気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

月曜日 過去鉄…1983年春、懐かしい鉄旅その2

今日の名古屋は未明まで降ってた雨も止んで日差しが眩しい良い天気でしたね。

そんな天気の話しもそこそこに早速昨日の続きを始めましょう。

1983年の春休みの部活の春合宿で訪れた東京です。
大垣発の夜行普通列車340Mは早朝4時40分に東京に着くのですが、東京到着後は皆それぞれ行きたい場所があるので“放牧”されるのですが、私は昨日も書きましたがネガを見ると総武本線錦糸町駅からこの春旅の記録が始まってるので、東京駅から錦糸町駅に行くまでの行動が全く謎だったりします。

そんな錦糸町駅で撮影した後は上野駅に移動しました。

f:id:okinawa-rail:20230404013745j:image新幹線リレー号です。
新幹線リレー号は東北、上越新幹線が大宮止まりになったので、大宮~上野間を在来線で連絡する事になり、その連絡専用列車として設定された快速列車で、東北、上越特急が廃止された82年11月ダイヤ改正後の上野駅で圧倒的な存在感を放っていたのが、この新幹線リレー号でした。
高架ホーム6番線を“マイホーム”として毎時2本が発着してたので、常にその姿がありましたね。

f:id:okinawa-rail:20230404013905j:image信越本線の特急「あさま」です。
82年11月ダイヤ改正で「ひばり」と「とき」が飛び去った後に上野駅に名峰浅間山のようにどっしりと君臨したのは特急「あさま」でした。
発車ホームは地平16番線にほぼ固定化されて、発車時刻も毎時00分と30分で、これはダイヤ改正前の特急「ひばり」が持っていたパターンなので、それを受け継いだ「あさま」は上野の盟主となる特急と言っても過言ではないでしょう。

f:id:okinawa-rail:20230404014032j:image信越特急コンビの「あさま」「白山」です
この「あさま」と「白山」の並びですが、上野駅ではよくある光景かと思いましたが、手持ちの83年当時の上野駅ホーム使用状況表…後で出てきます…で調べたら、双方の並びは1日1回、13時41分から14時00分までの19分間だけと分かりました。

それを知らずに撮ってた自分、凄い!

それはともかく、特急「白山」は金沢から長野を経由して上野を結ぶ列車で、デビューした1972年3月当時の編成は北陸本線の特急「雷鳥f:id:okinawa-rail:20230404095005j:imageと同じグリーン車2両、食堂車1両が組成された6M6T(モーター付車両6両、モーター無し車両6両)の12両編成でしたが、2両一組の電動車1ユニットf:id:okinawa-rail:20230404095055j:image(イメージです)
が故障すると4M8Tになって信越本線の連続25‰の勾配区間が走れなくなるので、編成出力強化で8M4Tにする為に食堂車とサハと呼ばれるモーター無しの付随普通車f:id:okinawa-rail:20230404095147j:image(山と渓谷社 国鉄車両形式集6より)
が外されて電動車1ユニットと交換されたので、中間付随車はグリーン車2両だけになりましたが、グリーン車2両では長野~金沢間は供給過剰だったのか、82年11月ダイヤ改正ではグリーン車1両と
f:id:okinawa-rail:20230404095251j:image(Wikipediaより)
食堂車
f:id:okinawa-rail:20230404095313j:image(Wikipediaより)
を交換する形で食堂車が復活していて、82年当時の全国的に食堂車が廃止されていく中での食堂車復活は非常に稀でした。

f:id:okinawa-rail:20230404014411j:image金沢駅を発車する特急白山で、分かりにくいですが、編成の中央に食堂車が連結されてます。

f:id:okinawa-rail:20230404015134j:image
f:id:okinawa-rail:20230404015152j:image交直流急行型の455系です。
82年11月ダイヤ改正で東北、上越特急がばっさりと廃止された後に、上野駅で目立つ存在になったのは急行列車でした。
東北、上越新幹線が大宮止まりなので、急行は意外と残っていて、上野駅には常に急行型の姿が見られ、急行の他に間合いで普通列車にも就いてましたが、この455系は仙台からの「まつしま」2号で、折り返しは車両基地がある尾久、若しくは東大宮への回送になるので種別表示の[普通]は誤表示です。
ところで、1983年当時の上野駅はホームが11本あって、1番線~12番線が高架ホームで、13番線~19番線が地平ホームでした。
上野駅は上野の山にへばりつように設置されていて、1番線は上野の山を削って造られてるので、上野の山側は切り通しになってます。
f:id:okinawa-rail:20230404015540j:image1982年9月15日
高架ホーム6番線に停車中の特急「そよかぜ」で右側には切り通しの法面が見えます。
その切り通し上から高架ホームを跨いで大連絡橋が伸びてるので、新幹線リレー号が停車してた6番線や455系が停車してた8番線は高架ホームに見えません。

さて、急行と言えば165系ですが、この鉄旅では165系を全く撮影してないのが不思議です。
フィルム時代のあるあるで、165系
f:id:okinawa-rail:20230404020640j:imageこの様に名古屋でも撮れるからと撮らなかったんでしょうか?
特に新潟運転所の165系を使用する上野~新潟間の「佐渡」と上野~長岡~直江津間の「よねやま」は、82年11月ダイヤ改正で電車化された新潟~名古屋間の「赤倉」と共通運用なので、同じ編成が名古屋地区でも撮れますからねf:id:okinawa-rail:20230404020747j:image1983年11月 定光寺

それでも撮っておけよと、当時の自分を詰問します。

一旦上野駅から離れて新鶴見機関区に来ました。

f:id:okinawa-rail:20230404020857j:image手前はナンバープレートが見えませんが連結器周りがすっきりしてるので、かつてのブルトレ牽引機EF65-500Pでしょうか。
f:id:okinawa-rail:20230404165601j:image1981年5月 豊橋西小坂井
その奥はヘッドライトが中央にあるのでEF60で、83年当時はまだ東海道本線で貨物を牽引してました。f:id:okinawa-rail:20230404021015j:image1983年1月 名古屋
新鶴見機関区は新鶴見操車場に併設されていて、83年3月当時はまだ貨車を行き先別に仕分けるヤードが機能してるので、EF60の奥ではハンプと呼ばれる貨車が自走する為の小高い丘の上から降りて来た無蓋貨車トキが通過中です。

EF60の脇にある倉庫に書かれ文字が激しい労使紛争が繰り広げられた事を物語ってます。文字の掠れ具合から1975年11月26日から10日間に渡って国鉄がストップしたスト権奪還ストの際に書かれたのでしょうか。

f:id:okinawa-rail:20230404100252j:image
この様なカットはモノクロにすると味が出るのでモノクロにしてみました。
f:id:okinawa-rail:20230404021341j:imageEF65-1087号機です。
分割民営化でJR貨物に継承されて2087に改番されましたが、国鉄色に戻って今でも現役なのが嬉しいですね。
EF65の上に敷かれた線路内には、現役で稼働してるヤードらしくハンプを駆け下りて来た貨車の車輪を挟んで貨車にブレーキをかけるカーリーダーが写ってます。

上野駅を離れて新鶴見機関区まで来たのですが、撮影したのは2カットだけだったので、一体何しに来たのやら(笑)

そもそも上野からどーやってここまで来たのかも覚えてません。
新鶴見機関区は横須賀線新川崎駅に隣接してますが、南武線に乗ってた記憶も薄らとあるので南武線の鹿島田から歩いた?
f:id:okinawa-rail:20230404021441j:imageグーグルマップより

どうやって戻ったのか覚えてませんが、上野駅に戻って来ました。

f:id:okinawa-rail:20230404101636j:image185系200番台の特急「あかぎ」です。
185系200番台は新幹線リレー号用に製造されたと思われがちですが、実は新前橋電車区の老朽化した165系f:id:okinawa-rail:20230404173150j:image(1985年1月 川口駅)
の取り替え目的で製造されて、その目的通りに82年11月ダイヤ改正から165系で運転されてた高崎線の一部の急行が185系を用いた特急になり、「あかぎ」もその165系の急行から格上げされた特急の一つです。
「あかぎ」は上野と群馬県県都前橋を結ぶビジネス特急なので運転時間帯が上りは午前中、下りは夕方に片寄ってました。

f:id:okinawa-rail:20230404022101j:image特急「白根」です。
「白根」は上野~万座、鹿沢口間の特急で、1971年に不定期列車でデビューしました。
車両はデビュー当初は田町電車区の157系でf:id:okinawa-rail:20230404115126j:image(鉄道ピクトリアル誌より)
75年からは183系1000番台でしたが
f:id:okinawa-rail:20230404114951j:image(鉄道ジャーナル別冊No.2より)
東北新幹線の東京駅乗り入れ工事で東京~上野間の回送線が82年11月限りで廃止されて田町電車区から上野駅に183系を送り込めなくなったので、使用車両が82年11月ダイヤ改正から新前橋電車区185系200番台に変更されて、同時に不定期列車から定期列車に昇格しました。
この「白根」は「あかぎ」と併結されていて14両編成になりますが、双方を撮影してあるので、地平ホーム15番線を端から端まで280メートル歩いたようです。
因みにですが、「白根」は85年3月ダイヤ改正で、同じ区間を走る急行「草津」を吸収して新特急になるのですが、その際に「白根」の名が消えて吸収した「草津」を名乗る事になります。
f:id:okinawa-rail:20230404115245j:image1985年3月
分かりにくいですが、左側が新特急「草津」です。
特急が同じ区間を走る急行を吸収するのはよくありますが、列車名が吸収した急行の列車名になる“下克上”が起きて特急の列車名が消えたのは「白根」だけです。

余談ですが新特急「草津」はJR移行後も走り続けて、2014年からは使用車両が185系から直流化された651系1000番台になり
f:id:okinawa-rail:20230404115400j:image(Wikipediaより)
今年の春のダイヤ改正651系が引退して使用車両がE257系に変更されて、列車名も「草津・四万」になりました
f:id:okinawa-rail:20230404115602j:image
Wikipediaより


f:id:okinawa-rail:20230404022743j:image秋田から到着した特急「つばさ」4号です。
「つばさ」は上野と秋田を奥羽本線経由で結ぶ特急で、福島までは東北新幹線と並行しますが、新幹線が大宮止まりな事から、大宮と福島で二度の乗り換えを強いられるので、利便性を考慮して3往復が上野駅に直通してました。
撮影場所は地平第4ホーム19番線で、トタン板で覆われてる右側は東北新幹線上野地下駅が工事中で、第4ホームの直下も地下駅になるので、線路は地下から仮受けされています。
後にこの19番線は新幹線乗り換えコンコースになります。

f:id:okinawa-rail:20230404022852j:image上野駅構内の留置線から16番線に据え付けられた特急「あさま」19号か、長野から到着した「あさま」12号です。
82年11月ダイヤ改正上野駅のホーム使用状況は大きく変わり、地平ホームは特急、急行の専用ホームになりましたが、撮影してるのは夕方なので、隣の15番線には近、中距離列車の115系が入線しています。

f:id:okinawa-rail:20230404023028j:image上野駅地平15番線です。
特急「谷川8号、白根6号」で到着した185系200番台が回送表示を掲出して尾久への出発待ち中です。隣の16番線には特急「あさま21号」が停車中で、春休みだからでしょうか指定席は満席のようです。
この地平15番線は185系が出発した後には新潟行き急行「佐渡5号」が上野駅留置線から入線するので、ホーム上には「佐渡5号」の乗客の荷物が置かれています。

今から40年も前の事が細かく分かるのは、記憶が抜群に良い訳ではなくて、手元に鉄道ファン誌83年8月号の付録の上野駅着発線使用状況図があるからです
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f:id:okinawa-rail:20230404023219j:imageこの使用状況図は各ホーム毎にどの列車が何分に入線して、何分に発車するかが一目で分かる優れ物で、このブログのキャプションを書くのに大変役に立ってます。

f:id:okinawa-rail:20230404023311j:image上野駅18番線に到着した特急「鳥海」です。
「鳥海」は青森~上野間を羽越、上越線経由で結ぶ特急で、82年11月ダイヤ改正までは「いなほ」を名乗ってましたが、「いなほ」は新潟からの新幹線接続特急にシフトしたので、1往復だけ残った上野に直通する列車は新たに「鳥海」を名乗る事になりました。
この「鳥海」は82年11月ダイヤ改正以降は上越国境を越える唯一の定期昼行特急で、庄内地方と上野を乗り換えなしで結ぶ使命を帯びてたので、新潟には寄らずに新発田から新津へ直行してました。

上野駅編はこれで終わりです。
友人は寝台特急「あけぼの」f:id:okinawa-rail:20230404023526j:imageや東京駅で「紀伊
f:id:okinawa-rail:20230404023604j:imageを撮影してますが、私はフィルムがなくなったのか、それらは撮影していません。
なので友人から写真を提供して頂きました。
友人様、提供を快諾して頂きありがとうございます。
更に特急「ひたち」も撮ってなかった事に今気が付きました(笑)
f:id:okinawa-rail:20230404023643j:image(鉄道ジャーナル別冊No.2より)
この特急「ひたち」は83年当時はボンネット型、貫通型、非貫通型とクハ481の全てのタイプが揃っていて、毎時1本の運転でどの時間帯でも見られたのに、何故撮らなかったのかと、当時の自分を詰問します。

 

東京駅からは二日目の宿になる鉄道ファン憧れの列車大垣夜行に乗って大垣へ向かいますが、懲りずに余計な事書きすぎて長くなったので、続きはまた明日にでも書きましょう。

 

それでは。