホースが付けられたので、優美なスタイルが崩れてしまいました。
この写真、原版は横構図で余白が多過ぎるので余白をカットして縦構図にしたらピンボケが目立ったので、チャッピーで補正しましたが、右上の出発信号機の[出発]の文字が判別出来なかったようで象形文字で誤魔化されました(笑)
3900系の蒲郡行き急行です。
3900系は名古屋本線の特急用として1952年(昭和27年)に登場しました。
登場時はモ3900+ク2900の2両編成でしたが、後に中間にサ2950+モ3950を組み込んで4両編成になりましたが、編成の美観を考慮して中間電動車モ3950にはパンタグラフ搭載されずに、ク2900に搭載されました。
この3900系は全4編成が製造されましたが、ラストの第4編成は製造時から両端をク2900とした4両編成で、機器類も分散配置される等、後に製造される初代5000系
(Wikipediaより)
の試作要素が強かったようです。
この3900系は重整備は受けてないので、オールドロマンスカーと呼ばれた旧性能特急用車両3400系、3850系(画像はない)3900系の内で最も早く引退が始まり、1985年11月に第4編成3904Fが瀬戸線の6650系
(1990年7月 旭前~尾張旭)
の種車になって引退。残りの3編成は2代目3300系
(1987年10月 豊明~富士松)
の種車になって1987年3月31日までに引退してます。
チャッピーでストロークリームにスカーレットの帯塗装に似せてみました。
前面の帯のカットのラインが逆なのは3回トライしても直らないし、これ以上トライするとチャッピーさんが拗ねて利用制限かけて、直ぐに解除したけりゃ課金しなと言ってくるので諦めました(笑)
3900系の蒲郡行き急行を追い越す豊橋行き高速です。
高速は急行の上位種別で、現在の全車一般席特急に相当します。
かつて名鉄には料金不用の特急と指定席料金が必要な座席指定特急の二つの特急がありましたが、座席指定特急は専用車両で運行されてる訳ではなかったので、お客様から違いが分からないとの声が多くなったので、1977年春のダイヤ改正から特急は全て有料の指定席として、料金不用の特急は新たな種別を設定、それが[高速]です。
その[高速]の7000系は車番は読み取れませんが、クーラーが白いFRP製キセ(カバー)のRPU2208を装備して、台車はSUミンデン式のFS384を履いてるので、1974年6月に製造されて、編成としては最後の製造となった8次車です。
その8次車は7045Fと7047Fの2本でしたが、7047Fは撮影した前年に製造されたパノラマDX1次車の製造に伴う7000系の編成組み換えで3号車と4号車は編成から外されて、パノラマDXの種車として廃車された7013Fの3号車と4号車の代替車として7013Fに組み込まれ、残りの4両は白帯を纏った特急専用の白帯車になってるので、このパノラマカーは7045Fだと分かります。
余談ですが7045Fも翌年にはパノラマDX2次車製造と第2次特急専用車両整備に伴う書くのが面倒な7000系の複雑な編成組み換えで中間の3号車と4号車が、両開きドアを持つ9次車7050系100番台の
(Wikipediaより)
モ7103+モ7102に変わるので、このカットは8次車だけで編成を組んでる7045Fを記録した唯一の写真になりました。
ところで7000系パノラマカーの運転台は2階式なので、車両基地での地上から運転台への登り降りは落下の危険があるので、平屋の運転台にして欲しいとの現場からの要望で、7000系の増備は1971年1月製造の7次車(あとで出てきます)で終了して1973年には平屋の運転台で、分割併合を考慮して正面に貫通扉を持った7700系
(1989年6月)
が製造されましたが、7700系デビュー直後に試乗したパノラマカーの発案者で当時の名鉄会長の「これは何処の電車か」の声に車両設計陣がビビって翌年から再び2階式運転台に展望室がある7000系8次車の製造に至った逸話があります。
豊橋行き急行です。
堀田駅は地上線時代は島式ホーム2面の2面4線で緩急接続が出来ましたが、高架化された際に2面4線ですが、ホームは相対式で中2線がホームが無い通過線なので、急行停車駅ですが緩急接続が出来なくて、撮影時は鳴海まで普通列車が先行してました。
停車してるのは7000系で、運転台窓の形状とクーラーは国鉄のAU12と同型のTAC15-T2-21を装備してるので2次車です。
この2次車は6両固定編成で製造されましたが、7000系の度重なる編成変更で中間の3号車と4号車にはオリジナルのモ7150系奇数番+モ7050系偶数番ではなくて、扉がラッシュ対策で両開き扉になったモ7050系100番台に入れ替わってます。
更には2次車は特別保全工事が施行された際に行き先表示板が自動巻き式の方向幕に交換されましたが、従来の行き先表示板よりも高い位置に取り付けられた車両がありました。
それらを踏まえると3号車と4号車にモ7050系100番台を組み込んで、方向幕が高い位置に取り付けられてるので、この7000系は7007Fか7009Fと推測できます。
最後部のモ7000の車番をルーペで文字通り目を皿の様にして確認すると下1桁が[0]に見えるので最後部がモ7010なら7009Fですね。
実にどーでも良い事ですが、マニアには長ったらしいキャプションを書いてしまうほど気になるのです(笑)

堀田駅の通過線を走る豊橋行き特急です。
名鉄は1977年春のダイヤ改正で特急は全て有料になりましたが、専用車両は無くて、座席のモケットが赤いパノラマカーが優先的に特急に運用されてる程度でした。
しかし、国鉄が1982年春から名古屋本線と並行する東海道本線の快速にパノラマカーと同等の座席を持つ117系
(1983年9月 熱田~名古屋)
を投入すると発表したので、名鉄はそれに対抗して座席を個別の枕カバーが付いた座り心地が良い座席に交換、通路には絨毯を敷き、車体には上級車を表す白帯を纏った特急専用車両を整備しました(車内の画像はありません)
撮影当時7000系の特急専用車両は12本あって写真の車両は最初に特急専用車両として整備された5本の中の1本、7039Fで、クーラーがFRP製のキセを持ったRPU2208に変更された7次車です。
特急専用車両の中ではRPU2208クーラーを装備してたのは少数派で、7039Fの他には同じ7次車の7041Fと、8次車の7047Fの3本だけでした。
余計な事を書き過ぎて長~くなった1986年6月~7月で名鉄、最後まで我慢してお読み頂きありがとうございます。
次の撮影から今年で40年シリーズは、EF50復活運転と碓氷峠と上田電鉄丸窓電車になります。
今月末なので、写真と記事を用意するのも容易なので、日にち合わせで公開出来る?
って疑問なのかよ(笑)
それでわ~