今日の名古屋は朝は雨が降ってましたが、10時頃からお日様がニコニコとして、午後からはすっきりとした晴れ間が広がってましたね。
これ、予報通りです。
最近は朝晩めっきり涼しく……いや、寒くなって、その気温の低さで漸くキンモクセイが咲きました。
自宅マンション内にあるキンモクセイですが撮影は2021年で、今はこの木の後ろに住宅が建ったので撮影出来なくなりました。
因みにこの画像を保存してたマイクロSDカードがクラッシュして画像が丸っと消えてしまったので、この画像は昨年10月15日の記事https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2022/10/15/214216からのダウンロードです(笑)
もうこんな形以外では2年間撮り溜めた、夕焼けとか雲とか植物の写真は見る事が出来ないです。
夕焼けと言えば今日も綺麗な夕焼けで、何時ものパターンなら夕焼け散歩に行くのですが、今日は昨日寝落ちして書けなかった鉄道の日ブログを書くので、夕焼け散歩には行かなかったので、お家の前で2枚撮っただけです。
この夕焼けなら散歩行っても良かったかも。
てな事で、ここからは時系列が昨日になりますので、それを前提としてお読み下さいませ。
今日10月14日は1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本で始めて鉄道が開通した事を記念した鉄道の日です。
因みに以前は鉄道記念日と呼ばれてましたが、制定したのが鉄道省なので国鉄~JR色が強いとの運輸省(現、国交省)からの意見で、1994年に全ての鉄道事業者の記念日として鉄道の日に名称が改められました。
そんな鉄道記念日…いや、鉄道の日くらいは、はてな鉄道ブログ…そんなカテゴリーがあるのかは置いといて…の末席にいる者としては鉄道ネタを書きましょうか。
と、言っても直ぐにはネタは思い付かないので、2019年10月14日にやはり鉄道記念日ネタで記事を書いてるのでhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2019/10/14/231003それを大幅に加筆修正して、「過去鉄、鉄道記念日ワンデイトリップ」としてお届けしましょう。
最近ではすっかりデブ……違う、出不精になって乗り鉄とかして無いのですが、今から34年前は“若い事もあって”精力的に行動していて、10月14日は鉄道記念日なので、何か鉄道に関する事をしようって事で、名古屋~米原~敦賀~綾部~京都~名古屋の一筆書きルートで乗り鉄に行ってました。
きっかけはこの山陰本線のディーゼル急行の写真を見てたら無性にディーゼル急行に乗りたくなったからで、89年当時は名古屋からでも高山本線の急行「のりくら」や関西本線の急行「かすが」(紀勢本線の普通ですが、車両は同じ)
がありましたが、「のりくら」で富山まで行くと遠すぎるし、途中で折り返しても同じルートの往復で面白くない。
「かすが」は奈良行きなので、奈良からは近鉄で帰れるので一筆書きルートになりますが、89年当時の「かすが」はシートが新幹線0系の廃車発生品のリクライニングシート
(参考写真、山と渓谷社 国鉄車両形式集6より)
に変わっていてボックスシート
(キハ40系のシートで代用)
では無いので、これも除外したので、名古屋からそう遠くなくて、一筆書きルートで行ける範囲で乗れるディーゼル急行は無いか?と考えて思い当たったのが、敦賀~東舞鶴間の小浜線を走ってた急行「はしだて」でした。
これなら旅情溢れるローカル急行ですし、まだ乗った事がない小浜線も通るので、
(時刻表1988年3月号復刻版より)
急行「はしだて」に乗るのを目的に意気揚々とワンデイトリップに出発です。
名古屋から敦賀まで乗った特急「しらさぎ」です。
国鉄からJRに移行してから2年経過して、他所の特急は夫々の個性を出し始めてましたが、「しらさぎ」は国鉄時代と変わらない姿でした。
ところで最後部は見た目クハ481かクハ489か分かりませんが、運転席側スカートの右外側のジャンパ連結栓をよっく見ると、特急「白山」で碓氷峠を通過する際に押し上げ、牽引で連結するEF63(イメージです)
からの協調運転指令を受けるKE70であるのを示す白丸印が有るので、(1983年夏の撮影ですが同じ車両です)
EF63と協調運転が可能な489系のクハ489-600番台だと分かり、更に貫通扉が埋め込まれてるので、この車両は試験的に貫通扉の埋め込み工事が施行されたクハ489-605です。
このクハ489-605の貫通扉埋め込み工事は扉を溶接して接合部が分からないように綺麗に整形までしてますが、後年「しらさぎ」が米原で付属3両編成を増解結する運用になった際に、扉を切断して貫通扉として機能するように再改造されました。
「しらさぎ」の後を追いかけて来た大阪発青森行きの特急「白鳥」です。
「白鳥」はJR東日本の担当で、JR移行後は国鉄色の485系を使用してましたがJR東日本は88年頃から経年化した485系のグレードアップ工事を開始して、指定席車の客席は床面をセミハイデッキ構造にし、そこに背面テーブル付きのフリーストップリクライニングシートを配置して
(Wikipediaより、違う車両ですが構造は同じ)
窓の天地を拡大して眺望を良くした車両を白鳥に投入しました
JR東日本持ちの雷鳥ですが、グレードアップされた白鳥と共通運用で編成は同じなので、前方自由席3両の窓の天地は狭く、その後ろ指定席6両の窓の天地が広いのがお分かり頂けるかと。
このグレードアップされた白鳥はまだ国鉄色ばかりの北陸本線では異色な存在でした。
因みに白鳥は1996年にJR西日本の受け持ちになり、運転を担当する向日町運転所(現、吹田総合車両所京都支所)にはシートをバケットタイプのリクライニングシートに変えただけで内装には手を加えてない古い485系がいたので、デッキと客室の間は重たい手動ドアなど、接客面ではサービスダウンになりましたイメージで雷鳥ですが、このタイプの車両が白鳥に就いてます。
「はしだて」は福井~天橋立間の急行で、ルーツは国鉄時代に名古屋、福井から北陸本線、小浜線、宮津線(現、京都丹後鉄道 宮豊線)、山陰本線、大社線を経由して出雲大社の門前町の大社までを走ってた急行「大社」で
(名古屋駅に停車中の急行[のりくら]ですが車両は同じです)
1982年7月の山陰本線出雲市~伯耆大山間の電化に伴うダイヤ修正で、その電化とは殆ど関係無いのに大社~天橋立間が廃止されて大社に行かない「大社」になり、同年11月ダイヤ改正で名古屋編成が廃止され列車名が「はしだて」に変更されています。
以降は変化なくJR西日本が継承しましたが、1992年に廃止されました。
余談ですが、急行「大社」の名古屋編成は夏季には若狭湾への海水浴客で混雑するので、救済列車で名古屋~東舞鶴間に臨時の急行「エメラルド」が運転されて、本家「大社」が廃止された後も運転は続き、国鉄分割民営化ではJR東海に継承されて「はしだて」より永く1996年まで走ってました。手作りの巨大なヘッドマークを付けてるのでJR移行後の姿に見えますが、撮影したのは国鉄時代の1985年7月です。
名古屋鉄道管理局、頑張ってたんですね。
話し横にそれました、急行「はしだて」に戻りましょう
「はしだて」は敦賀駅の端っこから発車して、若狭湾沿いの小浜線を走るので(鉄道ジャーナル別冊No.11より)
風光明媚な若狭湾国定公園や三方五湖も見えたと思うのですが、風景は全く覚えてません(笑)
西舞鶴駅に到着した急行「はしだて」です。
車両は国鉄時代の代表的な急行型気動車のキハ58、キハ28で、当時はまだまだ全国で見られた車両でしたが、塗装は地域色に塗り替えられて、国鉄気動車急行色は絶滅危惧色になりつつありました。
西舞鶴から舞鶴線で綾部に向かうのですが、舞鶴線のキハ58は地域色でした。
若狭色(だったかな?)ですが、奇抜な地域色が多いJR西日本では落ち着いた色でした。
綾部に着いてからは暫し綾部の街をブラブラと歩いて(街並みは覚えてません)山陰本線の特急「あさしお」で京都に向かいました。
写真は撮影して無いので国鉄時代の写真で代用してます。2枚目は1983年の京都駅山陰線ホームですが、京都駅はまだ古都に相応しいとは言い難い斬新なデザインの16階建ての駅ビル
(Wikipediaより)
に改築される前なので1989年でも雰囲気は変わらないです。
ところで山陰本線と言えば保津川沿いの渓谷美が有名でしたが、山陰本線京都~園部間の電化工事伴い1989年3月に保津川沿いの嵯峨(現、嵯峨嵐山)~馬堀間が新線に切り替えられたので、時期的には紅葉にはまた早いですが、保津川沿いのルートを通れなかったのは残念でした。
因みに保津川沿いの旧線は残されて、現在は嵯峨野観光鉄道になってます
(京都観光オフィシャルサイトより)
さて、京都から名古屋へは東海道新幹線
東海道本線(米原乗り継ぎ)
行き先は気にしないで(笑)
近鉄特急(大和八木、伊勢中川乗り継ぎ)
高速バスがありますが、新幹線では味気ないし、東海道本線では米原からルートが重複するので除外して、残りは近鉄か高速バスですが、バスなら乗り物のバリエーションが増えるんじゃね?(当時そんな言い回しありませんが)と思い付いて、ジェイアール東海バスの名神ハイウェイバス「名神ライナー」に乗車しました
(Wikipediaより)
因みに当時は京都~浜松間にもジェイアール東海バスの高速バスが走っていて、自宅近くの東名旭バス停にも停車するので、こちらにしようかな?とも思いましたが、浜松行きのバス乗り場に並んでる乗客は誰もいないので、乗客が私一人だと運転手さんも不気味だろうと変に気を使って乗るのは止めました。
そんな秋の観光シーズンでも乗客がいない浜松行きは永くは無いと思ってましたが、意外な事に世紀越えをして2006年まで走ってました。
名古屋から敦賀、西舞鶴、綾部、京都経由で名古屋までの一筆書き日帰りのワンデイトリップ…当時そんな言葉がありました…長々とお付き合いありがとうごさいました。
このワンデイトリップは34年前の事ですが、485系、58系気動車、181系気動車、三菱ふそうエアロクイーンなど乗り物のバラエティーに富んでて、とても楽しかったのを今でも覚えています。
またそんな乗り鉄したいなぁ……
したいけど、今は買い物とかの家の用事があるので丸っと1日は使えないので、もう無理ですね。
なのでブログに書いて思い出に浸るのが精一杯です。
次は何書こうかなぁ?
それでわぁ~