気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

金曜日 JRダイヤ改正…昭和の名機関車が引退

今日は朝から曇で、午後からは雨が降り出しましたねぇ。


そんな今日の天気とは何の関係もありませんが、明日3日13日はJRのダイヤ改正ですが、このダイヤ改正ではこれまで走り続けてきた数々の国鉄型車両が引退します。

その中で先日2日に渡って書いた185系と共に鉄道ファンから熱い視線を浴びてるのがDD51です。


そのDD51について説明しましょう。


DD51は非電化幹線用のディーゼル機関車として1962年に登場しました。

エンジンは1100馬力のV型12気筒60リッター インタークーラーターボエンジンDML61Zで、これを2基搭載して、出力2200馬力の登場当時としてはハイパワーなディーゼル機関車でした。

車両形態は中央に運転台がある凸型で
f:id:okinawa-rail:20210312220055j:image85年7月稲沢機関区一般公開

蒸気暖房ボイラー(SG)を持ち非重連タイプの0番台。SGを持ち重連総括制御(先頭の機関車から後ろの機関車も動かせる機能)付きの500番台、SG無しで重連総括制御装置を持つ800番台がありました。(注1)


先に書いたように非電化の幹線用ディーゼル機関車として四国を除く全国に配置されて、旅客列車ではローカル列車からブルートレイン。貨物列車ではこれまたローカル貨物から重連での高速コンテナ列車や石油、セメント、石灰石列車に活躍しましたが、非電化区間の電化やブルートレインの廃止。貨物も貨物列車自体の廃止や、残った貨物(特に北海道)は機関車内に発電機を搭載して発電して交流モーターで駆動する最新型の電気式ディーゼル機関車DF200に置き換わり
f:id:okinawa-rail:20210312220159j:image2018年名古屋駅

最後まで残ったのが、四日市塩浜~稲沢間のコンテナ列車と石油貨物列車でしたが、その貨物列車牽引からも今日を最後に引退する事になり、これは同時にDD51が定期仕業から退く事をも意味しています。


今日はそんなDD51の写真を貼っていきましょうか。


まずはこちらから

f:id:okinawa-rail:20210312220240j:image
2018年に名古屋駅で撮影した石油返空8075列車です。

8075列車と言えばDF200との異形式重連で、今最も注目されてる列車ですけど、当時はまだDD51重連でした。

牽引機は愛知機関区のDD51で、ここのDD51は7両存在しますが、稲沢第一機関区(愛知機関区の旧称)からの生え抜きの825号を除いて他区から転属車で、先頭のDD51 1802号機はDD51の最終ロットとして1978年製造されて、佐倉機関区に配置され、成田空港へのジェット燃料輸送に従事したので激しい成田闘争に晒された機関車です。


今話題のJR貨物DD51を写したのはこのカットだけで、これだけでは記事として纏まらないので、ここからはDD51メモリアルとして石油貨物以外の写真になります。


撮影年月がバラバラなのはご了承下さいませ。



f:id:okinawa-rail:20210312220340j:image1985年7月 八田

今最も熱い関西本線ですけど、牽引してるのは石油貨物ではなくて20系寝台車だったりしますが、DD51をメインにし過ぎて、肝心の20系は見切れるように写ってるだけだったりします(笑)

牽引機は稲沢第一機関区(注2)のDD51 746号機で、分割民営化の際にJR貨物が継承して2002年に引退してますが、1971年の新製配置から引退するまで終始一貫稲沢から移動する事がなかった機関車です


稲沢機関区と言えばユーロライナー専用機でしょうか。

f:id:okinawa-rail:20210312220432j:image
1985年7月の稲沢機関区一般公開時に展示されてた時には驚きましたねぇ。

このDD51のユーロ専用機は592、791、1037号機の3両ありましたけど、全て撮影してあったので、せっかくなので貼っておきましょう。

f:id:okinawa-rail:20210312220456j:image1985年9月 名古屋

f:id:okinawa-rail:20210312220530j:image1989年11月 名古屋

f:id:okinawa-rail:20210312220559j:image1991年1月 名古屋

85年9月の写真はユーロライナー出発式の時で、鉄道各誌も取材に訪れてたので、ホームをウロウロしてた私の姿が、鉄道ジャーナル誌にフォーカス…死語です…されてしまいました(笑)

 


f:id:okinawa-rail:20210312220911j:image1990年3月 高山本線下油井~飛騨金山

引退迫る82系「ひだ」を待ってる時に来ました。飛騨川沿いの水力発電所に変圧器を輸送したのでしょうか。

 

DD51に似合うのは旧型客車でしょうか。


f:id:okinawa-rail:20210312221143j:image1982年5月 名古屋

今の若い方に信じられないかも知れませんが、1982年6に関西本線が電化されるまでは同線に旧型客車が走っていて、名古屋駅でも当たり前にDD51牽引の旧型客車が見れました。

因みにこの列車、前日の23時に大阪、天王寺を出発して、紀伊半島をぐるりと回って名古屋に12時57分に到着した普通924列車で、途中新宮まではB寝台車が連結されて列車名「はやたま」がついてました。


最後まで旧型客車を牽引してたのが山陰本線です。


f:id:okinawa-rail:20210312221220j:image1986年9月 山陰本線上川口

福知山線宝塚~福知山間と、山陰本線福知山~城崎間の電化が完成した1986年11月ダイヤ改正で、国鉄線上から旧型客車列車が廃止されました。

この時の撮影記録は昨年10月15日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/10/15/221210と、翌日16日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/10/16/235800のブログに書いてありますので、宜しければお読み下さいませ。


山陰本線と言えば寝台特急出雲ですね。f:id:okinawa-rail:20210312221302j:image注3

 

DD51は厳寒の地、北海道でも活躍してました。


f:id:okinawa-rail:20210312221346j:image1987年1月 旭川

急行天北です。
急行「天北」は札幌~稚内間を天北線経由で結ぶ列車で、85年3月ダイヤ改正から客車化されましたが、上下で編成が異なっていて、上りは札幌発稚内行きの下り急行「宗谷」とペアを組んで14系座席車オンリーでしたけど、下りは稚内発札幌行きの上り急行「利尻」とペアを組んでいたので、座席扱いされた寝台車が2両連結された異色な列車でした。



f:id:okinawa-rail:20210312221413j:image1996年2月 札幌

北斗星専用機です。
午後に単機で札幌駅を通過したので、検査で空知機関区への回送途中でしょうか?

 

 

DD51メモリアル、如何だったでしょうか。

 

さて、最初にも書きましたが、DD51は今日、定期仕業から引退しました。

 

DD51の引退が囁かれ始めたのは2018年頃だったでしょうか。

 

それから3年、近鉄塩浜駅に隣接したJR貨物塩浜駅に行って、4基のDML61Zが一斉に咆哮を上げて編成重量1000トンの石油貨物を引き出す姿を見よう、撮ろうと考えつつも、歳を取ってデブ……違う!出不精になり新型コロナ禍の県を跨いでの移動自粛も加わって見に行けず、今日を迎えてしまいました。


とは言え、185系のブログでも書きましたけど、SNSで素敵画像がいっ~ぱい見れるので、それで十分補完出来ます。


今日は午後から本降りの雨になりましたけど、関西本線の名撮影地には多くのファンがDD51を見送った事でしょう。


59年にも及ぶ定期仕業、お疲れさまでした…とエールを送って締めましょう。


それでは
____________________

 

注釈
1: 番台区分されてますが番号形態は複雑です

2: ディーゼル機関車が第一機関区、電気機関車が第二機関区に別れてました。

3: テイチクビデオJR特急1号の購入特典でL判写真が付いてました。

木曜日 あれから10年


f:id:okinawa-rail:20210311190536j:image
唐突に貼ったのは今日の夕陽です。

10年前の今日も名古屋は穏やかな日で、今日みたいな夕焼けだったでしょうか……

 

10年前の今日、2011年3月11日は未曾有の大惨事となった東日本大震災が発生しました。


発生当時は私、電車に乗ってまして、駅に停車中に車両が大きく揺れたので地震かな?とは思いましたけど、直ぐに発車したので誰かが勢いよく駆け込み乗車したんだろうと思ってました。


で、暫くしてから地震だったんじゃないかな?と携帯でネット掲示板を見たらマグニチュード9なんて事が書いてあったので、まぁたネット掲示板は大嘘書いてんなぁ、日本でそんな地震あるわけねぇだろ…と鼻で笑ってたのですが、後に通りかかった家電量販店のテレビを見てホントにマグニチュード9だったので、言葉を失いました。

 

繰り返しになりますが、その日から今日で10年です。


10年を経て被災地では復興は進んでますが、まだまだ道半ばです。


毎年3月11日はここで、東北復興への日本政府と対応を書いてましたけど、今年は止めました。


理由は書いても無駄なので。


あと、今は政府を批判すると左翼扱いされて日本から出てけ!と言われますからね。


いつから日本はこんな国になったのやら。


………それでは。

火曜日 過去鉄…185系後編

今日は朝から雲の多い天気でしたねぇ。


そんな今日の天気の話しもそこそこに昨日の続き、過去鉄185系後編にいきましょうか。


とその前に特急踊り子と共に185系のもう一つの代表的な列車、新幹線リレー号についてご説明しましょう。

1982年6月に開業した東北新幹線と、同年11月に開業した上越新幹線は東京駅に乗り入れる計画でしたが、大宮から東京にかけては人口密集地を通過するので、反対運動から用地買収が遅れて建設工事も進まず、東京駅乗り入れは大幅に遅れるので、工事が進んでいた新潟、盛岡~大宮間を先行開業させ、大宮から北の玄関口だった上野間は在来線のシャトル列車で連絡する事になり、その連絡列車が新幹線リレー号で、車両はイメージアップを狙って新製車の185系200番台が抜擢されました。
f:id:okinawa-rail:20210309214201j:image83年3月 上野

 

ここで200番台について解説しましょう。

200番台は東北、高崎線で使用されてる新前橋電車区165系置き換え目的で計画されたので、配置は同じく新前橋電車区になり、運用範囲は上野から上越線の越後湯沢間と信越本線の中軽井沢間なので、対寒対雪構造が強化されて、クハはヘッドマーク表示器の下部のタイフォンにカバーが付き、先頭台車にはスノープラウを装備しました。
f:id:okinawa-rail:20210309231709j:image86年7月 上越線井野~新前橋

また、碓氷峠を通過するので、EF63との協調運転機能は持ちませんが、車体台枠や連結器の強化、空気バネパンク装置の設置などの横軽通過対策が施されてます。

編成は7両編成で、碓氷峠を非協調で通過する関係で重量が重い電動車を横川寄りに集中させるので、サロは中軽井沢寄りの6号車に連結されてました。

新幹線リレー号はこの7両編成2本併結した14両編成で運転されてました。f:id:okinawa-rail:20210309214811j:image
f:id:okinawa-rail:20210309214831j:image85年1月 京浜東北線 川口

200番台の塗装は斜めストライプからシンプルなストレート帯になりましたが、これは東北、上越新幹線のイメージを大切にしたからだそうです。
f:id:okinawa-rail:20210309215814j:image1986年7月 上越線井野~新前橋

200番台は新幹線リレー号の他に上越新幹線が開業した82年11月ダイヤ改正から高崎線の特急にも使用されました。

f:id:okinawa-rail:20210309220128j:image83月3月 上野

「あかぎ」は82年11月ダイヤ改正で急行から格上げされた上野~桐生間の特急で、上りは午前、下りは夕方と運転時間が片寄ってました。

この「あかぎ」は上野~新前橋間で後述の「白根」に併結されてました。

f:id:okinawa-rail:20210309220222j:image83年3月 上野

白根は上野~万座、鹿沢口間の特急で、長らく臨時特急で、車両も田町電車区の183系1000番台でしたが、82年11月改正で東京上野間の回送線が廃止されて(注1)田町電車区から上野に183系を送り込めなくなったので、使用車両が新前橋電車区185系200番台に変更されると同時に晴れて定期特急に昇格しました。

この「白根」は東北、上越新幹線が上野に乗り入れた85年3月ダイヤ改正には同じ区間を走ってた急行草津を吸収するのですが、列車名が吸収した「草津」になってしまいました。

f:id:okinawa-rail:20210309220339j:image85年3月 上野

ゆうづる」の隣はその“下克上特急”草津ですけど、ヘッドマークが見えませんねぇ。

 

f:id:okinawa-rail:20210309220409j:image86年3月 黒磯

新特急「なすの」です。
新特急は85年3月ダイヤ改正で東北、高崎線に登場した新しい形態の特急で、それまで走ってた急行の格上げですけど、普通車は全席自由席で、特急料金も以下のように割安で、定期券でも利用できました。

50キロまで500円(通常600円)

100キロまで800円(通常1000円)

150キロまで1200円(通常1600円)

200キロまで1500円(通常1900円

 

余談ですけど、これを撮影した時は南東北周遊券…当時ありました…を使って仙台、松島への旅行中で、黒磯までは新特急「なすの」で、黒磯からは普通列車乗り継ぎで仙台まで行きました


周遊券使ってる意味ねぇ(笑)

 


85年3月ダイヤ改正では東北、上越新幹線が上野に乗り入れたので、新幹線リレー号は役目を終えて廃止され、余剰となった200番台4編成が田町電車区に移動して、グリーン車を中間の4号車に組み換えて新たな7両編成のB編成になりました。

このB編成は暫くはストレート帯のままでしたが、86年までに斜めストライプに塗装変更されてしまったので、ストレート帯の「踊り子」は撮影しなかったはずなんですけど、最近ネガを見てたらそのストレート帯の「踊り子」が写ってたので驚きました。

それがこちらです。
f:id:okinawa-rail:20210309220539j:image
写真が残って無いので撮影した記憶が全く無いからネガ袋に記された年月と写真で残ってる前後のカットから91年4月に新子安駅で撮影したようです。

撮影した事にも驚きましたけど、もっと驚いたのは91年になってもストレート帯の「踊り子」が走ってた事で、何でなんだろう?新前橋電車区から200番台借りた?とネガを拡大すると編成番号がB6なのに気が付きました。
f:id:okinawa-rail:20210309220620j:image
ん!?B6?新前橋から田町に移動したのは4編成だよな。じゃこれはJRになってから新たに移動したのかなぁ?と手持ちの資料を読み漁ったら90年3月ダイヤ改正で新前橋電車区から田町電車区に2編成が移動してた事が分かりました。

なる程ねぇ、と納得すると同時にB6編成は82年6月に製造されてるので、移動後に2度目の全般検査を受けてるはずなのに塗装変更されてない新たな疑問が発生しました(笑)

 

全般検査回帰が4年から6年に延長されたのは何時からでしょう?

因みに今は8年に延長されてます。

 

ところで、これはストレート帯踊り子を撮影した時に撮影した113系なんですけど
f:id:okinawa-rail:20210310164524j:image
この写真が残ってるのに何で踊り子は残さなかったのか、当時の自分をそこに座れ!と正座させて小一時間ネチネチ問い詰めたいです。

 

185系は90年代後半から田町電車区、新前橋電車区所属車共に塗装変更されて、更に「草津」号運転開始50周年を記念して運転開始当初の80系をイメージした湘南色とか、特急「白根」に使用されてた157系をイメージした赤とクリームの「こだま色」にラッピングされましたけど、この頃には休鉄していたので、それらは全て撮影していません。

なのでWikipediaから引用させていただきました。
f:id:okinawa-rail:20210309221017j:image Wikipediaより 注2
f:id:okinawa-rail:20210309221115j:image Wikipedia 注3
f:id:okinawa-rail:20210309221158j:imageWikipediaより
f:id:okinawa-rail:20210309221231j:imageWikipediaより


そんな様々な塗装変更された185系ですけど、2010年代に入るとサロ185-200が2013年に形式消滅するなど、200番台を中心に数を減らしていき、2016年には高崎線系統から撤退して定期運用は「踊り子」と「湘南ライナー」だけになりました。


波動輸送では関東地区の「はまかいじ」「ホリデー快速鎌倉」や青春18キッパー御用達の「ムーライトながら」が有名ですけど、それらも運転が終了して、今週末のダイヤ改正で遂に「踊り子」からも撤退して、40年の活躍に終止符を打ちます。

 

185系は老朽化した153系と165系を置き換える目的で開発が始まりその途中で特急にも使用する事になり、一方で普通列車にも使用する事も求めてたので、良い言い方をすれば汎用性が高い車両。悪い言い方をすれば特急、普通どっちつかずの車両でした。


そんな車両なのでデビュー当時は国鉄史上最低の特急車両などと揶揄されましたけど、私は好きな車両でしたねぇ。

 

名古屋住みなので頻繁に目にしたり乗ったりは出来ませんでしたが、学生時代に青春18切符で上京した際には特急には乗れなかったですが、新幹線リレー号はカテゴリー上は快速なので青春18切符でも乗れると勝手に解釈(笑)してリレー号に乗りましたし、社会人になってからは東京に行く際に時間があれば新幹線は熱海で、そこから「踊り子」に乗り換えてました。

そこまで好きな車両ですけど記録出来たのは僅かな枚数で、昨日から今日にかけて貼った写真がほぼ全量です。


なので、もう少し記録しておけば良かっかなぁとは思いますけど、そこは便利になった現代です、インスタグラムなどのSNS国鉄時代から今日までの185系の画像がいっ~ぱい見れますから、それでいくらでも補完できます。

 

JR東日本もMemorial185なる185系公式ホームページ開設してますからね。

このホームページ、動画や素敵写真などコンテンツ満載の優れ物です。

 

JR東海もこれくらい熱入れてくれたらなぁ…

 

185系関連の書籍も次々と発売されていてどれを買おうか迷うくらいです。
f:id:okinawa-rail:20210309221418j:imageとりあえずこの2冊買いました。

 

とは言え実のところ185系の引退が発表された18年頃から185系に会いに行こうかなぁとは思ってましたけど、色々あって実行出来なかったのは悔やまれるところでもあります。

 

185系がデビューしたのは1981年3月26日でした。

そしてラストランが今週末の3月12日です。


きっかり40年ではありませんが、長くの活躍、お疲れ様でした。


引退しても愛するファンの胸の中ではMT54モーターを唸らせながら湘南や北関東を走り続けています。

 

いつまでも。 いつまでも。

 

 

 

それでは。

____________________

 

注釈

1:廃止された回送線が33年経た2015年に上野東京ラインで復活するとは思いもしませんでした。

2:田町電車区所属車  

3:新前橋電車区所属車

 

月曜日 過去鉄…185系前編

今日は朝方は雨が降ってましたけど、午後からは晴れてきました。

 

そんな今日の天気とは全く関係ない過去鉄ネタですけど、今日は以前に告知したように引退迫る185系にスポットを当てましょうか。


その前に185系についてざっくりと説明しましょう。


185系は1981年に登場した車両で  
f:id:okinawa-rail:20210308184416j:image注釈1

東海道本線田町電車区の153系置き換えを目的とした0番台と、


f:id:okinawa-rail:20210308184542j:image注釈2

東北、高崎線新前橋電車区165系置き換えを目的とした200番台があります。

車体は普通列車での運用も考慮してたので、1メートルの幅広いドアを装備して、
f:id:okinawa-rail:20210308184723j:image
座席もグリーン車はリクライニングシートですが、普通車は当時の特急普通車は簡易リクライニングシートが主流になっていたのに、転換クロスシートを採用して
f:id:okinawa-rail:20210308184913j:image
f:id:okinawa-rail:20210308184946j:image注釈3

更には普通列車での混雑時を考慮して窓も開閉する、特急車らしくない使用だったので、国鉄史上最低の特急車なんて揶揄されたりもしました。


そんな185系ですけど、JRに移行してからは座席をフリーストップのリクライニングシートに取り替えるなどのリニューアルされながら
f:id:okinawa-rail:20210308185037j:imageWikipediaより

今日まで使用されて来ましたが、今週末のダイヤ改正で遂に引退する事になり、今では一大ブームが起こっています。


本来ならその引退迫る姿を記録するところなんでしょうけど、私はいわゆる葬式鉄が嫌いなので、ここでは過去の姿を紹介しましょうか。


それではお待たせしました、185系出発です。


まずはこちらから。

f:id:okinawa-rail:20210308185151j:image
f:id:okinawa-rail:20210308185221j:image1986年1月 横須賀線保土ヶ谷

特急踊り子です。
先に書いたように185系には東海道本線向けの0番台と東北、高崎線向けの200番台があり、0番台は当時の国鉄としては斬新過ぎる斜めストライプ帯を纏った塗装がファンの度肝を抜き、急行「伊豆」で暫定使用された後に、81年10月からその「伊豆」と特急「あまぎ」を統合した特急「踊り子」として本格的に走り出しました。




f:id:okinawa-rail:20210413094028j:image
f:id:okinawa-rail:20210308185340j:image1986年9月 京浜東北線新子安駅

185系0番台にはグリーン車2両が組み込まれた10両編成(A編成)と伊豆箱根鉄道に乗り入れる修善寺編成と呼ばれる附属の5両編成(C編成)があり、最大で15両編成を組んでました。

その姿は現在でも変わりません。

 

 


f:id:okinawa-rail:20210308185434j:image注釈4
1990年4月にスーパービュー踊り子がデビューしてからは車両運用に余裕が出来たのか、波動輸送にも使用されるようになりました。


f:id:okinawa-rail:20210308185557j:image1990年8月 熱田

この列車は撮影時期的に関東地区の高校野球甲子園出場校の応援団輸送の戻りだと思われますけど、白昼に名古屋の地で185系が撮れるとは思いませんでしたねぇ。

 

後年、ムーライトながらで定期的に名古屋に来る事になりますが、ムーライトながらの名古屋到着時間が5時09分と早すぎて撮影出来なかったので、名古屋の地で撮影した185系はこれが唯一だったりします。

 


次は200番台ですけど、長くなるので、続きはまた明日にでも書きましょう


それでは。

___________________

注釈

1:田町電車区153系の写真が無いので、1981年5月に飯田線船町で撮影した大垣電車区の153系で代用しました。

2:1985年3月 京浜東北線 川口

3:山と渓谷社1987年発行 国鉄車両形式集③ 直流系電車 特急.急行編より

4:テイチクビデオJR特急1号の購入特典にスーパービュー踊り子のL判写真が付いてました。

土曜日 土筆…まだ少ない

今日は午前中は晴れてましたけど、午後からは雲が多くなってきましたねぇ。

 

風も冷たくてやや強めですけど、南からの暖かな空気が残っているので、今日の名古屋の最高気温は19.9℃でした。

 

この暖かさで土筆出てないかなぁ…と自宅マンションの敷地内をプラプラと探したら僅かですけどありました。
f:id:okinawa-rail:20210306164258j:image
f:id:okinawa-rail:20210306165126j:image
f:id:okinawa-rail:20210306165150j:image密だったたり単独だったと生え方は様々ですけど、まだまだ背が低いので、摘んで食べるまでには至りません。

 

そんな小さな土筆達ですけど茎が最も太かったのがこちらです。
f:id:okinawa-rail:20210306165444j:image
f:id:okinawa-rail:20210306165509j:imageこの土筆が生えてる場所はマンション敷地沿いのフェンスと歩道の隙間で、よく犬がオシッコしてるので、肥やしが豊かなんでしょうねぇ(笑)

ところで土筆の周りに生えてる緑色の植物はスギナです。

「ツクシ誰の子スギナの子」って言われるくらいスギナとツクシは密接な関係があり、ツクシが枯れるとスギナになります。

 

て事はツクシは既に枯れてスギナになったんでしょうか?

 

それともスギナで生えてきたのでしょうか?

 

毎年ツクシよりもスギナの方が多くて以前はコンビニ袋(中)いっぱいに取れたツクシが年を追う毎に少なくなってます。

 

今年はツクシ食べられるかなぁ。

 

それでは。

 

金曜日 過去鉄ネタ…1984年早春の名古屋駅

今日は朝は曇りでしたけど、昼前から雨になりましたねぇ。

春が近づいてるので、雨が降っても寒くなかったです。


そんな今日の天気とは何の関係もないのですが、久しぶりに過去鉄ネタとして…唐突になんか始まった…1984年の春まだ浅い3月頃に名古屋駅で撮影した写真を貼りましょうか。


まずはこちらから

f:id:okinawa-rail:20210305215706j:image東小倉発汐留行きの荷物38列車です。

原板では朝日を浴びて顔のクリーム部分が白く飛んでいて、それが明るくスキャンされたので、ナンバーが読み取れませんけど、牽引機はEF58 138号機です。

この138号機はヘッドライトが「ブタ鼻」と呼ばれたシールドビーム2灯化されていてあまり好みではないのですけど、東海道山陽本線の荷物列車牽引機がEF58からEF62に置き換わるまで1ヶ月切ってるので、好み関係なしで撮ってたようです。

 

実はこの写真、大胆にトリミングしてありまして、元はこんなんです
f:id:okinawa-rail:20210305221145j:image左側が大きく空いてますけど、84年当時の名古屋駅の様子が分かるので、これはこれで良いかもです。

 


f:id:okinawa-rail:20210305221421j:image秋から早春にかけてのゴハチの魅力はなんと言っても暖房用スチームを吹き上げてる姿ですけど、これは吹き上げ過ぎでしょう。138号機自身ばかりか、隣のホームに停車中の「ひだ」3号も隠してます(笑)

この写真のみネガスキャンなので、色が悪いのはご了承下さいませ。

 

良いカットなのに何で写真が残ってないのか、当時の自分を小一時間ネチネチ問い詰めたいです(笑)

 


f:id:okinawa-rail:20210305231307j:imageEF65-1001です

名古屋駅第1ホームの岐阜方には機関車留置線があって、何時も某の機関車がいるので、今日は何がいるかな?と見に行くのが、名古屋駅に行った時のルーティンになってました。

 

この日は機関車留置線ではなくて2番線と3番線の間の中線にEF65-1001号機がパンタを上げて停車中だったので、綺麗な型式写真が撮れました。

EF65-1001号機は長らく宇都宮機関区所属でしたが84年2月ダイヤ改正で宮原機関区に移動したので、後期型と呼ばれた小型の下枠交差型パンタPS22装備のEF65-1000番台ばかりだった東海道本線でも大型パンタのPS17を装備した初期型が見れるようになりましたけど、暖地の東海道山陽本線を走るからかスノープロウが外されて、スカートの下がスノープロウ取り付け台座を兼ねてるATS車上子保護板だけなのが物足りなかったです。

 

EF65-1000番台は高速旅客、高速貨物両方牽引可能なので、旅客PassengerのPと貨物FreightのFからEF65PFと呼ばれて1001号機はそのトップナンバーとして、現在はJR貨物が中央研修センターで保存しています。

 

 

再掲載です
f:id:okinawa-rail:20210305233402j:image
f:id:okinawa-rail:20210305233417j:image1983年頃から続々とジョイフルトレインが登場したので、特に運転情報を入手しなくても名古屋駅に行けば某のジョイフルトレインは来てました。

この日も金沢鉄道管理局のお座敷列車が後期型のEF65-1000番台に牽引されて東海道本線を上って行きました。

余談ですが、2枚目の左側には乗務員訓練中のEF62が停車中です。

 

 

こちらも再掲載です
f:id:okinawa-rail:20210306000041j:image

特急「ひだ」は80年頃の飛騨高山キャンペーンに合わせて国鉄気動車特急で唯一イラスト入りヘッドマークでしたけど、この日は何故か文字だけでした。

 


f:id:okinawa-rail:20210306000506j:image特急「しらさぎ」です。

先頭は助手席下に機械室点検口が無いのでクハ489-300番台です。

だから撮ったのかな?と思ってんですけど、当時書いてた紙ブログによると、幕回しを狙って撮ってたようです。

で、その幕回しは熱田に向けて発車してから回ったと紙ブログに書いてありました(笑)

 

オマケです
f:id:okinawa-rail:20210306001644j:image名古屋駅ではなくて熱田駅で荷物列車の入れ替え作業中のEF58です。

荷物列車牽引機のEF62への置き換えが迫った3月にはゴハチフィーバー…フィーバーって死語?…が起こっていて、それに感化されて普段撮らない場所で撮ってましたねぇ。

因みに撮影場所は名鉄神宮前駅手前の古びた跨線橋の上からです。

この跨線橋も今では立派な跨線橋に変わりましたねぇ。

 

いきなりタイトル付けた過去鉄ネタ、如何だったでしょうか。

 

次は引退迫る185系にスポットを当ててお届けします。

 

さぁ予告したので文章考えないと←そこからかよ(笑)

 

 

それでわぁ~

水曜日 はたらく細胞…え!?そんなんあり?(笑)

はたらく細胞!! 最終話/はたらく細胞BLACK 第十話

え!?そんなんあり?

って、いきなり何の事やらですけど、先週からの緊迫感溢れる展開ですけど、結末は何とも気の抜けたと言うか、そんなんあり?って感じでしたねぇ。

モリーT細胞が放った厨二っぽい名前の最終奥技もホントにあるので、能登さんのナレーションにあるのかよ!と突っ込んでしまいました(笑)


ところで、今更ですけど、白血球が細菌を倒す…貪食する…際に、ナイフで細菌の頸動脈をかっ切り血飛沫がドバッと飛ぶのですけど、よくこの作品はEテレでやるべきだ…なんてのを見聞きするのですけど、白血球の貪食描写をもっとマイルドにしないとEテレでは無理だと思いますね。

微妙にネタバラしになりますけど、今回前野白血球が石田ガン細胞の頸動脈をナイフで切るシーンは、今話題になってる鬼滅の刃に、鬼の首を切るシーンがあるので、そんなシーンがある作品を子供に見せて良いのか?って話しに通じるところがあるなぁ…と思いましたね。



さて、先週からの前後編になってるこのガン細胞エピソードは、何気に第4話から続いてたりします。

そしてその第4話から今回までは昨年公開された特別上映版「はたらく細胞!!最強の敵、再び。体の中は腸大騒ぎ!」をテレビ放送向けに細分化した物だと分かりました。


て事は第1話から第3話までが新作なんですね。


なるほど、Blu-rayの発売スケジュールと収録話数が、
2月3日 第1巻/第1話。
3月3日 第2巻/第2話、第3話
3月24日 特別上映版
4月7日 第3巻/第4話~第6話
5月12日 第4巻/第7話、第8話
なのにも納得しました。


因みに、公式サイトには特別上映版の収録内容は、第3巻/第4巻の収録内容と同じだと明記してありました。

じゃ映像特典でショートアニメ「血小板、映画館に行く」が付く特別上映版を購入した方がお得ですよねぇ。

これじゃ第3巻と第4巻は特別な付加価値が無いとあんまり売れないのではないか?と素人考えでも分かるのですけど、今のところ特別な付加価値は無いのですよ。


何でアニプレックスこんな売り方してるんでしょう?



はたらく細胞!!は今回で終わりで、来週から何やるんだろうか?BLACKの放送時間が繰り上がるのかな?と思ってたら「はたらく細胞!セレクション」が始まります。f:id:okinawa-rail:20210303235326j:plain
セレクションってなんぞやと公式サイトをみたらどうやら第1期のランダム再放送で、来週は「花粉症」が放送されます。


なんてタイムリーなん



第1期は特別編も含めてBlu-rayソフトコンプリートしてるし、「花粉症」は川澄マスト細胞が面白いからまだHDDに残してあるので、セレクションを毎週予約する必要は無いのですが、f:id:okinawa-rail:20210303230409j:plainこれは本編よりもアニプレックスやサクラ、ソニーミュージックのCMを残したいからだったりします(笑)




続けて放送……と言うか録画されてたBLACK第十話ですけど、今回はピロリ菌でした。


ピロリ菌は無印の第4話でも登場したようですけど、第4話は誤ってHDDから消してしまって、公式にはたらく細胞!!を配信してる動画配信サービスで第4話を一度見ただけなので無印のピロリ菌がどんなのだったかはあまり覚えてませんけど、無印よりはこちらの方が凶暴なのは間違いないでしょう。


この先微妙にネタバラしになりますけど、そんな凶暴なピロリ菌を倒すのは宿主が服用した抗菌薬のクラリスロマイシンですが、クラリスロマイシンは主に呼吸器疾患に用いられる抗菌薬で、ピロリ菌除去にはオメプラゾールではないかなぁ…と思うのですよ。

実際私、オメプラゾール服用してまして効能にピロリ除菌薬と明記してありますから。f:id:okinawa-rail:20210304002427j:plain

まぁ医療監修されてるので素人が口出す事ではないので、クラリスロマイシンの服用もあるのでしょう。


因みにクラリスロマイシンもよく服用しますけど、腸内の善玉菌も殺すのか、服用後は必ず下痢をするので、整腸剤も処方してもらいます。


次回は主人公君の心が折れてしまうようです。


ところで、相変わらず空気を読まないCMが流れてますが、今回原作本のCMに続いて流れたのははたらく細胞のスピンオフ作品の一つはたらく細胞BABYでした。

この作品は赤ちゃんの中が舞台の話なので、疲れきった大人の中が舞台のBLACKとは対極的な作品だったりします。f:id:okinawa-rail:20210304011150j:plain


この作品もアニメ化しないかなぁ。


それでは。