今日の名古屋は朝から雨で最高気温が9.8℃でちょっと寒かったですね。
そんな寒い日でしたが今日名古屋では桜が開花しました。
って、このネタ去年もやりました。しかも1カット増えてるし(笑)
因みに撮影は1986年1月、横須賀線の横浜、保土ヶ谷駅です。
そんなボケながらも今日は桜の話題ではなくて、前々から予告してた82系特急「南紀」について書いていきますね。
JRでは毎年3月にダイヤ改正を実施していて、その改正では某かの列車が廃止されたり、車両が引退していて、今から30年前の1992年ダイヤ改正では紀勢本線の特急「南紀」から82系気動車が引退しました。
今年はそれから30年なので、過去鉄82系特急「南紀」をお届けしましょう。
まずは特急「南紀」についてざっくりと説明します。
特急「南紀」は名古屋と紀勢本線の紀伊勝浦を結ぶ特急で、「ゴー サン トー」と呼ばれた昭和53年(1978年)10月ダイヤ改正でデビューしました。
それまで名古屋から紀伊勝浦までは特急がなかった訳ではなくて、大阪天王寺から紀伊半島をぐるっと周って名古屋まで来る特急「くろしお」が走ってました。
鉄道ジャーナル78年11月号より
走行線区の阪和、紀勢本線、伊勢線、関西本線の内の紀勢本線和歌山~新宮間が1978年10月に電化された(阪和線は戦前に阪和電気鉄道として開通して後に国有化)ので、1978年10月ダイヤ改正で紀伊勝浦から系統分割して非電化区間は新たに特急「南紀」として独立しました。
因みに電化区間を走る「くろしお」は381系を使用した電車特急になりました。
「くろしお」を撮影したのはこの2枚だけなんですが、2枚目はネガを発掘した際に乳剤面が損傷してました。
話し82系「南紀」に戻します。
82系「南紀」はそんなに撮ってないだろうと思ってましたが、そこそこ撮ってたので、ここからはそれらを紹介しましょう。
毎度書いてますが、写真とネガスキャンの混合なので、色と画質に纏まりが無い事だけはご承知おき下さいまし。
まずはこちらから
いきなり凄いカットですが(笑)1981年の夏に家族旅行で紀伊勝浦に行って、その帰りに「南紀」に乗ってるのでその際に撮影したようです。
3枚目の型式表記はともかく、2枚目の妻面の表記は何で撮ったのやら(笑)
因みにこの車両は昭和56年3月に名古屋工場で全般検査を受けてます。
1981年12月
名古屋駅に停車中の特急「南紀」とキハ30です。
ネガスキャンした際にキハ30は武豊線からの直通列車かと思ったのですが、よく見ると名古屋鉄道管理局では使用してない正面の行き先表示幕を使用してるので、名古屋第二機関区のキハ30ではないのは分かります。
じゃあ何処のキハ30だろうかと9時45分を指してるホームの時計(トリミングしてカットしてあります)を基に撮影当時1981年の時刻表を調べたら、キハ30は奈良を午前5時53に出発した名古屋行き普通226Dだと分かりました。
関西本線が82年6月に電化されるまでは奈良からの直通する普通列車があるのは知ってましたが、ロングシートのキハ30が運用されてたのは驚きです。
「南紀」に隠れて後方は分かりませんが、後方には何が連結されてるのでしょう。
奈良からの直通列車なら奈良運転所だろうから、キハ45とかでしょうか?
1981年12月
撮影した覚えが全くないので、2枚目のネガを限界まで拡大するとホーム軒下の時計が10時40分を指してたので、それを参考に当時の時刻表を見ると1枚目は「南紀」2号の到着で、2枚目はその「南紀」2号と「ひだ」3号との並びだと分かりました。
ところで、その時刻表によると「南紀」2号の到着と「ひだ」3号の出発が同時なんですけど、「ひだ」からはキハ82が発車時に吹き上げる煙幕みたいな排気煙が上がってないので、「ひだ」の発車が遅れていて、本来なら撮れない絵が撮れたようです。
1985年7月
この年の3月ダイヤ改正から全国の82系、181系気動車特急もイラスト入りヘッドマークなり、南紀には勝浦の景勝地「橋杭岩」をイメージしたヘッドマークが付きました。
因みに特急「ひだ」だけは1980年の飛騨高山キャンペーンに合わせて一足先にイラスト入りヘッドマークになってました
1983年1月
1987年2月
関西本線の永和~弥富間での撮影ですが、フィルムの感度設定を間違えて露光がめっさオーバーになってます。
これ、当時使ってたカメラはキャノンAV-1で、このカメラにはDXコード読み取り機能は付いてないので、感度設定は手動ですが、感度設定をフィルムのISO値の1/2にするとフィルムには2倍の露光量になります。
この時使ってたフィルムはISO400なんですけど、カメラの感度設定は100のままだったようで、昼間にISO1600フィルムを使ってるのと同じ事なんですよね。
そりゃクソオーバーになるわな(笑)
1987年3月?
これも撮影した覚えが全くないのですが(笑)背後には名鉄パノラマカーのヘッドライトと思われる二重の光の帯が写っていて、分かりにくいですが、忙しく動いてる地上作業員が消えかけてるので、何かのスイッチが入ったのか、重装備と手間を嫌う私にしては珍しくホームに三脚を立てての長時間露光撮影です。
因みに先頭車はキハ82 73で現在はリニア鉄道館に収蔵されています。
国鉄時代の「南紀」は以上で、ここからはJR移行後です。
と言ってもJRになったから古い国鉄は一掃するぞ!と国鉄色からの脱却を図った他のJRと違って東海は国鉄色を尊重してたので、国鉄と変わらぬ姿でした。
1990年8月
名古屋駅構内に“煙幕”を張りながら発車しました。
写真が残って無いので撮った時の記憶がありませんが、前後のカットを見ると撮影したのはお盆休みで、おそらくは所定4両編成に3両増結した7両編成なので、12基のDMH17Hが一斉に咆哮を上げて発車するのですから排気煙は半端ないです。
1990年8月
先に煙幕張って出発したのが戻って来た……訳ではなくて、名古屋駅に到着した上りの「南紀」です。
先の「南紀」の次のコマに写ってたので同じ日に撮影してるようで、こちらも3両増結した7両編成です。
90年頃の南紀は通常の4両編成に増結すると中間に先頭車のキハ82が入った編成もあったので、中間に先頭車がない綺麗な7両編成は珍しかったのではないでしょうか。
1990年8月
上の「南紀」の次のコマなので、上と同じ列車だと思われます。
1991年1月?
?としたのは撮った記憶が全くなくてネガ袋に91年1月と記されてたからだったりします(笑)
1991年1月?
所定4両編成のところ2両増結した6両編成なので、お正月でしょうか?
1991年4月
南紀2本並びです。
2枚目は隣のキハ82の側面に右側のキハ82が映ってたので、大胆にトリミングしてみました。
1991年8月
夏休み期間だからでしょうか、2両増結の6両編成です。
1991年8月
またまた南紀2本並びですが、4月のとは逆方向から撮ってます。
ちょっと面白いのがあるので、南紀から離れます。
1991年9月
長編成でヘッドマークに白い蓋が被せてあるので、まるで余剰車の廃車回送みたいですけど、そうではなくて、これはJR東海がナゴヤ球場への観戦者輸送の為にナゴヤ球場近くのJR貨物東臨港線にナゴヤ球場正門前駅
(2枚共Wikipediaより)を造って名古屋駅からシャトル列車を運転してたのですが、そのシャトル列車に82系を使用してました。
名古屋駅での発車ホームは3番線で、名古屋車両区から3番線には直接入れないので一旦岐阜方の引き上げ線で待機してから3番線に入線してるので、これはその送り込みです。
南紀に戻ります。
1991年10月
秋の行楽シーズンだからでしょうか5両編成です。
1991年12月
しつこく(笑)南紀の2本並びですが、こちらは頭が揃ってます。
1992年2月?
またまた?としたのは、名古屋駅で夜間撮影した記憶はありますが、それが何時か覚えがないからです。
ここまでずっと名古屋駅での撮影ですが、引退が迫ってくると何かスイッチが入ったのか、ソロで遠征して最後の勇姿を撮りに行ってますが、それはまた明日にでも書きましょうか。
多分(笑)
それでは。