きょうはあさからよいてんきで、ちょっとあつかったです。
ってきのう←素で平仮名で書いた(笑)
仕切り直して……
昨日のと同じで平仮名で始まりましたけど、子供の日でどころか、GWも終わったので、通常モードに戻るのですが、今日は昨日の続きで1981年のGWの部活の校外活動の様子を書くので、このブログはまだGWであり、子供の日でもあります。
あぁ、何とか冒頭の平仮名書き出しに繋がったわ(笑)
さて、昨日のおさらいをざっとすると、1981年のGWは高校の部活、鉄道部の校外活動で国鉄の豊橋機関区(現、JR東海豊橋運輸区)に見学に行ったのですが、当時の部長がアポを取ってなかったので機関区には入れず、かと言ってそのまま名古屋に戻るのも豊橋まで何しに来た?って事になるので、飯田線の下地駅に移動して旧型国電を撮る事になったので、下地駅に行く前に豊橋駅であれこれ撮影したのが、昨日の記事です。
では下地駅に到着したので、続きを始めましょう。
80系です。
80系は流電52系を置き換える為に78年に大垣電車区から転入しました。
右下が暗いのは指がレンズにかかったからです(笑)
東海道本線の上り快速と併走する名鉄7500系です。
名鉄は伊奈~豊橋間で平井信号所からは飯田線と線路を共用していて、運転規則も国鉄のそれに準じています。
その為に飯田線の線路規格が低いので最高速度が85km/hに抑えられてるので、このカットは一見するとパノラマカーと153系が激しいデッドヒートを繰り広げているように見えますけど、実はパノラマカーが終点豊橋を目前にして、国鉄の快速に追い越されてるシーンだったりします。
またまた80系です。
東海道、山陽本線や東北、高崎、信越、中央本線などの国鉄の主立った直流電化線区で走ってた80系が最後まで残ったのがこの飯田線です。
引退は83年なので、この時はまだ静かでした。
この2年後に80系フィーバーが起こります。
先のパノラマカーが折り返して来ました。
先に書いたように豊橋~平井信号所間で飯田線と線路を共用していて、上り線が名鉄所有で、パノラマカーが走ってる下り線が国鉄飯田線になります。
これは現在でも変わりません。
豊川橋梁を渡る旧型国電です。
何度も書きますが、旧型国電には疎いので型式は分かりません。
先頭車はクモハ54系でしょうか?
東海道本線の上り貨物です。
今気が付きましたけど、連結器周りがすっきりしてるので、牽引機はブルトレ牽引機だったEF65Pですね。
東海道本線の下り快速です。
豊橋を名鉄の高速(現在の全車一般席特急に相当)と同時発車してるのですが、名鉄の高速は飯田線の速度制限85km/hに引っかかって置いてきぼりにされてるので、姿が見えません(笑)
横須賀色の旧型国電です。
やはり型式は分かりません。
2扉なので43系でしょうか?
急行「伊那」です。
「伊那」は豊橋~伊那市間の急行で、現在の特急「伊那路」のルーツとなる列車です。
車両は大垣電車区の165系4両編成で、出入庫を兼ねて大垣~豊橋間を東海道本線の快速と併結される列車もあり(東海道本線内は快速)、その際には12両編成でした。
先の旧型国電が折り返して来ました。
飯田線は豊橋~辰野間196kmの長大ローカル線ですけど、豊橋~豊川間の区間列車が結構ありました。
おそらくクハユニ56です。
型式のカタカナのクは運転室、ハは普通席、ユは郵便、ニは荷物を表していているので、この車両は1両の車内に普通客室、郵便室、荷物室がある合造車です。
飯田線にはこの電動車版のクモハユニ56もいました。
写真が傾いてますが傾き修正すると前方が消えるので、修正していません(笑)
豊橋駅に戻ってきました。
DE10です。
車体がピカピカなので新製直後かな?と気になったのでネガを限界まで拡大して車番を確認しました。
で、車番は1519号機で調べてみると、1969年に兵庫の川崎重工で製造されて二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)の遠江二俣機関区に新製配置、以来1985年の二俣線廃止まで何処にも移動する事はなくて、廃止後は静岡運転所に移動してJR東海が継承、1996年に廃車になり部品取り用として樽見鉄道に売却されました。
113系2000番台です。
何でこんな中途半端なアングルで撮ったんだろうと思いましたが、スキャンしたのを拡大したら屋根にハトが群れてました。
あぁ真空管テレビが点くようにぼんやりと記憶が甦ってきました。
屋根に群れてるハトが面白いから撮ったんだ(笑)
1981年GWの飯田線は以上です。
二日間に渡り長々とお付き合いありがとうございました。
次は何の過去鉄にしようかなぁ。
って、瀬戸線を早く書かなきゃ。
それでわぁ~