気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

日曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1986年春先の杜の都と松島

お久しぶりです。
前回の更新が1月17日だったので2ヶ月放置してましたね。

この間何してたかは、単に書く暇がなかったからだったりします。

え!?うちのブログにコメント書いてたよね?って思う方もいらっしゃるでしょうが、余所様のブログ閲覧する暇はあっても、記事考えて資料で整合性を検証して、写真も用意しながら自分のブログ書く暇はなかったんですよ。

そんなブログ放置した言い訳はこれくらいにして、今日の本題に行きましょう。

f:id:okinawa-rail:20260322173434j:imageいきなり貼ったのはかつて国鉄が発売していた南東北ワイド周遊券です。
今から40年前の3月は21日から23日まで3連休だったので、旅行で仙台と松島に行ってるので、この周遊券はその時に使った物です。

ホント何でも残してあるなぁ(笑)

因みに使用開始日が3月20日になってますが、この日は木曜日で仕事だったので、2時間の残業を終えて帰宅後すぐに出発した記憶が微かにありますが、名古屋から何に乗ったのかは曖昧です。

春休みも始まる時期なので名古屋0時10分発の14系座席車の急行銀河52号f:id:okinawa-rail:20260322174034j:image(14系座席車のイメージなので列車名が違うのは気にしないで)
が運転されていたらおそらく乗ってますが、22時04分発の最終の「こだま」で豊橋まで行ってそこから東京行き普通340M(当時名古屋発21時43分発でした)に乗った覚えも微かにあるので、どっちだったかなぁ?f:id:okinawa-rail:20260322174219j:image(340Mのイメージです)

さて、この仙台、松島旅行では未乗だった東北本線の郡山~岩沼間に乗る事も目的の一つだったので、上野から新特急なすの1号で黒磯に向かい、黒磯からは仙台まで普通列車でした。

f:id:okinawa-rail:20260322174327j:image黒磯駅に停車中の新特急なすのです。
新特急は1985年3月ダイヤ改正で東北、高崎線に登場し特急で、グリーン車のみ指定席で普通車は全席自由席で、特急料金も
50キロまで500円(通常600円)
100キロまで800円(通常1000円)
150キロまで1200円(通常1600円)
200キロまで1500円(通常1900円
と割安で、急行では利用出来なかった定期券でも利用可能な新形態の列車でした。
車両は新幹線リレー号f:id:okinawa-rail:20260322180440j:imageの廃止で余剰になった185系200番台で、当時の座席はフカフカな座り心地の転換クロスシートだったので(絶版した鉄道ジャーナル別冊No.15より加工して引用)
向かい合わせ4人掛けのボックスシートよりは快適でしたが、停車駅は列車によっては前身の急行なすのより増えてるので、体の良い値上げ感は拭えなかったです。f:id:okinawa-rail:20260322174425j:imagef:id:okinawa-rail:20260322174446j:image黒磯駅に停車中の129M福島行きの715系1000番台です。
東北本線の普通列車の多くは旧型客車による客車列車で運行されていたので、これを電車化する為に583系f:id:okinawa-rail:20260322180618j:imageから改造されたのが715系1000番台です。
12両の長編成を4両の短編成化すると、先頭車が足らないので、サハネ581に運転台ブロックを取り付けて先頭車化改造を行いましたが、改造工事の簡略化の為か、運転台は二階式ではなくて、平屋でクモユニ74f:id:okinawa-rail:20260322180529j:image由来の平妻非貫通型で細長い窓の高運転台になりましたが、583系独特の車体断面から異様な顔になりました。
ところで、1枚目と2枚目とでは色調が違いますが、これは2枚目がプリント時の露光不足で白くすっ飛んではいますが、クリームの色調が、登場時の黄色っぽいクリーム1号から白っぽいクリーム10号に変更されたからです。
撮影時はその過渡期でトリミング再掲ですがf:id:okinawa-rail:20260322184229j:image福島方4両がクリーム1号、f:id:okinawa-rail:20260322184252j:image上野方4両がクリーム10号でした。

この旅行ではまだ恒例の手書きの行程表は書いてないので詳しい行程は分からないから微かな記憶と当時の時刻表を頼りに書いてますが、その時刻表を見るとf:id:okinawa-rail:20260322184819j:image(7月号ですが時刻は同じです)
129Mで福島に向かい、福島で仙台行き普通に乗り継ぐのですが、福島駅で列車を乗り換えた記憶がないので、この編成が福島で列車番号を変えながら仙台まで直通してたようです
f:id:okinawa-rail:20260322185054j:image黒磯駅6番線に到着したED75 97号機牽引の貨物列車です。
ワムハチと呼ばるワム80000オンリーで組成された列車なので、東京の飯田町にあった紙流通センターに印刷用紙を輸送する紙列車でしょうか。
このカットには写ってませんが、直流電車が停車してる傍らで、赤べこと呼ばれる赤い機関車ED75が見られるのは日本で唯一交流と直流の切り替えが地上で行われて、駅構内で交流と直流が混ざり合う黒磯駅ならではですね。
日本で唯一の交直地上切り替えの仕組みについて書こうと思いましたが長くなるので止めました(笑)

黒磯から3時間53分かけて杜の都、仙台に到着しましたf:id:okinawa-rail:20260322185141j:image(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
これまでの旅行は主に列車に乗る「乗り鉄」でしたが、この旅行から観光地巡りも始めたので、仙台駅から宮城交通のバスで青葉城に向かいました。
因みに宮城交通は名鉄系列で、車体色も名鉄バスと同じ赤白塗装だったので、名古屋住みには馴染み深かったです。f:id:okinawa-rail:20260322191414j:image(Wikipediaより 今世紀の画像ですが塗装パターンは当時と同じです)
f:id:okinawa-rail:20260322191452j:image伊達政宗像
f:id:okinawa-rail:20260322191523j:image何かしらの記念碑でしょうか
f:id:okinawa-rail:20260322191606j:image誰かしらの胸像
f:id:okinawa-rail:20260322191659j:image山々の形がユニークだったのでパチリと。
ネットで調べたら七つの山々が密集してる通称七ツ森だとか。
f:id:okinawa-rail:20260322191741j:image広瀬川と仙台市街地
f:id:okinawa-rail:20260322191812j:image市街地の奥に発電所?が太陽光で輝いてました。
f:id:okinawa-rail:20260322191844j:imageこちらも仙台市街地です。

青葉城は仙台駅から近かったのですが、バスを乗り間違えたので途中で降りて歩いて青葉城まで行ってるので、ゆっくりと見れなかった記憶が薄らと残ってますね。

青葉城を見た後はホテルにチェックインしてるのですが、その後の記憶はないです。
夜の街に遊びに行く…はずないので、ホテルのレストランで夕食を食べて寝たかな?

さて、翌日は7時近くにチェックアウトしてます(笑)

そんな早くにチェックアウトしたのは今回の旅行の最大の目的である高校の修学旅行で訪れていて、その時からもう1度ゆっくりと訪れてみたいと思っていた松島に行く為ですが、その前にもう一つの目的の東北本線の未乗区間である利府支線に乗る為だったからです(画像はありません)
利府支線がなんたるかは書くと長くなるので省略(書くのが面倒くさいとも言う)しますが、支線だけあって運転本数が少ないので利府まで乗った電車で折り返してるはずです。
当時の時刻表を見ると仙台7時23分発、利府7時41分着。利府7時55分発、仙台8時13分着があるので、多分このパターンでしょう。
仙台からは仙石線で松島に向かいますが、仙石線の電車はスカイブルーの103系でf:id:okinawa-rail:20260322233127j:image(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
普段通勤で利用してる中央西線の103系f:id:okinawa-rail:20260322233200j:imageと同じなので、遠くに来た気がしなかったですね(笑)
松島海岸駅f:id:okinawa-rail:20260322233233j:image(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
に到着した後は松島湾内の遊覧船に乗船してるのでその時に撮影した湾内の松が生えてる岩の写真をキャプション無しで貼り付けておきましょうf:id:okinawa-rail:20260322233459j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233521j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233541j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233605j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233629j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233654j:image2011年3月11日に発生した東日本大震災では、松島湾内にも津波が襲来しての島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生しましたが、津波は浅い湾内に入ると急激にエネルギーを失うので、軽微な被害で済んだそうです。

松島湾内巡りの後は国宝で伊達政宗の菩提寺の瑞巌寺に行ってますf:id:okinawa-rail:20260322233840j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233910j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233937j:imagef:id:okinawa-rail:20260322233959j:image高校の修学旅行で訪れた時の瑞巌寺境内は松並木とかが立派だった印象が残ってましたが春先なので枯れてました。
f:id:okinawa-rail:20260322234156j:image拝観を終えて出た瑞巌寺の門(だったと思う)ですが古色蒼然として萌え(当時そんな言葉ありません)ました。
ところで瑞巌寺に入った所でガイドは如何ですか?と言われましたが、一人だったし有料(だったかな)なので断りましたが、団体拝観者の後に付いてしっかりとガイドを聞いてました。
聞こえて来るんだもん仕方ないじゃない(笑)

1986年春先の杜の都と松島は以上です、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後にこちらを貼って閉めましょう。
f:id:okinawa-rail:20260322234451j:image日本エアシステムのDC-9-41で、纏ってるカラーは前身の東亜国内航空のレッド&グリーンです。
今回の記事とは関係ないように思えますが、松島から仙台に戻った後は東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで名古屋に帰るのですが、まだ乗った事がなかった飛行機で帰ろうかな?とも思っていて、空路なら東亜国内航空、後の日本エアシステムの仙台~名古屋線で、機材がDC-9だったので空路にすればよかったなと後悔してます。

それでわ~

土曜日 雑談…スマホ機種変更

今日の名古屋の最高気温は16.3℃と暖かくて穏やかな一日でしたね(気象庁ホームページより)

それはともかく、スマホの機種変更しました。

これまで使ってたスマホのサポートが今年の2月で終了するので、不具合はたまにSDカードを認識しない程度ですが、ソフトウェアの更新対象外になるし、故障したら修理してもらえないので、購入を検討してた機種が家電量販店で1円セールしてた事もあって(笑)機種変更しました。

機種はarrows We2で(ディスプレイがモアレってるのは気にしないで)
これまでがarrows Be4なので廉価版arrowsの後継機種ですね。

データ移行は自分で行いましたが、電話帳や、ダウンロードした音楽(ほぼほぼアニソン)、未整理でデバイス側に入ってた写真やアプリはは移行出来ましたが、ブックマークまでは移行出来なかったですね。
まぁね、ブックマーク増え過ぎていて整理したかったので丁度良かったですよ。

操作性は同じarrowsなので違和感無いのですが、ディスプレイの発色がまるで違うのには驚きました。
Be4は全体的にマゼンタ気味で色調も深みがありましたが、We2はマゼンタ不足気味で青緑っぽくて、色調も浅いんですよ。
文字だけでは伝わりにくいので、We2とBe4を並べて撮ってみました左側がWe2、右側がBe4で、撮影した機材の都合で発色がマゼンタ気味なのでディスプレイの色は正確には再現されてないですが、色が違うのは伝わるかと。
これはおそらくBe4のディスプレイは有機EL、We2はTFT LCDなのでその違いからですが、ここまで違うと戸惑いも半端無いです。

これ、慣れるまでは時間かかるかもしれません。

ところで、先のWe2の壁紙や比較画像の中身が気になる方もいらっしゃるでしょうから、その中身も貼っておきましょう。冬晴れの昼下がりに、名鉄瀬戸線大森金城学院前に到着する4000系4011Fです。
前面非常扉左側の窓に何やらPR板が掲げられてるのに、今気が付きました(笑)
これ、なんでしょう?

この写真を撮影したのは昨年12月6日なので、Be4で撮影していて画像をWe2に転送したらこんな色になってました(笑)
なので1枚目は画像補正でBe4の発色に近づけてますが、この記事を閲覧してる方はディスプレイによって発色が違って来るので、ここまで書いておきながらですが、記事の内容がどこまで伝わるのか、さっぱり分かりません(笑)

機種変更したのは今週の月曜日で、以来ずっとWe2にかかりっきりで雑務が溜まってるので、明日にでも消化しようかと思ってましたが、明日は朝から町内会で持ち回りの公園清掃、それが終わったら正月飾りを持って地元神社の左義長に行ってから買い物なので、雑務が消化出来ません(笑)

それでわぁ~

日曜日 お正月休み終了

最大9連休の年末年始休みも今日で終わりですが、今年もなぁ~んにもしてなかったですね。

とは言え今年は珍しく初日の出が昇る前に起きたので、初日の出を見て来ました。

近所の河川敷からですが、太陽が昇る方向に高台があるので、名古屋市の標準日の出時刻より約20分遅いです(笑)堤防上にはススキが残ってたので、ススキと絡めてみましたが、初日の出と言うより、秋の夕陽と言った方が良いかも(笑)

因みに毎年、年末の疲れが出て元旦は初日の出が昇ってから起きてたので、初日の出を見たのは5年ぶりだったりします。

そんな初日の出ですが、今年は高架化された名鉄瀬戸線の喜多山駅に行こうかとか
小幡駅に隣接したアクロス小幡パーキングに行こうかとか考えてましたが、元旦は起きたのが6時30分なので、喜多山駅や小幡パーキングに行くのは諦めて近所の河川敷で見て、撮って来ました。

参考までに喜多山駅と小幡パーキングの写真を貼っておきましょう。

喜多山駅の瀬戸方先端です。
最近の写真はないので、上り線が高架化された直後の写真で代用してますが、初日の出は正面やや右側に昇ります。アクロス小幡パーキング5Fです。
夜景(笑)ですが、こちらも正面に初日の出が昇ります。

来年は行こうかなぁ。

初日の出以外では地元の神社に初詣に行っただけで、とにかくなぁ~んにもしてなかったです(笑)

(写真は撮らなかったので2年前の左義長前日に撮影したので代用)
この神社は参道からの眺めが良いですが初日の出は方向的には見えないです。
正面は名東区猪高台で、天白川水系と庄内川水系分水嶺になります。
緑区に住んでる友人はお前の所に行くには峠越えるからなぁ…と言いますが、強ち間違いではないです(笑)

そうそう、おみくじは小吉で、「他人の為に尽くせ、他人の世話をしろ」でした。

これ、毎日してる事ですよ。つまり普段と変わらぬ1年を過ごせって訳ですね。

 

さて、話題はガラッと変わりますが、今日から始まった大河ドラマの豊臣兄弟ですが、冒頭の豊臣兄弟の出身地、尾張の国、中村の映像を見て思わず中村にあんな山はねぇ!と声に出して突っ込んでました。

尾張の国中村は、今の名古屋市中村区で、そこは庄内川の東に拡がる平坦な場所で海抜は1~3メートルで、名古屋市の洪水ハザードマップでは最大3メートル浸水するくらいの低地なので(名古屋市洪水ハザードマップより)
山があるのはおかしいです。

仮に山が見えたとしても西側に養老山地が遠望出来るか、東側に後に名古屋城と城下町が築かれる熱田台地がありますが、熱田台地の標高は10~15メートルなので山と言うほど高くはないですし、豊臣兄弟の生誕の地と言われる現在の中村公園からは4kmはあるので、あんなに近くには見えないです。

一方で清州の城下町はちゃんと平坦な場所だったので、清州が平坦なら中村も同じように平坦だろ!とここでも突っ込んでました(笑)

いや、笑い事じゃないです。

大河ドラマ見て“聖地巡礼”する方もいるのだから、秀吉兄弟生誕の地の名古屋市中村区に来たら周囲に山はなくて、平坦な住宅地が拡がってるので、ガッカリしますよ。
森は400年経たら無くなりますが、山々は400年経ても変わりませんから。

時代考証はドラマの舞台の土地の形状も含めて行ってほしいです。

とは言え久しぶりの戦国武将物、しかも地元尾張の国がメインの舞台の大河ドラマなので、1年間楽しみです。

さぁ明日から日常が始まりますね。
今年も頑張ろ

それでは。

木曜日 あけおめ

あけましておめでとうございます。

午前0時20分現在の気温は4.2℃で寒いです。(気象庁ホームページより)

夜空には雲が拡がってますが、雲の隙間からシリウスでしょうか、白く輝くマイナス1等星が見えました。

 

あちこちのお寺で除夜の鐘が鳴ってます。

一昨年、去年の元旦にも書きましたが、最近は除夜の鐘の音ですら五月蝿いとお寺に苦情が来るそうですから世知辛い世の中になりました。


毎年ナガシマスパーランドでカウントダウン&ニューイヤーズパーティーが開催されてましたが、2024年を最後に開催終了してしまいました。https://www.nagashima-onsen.co.jp/spaland/info/cdend.html
自宅からナガシマスパーランドまでは約30kmありますが、午前0の時報と共に上がる花火の音がドドン! ドドドド~ン!!と聞こえて来るので毎年楽しみにしてたので、残念です。

因みに初めて聞いた際は地震の前の地鳴りか!?と思ってベランダの柵にしがみ付きましたから(笑)


さて、毎年新年最初のブログ更新は、はてなダイアリーから元旦未明に行ってるので、今年も未明の更新です。

しかも今日も昨年の元旦の記事の一部修正して流用してます(笑)

あ、冒頭の鏡餅は新規撮り下ろしですよ。


マジで(笑)


最近は更新がより滞りがちで、昨年の更新回数はなんと29回で、一昨年の35回を下回ってすけど、ブログのタイトル通りに気ままに思いつくままにが更新の基本スタンスですからね(笑)

こんなブログですけど、去年より1名増えて16名の読者の皆様、偶然訪問された読者様、今年もよろしくお願いいたします。

火曜日 雑談…大掃除終了

終わったぁぁぁ~!もうなぁ~んもやりたくないぃぃぃ!!

っていきなり何絶叫してんだか。

いやね、二日間に及ぶお家の大掃除が終了したのですよ。

毎年大晦日は何にもしなくてもいい…と言うかやりたくないので鬼のように掃除して、カレンダーも張り替えて鏡餅飾って新年を迎える準備はほぼ終わりました。

あとは明日スーパーで年越しそばに載せる海老の天ぷらを買うだけです。

さて、今年のブログ更新は今日で最後です。

今年も更新が滞りがちでしたが、お読み頂きありがとうございました。

来年も更新は滞りがちになると思いますが、宜しくお願いいたします。

土曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1985年夏敦賀機関区一般公開

今日の名古屋は師走らしく寒~い日でしたね。

そんな今日の天気とは全く関係ない撮影から今年で40年シリーズで、1985年夏、敦賀機関区一般公開です。

悪化した国鉄財政を立て直す一環で1984年頃から始まった国鉄の機関区一般は、益々活況になって、1984年の夏に続いて1985年の夏にも敦賀機関区の一般公開が行われました。
これらの機関区の一般公開、今は会員制で参加費用も財布から何人もの渋沢栄一さんが出て行ってしまいますが、国鉄時代は誰でも無料で機関区に入場出来ました。
では何で収入を得るのか?と言えば、遠方からの来場者が国鉄に支払う運賃、特急料金だったりしますが、1985年の夏頃にはマイカー持ちの友人が二人いて、その2台に分乗して名古屋から敦賀機関区まで行ってるので、国鉄には収入は入ってません(笑)

国鉄からしたら笑い事じゃあないです。

因みに1984年夏の敦賀機関区一般公開はこちらのブログに書いてありますので宜しければお読み下さいませ。

okinawa-rail.hatenablog.jp

さて、前置きはこれくらいにして敦賀機関区に行きましょうか。

でも先ずはこちらから(笑)敦賀機関区脇の小浜線を走る急行エメラルドです。
急行エメラルドは海水浴シーズンに名古屋から米原敦賀経由で小浜線の東舞鶴まで運転されてた、夏季多客臨時の急行です。
区間を走ってた名古屋、福井~大社間の急行「大社」の名古屋編成が海水浴シーズンに混雑するので、その救済列車として1968年から運転が開始された列車で、名古屋~西鹿児島間に運転された14系座席車の特急「金星」と共に、名古屋の夏の名物列車でした。14系座席車のイメージなのでテールマークが「奥飛騨」なのは気にしちゃダメです。

「エメラルド」は本家の急行「大社」の名古屋編成が1982年11月に廃止された後も運転は続いて、国鉄分割民営化後も残りましたが、1995年に廃止されました。
手書きの巨大なヘッドマークは85年頃から掲出されてましたが、個人的には違和感がありましたね。

寄り道はこれくらいにして敦賀機関区に入ります。

中央1灯式(ブタ鼻シールドビームに改造されてますが)ヘッドライトが特徴的なEF70の1次型13号機です。
13号機は1985年3月24日に走ったEF70さよなら列車で使用されたので、ヘッドマークもそのままで展示されてました。

ネガスキャンの汚いカットですが、寝台特急「あさかぜ」のヘッドマークを掲出して展示されてる二次型の45号機です。
EF70は当初は北陸トンネルを含む田村~福井間の貨物列車用で、北陸本線全線の旅客列車と福井以遠の貨物列車はEF70のD級版と言えるED74(使える写真がないです)が牽引する計画でしたが、北陸トンネル開業後の北陸本線の輸送量が予想以上に増えて輸送単位が1200トンに引き上げられたので、機関車を使い分けるよりEF70を北陸本線全線で使用した方が得策と判断されて、1964年から増備された2次型ではヘッドライトがシールドビーム2灯式になり、車体側面のフィルターの形状も変更されたので、車両形態が大きく変わりました。
「あさかぜ」のヘッドマークを掲出してますが、EF70は交直流電気機関車のEF81に追われて2次型の61~81号機が九州の門司機関区に転属してブルートレインを牽引してるので、展示機特有のなんちゃって牽引機じゃあないです。

EF70 1001号機です。
20系寝台車による(イメージです)
寝台特急日本海」牽引用として2次型の22~28号機が、20系寝台車牽引対応改造を施した1000番台1001~1007号機に改番されて、ナンバープレートがブロック式に変更されたので、顔の印象が変わりました。

ところで、国鉄の機関区一般公開、開催当初はどの会場でも単に機関車を並べてるだけでしたが、回を重ねる度に見せる工夫を施して、短い時間でヘッドマークを交換してくれて、この1001号機も寝台特急「北陸」や「さくら」のヘッドマークを掲出してました。

因みに、寝台特急「北陸」は直流と交流の電化区間を跨いで走るので、運転開始当初から直江津~金沢間は交直流電気機関車のEF81が牽引したのでEF70は「北陸」を牽引してません。
「さくら」に関しても先に書いてますが、門司機関区にはEF81に追われて敦賀機関区から転入した2次型がいるので、そこで「さくら」を牽引してますが、1000番台は転属してないので、なんちゃって牽引機です。

急行「きたぐに」のヘッドマークを掲出してるEF70 1002号機です。
急行「きたぐに」は大阪~新潟間の列車で1985年3月ダイヤ改正で14座席車+14系寝台車から583系

(イメージです)
に置き換わったので、3月ダイヤ改正前には客車列車の送別で様々なヘッドマークを掲出していて、巨大なヘッドマークは電照式なので、“電照きたぐに”と呼ばれてました。

寝台特急富士のヘッドマークを掲出した1002号機です。
この1002号機も短い間隔でヘッドマークを交換してましたが、先に書いたように1000番台は九州に転属してないのでなんちゃって牽引機です。

ネガの劣化でどー頑張ってもローズピンクにならないのでモノクロですが、寝台特急日本海ヘッドマークを掲出してるEF81です。
これ、後ろに2両のEF81を従えてるので、展示機ではなくて、稼動機で入れ替えの真っ最中の様です。

さて、ここまでは前年夏の一般公開とほとんど変わりませんが、1985年夏の敦賀機関区一般公開の目玉は、本物のお召し列車牽引機の勢揃いだったようです。

1975年5月の滋賀植樹祭で運行されたお召列車牽引の本務機だったEF81 120号機です。1976年10月の佐賀国体の際に運転されたお召し列車の牽引機だったED76 55号機です。
……などとしれっと書いてますが、この写真を撮影した時は敦賀機関区に九州専用のED76がいるとは思ってもいないので、EF81 120号機の隣に展示されてたので、これ(これって)もEF81だと思い込んでたので、ED76だと分かったのは撮影から数年後でした(笑)
EF81 120号機とED76の並びの写真は撮ってないので、EF81の写真とED76の写真を並べてスキャンしてみました(笑)双方似てませんか?
流れでパチリパチリと撮ってらED76だとは気が付きません(笑)

1984年9月に昭和天皇、皇后両陛下のフルムーン旅行の際に御乗車になられたお召し列車の牽引機だったED75 121号機です。ED75 121号機と1968年の福井国体のお召し列車の牽引機だったEF70 35号機の並びですが、EF70の隣に何かしら展示されていたのか、EF70の全体が写ってないのが惜しいです。

ところで、ED75 121号機は宮城県仙台市にある長町機関区所属です。
長町機関区から敦賀機関区までは東北本線~東北貨物~武蔵野~東海道貨物~東海道本線北陸本線を経由して約850Kmです。
その距離を次位単機回送するとは思えないので、貨物列車への連結で、おそらくは当時もあったであろう宮城野貨物ターミナル発名古屋貨物ターミナル行き列車の次位無動力回送で稲沢まで来て、稲沢からは敦賀を通る貨物列車に付け替えて、敦賀まで本物のお召し列車牽引機を回送させてるのですから凄いとしか言いようがないです。
撮影当時は瀬戸で採取されたガラス原料の硅砂を小浜線の松尾寺まで運ぶ、新守山発松尾寺行きの貨物列車があったので、回送に使うなら個人的にはこの列車を有力視してます。

お召し装備が施されたEF64 58号機です。
EF64お召し列車牽引機と言えば77号機があまりにも有名ですけど(1986年10月)
77号機の他にも1978年10月に開催された長野国体の際に運転されたお召し列車の牽引機に抜擢された58号機と62号機があり、58号機が本務機、62号機が予備機でした。
……などとしれっと書いてますが、撮影した当時は本物のお召し列車牽引機だとは気が付かずに、先のED75はピントが甘くて露出オーバー気味、EF64は普段見慣れていてパンタも上げてない(上げたら電気回路が破壊されます)からか、写真は処分して残ってないので、実に惜しい事をしました。

このEF64 58号機は撮影当時は篠ノ井機関区所属なので、篠ノ井から稲沢までは中央西線の貨物列車の本務機、若しくは次位無動力回送、稲沢からは長町機関区から長駆回送途上のED75 121号機と一緒に回送されて、次位無動力回送がED75、次々位無動力回送がEF64だったかもしれないと妄想の翼が拡がります。

1985年夏の敦賀機関区一般公開は以上ですが、敦賀機関区一般公開と思われるカットが幾つかあるので、そちらも貼って締めましょう。

長くなってるので個々のカットの解説は省略しますが、背景から敦賀機関区なのは間違いないのです。
でもこれ、行った覚えが全くありません(笑)
来場者が冬の装いなのと、寝台特急「北陸」のヘッドマークを掲出してるEF81とEF64 1000番台がいるので寝台特急「北陸」にヘッドマークが新設された1985年3月ダイヤ改正前後でしょうか?

1985年の春先に米原駅から北陸本線の475系に乗った覚えが微かにあるので、その時かなぁ?イメージですが、北陸本線新疋田駅です。

それでわ~

木曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1985年夏稲沢機関区一般公開

今日の名古屋市は雨で冬の雨の日としては暖かい一日でしたね。(気象庁ホームページより)

そんな今日の天気とは全く関係ないのですが、前々から書く書くと書いててすっかり忘れてた撮影から今年で40年シリーズ(そんなシリーズだっけ?)の1985年夏、稲沢機関区一般公開を書いていきましょう。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、画質に纏まりがない事はご承知おき下さいませ。
あと撮影順でもないので、その辺りもご承知おき下さいませ。

まずは稲沢機関区についてざっくりと説明しましょう。

稲沢機関区は東海道本線関西本線の貨物列車を牽引する機関車の基地として1926(大正15)年に稲沢駅を中心とした清洲尾張一宮間に拡がる日本三大操車場の一つ、稲沢操車場の東側に稲沢機関庫として開設されて、1936(昭和11)年に稲沢機関区に改称されました。

開設当初はSLの基地でしたが、1953(昭和28)年に東海道本線の電化が稲沢まで伸びた際に電気機関車の運転が開始されるので、電気機関車の基地として稲沢第二機関区が発足して、SLの基地は稲沢第一機関区に改称されました。
1970年に名古屋地区では最後まで残っていた関西本線のSLが引退したので、第一機関区はディーゼル機関車の基地になりますが、1985年3月ダイヤ改正から第一機関区と第二機関区が統合されて稲沢機関区になりました。

そんな稲沢機関区でも悪化した国鉄財政を立て直す一環で機関区の一般公開が1985年7月に行わたので、名古屋住みには広い意味での地元なので、暑い中(今よりは涼しいです)いそいそと撮影に赴いてました。

f:id:okinawa-rail:20251225185505j:imageこの機関区一般公開の目玉とも言える初代ユーロライナー牽引機のDD51 592号機です。
1985年7月当時に名古屋鉄道管理局に欧風客車が登場すると言うニュースはありましたが、専用の牽引機が用意されるとは発表されてなかったので、展示会場でこの592号機を見た時は驚きましたね。

因みにユーロライナー専用機にはEF64 66号機(画像は後ほど)と、EF65 105号機がありましたがf:id:okinawa-rail:20251225185723j:image(撮影してないのでJR移行後にユーロカラーになった112号機で代用)
ネガを見ても撮影してないので、この時には展示されてなかったようですf:id:okinawa-rail:20251225185847j:image機関区一般公開の定番と言える、お召し装備を施したDD51 820号機です。
国鉄は逼迫してる財政状況を少しでも改善させる増収策の一つで、1984年頃から全国各地の機関区で一般公開を催して、そこにはお召し装備を施した機関車が展示されてましたが、それらの多くがお召し列車を牽引した事がない“なんちゃって牽引機”でした。
しかし、1985年頃からは本物のお召し列車牽引機を展示していて、この820号機も1977年に和歌山県で開催された第28回全国植樹祭で運行されたお召し列車を、名古屋から伊勢線経由で津まで牽引しました。
ところで機関車の前が広々としてますが、DLが展示されてる場所はこの年の3月まで稲沢第一機関区と呼ばれていて、先にちょっと書きましたが元はSLの機関区で、扇形機関庫の建屋だった場所に留置線があるので、機関車の前が広々としてるのはその名残で、ユーロライナー専用機の592号機の後方には撮影当時は現役だったの転車台が見えてます。
現在では隣接してた日本三大操車場の一つ、稲沢操車場の跡地と共に整理されて、新たに検査修繕庫と機関車留置線を設置したので、この扇状の留置線はありません。
f:id:okinawa-rail:20251225190410j:image寝台特急「明星あかつき」のヘッドマークを掲げて展示されてるEF65 1010号機です。
関西ブルトレの「明星あかつき」のヘッドマークを付けてますが、撮影当時は1010号機は稲沢機関区所属なので、関西ブルートレインは牽引してないので、これは“なんちゃって牽引機”です。
とは言えイベント展示なので、細かい事は気にしたらダメです。
この1010号機は同じ年のGWに開催された米原機関区一般公開では、「サロンカーなにわ」と急行「北国」のヘッドマークを掲げて展示されてました。f:id:okinawa-rail:20251225190502j:imagef:id:okinawa-rail:20251225190531j:image
1010号機、イベント用ですかね(笑)
米原機関区一般公開の様子は

okinawa-rail.hatenablog.jpこちらのブログに書いてありますので、宜しければお読み下さいませ。
ところで、1010号機の右後方になにやらヘッドマークを掲出してるEF65がいるのを、たった今気が付きました(笑)
何のヘッドマークなんでしょう?
余談ですが、WikipediaEF64 66号機の写真を探したら、別の日でしょうか、同じ場所にユーロカラーのEF64 66号機が展示されてましたf:id:okinawa-rail:20251225190648j:imageWikipediaより
日によって展示機変えてたのかぁ……

f:id:okinawa-rail:20251225191015j:image寝台特急「さくら」のヘッドマークを掲げて展示されてるEF66 39号機です。
EF66は高速貨物機として製造されましたが、その国鉄離れしたスタイルから客車も牽引して欲しいと鉄道ファンなら誰しも願ってました(一部表現に誇張があります)が、その願いが叶ったのは1985年3月ダイヤ改正でした。
この改正で寝台特急はやぶさ」にロビーカーが連結されてf:id:okinawa-rail:20251225191133j:image(Wikipediaより)
編成が15両編成になり牽引定数が増えて、EF65PFでは特通客B4と呼ばれる550トンの客車を牽引して上り10‰での均衡速度85Km/hが維持出来ませんが、EF66ならそれが可能で更にはスピードアップも可能なので、貨物輸送量が減少して最高速度95km/h以下の高速B貨物では力を持て余し気味だった下関機関区のEF66が「出雲」と「瀬戸」以外の東京発着のブルトレを牽引するようになりました。
ブルトレ牽引機の対象になったのは改良型のモーターを装備した21号機以降で、写真の39号機も撮影当時は下関機関区の所属で実際にブルートレインを牽引してるので、機関区一般公開特有の“なんちゃって牽引機”ではないです。
f:id:okinawa-rail:20251225191215j:image寝台特急富士のヘッドマークを掲げて展示されてるEF66 901号機です。
……などとしれっと書いてますが、撮影した記憶が無くて写真も残ってないので、ネガに寝台特急「富士」のヘッドマークを掲げた901号機が写ってるのを見付けた際には心底驚きました(笑)
写真が残ってないのはトリミングしてカットしてますが、フレームの中に知らないオッサン……こほん、男性が写ってるから処分したんだと思われますが、前年に浜松機関区で撮影した901号機の写真よりは明るいし知らないオッサン…こほん、男性は今ならスキャンしてトリミングでカット出来るので、何で残さなかったのかと当時の自分を小一時間ネチネチと詰問したいです。
ところで、撮影時の901号機は貨物専任なので機関車展示会独特のなんちゃってブルトレ牽引機でしたが、翌年の一時期に実際にブルートレインを牽引してるので、なんちゃって牽引機ではなくなりました。EF59 1号機です。
こちらも撮影した記憶がなくて写真も残ってないので、ネガを見て撮ってたのかと驚きましたが、EF59 1号機は3ヶ月前の高崎機関区でもっと良いアングルで撮影してるので写真が残ってなくても惜しくはなかったです(笑)

機関区一般公開の喧騒をよそに休息中の展示機ではない稲沢機関区の機関車たちです
稲沢機関区は機関士は高速貨物に乗務しますが(旅客列車は名古屋第二機関区が担当)機関車自体は特急牽引仕業は無いので、どちらかと言えば地味な機関区でしたが、この年の夏に名古屋鉄道管理局に欧風客車「ユーロライナー」(再掲 1992年三河大塚)が登場して、先にちょっと書きましたが、EF64 66号機とEF65 105号機、更にはDD51 592号機がユーロライナーと同じ塗装を纏った専用機になり、これまでに例がない3両の欧風客車専用牽引機を持つ機関区として一気に注目を集めました。
写真の左端には分割民営化でJR東海が継承してユーロライナー専用機になるEF65 106号機がいます。
まさかノーマル塗装を撮ってたとわ!

ネガの劣化が酷くて補正しきれないのでモノクロですが、稲沢機関区脇の稲沢線を赤ホキを牽引して通過するEF65 1012号機です。
東海道山陽本線筋のEF65PFは新鶴見機関区の4両の中期型以外は全て下枠交差型パンタグラフPS22を装備し、ナンバープレートがブロック式の後期型と呼ばれた1056号機以降ばかりでしたが、(1114号機 1983年9月熱田)
1985年3月ダイヤ改正で前期型の1003、1005~1013号機が田端機関区から稲沢機関区に転入したので、形態のバリエーションが増えました。

珍しく短く済んだ1985年稲沢機関区一般公開、最後までお読みいただきありがとうございます。

次は翌週に行った敦賀機関区一般公開を予定しております。

それでわ~