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視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

土曜日 撮影から今年で40年シリーズ…1985年夏敦賀機関区一般公開

今日の名古屋は師走らしく寒~い日でしたね。

そんな今日の天気とは全く関係ない撮影から今年で40年シリーズで、1985年夏、敦賀機関区一般公開です。

悪化した国鉄財政を立て直す一環で1984年頃から始まった国鉄の機関区一般は、益々活況になって、1984年の夏に続いて1985年の夏にも敦賀機関区の一般公開が行われました。
これらの機関区の一般公開、今は会員制で参加費用も財布から何人もの渋沢栄一さんが出て行ってしまいますが、国鉄時代は誰でも無料で機関区に入場出来ました。
では何で収入を得るのか?と言えば、遠方からの来場者が国鉄に支払う運賃、特急料金だったりしますが、1985年の夏頃にはマイカー持ちの友人が二人いて、その2台に分乗して名古屋から敦賀機関区まで行ってるので、国鉄には収入は入ってません(笑)

国鉄からしたら笑い事じゃあないです。

因みに1984年夏の敦賀機関区一般公開はこちらのブログに書いてありますので宜しければお読み下さいませ。

okinawa-rail.hatenablog.jp

さて、前置きはこれくらいにして敦賀機関区に行きましょうか。

でも先ずはこちらから(笑)敦賀機関区脇の小浜線を走る急行エメラルドです。
急行エメラルドは海水浴シーズンに名古屋から米原敦賀経由で小浜線の東舞鶴まで運転されてた、夏季多客臨時の急行です。
区間を走ってた名古屋、福井~大社間の急行「大社」の名古屋編成が海水浴シーズンに混雑するので、その救済列車として1968年から運転が開始された列車で、名古屋~西鹿児島間に運転された14系座席車の特急「金星」と共に、名古屋の夏の名物列車でした。14系座席車のイメージなのでテールマークが「奥飛騨」なのは気にしちゃダメです。

「エメラルド」は本家の急行「大社」の名古屋編成が1982年11月に廃止された後も運転は続いて、国鉄分割民営化後も残りましたが、1995年に廃止されました。
手書きの巨大なヘッドマークは85年頃から掲出されてましたが、個人的には違和感がありましたね。

寄り道はこれくらいにして敦賀機関区に入ります。

中央1灯式(ブタ鼻シールドビームに改造されてますが)ヘッドライトが特徴的なEF70の1次型13号機です。
13号機は1985年3月24日に走ったEF70さよなら列車で使用されたので、ヘッドマークもそのままで展示されてました。

ネガスキャンの汚いカットですが、寝台特急「あさかぜ」のヘッドマークを掲出して展示されてる二次型の45号機です。
EF70は当初は北陸トンネルを含む田村~福井間の貨物列車用で、北陸本線全線の旅客列車と福井以遠の貨物列車はEF70のD級版と言えるED74(使える写真がないです)が牽引する計画でしたが、北陸トンネル開業後の北陸本線の輸送量が予想以上に増えて輸送単位が1200トンに引き上げられたので、機関車を使い分けるよりEF70を北陸本線全線で使用した方が得策と判断されて、1964年から増備された2次型ではヘッドライトがシールドビーム2灯式になり、車体側面のフィルターの形状も変更されたので、車両形態が大きく変わりました。
「あさかぜ」のヘッドマークを掲出してますが、EF70は交直流電気機関車のEF81に追われて2次型の61~81号機が九州の門司機関区に転属してブルートレインを牽引してるので、展示機特有のなんちゃって牽引機じゃあないです。

EF70 1001号機です。
20系寝台車による(イメージです)
寝台特急日本海」牽引用として2次型の22~28号機が、20系寝台車牽引対応改造を施した1000番台1001~1007号機に改番されて、ナンバープレートがブロック式に変更されたので、顔の印象が変わりました。

ところで、国鉄の機関区一般公開、開催当初はどの会場でも単に機関車を並べてるだけでしたが、回を重ねる度に見せる工夫を施して、短い時間でヘッドマークを交換してくれて、この1001号機も寝台特急「北陸」や「さくら」のヘッドマークを掲出してました。

因みに、寝台特急「北陸」は直流と交流の電化区間を跨いで走るので、運転開始当初から直江津~金沢間は交直流電気機関車のEF81が牽引したのでEF70は「北陸」を牽引してません。
「さくら」に関しても先に書いてますが、門司機関区にはEF81に追われて敦賀機関区から転入した2次型がいるので、そこで「さくら」を牽引してますが、1000番台は転属してないので、なんちゃって牽引機です。

急行「きたぐに」のヘッドマークを掲出してるEF70 1002号機です。
急行「きたぐに」は大阪~新潟間の列車で1985年3月ダイヤ改正で14座席車+14系寝台車から583系

(イメージです)
に置き換わったので、3月ダイヤ改正前には客車列車の送別で様々なヘッドマークを掲出していて、巨大なヘッドマークは電照式なので、“電照きたぐに”と呼ばれてました。

寝台特急富士のヘッドマークを掲出した1002号機です。
この1002号機も短い間隔でヘッドマークを交換してましたが、先に書いたように1000番台は九州に転属してないのでなんちゃって牽引機です。

ネガの劣化でどー頑張ってもローズピンクにならないのでモノクロですが、寝台特急日本海ヘッドマークを掲出してるEF81です。
これ、後ろに2両のEF81を従えてるので、展示機ではなくて、稼動機で入れ替えの真っ最中の様です。

さて、ここまでは前年夏の一般公開とほとんど変わりませんが、1985年夏の敦賀機関区一般公開の目玉は、本物のお召し列車牽引機の勢揃いだったようです。

1975年5月の滋賀植樹祭で運行されたお召列車牽引の本務機だったEF81 120号機です。1976年10月の佐賀国体の際に運転されたお召し列車の牽引機だったED76 55号機です。
……などとしれっと書いてますが、この写真を撮影した時は敦賀機関区に九州専用のED76がいるとは思ってもいないので、EF81 120号機の隣に展示されてたので、これ(これって)もEF81だと思い込んでたので、ED76だと分かったのは撮影から数年後でした(笑)
EF81 120号機とED76の並びの写真は撮ってないので、EF81の写真とED76の写真を並べてスキャンしてみました(笑)双方似てませんか?
流れでパチリパチリと撮ってらED76だとは気が付きません(笑)

1984年9月に昭和天皇、皇后両陛下のフルムーン旅行の際に御乗車になられたお召し列車の牽引機だったED75 121号機です。ED75 121号機と1968年の福井国体のお召し列車の牽引機だったEF70 35号機の並びですが、EF70の隣に何かしら展示されていたのか、EF70の全体が写ってないのが惜しいです。

ところで、ED75 121号機は宮城県仙台市にある長町機関区所属です。
長町機関区から敦賀機関区までは東北本線~東北貨物~武蔵野~東海道貨物~東海道本線北陸本線を経由して約850Kmです。
その距離を次位単機回送するとは思えないので、貨物列車への連結で、おそらくは当時もあったであろう宮城野貨物ターミナル発名古屋貨物ターミナル行き列車の次位無動力回送で稲沢まで来て、稲沢からは敦賀を通る貨物列車に付け替えて、敦賀まで本物のお召し列車牽引機を回送させてるのですから凄いとしか言いようがないです。
撮影当時は瀬戸で採取されたガラス原料の硅砂を小浜線の松尾寺まで運ぶ、新守山発松尾寺行きの貨物列車があったので、回送に使うなら個人的にはこの列車を有力視してます。

お召し装備が施されたEF64 58号機です。
EF64お召し列車牽引機と言えば77号機があまりにも有名ですけど(1986年10月)
77号機の他にも1978年10月に開催された長野国体の際に運転されたお召し列車の牽引機に抜擢された58号機と62号機があり、58号機が本務機、62号機が予備機でした。
……などとしれっと書いてますが、撮影した当時は本物のお召し列車牽引機だとは気が付かずに、先のED75はピントが甘くて露出オーバー気味、EF64は普段見慣れていてパンタも上げてない(上げたら電気回路が破壊されます)からか、写真は処分して残ってないので、実に惜しい事をしました。

このEF64 58号機は撮影当時は篠ノ井機関区所属なので、篠ノ井から稲沢までは中央西線の貨物列車の本務機、若しくは次位無動力回送、稲沢からは長町機関区から長駆回送途上のED75 121号機と一緒に回送されて、次位無動力回送がED75、次々位無動力回送がEF64だったかもしれないと妄想の翼が拡がります。

1985年夏の敦賀機関区一般公開は以上ですが、敦賀機関区一般公開と思われるカットが幾つかあるので、そちらも貼って締めましょう。

長くなってるので個々のカットの解説は省略しますが、背景から敦賀機関区なのは間違いないのです。
でもこれ、行った覚えが全くありません(笑)
来場者が冬の装いなのと、寝台特急「北陸」のヘッドマークを掲出してるEF81とEF64 1000番台がいるので寝台特急「北陸」にヘッドマークが新設された1985年3月ダイヤ改正前後でしょうか?

1985年の春先に米原駅から北陸本線の475系に乗った覚えが微かにあるので、その時かなぁ?イメージですが、北陸本線新疋田駅です。

それでわ~