今日の名古屋の最高気温は31.2℃で5月とは思えない暑さでした
(気象庁ホームページより)
明日から6月とは言え、40年前の5月はここまで暑くはなかったですよ。
40年前って具体的な時期を書いてますが、それは今日は前回の記事で予告した撮影から今年で40年シリーズで、名鉄揖斐線黒野駅をダラダラと書いていくからだったりします。
長いので前置きはこれくらいにしてサクサクッと始めますよ。
毎度の事ですが、写真とネガスキャンの混合なので画質に纏まりが無いのはご勘弁下さいませ。
先ずはこちらから
750系モ759号です。
写真が残ってないので撮影した記憶が出て来ないのですが、構内配線とネガを見ると二つ先のコマに北野畑駅の駅名板の横でナルシスってる自分の写真(笑)が残ってるので、これは谷汲線の北野畑駅に到着する黒野行きですね。
北野畑駅を黒野に向けて走り去るモ759号です。
北野畑駅は谷汲線で唯一1面2線の配線を持ち列車交換が可能な駅で、行楽シーズンの休日や毎月18日の谷汲山命日に列車が増発する際に列車の交換が行われました。
かつては貨物輸送も行われていた様で、貨物側線の跡もありますね。
ところで、写真が残ってないのは車両が小さく写ってるからだと思われます(なのでネガスキャンしてトリミングしてます)が、今見ると処分するほどの失敗作ではありません。
一方で自分が写ってるコマは写真がしっかり残ってるので、どんなけ自分大好きなのやら(笑)
場所がいきなり変わってますが、黒野駅を発車したモ510系+モ520系の岐阜行きです。
モ510とモ520については後ほど詳しく書くので、撮影場所の黒野駅について少々書きましょう。
黒野駅は岐阜駅前から約16キロメートルの岐阜県揖斐郡大野町にあった揖斐線の駅で、ここから谷汲線が分岐して検車区もあった揖斐線の拠点駅でした。
そんな拠点駅だけに時間帯によっては2面3線あるホームが全て列車で埋まる事があって、訪れた時は正にその列車で埋まる時間帯でした。
岐阜駅から直通されて来たモ513の急行が2番線に到着しました。
撮影した時の記憶がないので写ってる状況からの判断ですが、後方にモ520が連結されてるようです。
上のカットのトリミング前の原板で、1番線には黒野~本揖斐間の区間運転に勤しんでるモ758、3番線には忠節行きのモ703+ク2323が停車中です。
3番線に停車中のク2320系です。
ク2320系は名鉄の東半分の前身の愛知電気鉄道が1926年(大正15年)に製造した電7形で、デハ3080形に改称された後に、名鉄の西半分の前身の名岐鉄道と合併して誕生した現在の名古屋鉄道ではモ3200形になりました
(交友社 私鉄電車のアルバム1Aより)
全長16.7メートルの中型車ですが2扉でクロスシートを備えてましたが、大正末期に製造された半鋼製車体の為に鋼体化の対象になり、1964年に3730系
に主要機器を譲って制御車ク2320系になりました。
写真のク2323号は1965年に瀬戸線の木造車を一掃する為に瀬戸線に入線して、モ900系
の相棒を務めてたので、1966年の特急運転開始時には、車内はロングシートでしたが(制御車化された際にロングシート化)スカーレットに白帯を巻き、正面には逆さ富士型の行き先表示板を取り付け、ミュージックホーンも装備した特急専用車に整備されて、ミュージックホーンを鳴らしながら瀬戸線を疾走してました。
(奥に留置されてるのは最後まで白帯が残ってたク2302ですが見た目は同じです)
1978年3月の瀬戸線1500ボルト昇圧に伴い揖斐線に移りモ700系、モ750系とコンビを組んで余生を送り1997年9月にモ700系と共に引退しました。
ところで、古い車両の電装品を流用して車体を新しくするのは車体更新車と呼ばれ、この様な車両は他の私鉄にもありましまたが、他社は旧車体は用途廃棄、解体していたので、旧車体を制御車化して引き続き33年間も使用したのは名鉄だけです。
2番線に停車中のモ520系524号です。
モ520系は美濃電気軌道が1923年(大正12年)に製造したBD505形で、書くのが面倒な経緯を経て名鉄に合併してからはモ520系になりました。
1967年にモ510系と共に揖斐、谷汲線と岐阜市内線の直通運転車両に抜擢されて、車内に二人掛けと一人掛けの転換クロスシートが設置され
(Wikipediaより)
車体色も赤白二色塗りになりましたが、制御装置はモ510系がHL制御と呼ばれた間接非自動制御に改造されたのに対して、モ520系は直接制御のままで、モ510との重連運転の際は総括制御が出来ないので(それぞれの仕組みを書くと長くなるので、そういう物だと思って下さい)モ520系はモーターをカットした制御車として扱われて、揖斐方の運転台には自身が単行運転する際に使用する“ドラコン”と呼ばれる巨大なドラムコントローラーと、モ510系との重連運転時にモ510系のHL制御器をコントロールするウエスチングハウス製の小ぶりなマスコンが設置されてました(使える写真はありません)
型式がモ520なので、モ510系よりも新しいように思えますが、モ520系の方が3年古くて、車体も木造なので1964年に補強工事で外板に鋼板が張られたニセ…セミスチール車の為に、1987年に冷房付きで新製されたモ770系
(Wikipediaより)
と入れ替わるように全車引退しました。
そんなモ520は撮影してないと思ってたのですが、引退する1年前に黒野駅に行った際にそこそこ良いアングルでしっかり撮影してましたが、写真が残ってないんですよね。
何で残さなかったのか、当時の自分を詰問したいと思います。

2番線に停車していたモ513+モ524が、モ703+ク2323の忠節行きが発車した3番線に入れ替えられて来ました。
モ510は美濃電気鉄道が1926年(大正15年)に製造したBD510系で、書くのが面倒な細かい経緯を経て名鉄が発足した1941年(昭和16年)にモ510系になりました。
先に書きましたが1967年に開始された揖斐線と岐阜市内線の直通運転用車両にモ52と共に抜擢されて、車内に一人掛けと二人掛けの転換クロスシートを配置して車体は赤白二色塗装が施されてました。
1977年頃から開始された車体の単色化でスカーレットになってからは、地味な存在になってしまいましたが、1987年に永年に渡り活躍し続ける車両を称えるエバーグリーン賞を受賞した際に赤白二色塗装が復活し再び注目を集めました。
そんな赤白二色塗装に復活したモ510は撮影してないと思ってたんですが、新たに“発掘”されたネガの中から出て来ました。
そのカットも撮影から今年で40年のカテゴリーからは外れますが貼っておきましょう。
ネガ袋の中に写真もあったのでそれを見たら1995年5月頃に、ほんの気まぐれで揖斐線に乗りに行った記憶が、真空管テレビが点くようにじわっ~と甦って来ました(笑)
その写真は真っ白にすっ飛んでいてスキャンすると更に白くなるので、ネガスキャンしました。
1番線にモ705+ク2326の普通列車が到着しました。
先頭のモ700系は名鉄の西半分の前身の初代名古屋鉄道が1927年(昭和2年)に製造したデセホ700系で、車端部と中央に扉を備えた半鋼製15メートルの中型車両ですが、AL制御と呼ばれる電動カム軸式間接自動加速制御装置を備えてました。
1930年(昭和5年)に美濃電気軌道を合併して誕生した名岐鉄道では主力車両でしたが、1935年(昭和10年)に名鉄の東半分の前身の愛知電気鉄道と合併して誕生した現在の名古屋鉄道では1948年に旧名岐鉄道線の架線電圧が1500ボルトに昇圧されると、まだ600ボルトだった小牧線や各務原線、広見線を転々として、1965年頃からは瀬戸線と揖斐、谷汲線で使用されて、最終的に揖斐、谷汲線に集結して、片運転台車なのでク2320系とペアを組んで黒野~忠節間の普通列車で勤しんでましたが、1998年に600ボルト線区では初のVVVFインバータ車モ780系と入れ替わるように引退しました。
モ703とペアを組んでたク2326です。
ク2320系の出自は先に書いてるので省略しますが、ク2326号はモ3208時代に踏切り事故で前頭部を損傷したので、高運転台で修復されましたが、車体幅が2.6メートルと狭いので面長に見えます。
原版のピントが甘いのでChatGPTで補正しました。
補正ついでに車体色を昭和世代にはどストレートなグリーンしましたが、正面の左右の窓周りがリベットで補強されてます。
いやいやチャッピーさん、実車に無いのを付け足さないで(笑)
黒野駅に来た時に1番線にいたモ758が2番線に入れ替えられてました。
モ750系はモ700の増備車で1928年(昭和3年)にデセホ750として製造されました。
車体形状はドア下部の台枠の下がりがモ700より小さい以外はモ700と同じで、制御装置も電動カム軸式間接自動加速制御ですが、モ750系はモーターの界磁コイルに流れる電流を弱めると回転数が上がる弱め界磁制御の準備工事が施された当時としては高性能な車両でした。
製造から揖斐線への経緯もモ750系と同じですが
(1978年2月 瀬戸線時代のモ759)
モ700系が1998年に引退したのに対してモ750は沿線に変電所がなくて揖斐線から供給される架線電圧降下が激しくてモ780
(ウィキペディアより)
が入線出来ない谷汲線用として走り続けて世紀越えをしましたが、2001年9月30日の谷汲線廃止と共に引退しました。
モ758の別アングルです。
ローアングルで良さげなんですが、ホームが驚くほど低いです。
撮影した1986年はバリアフリーの概念が無い時代とは言えドアステップとホームの差があり過ぎです。
これ、車椅子利用者は乗車出来ないです。
黒野駅での最後のカットですが、モ513+モ524の停車位置が先の3番線への入れ替え直後のカットと違います。
発車するのを撮ったのかもとトリミングしたカットを見ましたが
運転台に運転士がいません。
撮影した時の記憶がないので、どんな状況だったんでしょう?
3番線にモ702+ク2323の普通列車と縦列停車していて、普通列車が発車したので、ホーム先端まで出て来たとかでしょうか。
撮影してから今年で40年シリーズ、1986年5月黒野駅編、最後までお読み頂きありがとうございます。
最後はこちらの写真で締めましょう。
一緒に行った友人に頼んで撮って貰った谷汲線北野畑駅でナルシスってる私です(笑)
最初の方で書いてますが、この駅で撮ったモ759の写真は処分したのに自分が写ってるカットは写真が残ってるので、どんなけ自分大好きなのやら(笑)
撮影してから今年で40年でサングラスして顔がはっきりと分からないので、ワールドワイドで晒します。
若い!
細い!!
髪の毛いっぱい有る!!!←これ、最も重要!
それでわぁ~
(気象庁ホームページより)
EF66牽引のコンテナ列車です。
残念ながら27号機ではなくて33号機でした。
東海道本線の共和~大高を快走する113系です。
(Wikipediaより)
リンタツカーブですれ違う165系の普通列車とEF65F牽引の貨物列車です。
(ChatGPTで補正)
武豊線の尾張森岡付近を行く衣浦臨海鉄道のKE65牽引の貨物列車です。
(1984年8月米原機関区)
石ヶ瀬川橋梁からの下り勾配を降りて来るキハ58です。
武豊線の尾張森岡付近を行くキハ58系とキハ35系の混成列車で、撮影時の記憶がないので(笑)ネガからの判断ですが、一つ前のキハ58のカットの次のコマに写ってるので、同一列車だと思われますが、この日の武豊線は多数の臨時列車が走ってたので、別の列車かもしれません。
(1990年名古屋工場 ChatGPTで補正)
(トリミング再掲載)
何が何やらですが、盛大に煙りを上げて石ヶ瀬川橋梁を通過中のSL1世紀号です。
石ヶ瀬川橋梁からの下り勾配を駆け下りて来ます。
盛大にドレンを排出してるC56を正面からドン!
そのトリミング前の原板で、武豊線尾張森岡駅付近を驀進するこの日の本命のSL1世紀号です。
牽引機のC56 160号機を斜め後からパチリと。
型式をC12にされました(笑)
1世紀号の最後部のスハフ12です。
客車の型式はオハフ45に、テールマークの列車名は「ながさき」になってます(笑)
雨降りですがギャラリーの数が多過ぎるので編成写真は諦めて視点を変えてギャラリーを入れて撮影したようです。
ギャラリーの隙間からなんとかC56だけは撮影してました。
(山と渓谷社 日本の鉄道7より)
特急「ひだ」1号です。
よっく見ると
ヘッドマークがおかしくなってます(笑)
ひだ2号です。
1号と2号の並びで、撮影時の特急「ひだ」は1号~8号までありましたが、美濃太田駅での並びはこの1号と2号が唯一でした。
そんな忘所を行く下りの急行「のりくら」です
その上りの「のりくら」ですが、色が出ないのでモノクロにしてみました。
(山と渓谷社日本の鉄道5より)
(Wikipediaより)
甲府行き535Mだと思われます。
川口を通過する上野行きで編成全体が写ってないので今一つ伝わらないですが、7両+4両の11両編成、若しくは7両+4両+4両の15両編成です。
急行アルプス1号、こまがね1号だと思われます。
東京行きの201系快速です。
休日運転のホリデー快速の送り込み回送だと思われます。
中央快速線の201系ですが、ヘッドマークが付いてるのと、行き先の文字数が多いので、青梅、五日市線に直通する休日運行の特別快速「おくたま」でしょうか。
特急あずさ3号だと思われます。
いきなり貼ったのはかつて国鉄が発売していた南東北ワイド周遊券です。
(14系座席車のイメージなので列車名が違うのは気にしないで)
(340Mのイメージです)
黒磯駅に停車中の新特急なすのです。
の廃止で余剰になった185系200番台で、当時の座席はフカフカな座り心地の転換クロスシートだったので
(絶版した鉄道ジャーナル別冊No.15より加工して引用)
よりは快適でしたが、停車駅は列車によっては前身の急行なすの
より増えてるので、体の良い値上げ感は拭えなかったです。
黒磯駅に停車中の129M福島行きの715系1000番台です。
から改造されたのが715系1000番台です。
由来の平妻非貫通型で細長い窓の高運転台になりましたが、583系独特の車体断面から異様な顔になりました。
福島方4両がクリーム1号、
上野方4両がクリーム10号でした。
(7月号ですが時刻は同じです)
黒磯駅6番線に到着したED75 97号機牽引の貨物列車です。
(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
(Wikipediaより 今世紀の画像ですが塗装パターンは当時と同じです)
伊達政宗像
何かしらの記念碑でしょうか
誰かしらの胸像
山々の形がユニークだったのでパチリと。
広瀬川と仙台市街地
市街地の奥に発電所?が太陽光で輝いてました。
こちらも仙台市街地です。
(山と渓谷社 日本の鉄道2より)
と同じなので、遠くに来た気がしなかったですね(笑)
(山と渓谷社 日本の鉄道2より)




2011年3月11日に発生した東日本大震災では、松島湾内にも津波が襲来しての島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生しましたが、津波は浅い湾内に入ると急激にエネルギーを失うので、軽微な被害で済んだそうです。


高校の修学旅行で訪れた時の瑞巌寺境内は松並木とかが立派だった印象が残ってましたが春先なので枯れてました。
拝観を終えて出た瑞巌寺の門(だったと思う)ですが古色蒼然として萌え(当時そんな言葉ありません)ました。
日本エアシステムのDC-9-41で、纏ってるカラーは前身の東亜国内航空のレッド&グリーンです。
(
(ディスプレイがモアレってるのは気にしないで)
廉価版arrowsの後継機種ですね。
左側がWe2、右側がBe4で、撮影した機材の都合で発色がマゼンタ気味なのでディスプレイの色は正確には再現されてないですが、色が違うのは伝わるかと。
冬晴れの昼下がりに、
こんな色になってました(笑)
近所の河川敷からですが、太陽が昇る方向に高台があるので、
堤防上にはススキが残ってたので、ススキと絡めてみましたが、初日の出と言うより、秋の夕陽と言った方が良いかも(笑)
喜多山駅の瀬戸方先端です。
アクロス小幡パーキング5Fです。
(写真は撮らなかったので2年前の
初日の出は方向的には見えないです。
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