気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

月曜日 過去鉄…1990年7月御岳赤沢号

今日は台風9号とそれから変わった温帯低気圧の影響でほぼ一日雨でしたねぇ。

最近はそんな天気の話しで始まると空やら雲やら夕焼けの写真ばかりになって、流石にそれではワンパターンなので、今日は久しぶりに鉄道ブログにしましょうか。

題して「過去鉄、御岳赤沢号」です。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、色に纏まりがないのはご了承下さいまし。

 

先ず「御岳赤沢」号についてざっくり説明しましょう。
「御岳赤沢」号はJR東海が夏休み期間中に中央西線に運行してた快速列車で、運転開始はJRが発足した1987年からで、当時は「赤沢森林」号で、運転区間は名古屋~木曽福島間でした。
1990年からは列車名が「御岳赤沢」に変更されて運転区間塩尻の一つ前の洗馬まで延長されてます。
そんな「御岳赤沢」号を1990年の7月に乗りに行ってるので、その様子をご紹介しましょう。


f:id:okinawa-rail:20210809211334j:image
と言いつつ最初に登場したのは、このブログでも度々貼ってる中央東線の横須賀色の115系です。

下り「御岳赤沢」号の名古屋発は7時30分頃と早かったので、それに乗るには自宅を6時くらいに出ないといけないので、乗るのは上り列車にしました。
でも往復共に中央西線ではつまらないので、往路は松本まで中央道特急バスで行ったので、松本駅で停車中の115系を撮影したのですよ。

 

先にちらっと書きましたが、「御岳赤沢」号は名古屋~洗馬間の運転で、塩尻を目前にして折り返すのはJR東日本との絡みがあったんでしょうね。
その洗馬までは中央西線の上松行きで向かいました
f:id:okinawa-rail:20210809211933j:image洗馬では後続の特急「しなの」に追い越されるので、下りホームから追い越される様子を狙って、「しなの」が通過するのを強調したくてシャッタースピードを遅くしたら、「しなの」も通過速度が遅くて思ったほど流れてくれませんでした(笑)

f:id:okinawa-rail:20210809212028j:image
当時使ってた機材はキャノンAV-1で、唯一のマニュアルと呼んでたストロボシンクロ1/60固定を使って撮った記憶がありますが、ほぼブレずに頭が揃いました。

165系は製造期間が長くて製造時期によって車体に細かな差異があります。
洗馬まで乗った列車のクモハは55までの雨樋が短いタイプで、
f:id:okinawa-rail:20210809212518j:image神領車両区には1990年当時は4両存在していて、相棒のモハ164は簡易運転台付きの500番台なので、その500番台はJRで最後まで残った504かな?とネガを限界まで拡大しましたけど
f:id:okinawa-rail:20210809213646j:image車番までは分かりませんでした。

さて、お待たせしました「御岳赤沢」号です
f:id:okinawa-rail:20210809213920j:image手作り感溢れる何とも大きなヘッドマークですが、当時はこれが標準だった気がします。

線路側のドアが開いてるのは種別サボを挿入するからですが、これを客扱い中に行ってたのが怖ろしいですねぇ。

乗客が落ちたらどーする。

編成はT8編成なので、塩尻方の先頭車は現在リニア鉄道館に収蔵されてるクモハ165-108でした
f:id:okinawa-rail:20210809215120j:imageでも当時は最後まで残った原型ヘッドライト車で、博物館に収蔵されるなんて思いもしないので、逆光で黒くつぶれたのか写真は処分したようで残ってないのが、実に惜しいです。

余談ですけど、上の写真でホーム上を乗務員さんが歩いてますが、この列車を洗馬駅で撮って、更には乗ってたのがよほど珍しかったのか、「わざわざ撮りに来たの?」と話しかけられました(笑)

 

「御岳赤沢」号の写真は以上です。最後までお付き合いありがとうございました。

 

久しぶりの過去鉄ですが、近い内に大型企画を予定してますので、期待しないでお待ちくださいませ。

さぁ写真スキャンするかなぁ。←そこからかよ!

 

それでわぁ~