気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

木曜日 過去鉄…1985年1月の落ち穂拾い

今日の名古屋は午前中は晴れてましたが、午後は雲が多くなってきましたねぇ。

そんな天気の話しもそこそこに、さくさくっと本題に行きますよ。

一昨日のブログで大宮駅と川口駅の間に中央西線古虎渓駅名鉄ナゴヤ球場前駅で撮影したカットがあった…なんて事を書いてるので、今日はその辺りの事を書きましょう。
題して「1985年1月の落ち穂拾い」です。

毎度の事ですが、写真とネガスキャンの混合なので、色と画質に纏まりが無い事はご承知下さいまし。

まずは中央西線古虎渓駅です。
f:id:okinawa-rail:20220204015552j:image本気を出した大型ヘッドライトを煌々と輝かせて愛岐トンネルを抜け出た急行「赤倉」です。
急行「赤倉」は新潟~名古屋間を信越本線篠ノ井線中央西線経由で結ぶ列車で、1973年に篠ノ井線篠ノ井~松本間と、中央西線塩尻~中津川間の電化が完成して、走行線区が全線電化されても165系が足らないので電車化される事なくディーゼルカーのままでしたが、1982年11月ダイヤ改正で房総半島の急行が全て廃止されて165系が捻出されたので漸く電車化されました。
先頭車はクモハですけど、「赤倉」を受け持っていた新潟運転所はクモハの特徴であるモーター冷却風取り入れ用の箱型通風器を撤去してました。
これは冬季に通風器から雪が侵入してモーターがショートするからで、実に雪国らしい措置と言えますけど、本来有るべき物がないと物足らないですねぇ。
実は撮った事をすっかり忘れていてネガスキャンした際はクハ165が先頭の大垣電車区165系の臨時の急行か?と思ったくらいです(笑)
文字だけでは伝わらないので、ちょうど良い比較写真があったので貼っておきます。
f:id:okinawa-rail:20220204015706j:image左側:大垣電車区のクハ165 右側:箱型通風器を撤退してない松本運転所のクモハ165
スクロールして赤倉の写真に戻って頂くと、赤倉のクモハ165はクハ165に見えるのがお分かり頂けるかと。

古虎渓駅に戻りましょう。
f:id:okinawa-rail:20220204015822j:imageなんだかよく分からないですが、急行「赤倉」です。
何かに影響されて正面を撮ってからカーブで傾く列車を撮ったんだと思いますが、ピントが合ってない酷いカットですね。
ところで急行「赤倉」は先にも書きましたけど、走行線区が電化されてから9年目にして漸く電車化されましたが、それも束の間で2年4ヶ月後の85年3月ダイヤ改正で廃止されてしまいました。
これは「赤倉」と共通運用だった上野~新潟間の急行「佐渡」と上野~直江津間の「よねやま」が上越新幹線上野乗り入れで廃止されるので、「赤倉」だけグリーン車1両組み込まれた10両編成の急行を残しても車両運用効率が悪いので、全線通しての利用率の悪さもあって一緒に廃止になりました。

f:id:okinawa-rail:20220204020418j:image愛岐トンネルを抜けて古虎渓駅に到着する113系下り普通列車です。
「赤倉」の165系もそうですが、大型ヘッドライトは減光時はやる気が無いのか、点いてるか点いてないか分からないですが、本気出すと眩しいくらいですね。
ところで、古虎渓駅庄内川の渓谷沿いのトンネルに挟まれた秘境駅みたいな駅ですが、庄内川の対岸の山の上に開かれた住宅地、「多治見、市之倉ハイランド」…右下に看板が見切れてます…の最寄り駅なので、隣の定光寺よりも利用者は多いです。
夜でも乗客が降りるので、中央西線を初めて利用する事情を知らない乗客は、なんでこんな夜にこんな秘境駅で降りるんだ?と驚きそう。

古虎渓駅を後にして名古屋駅に来ました。

f:id:okinawa-rail:20220204020600j:image117系の下り普通列車です。
117系は快速用ですが、普通にも運用されてました。
f:id:okinawa-rail:20220204020712j:image列車番号は1536Mを掲出してますが、85年当時の時刻表を見ると1536Mは偶数なので上り列車で、名古屋を16時39分に発車する浜松行きなので、いつから掲出したままなのやら(笑)
名古屋駅で撮影したのは1コマだけなので、2枚目は拡大して遊んでみました。


それにしても太陽高度が低い冬の昼近いトップライトはコントラストがキツイですね。これ、コダックのネガのスキャンですが、コダックは古くても比較的綺麗な色が出ますが…赤倉や113系はほぼ無補正です…コントラストがキツイからかカラーバランスが崩れて頑張っても補正出来ません。

 

名古屋駅を後にして名鉄ナゴヤ球場前(現、山王)に来ました。

f:id:okinawa-rail:20220204020859j:image特急「三河湾」号です。
85年当時は名鉄の特急には愛称が付いていて「三河湾」号は蒲郡行きで、後の西尾特急のルーツにあたるでしょうか。
名鉄は1982年に国鉄東海道本線に走り始めた117系快速に対抗して、7000系パノラマカー4両編成の座席をセパレートタイプのヘッドレストが付いたバケットタイプの転換クロスシートに交換して、車体に白帯を巻いた特急専用車を整備して名古屋本線の特急を中心に投入してました。

f:id:okinawa-rail:20220204020948j:image何がなにやらですが、新幹線0系をベースにした初代ドクターイエロー922型です。
今ほど情報が溢れる時代では無いので、ドクターイエローは何時どこに現れるか分かりません。駅に停車中なら撮れますが、走行中の姿を見た時にはピントを合わせる間もないので、何がなにやらなカットになりました(笑)
なので綺麗な922型の写真をWikipediaから引用させて頂きました
f:id:okinawa-rail:20220204021027j:imageWikipediaより


f:id:okinawa-rail:20220204021101j:image豊橋行きの特急です。
行き先板が「豊橋」になってますが、これも愛称の「豊橋」号ですね。
後部の7700系は先の7000系同様の特急車として整備されていて増結用して使用されてました。
実はこれ、映えを良くするために大胆にトリミングしてまして、原板はこちらになります。
f:id:okinawa-rail:20220204022139j:imageよく見ると東海道線本線をDD51が先行してますが、これおそらく熱田駅に熱田発長野行き荷5043列車を迎えに行くんだと思われます。

f:id:okinawa-rail:20220204022651j:image
f:id:okinawa-rail:20220204022726j:imageナマズこと850系です。
850系は現在の名古屋本線の西半分に当たる西部線の特急用として1937年(昭和12年)に製造された車両で、当時世界的に流行していた流線形車体ですけど
f:id:okinawa-rail:20220204125551j:image2000年 日本車輌豊川製作所
平妻貫通型のモ800型の箱型車体を急遽非貫通の流線形に設計変更したのか、前面は屋根が中央に大きく垂れ下がる半円形に、三枚の平窓を配置した独特なスタイルになり、その形態から“ナマズ”の愛称がつけられました。
同じ流線型でも最初から流線型として設計された名古屋本線の東半分に当たる東部線用の3400系ほどの美しさはなかったですね。f:id:okinawa-rail:20220204171026j:image86年6月 堀田

850系は早い時期から他車との連結化工事が施行されてたので他の旧型AL車と共通運用されてたので何処に現れるか分からないので、姿を見るのは運任せでした。
なので一度見たらとことん撮りまくるのですが……f:id:okinawa-rail:20220204023020j:imageこれはやり過ぎです(笑)

f:id:okinawa-rail:20220204023139j:imageピントがボケてますが5500系です。
5500系は1959年に製造された日本初の料金不用の冷房車です。
1959年当時は列車内の冷房は特別な物で、特別料金が必要な“特別急行”だけが備えていて、急行の一等車…現在のグリーン車…ですら扇風機でした。そんな時代に名鉄は並行する国鉄東海道本線線に対抗する為に特別料金が不用な一般車に冷房を装備して“大衆冷房車”の先駆けになりました。
国鉄で急行の普通車に冷房車が登場するのは1968年から、料金不用の通勤車では1973年からで、私鉄でも大体同じ頃から冷房車が普及し始めてるので、名鉄の冷房車がどれだけ早いかがお分かり頂けるかと思われます。
この5500系は2扉転換クロスシート車だったので晩年まで本線系統の特急、急行で活躍してましたね。f:id:okinawa-rail:20220205163923j:image92年11月本宿

ナゴヤ球場前駅での撮影…書き忘れてましたが、撮影日は1月7日だと思われます…はここまでで、次のコマからは一昨日ブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2022/02/01/213946
京浜東北線川口駅になります。


次は昨日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2022/02/02/235800の高速コンテナの次のコマになります。
f:id:okinawa-rail:20220204023354j:image東京駅12番線に停車中の特急「踊り子」17号です。
「踊り子」の183系1000番台は「踊り子」の前身にあたる特急「あまぎ」時代の1976年に、老朽化した157系(鉄道ファン1973年6月号より)f:id:okinawa-rail:20220204165535j:imageの取り替えで投入されました。
1981年10月ダイヤ改正で急行「伊豆」と統合してデビューした「踊り子」でも引き続き使用されてましたが、85年3月ダイヤ改正では廃止になる新幹線リレー号から捻出された185系200番台7両編成4本が田町電車区に移動して「踊り子」の使用車両を185系に統一、183系1000番台は長野運転所に移動して特急「あずさ」に就きます。
f:id:okinawa-rail:20220204130651j:image1986年9月 松本駅

因みに田町電車区に移動した185系グリーン車の位置を6号車から真ん中の4号車に変更して7両編成のB編成になりました。
移動後は暫くストレート帯のままでしたが、順次斜めストライプに変更されてストレート帯の踊り子は撮れなかった……と思いきやJR移行後にも新前橋電車区から田町電車区185系200番台が移動してストレート帯のまま「踊り子」に就いてたのを偶然にも撮ってました。f:id:okinawa-rail:20220204130814j:image91年4月 京浜東北線新子安駅

話し183系の「踊り子」に戻しますが、「踊り子」で活躍する183系の最後の勇姿なので、折り返し整備中で開いてる線路側のドアが閉まるのを待って撮れば良いのに、開いてる状態で撮ってるのは、この日は急行「東海」3号に乗った記憶が微かにあるので、「踊り子」17号の入線から「東海」3号の発車までは5分だけなので、開いてるのを承知で撮ったんだと思われます。

ところでこの写真は、85年のお正月に大宮駅に行った際に撮ったと37年間思ってたので、ネガを見て昨日、一昨日のブログの川口駅の後に撮ってたと分かったので驚きました。
踊り子17号が東京駅に入線するのは14時13分なので、川口駅を引き上げて真っ直ぐ東京駅に向かえば入線に間に合いますが、東京まで来て鉄道模型KATO直営の「ホビーセンターカトー」に寄らずに(笑)帰るなんて思えないので、急行東海に乗ったのはお正月かもしれません。

じゃあなんでドア閉まるまで待ってなかったん?
運転台屋根がシルバーに輝いていて、スカートも汚れが無い綺麗な明灰白色なので、全般検査直後のピカピカの車体だよ、
f:id:okinawa-rail:20220204130904j:imageネガスキャンしたくすんだカットじゃ分からないけど。

やはり当時の自分をそこに座れ!と正座させて小一時間ネチネチと問い詰めないといけないです。

1985年1月の落ち穂拾いは以上でございます。最後までお付き合いありがとうごさいました。

次の過去鉄は何にしましょうかね。

小ネタ的なのもあるのでそちらにしましょうか。

何になるのかはお楽しみに。

それでは。