気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

火曜日 鉄道ブログ…2日遅れの日付ネタ

今日の名古屋は朝から良い天気でしたね。

そんな今日の天気の話しもそこそこに早速ですが、今日は久しぶりの鉄道ブログです。

さて、前々からJR東海の211系5000番台について鉄道ブログで書こうと写真も用意してたのですが、中々タイミングが掴めなくて、ならば日付ネタで一昨日の2月11日に書こうと思ってたんですが、Instagramの方で日付ネタで211系を集中投稿したらそこで力尽きて(笑)ブログにまで手が回らず、昨日は病ブログになったので、2日遅れですが、日付ネタで今日211系5000番台ブログを書いてしまいます。


まずは211系5000番台についてざっと説明しましょう。

211系5000番台は国鉄時代の1986年にデビューした211系をJR東海が名古屋の輸送事情を考慮して、独自にアレンジした車両です。
211系については2022年3月9日のブログに詳しく書いてあるので

okinawa-rail.hatenablog.jp

こちらも宜しければお読み下さい。

オリジナルからの変更箇所は外観では運転室助手席側の窓が大型になり、車内から前方の眺望が良くなった事とf:id:okinawa-rail:20240213013931j:image(左側211系5000番台、右側オリジナルの211系0番台)
クーラーが東京のラッシュ時200%超えの車内でも快適にする強大な能力42000kcal/hを持つAU75Gでは東京ほど混雑しない名古屋では能力が過大なので、JR東海が開発した名古屋の混雑時に適した能力18000kcal/hを持つC-AU711D×2基になった事で、オリジナルのカマボコ型クーラーが屋根中央に1基デンと鎮座する姿から
f:id:okinawa-rail:20240213014112j:image
弁当箱クーラーが2基載ってる姿は
f:id:okinawa-rail:20240213014201j:image登場時は違和感がありました。
211系は好きな車両なのですが、名古屋には国鉄末期に導入された2編成だけだったので、JR東海が大量導入するとプレスリリースした際には諸手を挙げて喜びましたが、弁当箱クーラーが2基載ってる姿を見てガッカリしましたね。

因みに個人的に弁当箱クーラーと呼んでるC-AU711Dでは、昨今の38℃を平気で超える炎暑には明らかに能力不足で、“わぁぁぁ~ん”と悲鳴を上げてフル稼働してました。

211系5000番台は国鉄から継承した老朽化した113系f:id:okinawa-rail:20240212172342j:image(1987年6月 中央西線 高蔵寺定光寺)
の取り替え目的で1988年に中央西線から投入が始まり、1989年には東海道本線の名古屋地区、1990年には東海道本線の静岡地区に投入されて、1991年までに242両が製造されました。

これだけ数が多いとそれなりに撮ってるので、ここからはその写真をダラダラと貼っていきます。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、画質に纏まりが無い事はご勘弁下さいませ。

 

まずはいきなりマニア過ぎな事から(笑)

f:id:okinawa-rail:20240212172520j:image1989年1月 高蔵寺定光寺
f:id:okinawa-rail:20240212172455j:image1989年6月 神領高蔵寺
中央西線を走る211系5000番台です。
2枚とも偶数向きのクハ210を写してますが、一目見て双方の違いが分かった方は211系マニアです(笑)

冗談は置いといて真面目に書きますが、1枚目は編成番号札が黒色なので神領電車区所属車、2枚目は編成番号札が白色なので大垣電車区所属車で、撮影当時は大垣電車区所属車も中央西線を走る事がありました。

そしてもう一つ違いがあるのがお分かりでしょうか。それは貫通扉に取り付けられてるホロです。
比較出来る写真が無いので文字だけでは伝わり難いですが、国鉄時代の名古屋鉄道管理局の電車のホロは大垣電車区神領電車区共に偶数向き(東海道本線上で大阪方)に取り付けられてました。
一方で静岡鉄道管理局の電車は静岡運転所と沼津機関区共に奇数向き(東京方)に、豊橋機関区は偶数向きに取り付けられてました。
国鉄時代は特に問題はなかったのですが、JR移行後はホロの位置は統一した方が良いと判断したようで、1989年春頃に113系JR東日本に乗り入れて、JR東日本113系との併結運用がある静岡運転所の車両に合わせて神領電車区、大垣電車区共に所属車両のホロの取り付け位置を奇数向きの先頭車に変更したので、1枚目にはホロが付いてますが、2枚目にはホロが付いていません。
この様な僅かな変化はマニア心を擽りますね。

いや、それはoklahoma-rail、あんただけだよ(笑)

あんまりマニア過ぎな事を書くのもどーかと思うので、ここからは普通に貼っていきます

多分(笑)

f:id:okinawa-rail:20240212174556j:image(1989年11月)
東海道本線の現在では南大高駅になってる大高~共和間を走る普通列車です。
中央西線は沿線に日本三大ニュータウンの一つの高蔵寺ニュータウンを抱える通勤線区で駅間距離も短く、なにより103系が走ってたのでf:id:okinawa-rail:20240213022844j:image(1987年 6月高蔵寺定光寺)
ロングシートの211系5000番台が走っても違和感なかったですが、東海道本線は駅間距離が長くて4人掛けのボックスシート113系が当たり前だったので、ロングシートの211系は違和感ありました。
因みに中央線の103系は211系5000番台がデビューするとほとんどが1966年製の経年車で陳腐化が目立ってきたので、車内は211系5000番台と同じ仕様になり外観もスカイブルー単色から211系5000番台に似せてホワイトに湘南色帯を巻いたJR東海色にリニューアルされましたf:id:okinawa-rail:20240213023124j:image(1990年8月)
この写真は双方が頭揃えてますが、撮影時はパワーワインダーは使わずシャッター1発押しだったのを書き添えておきます。
f:id:okinawa-rail:20240213015518j:image(1989年11月)
清洲駅に到着する東海道本線普通列車です。
助手席側の窓上部には列車番号表示器がありますが、列車番号が掲出される事は稀で専ら車番号が掲出されてました。
それを踏まえて写真を見ると5001と掲出されてるので先頭車はトップナンバーのクモハ211-5001です。
この車両は神領電車区の所属ですが、撮影当時は大垣電車区の211系5000番台と神領電車区の211系5000番台は共通運用だったので、神領車でも東海道本線を走ってました。

f:id:okinawa-rail:20240213172826j:image(1990年1月)
冬の夕陽を真っ正面から浴びて浜松駅に到着する静岡運転所のSS1編成です。
東海道本線の「するがシャトル」に投入されていた119系はf:id:okinawa-rail:20240213172908j:image(1986年8月沼津機関区一般公開)
駅間距離が短くて運転速度が低い飯田線に特化して開発されてたので、駅間距離が長くて運転速度が高い東海道本線を走るのには全く不向きで、2両編成で混雑も激しかった事から、その119系の取り替え用として1989年6月に211系5000番台3両編成11本が新製されて静岡運転所に投入されましたが、この時に製造されたクハ210はトイレ付きの5300番台になり、クハは長距離運用がある神領電車区に配置して4両編成に組み込み、捻出されるトイレ無しのクハを静岡運転所に転出させてます。


トイレ無し静岡の歴史はこの時から始まったんですね。

因みに静岡車両区の211系も引退が始まりましたが、SS編成は1編成も欠ける事なく健在です。

f:id:okinawa-rail:20240213170214j:image(1990年5月)
地上線時代の勝川駅に到着する高蔵寺行き普通列車です。
中央西線で最も変わったのはこの勝川駅周辺でしょうか。
高架化の計画はありましたが工事が始まる気配はなく、背後には中央西線を跨ぐ後の名古屋第二環状自動車道になる東名阪自動車道の高架橋がまだ無いので、初夏の空が広いです。

f:id:okinawa-rail:20240212181655j:image(1990年10月)
顔が半分だけですが、名古屋駅1番線に停車中のクモハ211-5041が先頭に立つ大垣電車区C18編成の普通列車です。

大垣電車区には老朽化した113系初期車の取り替え用として1989年からクモハ211-5000+モハ210-5000+クハ210-5000の3両編成が新製配置されて、神領電車区から転入車も加わって、かつて165系の3両編成、4両編成
f:id:okinawa-rail:20240212184307j:image(1988年1月岡崎)
113系3両編成
f:id:okinawa-rail:20240212185159j:image(1989年11月清洲)
が付けてたC編成を名乗り、最大20編成の211系5000番台が所属してましたが、2006年に全車静岡車両区に転出して、同区のLL編成になりました。

静岡車両区の211系も引退が始まりましたが、クモハ211-5041が先頭のLL17編成は2023年12月1日の時点では健在のようです。

f:id:okinawa-rail:20240212185751j:image(1990年10月)
f:id:okinawa-rail:20240212185818j:image(1990年10月)
f:id:okinawa-rail:20240212185848j:image(1990年10月)
何が何やらな写真ですが、1990年頃は普通の撮り方に飽きたのか、あるいは何かに影響されたのか、車両を添え物にして駅の日常の風景を撮るのがブームだったようです。
撮影したのは名古屋駅第4ホームで、1990年当時の第4ホームはまだ嵩上げを兼ねた改修前なので階段の囲いは、2代目名古屋駅が1937年(昭和12年)に完成した時の意匠を凝らした造りのままです。

改修後もこの囲いは残して欲しかったです。

それにしても嵩上げ前のホームは低くかったんですね。1枚目はドアの下に床下に吊されてる抵抗器の絶縁碍子が見えてます。

f:id:okinawa-rail:20240213024146j:image(1991年3月)
f:id:okinawa-rail:20240213024225j:image(1991年3月)
f:id:okinawa-rail:20240213024303j:image(1991年3月)
何が何やらな写真は1年後も撮ってました(笑)
1、2枚目は公衆電話と絡めて撮ったのが分かりますが、3枚目は何が撮りたかったのやら……
撮影したのは名古屋駅第4ホームで、ホームの改修後なので階段の囲いの形状が様変わりしてるので、1990年との比較写真にはなるかな?

凝った撮り方をするとおかしな写真を量産するので、ここからは普通の写真です。
普通列車だけに(笑)

f:id:okinawa-rail:20240213025152j:image(1990年11月)
矢田川橋梁を渡る中央西線普通列車です。
後ろが切れてますがどうやら10両編成のようなので、後ろが切れたのは惜しいです。違う場所ならf:id:okinawa-rail:20240213025633j:imageこの様に12両編成まですっきりと入るので211系は撮影する場所が悪かったですね。

f:id:okinawa-rail:20240213174516j:image(1990年11月)
17時頃に大曽根駅を発車した名古屋行きの11両編成です。
中央西線の営業列車の最大編成両数は10両編成ですが、この列車は昼間3両編成や4両編成で走ってる列車(後ほど出てきます)に、夕方のラッシュ帯で増結する車両の送り込みを兼ねてるので、4両編成+4両編成+3両編成の11両編成でしたが、先に書いてる様に営業最大両数は10両なので、先頭車は締め切り扱いでした。
更に最後部は荷物扱いしていたので、乗務員室後ろの座席は荷物室扱いで着席出来ないユニークな列車でした。

この列車の存在を知ったのは、撮影した1ヶ月ほど前で、翌年のダイヤ改正では10両編成になってしまい、季節的に日没が早くなって行くので、撮影したのはこの時だけでした……
と永らく思っていましたが、意外な事実が判明したので、それはまた後ほど。

因みに211系オリジナル車は最大16両まで組成出来ますが
f:id:okinawa-rail:20240214004451j:image(Wikipediaより、JR東日本の211系オリジナル車の15両編成)
名古屋ではそこまで長い編成は必要ないので、運転台メーターパネルの車両状態表示灯が12マスなので
f:id:okinawa-rail:20240214004518j:image(Wikipediaより、メーターパネルの左側が車両状態表示灯)
組成は最大12両編成までに変更されているようです。

f:id:okinawa-rail:20240213192408j:image(1991年1月6日)
南岸低気圧の通過で朝から大雪の名古屋駅に到着した岡崎行きです。
これ随分と大胆なカットですが、これを撮影した頃は列車から離れた場所から望遠で乗客と絡めて列車を撮るのがマイブームで、原版は左半分が列車を降りた乗客が写っていて顔がはっきりと分かるので、左半分を大胆にカットしたのを白状します。

因みに編成番号がC19なので大垣電車区の211系5000番台で、2006年に静岡車両区に転出してLL18編成になり、現在でも健在です。

この日は降りしきる雪の中で撮り鉄していて、その様子は2022年1月10日のブログ

okinawa-rail.hatenablog.jp

で書いてるので、宜しければお読み下さいまし。

f:id:okinawa-rail:20240213194328j:image(1991年3月)
f:id:okinawa-rail:20240213194346j:image(1991年3月)
大曽根駅を発車した名古屋行き11両編成です。
このラッシュ帯への送り込みを兼ねた11両編成の211系は1990年11月に撮影したカットだけだと思ったのですが、別件で213系のカットを探してる途上で91年3月と記されたネガの中から見付けました。

いやいや、流石ですね私、日没が遅くなって明るくなるのを待って撮ってたんですねぇ。

ん!?でもちょっと待って、そこそこ良いカットなのに何で写真が残ってないの?

当時の自分を褒めてあげようと思いましたが、やっぱ詰問したいと思います(笑)

因みに211系の隣の空き地は、今はナゴヤバンテリンドームになってる日本専売公社三菱重工への専用線の跡地で、その専用線が健在の頃はニチユのスイッチャーと呼ばれる小型のDLが黒い貨車を忙しく入れ替えしてるのを、学区外ですが東図書館に来たついでに、図書館から1キロ程離れた大曽根駅まで来た鉄道大好き小学2年生は、目を輝かせて見てました。

f:id:okinawa-rail:20240213192514j:image1991年6月
中央西線大曽根駅に到着する快速列車です。
背後にマンションが建ち並ぶのは都会的で“通勤電車”に相応しい光景ですが、縦構図の方が良かったですね。
因みに最も高いマンションは撮影当時名古屋で唯一のでタワーマンションだった地上30階建てのザ、シーン徳川園です。

f:id:okinawa-rail:20240213192549j:image(1991年9月)
名古屋駅7番線に停車中の中央西線の多治見行き普通です。
ピントが甘いので編成番号は読み取れませんが、先頭車は助手席側の列車番号表示器が無いので、予算区分[平成元年度第3次車]として1990年3月に製造されたクモハ211-5618~5620のどれかだと分かります。

クモハ211-5600番は小断面トンネルの通過対策で折り畳み高さが低いパンタグラフのC-PS24Aを装備し、極小断面トンネルが有る身延線にも入線出来る様にパンタグラフ部分の屋根を若干低くして、パンタグラフ折り畳み高さを3960ミリに抑えたタイプで、静岡運転所と神領電車区に配置されました。

この第3次車は同じ時期に製造された311系2次車や213系2次車と同様に白色の貫通ホロを装備してたので、異彩を放ってましたね。

f:id:okinawa-rail:20240213192644j:image(1991年9月)
クハ211-5312を先頭に名古屋駅に到着する中央西線の快速列車です。
クハ210-5000番台にはトイレは設置されてなかったのですが、100キロ近い距離を走る中央西線ではトイレが無いと不便な事から1989年にトイレ付きの5300番台が製造されました。
その際に静岡運転所のSS編成向けのクモハ211-5600+モハ210-5000番台と共に製造された5307~5317は神領電車区の4両編成のK0番台編成に組み込まれて、既存のトイレ無しのクハ210-5000番台は静岡運転所に転出しているので、神領電車区K0番台編成はクハだけが車体側面の行き先表示器が大型f:id:okinawa-rail:20240213213654j:imageの最新バージョン、一方で静岡運転所の211系SS編成はクハだけが行き先表示器が細長いf:id:okinawa-rail:20240213192746j:image(Wikipediaより)
初期車の、仕様が異なる編成になりました。

ところで、撮影当時は名古屋駅第4ホームの東京方に機関車留置線があって、撮影日には長野の方面から某の臨時列車を牽引して来たと思われるJR東日本北長野運転所(現、長野総合車両センター)のEF64 41号機が休息中です。

f:id:okinawa-rail:20240213234829j:image1991年10月
名古屋駅で並ぶ東海道本線で運用されてた211系0番台クモハ211-1と中央西線の211系5000番台クモハ211-5002の並びです。
撮影当時は好んでこのアングルで撮ってましたね。

そこそこ良いアングルなのに写真が残ってないのは、写真ではおそらく右側の0番台が真っ白にすっ飛んでたからだと思われます

f:id:okinawa-rail:20240213234911j:image(1991年11月?)
中央西線新守山駅を出発して庄内川橋梁に向けて加速する多治見行きです。
庄内川橋梁の手前は架線柱の処理にちょっと工夫が必要ですが、カーブの内側から編成全体が撮れる良い場所でした。
今は線路沿いに2メートルくらいのフェンスが設置されたので、撮影しにくくなりました。

f:id:okinawa-rail:20240213234949j:image(1991年12月)
東海道本線の211系0番台と中央西線の211系5000番台の並び別バージョンです。集中型クーラーを装備した0番台が入線中なので、行き先を無視すれば名古屋駅ではなくて熱海などのJR東日本管内に見えてきます。

因みにこのカットの次のコマが、この記事で最初に貼った211系0番台と5000番台の比較写真になります。

f:id:okinawa-rail:20240213235114j:image(1991年12月)
f:id:okinawa-rail:20240213235156j:image(1991年12月)
クモハ211-5029が最後部の大垣行き普通列車です。
1枚目は映える様に大胆にトリミングしてますが、牽引機のEF66を含めて16両編成の寝台特急はやぶさ」が停車出来る約330メートルの長~いホームに、3両編成60メートルの列車がちょこんと停車してるのは2枚目の原版の様に実にユニークです。

隣は7番線に停車中の中央西線の211系5000番台ですが、この211系同士が中線を挟まず隣り合って並んでる光景は、東海道本線から211系が撤退してからは見られなくなりました。

編成は大垣電車区のC12編成で、2006年に静岡車両区に転出して同区のLL10編成になり、2022年3月に引退してます。

f:id:okinawa-rail:20240213235338j:image(1991年12月)
名古屋駅8番線に停車中の中央西線の快速列車で、乗客の少ない昼下がりなので、4両編成でした。
望遠で撮ったので今一つ伝わり難いですが、12両編成の列車が停車出来る250メートルの長~いホームに4両編成80メートルの短い列車がちょこんと停車してるのはユニークでした。

ダラダラと貼って来た211系5000番台、最後はこちらで締めましょう
f:id:okinawa-rail:20240213235452j:image(1991年12月)
f:id:okinawa-rail:20240213235544j:image(1992年3月)
どちらも長時間露光して光の帯だけなので、211系なのか?と思われるでしょうが、明るくて大きな窓から211系で間違いないです(笑)

この頃は何かに影響されたのか、重装備と手間を嫌う私には珍しく、ホームに三脚立てて(本当は禁止行為です)カメラの水平を調整してバルブ撮影してました。

因みにこの頃は撮影の主軸が飛行機に移りつつあったので、20世紀に211系5000番台を撮影したのはこれが最後になりました。

二日遅れの日付ネタ211系5000番台20世紀編(そんなタイトルだっけ?)最高までお付き合いありがとうございました。

20世紀編と言う事は21世紀編もある訳で、それはまた後日に公開します。

それでわ~