気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

火曜日 鉄道ブログ…過去鉄、1988年パノラマエクスプレス アルプス撮影記

今日の名古屋は一日中北寄りの強い風が吹いていて最大瞬間風速は16時に9メートルを記録してます。
その強い北風で晴れてましたが、最高気温は11.9℃と寒かったですね。

そんな前置きとは全く関係ない、今日は久しぶりに鉄道ブログの過去鉄、「1988年1月パノラマエクスプレスアルプス撮影記」をお届けしましょう。

と言っても今日のネタはぶっちゃけ2020年7月5日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/07/05/235800に書いた、「古いネガから蔵出し写真」の再編集版です。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、色と画質に纏まりが無い事だけはご承知おき下さいまし。透明感があって色が綺麗なのが写真のスキャン、色がくすんで汚いのがネガスキャンで、どれも原版より大胆にトリミングしてるのを白状しておきます。


それでは始めましょう。

 

国鉄時代には各地の鉄道管理局に古い車両を改造した様々な団体専用車両、いわゆるジョイフルトレインが続々と登場して、国鉄最末期には東京西鉄道管理局に三鷹電車区165系電車f:id:okinawa-rail:20240228013952j:imageから改造された前面展望室付きのパノラマエクスプレスアルプスが登場しました
f:id:okinawa-rail:20240228014043j:image(Wikipediaより)

パノラマエクスプレス アルプスは三鷹電車区に配置されて、JR移行後はJR東日本が継承して、列車名のパノラマエクスプレス アルプスに違わず展望室から雄大日本アルプスを眺められる中央東線大糸線をメインに、JR東日本エリア内の関東、甲信越地域で走ってたので、JR東海エリア内には滅多に来なかったのですが、1988年1月忘日にJR東海エリア内の豊橋まで来るとの情報を得たので、友人と車で静岡県鷲津まで撮影に向かいました。

詳しいルートは忘れましたが、おそらくは名古屋から国道1号線をひた走ったと思いますが、愛知と静岡の県境辺りの道路沿いにある倉庫の駐車場に、何やら新幹線100系f:id:okinawa-rail:20240228014208j:imageダブルデッカー(2階建て)グリーン車みたいな物が置かれるのを見付けて、まさかこんな所に新幹線車両がいるはずないので、よく出来たハリボテ(笑)だなと見に行くと、ハリボテでは無くて実物の149型ダブルデッカーグリーン車でした。
f:id:okinawa-rail:20240228014251j:image縦構図でドン!
f:id:okinawa-rail:20240228014353j:image次いで横構図で全景です。
モノクロに見えますがカラーですよ(笑)

JR東海の新幹線100系は主に愛知県豊川市にある日本車輌豊川製作所で製造されて、JR東海の新幹線車両のメンテナンスを行う静岡県浜松市の浜松工場まで輸送しますが、今は陸送ですが、100系までは国鉄時代と同じで飯田線東海道本線甲種輸送していました。

使える写真が無いので今一つ伝わり難いですが、新幹線車両は図体がでかいので、ホームに接触しないように腰高の仮台車を履いて、対向列車とすれ違う事がないように当時設定されてた昼間に列車を運休して線路保守を行う保線間合いの時間帯を活用して輸送されてましたが、ダブルデッカーグリーン車の149型は流石に図体がデカ過ぎて腰高の仮台車を履かせると屋根が架線に接触するので陸送されましたが、何故この場所に置かれてたのか疑問です。

今は豊川製作所から浜松工場までは一晩で輸送してますが、撮影当時は一晩で輸送出来なかったのでしょうか?
あるいはトレーラーに不具合が発生したとかでしょうか?

何れしても昼間に立ち入りを規制するロープもなければ、車両を監視する警備員も配置されず、触り放題(勿論触りませんが)撮り放題ってのは、今では考えられない事です。


そんな思いもよらない「大物」に良い物が撮れたと上気分でその日のメインの撮影に挑んだのですが、来るのは
f:id:okinawa-rail:20240228014655j:imageEF66 37号機牽引の高速貨物
f:id:okinawa-rail:20240228014837j:image豊橋まで快速なので快速表示を出してる117系普通列車
f:id:okinawa-rail:20240228015013j:imageEF65 1037号機牽引の高速貨物列車
f:id:okinawa-rail:20240228015047j:imageEF65 127号機牽引のコンテナが殆ど載ってない貨物列車
f:id:okinawa-rail:20240228015125j:imageまたまた快速表示を出してる117系普通列車ばかりで、予定時刻を過ぎてもパノラマエクスプレスアルプスは来ないので、若干イライラしてたところに現れたのはf:id:okinawa-rail:20240228015201j:imageスーパーライナーヘッドマークを付けたEF66でしたが、その後ろには空車のコキ延々と続いて、これもハズレか…と思いきやf:id:okinawa-rail:20240228015244j:image最後部のコキに「国鉄」の文字とJNRマークが残ってるC36型コンテナが一つだけ積載されてました(笑)


パノラマエクスプレスアルプスは情報が誤ってたのか、運転されなかったのかは定かではありませんが、予定時刻を過ぎても来なかったのですが、長々と連なったコキにコンテナが一つだけの珍列車に脱力してイライラも吹き飛び、「まぁた鉄道ダイヤ情報に欺されたなぁ、帰るかぁ」と朗らかな気持ちで帰路につきました(笑)

鉄道ダイヤ情報に欺されたって凄い話しですが、当時はツアー客が最小催行人数に達しなかったから運休とかはよくある事で、待ち惚けを喰らうのも、これまたよくある事でした。

今は情報過多なので、スマホで運行状況がすぐ分かるので、待ち惚けを喰らう事はなくなりましたね。

 

帰りも国道1号線を走ってるので、ダブルデッカーグリーン車が置かれる場所を通ってるのですが、ネガを見ても撮影してないので、立ち寄らずに通過したようです。

因みにこの時撮影出来なかったパノラマエクスプレスアルプスはその1年5ヶ月後にJR東海エリアに入線して
f:id:okinawa-rail:20240228015918j:image
f:id:okinawa-rail:20240228015639j:image東海エリアのど真ん中、愛知県春日井市中央西線高蔵寺神領間の“出川カーブ”で撮影して、更にその2年後には
f:id:okinawa-rail:20240228015823j:image名古屋市東区中央西線大曽根駅でも撮影出来ましたので、結局静岡県まで行ったのは何だったんでしょうか(笑)


過去鉄、「1988年1月パノラマエクスプレスアルプス撮影記」は以上ですが、余談と言うかオマケでパノラマエクスプレス アルプスについてもう少し書いて締めましょう。

JR東日本では20世紀末から経年車の165系の引退…廃車とは気持ち的に言いたくないです…を進めていて、165系から改造されたパノラマエクスプレス アルプスもその対象なので2001年8月にJR東日本での運行を終了して、翌月に富士急行に譲渡されて、2000形電車に形式変更されました。

パノラマエクスプレス アルプスは6両編成でしたが、富士急行内のホームの有効長さが3両編成までだったので、譲渡時に3両編成に分割されて2001号編成
f:id:okinawa-rail:20240228031000j:image(Wikipediaより)
2002号編成
f:id:okinawa-rail:20240228031033j:image(Wikipediaより)
になり、2002年2月28日より「フジサン特急」として定期運用を開始しましたが、改造種車が1966年から1969年にかけて製造されてるので、老朽化が著しく補修部品の入手も困難な事から、2014年に2002号編成が小田急から購入した20000系
f:id:okinawa-rail:20240228031139j:image(Wikipediaより)
を改造した8000系
f:id:okinawa-rail:20240228031208j:image(Wikipediaより)
に置き換えられて引退。
2016年には2001号編成がJR東海から購入した371系
f:id:okinawa-rail:20240228031249j:image
f:id:okinawa-rail:20240228031313j:imageを改造した8500系
f:id:okinawa-rail:20240228031431j:image(Wikipediaより)
に置き換えられて引退しました。

因みに直流急行型電車は
f:id:okinawa-rail:20240228031630j:image(代表してJR東海165系)
JR東海が2000年、JR西日本が2002年、JR東日本が2003年に引退してJR線上から消えて、JR東日本から譲渡された秩父鉄道3000系
f:id:okinawa-rail:20240228031714j:image(Wikipediaより)
は2006年に引退、北陸新幹線長野先行開業でJR東日本から分離された篠ノ井~軽井沢間を引き継いだ第三セクターしなの鉄道に譲渡された169系
f:id:okinawa-rail:20240228031817j:image(Wikipediaより)
が2014年に引退してるので、富士急行2000系の引退は、国鉄直流急行型電車の引退でもありました。

厳密には165系の台車やモーター、制御装置を再利用して製造されたJR東日本107系
f:id:okinawa-rail:20240228031959j:image(Wikipediaより)
を購入した上信電鉄の700系
f:id:okinawa-rail:20240228032017j:image(Wikipediaより)
が絶賛運用中で完全引退とは言い難いかもですが、こちらはいわば部品で、国鉄直流急行型電車の範疇には入らないので“完全引退”としても良いでしょう。

細かい事ですが、書いておかないと細かい事まで指摘する粘着質鉄オタが突っ込んで来できますから(笑)

 

本編よりもオマケの方が濃いのでは?と思われる過去鉄「1988年1月パノラマエクスプレスアルプス撮影記」最後までお付き合いありがとうごさいました。

最初にも書いてますが、過去鉄と言いつつ2020年7月に書いた記事のリメイクですが、これはInstagramの方でも最近はネタの枯渇で初期に投稿した写真を再スキャンしてのリメイク投稿してるので、それをブログでもやってしまおうとの安易な企画だったりします。

さぁ次は何をリメイクしようかなぁ。

瀬戸線から赤い電車が引退してから今年で10年なので、瀬戸線ブログをリメイクしましょうか。

書いてる途中で止まってるし←忘れてるとも言う(笑)

それでは。