気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

日曜日 鉄道ネタ…昭和の名車が引退

今日はそこそこな天気でしたねぇ。

名古屋の最高気温も19.0℃と春みたいな天気でした。

てか、節分過ぎてるので、春なんですけどね。


明日は一転して雨が降るようです。

 

そんな天気の話しとは何の関係ないのですが、先週末に昭和の名車がまた一つ引退しました。

その名車とは近鉄スナックカーと呼ばれた12200系です。

 

スナックカーについて説明しましょう。

昭和39年(1964年)に東海道新幹線が開通するとそれまで近鉄特急のドル箱列車だった名阪特急ノンストップが大打撃を受けました。

近鉄はスピードでは新幹線に勝てるはずがないので、新幹線より時間がかかる分だけ車内で快適に過ごして貰おうと車内サービスを充実させる施策に転換して、その代表的なのが昭和42年(1967年)に登場した12000系スナックカーです。

この車両はまず座席が当時は新幹線…と言うより国鉄の特急では一等車だけだった回転式自在腰掛け(リクライニングシート)を惜しげもなく採用してゆったりと座ってもらい、更にはスナックカーと呼ばれる由来となった車内に軽食が調理出来るスナックコーナーを設けて、出来たての暖かい軽食を座席まで運ぶサービスが可能な車両でした
f:id:okinawa-rail:20210214165512j:image
鉄道ファン誌より


このスナックサービスは好評で昭和44年(1969年)には増備車となる12200系が登場して、翌年以降の上本町~難波間の難波線や、宇治山田~鳥羽間の鳥羽線の新規開通。更には鳥羽~賢島間の志摩線改軌による難波、名古屋~賢島間の直通運転開始などに対応して増備が続いて、昭和51年(1976年)までに168両が製造された近鉄を代表する車両でした。


そんなスナックカーを幾つか撮影してあるので、送別の意味を込めて紹介しましょう。


まずはこちらから

昭和51年(1976年)頃に五十鈴川駅で撮影しました。
f:id:okinawa-rail:20210214165700j:image正面貫通扉の翼が付いた特急マークに、三連の通過標識灯、尾灯と一体になった行き先表示器。そして電気連結器を持たない10100系ビスタカーと連結する為の3本のジャンパ線を装備してる姿が、昭和世代には最もスナックカーらしいです。

先に書いたようにスナックカーには12000系と増備車の12200系がありますが、12200系はスナックコーナーが拡大されて乗務員室扉と乗降扉の間に窓が設けられたので、その有無で双方を見分ける事が出来ました。

写真は窓がないので、12000系ですね。

 

昭和51年(1976年)頃に五十鈴川駅で撮影した大阪上本町発鳥羽行きの12000系スナックカーです。
f:id:okinawa-rail:20210214165804j:image
f:id:okinawa-rail:20210214165834j:image
出発駅が分かるのは車両の向きからです。

車両の向きは連結する際の電気配線、空気配管から向きを統一する必要があり、近鉄特急車は大阪線上で、偶数車(スナックカーならモ12000)が大阪方に向くように組成されています。

名阪特急は名古屋線に入るには必ず伊勢中川短絡線を通過するので、特急車は名古屋線内では偶数車が鳥羽方を向き、伊勢中川~賢島間では大阪発と名古屋発では編成の向きが逆向きになるので、編成をみれば、大阪発か名古屋発が分かりました。
f:id:okinawa-rail:20210214165923j:image
Wikipediaより


先に書いたように車両の向きは統一する必要があるので、名古屋から伊勢方面に来た特急は必ず名古屋に戻り、大阪からの特急は必ず大阪に戻っていました。


この事に気が付いたのは投稿した写真を撮影した小学生の時です。

五十鈴川駅で12000系を見てて、名古屋行きと大阪行きでパンタの位置が違うので、何で違うんだろうと、お家に帰ってから広告の裏に…当時はお絵かきが出来る裏白の広告がいっぱいありました…路線図と列車の編成を書いて独自で研究して、大阪発と名古屋発では向きが逆になると結論付けました。

後年読んだ書籍でそれが裏付けられた時は嬉しかったですねぇ。


自画自賛になりますけど、子鉄凄いです(笑)

 

話しをスナックカーの写真に戻しましょう。

 

スナックカーにはミニスナックカーと呼ばれた昭和44年に登場した18400系がありました。

これは当時京都~橿原神宮前間の京都、橿原線は車両限界が小さくて大型車は入線出来なかったので、京都~賢島間を直通する「京伊特急」用に車体幅を2640ミリ(12000系は2800ミリ)と狭くした車両です。


そんなミニスナックカーを撮影したのがこちらです(笑)
f:id:okinawa-rail:20210214170218j:image一見すると二重露光にも見えますけど、車内から撮影してるので、座席が写ってます。

ただ、この写真を撮影した記憶は全くありません(笑)

一体何時何処に行く時に撮影したのやら……

 

二重露光っぽいと言えばこちらです。
f:id:okinawa-rail:20210214171324j:image撮影したのは1989年9月の近鉄20100系「あおぞら号」さよなら運転を撮影した時なのですが、どうやら12200系を流し撮りしたようですけど、止まってるのは車体中央部だけで、先頭部はブレてる上に架線柱にかかって、その架線柱は流れて消えかけていて、まるで二重露光したみたいに見えるんですよ。

だからでしょうか、同時プリントでは二重露光と判断されてプリントされなかったようです。

プリントされてたらこんな愉快な写真、残してありますもの(笑)

 

上の二重露光っぽい写真を撮影したのと同じ日に宮川橋梁で撮影した12200系です。
f:id:okinawa-rail:20210214171420j:image
f:id:okinawa-rail:20210214171519j:image1枚目は後追いで最後部が切れたと思ってたら、走ってるのは奥の線路なので、先頭車が切れてますね(笑)

古いネガからなので、車両の色を基準に補正してるので、空が不気味黄色なのはご勘弁下さいませ。

 

スナックカーは1985年頃から車体更新が施されて、既に営業廃止されたスナックコーナーを撤去して、正面スタイルも翼付の特急マークと尾灯、通過標識灯が一体になった左右の行き先表示器がなくなり、12400系に準じたスタイルになりました。
f:id:okinawa-rail:20210214171638j:image近鉄ホームページより。

そんな12200系を撮影した唯一の写真がこちらです。
f:id:okinawa-rail:20210214175717j:image1989年9月の「あおぞら号」さよなら運転の際に明星検車区で撮影したので、メインは両サイドの「あおぞら号」だったりします。

 

先に書いたようにスナックカーは168両製造されて一大勢力を誇り、編成も2、4、6両編成とバラエティー豊かで単独で、或いは他の特急車と併結して近鉄標準軌路線の全ての特急で活躍しました。
f:id:okinawa-rail:20210214171946j:image1977年 五十鈴川

11400系ですが、前2両は12000系です


f:id:okinawa-rail:20210214172209j:image1982年 大阪線今里

汚くて分かりにくですけど、後ろはビスタカーです。

しかし22600系Aceが増備されると次第に数を減らして
f:id:okinawa-rail:20210214172500j:imageWikipediaより
f:id:okinawa-rail:20210214172620j:imageWikipediaより

昨年デビューした「ひのとり」が名阪ノンストップ特急に就いてf:id:okinawa-rail:20210214174156j:image2015年3月米野

アーバンライナーアーバンライナーnextが名阪特急ノンストップ特急から外れて一般特急に転用された事で遂に引退が決まり、先週末引退しました。


近鉄特急の最盛期を支えて一大勢力を誇った偉大な車両ですけど、コロナ禍で撮り鉄が集まる「密」を避けるとの理由で、さよなら運転も行われないひっそりとした引退でした。

 

では最後にこんな写真を貼って締めましょう。


1985年7月にまだ地上線の八田付近で撮影しました。f:id:okinawa-rail:20210214174442j:image

望遠で夏草にピントを合わせて車両を暈かしたのですが、余白が多過ぎて失敗作として写真は処分しましたけど、改めてネガスキャンして余白を大胆にカット縦構図から横構図にしたら去り行く12200系って感じで、なんか良さげになりました。


12200系、52年間お疲れ様でした。


それでは。