気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

火曜日 鉄道ブログ…過去鉄名古屋の103系

今日の名古屋市は朝は晴れましたが、次第に曇って来ましたね。

先日、まだまだ暑いなんて書きましたが、朝は涼しい…いや、寒さくらいで、つい先日までTシャツに短パンで布団もかけずに寝てたのに、昨夜は長袖のパジャマ来て、布団もしっかりと被って寝てたのですから、寒暖の差があり過ぎですよ。

因みに今日の名古屋市の最低気温は16.1℃で寒い部類には入らないんですが、先月までの熱帯夜と比較すると十分に“寒い”です。


そんな前置きとは何ら関係ないですが、今日は10月3日で、数字だけ並べる103で、103と言えば103系電車なので(笑)、今日は久しぶりの鉄道ブログで、過去鉄、名古屋の103系をお届けしましょう。

例によって写真とネガスキャンに他所からの引用画像が入り混じってるので、画像に纏まりがない事だけはご了承下さいまし。


では先ずは103系電車についてざっくりと解説します。

103系国鉄の通勤型車両で、1963年に試作車が登場して1964年から量産が始まり1984年までに3447両が製造されたので“団塊の車両”と呼ばれています。

山手線を始めに首都圏や大阪圏に投入されて、名古屋には1977年から中央西線で走り始めました。

沿線に日本三大ニュータウンの一つである高蔵寺ニュータウンを抱える中央西線はラッシュ時の混雑が激しくて、3扉の70系
f:id:okinawa-rail:20231003221343j:image(鉄道ピクトリアル誌より)
では対処できず、1975年に4扉の72系
f:id:okinawa-rail:20231003221415j:image(鉄道ファン誌より)
が導入されましたが、77年には京浜東北線ATC、冷房化により押し出された103系初期車に置き換えられました。

103系導入に際しては、列車線を走るので保安装置はATS-S型に変更され、運転台には縦長の運転時刻表差しと、多治見からは準寒冷地を走るので運転席側窓にデフロスターが整備されました。

f:id:okinawa-rail:20231003221511j:image1978年11月 
名古屋駅8番線に停車中ですが行き先表示器はまだ白幕のままなので、行き先は分かりません。
f:id:okinawa-rail:20231003231154j:image1981年12月
クモハ103を先頭に名古屋駅8番線に停車中の10両編成で、国鉄時代は首都圏以外での10両編成は中央西線だけでした。

京浜東北線の蒲田と下十条電車区は敷地が狭隘なので検修庫の有効長が7両分しかないので、10両編成は基本7両、付属3両編成に分割するので、京浜東北線向けの103系は奇数向き(東海道本線上で東京向き)先頭車がクモハ103になりました。
中央西線103系はその蒲田と下十条電車区から転入してるので、奇数向きの先頭は全てクモハ103でした。
f:id:okinawa-rail:20231004025613j:image1982年3月 名古屋
2編成並んでると都会的な雰囲気を醸し出す……はずなんですが、ホームが列車ホームと呼ばれる低いホームでホーム面が車体裾部より低いのと、中線を挟んでるので、都会的な雰囲気はありません(笑)
f:id:okinawa-rail:20231004025740j:image1983年3月
名古屋駅7番線で出発待ちのF1編成です。
中央西線では正面の行き先表示幕は使用せずに「中央線」と書かれたステッカーが貼られました。

このF1編成を珍しく縦構図で正面から撮影したカットがありました
f:id:okinawa-rail:20231004094644j:image随分と汚いカットですがネガが真っ赤になるくらい劣化していて、ネガスキャンした際には車体がエメラルドグリーンf:id:okinawa-rail:20231004095025j:imageだったのを、どーにかこーにかスカイブルーにしたので“汚写真”なのはご勘弁下さいな。

f:id:okinawa-rail:20231004025847j:image1983年3月
名古屋駅10番線に停車中の多治見行きです。
正面の行き先表示幕は使用されないので、ドア横に[名古屋⇔多治見]などのサボを掲出してました。

1977年に103系が名古屋に来るとのプレスリリースを読んで、名古屋も漸く都会的になると喜びましたが、実際に運用が開始されてこの103系には似合わないサボを見て、当時小学生だった鉄道児童はガッカリしましたね。

因みにこのサボの掲出は先頭車の一番前のドア横だけなので、ホームに上がる(若しくは降りる)階段の位置によっては見えるのは中間車だけなので、行き先が分からないので、小学生でもこれはダメだろうと思ってました。

余談ですが、折り返しでサボ交換する際には線路側のドアも開けるので、東京駅や上野駅では車内整備と称してホーム側のドアは閉めてサボ交換が終わるまで客扱いしてなかったですが、名古屋駅ではホーム、線路側双方のドアを開けて客扱いしながらサボ交換してました
f:id:okinawa-rail:20231004100948j:image(鉄道ジャーナル誌より)
今なら確実に安全軽視だと大問題になりますが、当時はこれが当たり前でした(笑)

f:id:okinawa-rail:20231004030059j:image1983年11月
庄内川の渓谷沿いに設けられた定光寺駅での並びです。
都会的な103系には不釣り合いな光景ですが、これも中央西線103系の魅力の一つでした。
本気を出すと眩しい白熱灯ヘッドライトを輝かせた右側の103系はこの後MT55のモーター音をトンネル内に反響させながら全長2910メートルの愛岐トンネルを爆走します。
f:id:okinawa-rail:20231004030153j:image1986年11月
錦秋の定光寺駅に停車中の瑞浪行きです。
1986年11月ダイヤ改正でサボの使用が停止されて、正面の行き先表示幕の使用が開始されたので、漸く漸く名古屋の103系も都会的になったと喜びましたが、行き先表示器のサイズに対して文字のサイズが小さかったので、違和感がありましたね。
f:id:okinawa-rail:20231004030316j:image1986年11月
錦秋の定光寺駅に停車中の多治見行きです。
神領電車区103系は全70両中の40両が冷房化改造されてましたが、この写真の様に非冷房車ばかりの編成もありました。
非冷房車には側面に行き先表示器が無いので、先頭車の正面を見る以外には行き先を知る術がないので、サボ廃止は更なるサービスダウンになりましたね。

ところで最後部の車両は運転席側車体裾部にKE70ジャンパ線受けが無いので、偶数向き(東海道本線上で大阪向き)専用車のクハ103-500番台で、非冷房車なので神領電車区に所属したクハ103-500番台で唯一の非冷房車だった542だと分かります。
このクハ103-542は1985年3月ダイヤ改正で豊田電車区から転入しましたが、この車両は昭和40年度早期債務予算の新製件名[中央西線瑞浪電化用]で1966年に製造されて下十条電車区に配置されてるので、製造後19年経て回り回って漸く新製件名の路線に投入された事になります。
この中央西線瑞浪電化名目で製造された103系は42両ですが、回り回って神領電車区に来たのはクハ103-542が唯一です。
f:id:okinawa-rail:20231004030509j:image1987年3月31日
名古屋駅に停車中の瑞浪行きです。
国鉄が終わるその日、最後に乗った国鉄列車は103系でした。
f:id:okinawa-rail:20231004030548j:image1987年6月
高蔵寺定光寺間の玉野ストレートを走る多治見行きです。
神領電車区103系は導入当初はMcM’TMM’T’cの基本6両編成と、McM’TT’cの付属4両編成で最大10両編成で運用されてましたが、86年11月ダイヤ改正からは昼間に付属編成を活用して運転本数を増やすので、付属編成から基本編成にTを移して、McM’TTMM’T’cの基本7両編成と、McM’T’cの付属3両編成に組み換えられました。
それはJRになっても変わらないので、この列車は基本7両編成かと思ってましたが、なんか短い気がするので写真にルーペを当てて文字通り目を皿にして数えたら付属編成2本を連結した6両編成でした。
こんな編成があった事にJR移行後35年経て初めて気が付きました(笑)
f:id:okinawa-rail:20231004030657j:image1989年2月
高蔵寺定光寺間の高座カーブをMT55のモーター音も高らかに激走する名古屋行きです。
103系は元々駅間距離が短くて運転速度も高くない山手線に特化して開発された車両なので、駅間距離が長くて運転速度もどちらかと言えば高い中央西線には不向きな車両でした。
特に、高速域からのブレーキに難があって、103系は85km/h以上では発電ブレーキ(説明すると長くなるので省略します)が立ち上がらないので、高速走行時にブレーキをかけると、最初は空気ブレーキで、85km/h以下になると発電ブレーキが作動してガクンとブレーキがかかったそうです。
そんな線区に合わない車両でも投入しなければならなかったくらい、中央西線のラッシュ時の混雑は激しかったんです。

JR東海が継承した103系京浜東北線向けに1965年から66年にかけて製造された車両ばかりだったので、1988年に211系5000番台
f:id:okinawa-rail:20231004031811j:imageが登場すると陳腐化が目立つようになったので、1989年から車両の延命を図る特別保全工事と合わせ車内を211系5000番台と同じ仕様にリニューアルして外装もホワイトに湘南色帯を巻いたJR東海色になりました。
f:id:okinawa-rail:20231004030815j:image1989年6月
名古屋駅に停車中の多治見行きです。
分かりにくいですが特別保全工事では窓は四隅が四角のユニットサッシに交換されてるので、見た目は冷房付きで新製されたタイプと同じになってます。
f:id:okinawa-rail:20231004030950j:image上の写真のネガスキャンです。
この多治見行きは13番線に停車中で、13番線から発車する中央西線の列車はレアな気がするので、同時プリントでは切られた最後部まで入れてみました。
f:id:okinawa-rail:20231004031322j:image1990年5月
名古屋駅8番線に停車中の多治見行きです。
リニューアルの過度期にはJR東海色とリニューアル未施行のスカイブルーとの混色編成が見られました。
f:id:okinawa-rail:20231004031359j:image1990年8月
矢田川橋梁上ですれ違う211系5000番台と103系リニューアル車です。
このように並ぶと103系を211系に並にリニューアルしたのが分かる……かな?
因みにこの写真を撮影した機材はキャノンAV-1で外付けのパワーワインダーも付けてますが、ネガを見ると1カットだけで連写してないので、一発勝負で“勝った”ようです。
f:id:okinawa-rail:20231004031915j:image1992年3月
名古屋駅7番線に停車中の神領行きです。
中央西線は沿線に高蔵寺ニュータウンを抱える名古屋地区最混雑線区なので、103系の冷房改造は進んでましたが、全70両中30両は非冷房車だったので、JR移行後の88年頃から個人的に弁当箱クーラーと呼んでる四角のクーラーC-AU711Aで冷房化されました。
このカットの前2両はその“弁当箱クーラー”を装備してます。
f:id:okinawa-rail:20231004032006j:image1992年3月
名古屋駅3番線に停車中の多治見行きです。
中央西線のホームは第4ホーム7、8番線と第5ホーム10、11番線で、この列車は手前に中線があるので10番線に停車中かと思いましたが、よっく見ると路盤がアスファルトで固めてあるので第2ホームの3番線に停車中だと気が付きました。
第2ホームは基本的に東海道本線のホームで、中央西線の列車は臨時列車が発着するだけだと思ってたので、定期列車の多治見行きが出発してたのは驚きです。
撮影した時の事は覚えてないのですが、3番線から中央下り本線へ入るには東海道下り本線を越えなくてはならないので、10両200メートルの長編成をくねらせてポイントを幾つも渡り、中央下り線に出発して行くのはさぞかし圧巻だったと思います。

余談ですが、色が汚くて分かりにくいですけど、左奥には国鉄色117系が写ってます。撮影時期的にJR東海色への塗装変更が進んでるので、レアな姿ではないかと。

リニューアルされた103系は1999年まで使用されて313系f:id:okinawa-rail:20231004032409j:imageと交代するように引退しますが、1992年頃から撮影の主軸が飛行機に移ってそのまま休鉄したので、これが103系を撮影した最後のカットになりました。

 

日付ネタ名古屋の103系、最後までお付き合いありがとうございました。

最後は103系を絡めた名古屋駅定点比較で締めましょう
f:id:okinawa-rail:20231004032501j:image
f:id:okinawa-rail:20231004032725j:image1枚目は再掲載ですが1981年12月の撮影で、名古屋駅前には当時唯一の高層ビルだった地上20階建ての名古屋ターミナルビルがあるだけで他には何もないので空が広いです。
2枚目は同じ場所で38年後に撮影した211系5000番台の10両編成です。
名古屋駅前に城壁の様に高層ビル群が聳え建ったので、1981年にはあった空がなくなりました。
f:id:okinawa-rail:20231004032944j:image
f:id:okinawa-rail:20231004033009j:imageこちらも名古屋駅定点比較で、1枚目は1981年12月、2枚目は2020年2月です。
第5ホームから第1ホーム方向を望んでいますが、第4ホーム上に乗務員詰め所が出来たので、1枚目のカットでは第1ホームまで見通せたのが、2枚目のカットでは見通せなくなってます。
また1枚目のカットでは名古屋駅前通りを挟んで向かい側には7階建て(だったかな)の毎日ビルがあるだけで空が拡がっますが、2枚目カットでは毎日ビルが47階建てのミットランドスクウェアになって、左側にはJRセントラルタワーズがあるので、やはり空が消えました。

空があるのと無いのとで、ここまで変わるのは何度見ても驚きを禁じ得ません。

それでわぁ~