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視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

金曜日 JRダイヤ改正…昭和の名機関車が引退

今日は朝から曇で、午後からは雨が降り出しましたねぇ。


そんな今日の天気とは何の関係もありませんが、明日3日13日はJRのダイヤ改正ですが、このダイヤ改正ではこれまで走り続けてきた数々の国鉄型車両が引退します。

その中で先日2日に渡って書いた185系と共に鉄道ファンから熱い視線を浴びてるのがDD51です。


そのDD51について説明しましょう。


DD51は非電化幹線用のディーゼル機関車として1962年に登場しました。

エンジンは1100馬力のV型12気筒60リッター インタークーラーターボエンジンDML61Zで、これを2基搭載して、出力2200馬力の登場当時としてはハイパワーなディーゼル機関車でした。

車両形態は中央に運転台がある凸型で
f:id:okinawa-rail:20210312220055j:image85年7月稲沢機関区一般公開

蒸気暖房ボイラー(SG)を持ち非重連タイプの0番台。SGを持ち重連総括制御(先頭の機関車から後ろの機関車も動かせる機能)付きの500番台、SG無しで重連総括制御装置を持つ800番台がありました。(注1)


先に書いたように非電化の幹線用ディーゼル機関車として四国を除く全国に配置されて、旅客列車ではローカル列車からブルートレイン。貨物列車ではこれまたローカル貨物から重連での高速コンテナ列車や石油、セメント、石灰石列車に活躍しましたが、非電化区間の電化やブルートレインの廃止。貨物も貨物列車自体の廃止や、残った貨物(特に北海道)は機関車内に発電機を搭載して発電して交流モーターで駆動する最新型の電気式ディーゼル機関車DF200に置き換わり
f:id:okinawa-rail:20210312220159j:image2018年名古屋駅

最後まで残ったのが、四日市塩浜~稲沢間のコンテナ列車と石油貨物列車でしたが、その貨物列車牽引からも今日を最後に引退する事になり、これは同時にDD51が定期仕業から退く事をも意味しています。


今日はそんなDD51の写真を貼っていきましょうか。


まずはこちらから

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2018年に名古屋駅で撮影した石油返空8075列車です。

8075列車と言えばDF200との異形式重連で、今最も注目されてる列車ですけど、当時はまだDD51重連でした。

牽引機は愛知機関区のDD51で、ここのDD51は7両存在しますが、稲沢第一機関区(愛知機関区の旧称)からの生え抜きの825号を除いて他区から転属車で、先頭のDD51 1802号機はDD51の最終ロットとして1978年製造されて、佐倉機関区に配置され、成田空港へのジェット燃料輸送に従事したので激しい成田闘争に晒された機関車です。


今話題のJR貨物DD51を写したのはこのカットだけで、これだけでは記事として纏まらないので、ここからはDD51メモリアルとして石油貨物以外の写真になります。


撮影年月がバラバラなのはご了承下さいませ。



f:id:okinawa-rail:20210312220340j:image1985年7月 八田

今最も熱い関西本線ですけど、牽引してるのは石油貨物ではなくて20系寝台車だったりしますが、DD51をメインにし過ぎて、肝心の20系は見切れるように写ってるだけだったりします(笑)

牽引機は稲沢第一機関区(注2)のDD51 746号機で、分割民営化の際にJR貨物が継承して2002年に引退してますが、1971年の新製配置から引退するまで終始一貫稲沢から移動する事がなかった機関車です


稲沢機関区と言えばユーロライナー専用機でしょうか。

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1985年7月の稲沢機関区一般公開時に展示されてた時には驚きましたねぇ。

このDD51のユーロ専用機は592、791、1037号機の3両ありましたけど、全て撮影してあったので、せっかくなので貼っておきましょう。

f:id:okinawa-rail:20210312220456j:image1985年9月 名古屋

f:id:okinawa-rail:20210312220530j:image1989年11月 名古屋

f:id:okinawa-rail:20210312220559j:image1991年1月 名古屋

85年9月の写真はユーロライナー出発式の時で、鉄道各誌も取材に訪れてたので、ホームをウロウロしてた私の姿が、鉄道ジャーナル誌にフォーカス…死語です…されてしまいました(笑)

 


f:id:okinawa-rail:20210312220911j:image1990年3月 高山本線下油井~飛騨金山

引退迫る82系「ひだ」を待ってる時に来ました。飛騨川沿いの水力発電所に変圧器を輸送したのでしょうか。

 

DD51に似合うのは旧型客車でしょうか。


f:id:okinawa-rail:20210312221143j:image1982年5月 名古屋

今の若い方に信じられないかも知れませんが、1982年6に関西本線が電化されるまでは同線に旧型客車が走っていて、名古屋駅でも当たり前にDD51牽引の旧型客車が見れました。

因みにこの列車、前日の23時に大阪、天王寺を出発して、紀伊半島をぐるりと回って名古屋に12時57分に到着した普通924列車で、途中新宮まではB寝台車が連結されて列車名「はやたま」がついてました。


最後まで旧型客車を牽引してたのが山陰本線です。


f:id:okinawa-rail:20210312221220j:image1986年9月 山陰本線上川口

福知山線宝塚~福知山間と、山陰本線福知山~城崎間の電化が完成した1986年11月ダイヤ改正で、国鉄線上から旧型客車列車が廃止されました。

この時の撮影記録は昨年10月15日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/10/15/221210と、翌日16日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/10/16/235800のブログに書いてありますので、宜しければお読み下さいませ。


山陰本線と言えば寝台特急出雲ですね。f:id:okinawa-rail:20210312221302j:image注3

 

DD51は厳寒の地、北海道でも活躍してました。


f:id:okinawa-rail:20210312221346j:image1987年1月 旭川

急行天北です。
急行「天北」は札幌~稚内間を天北線経由で結ぶ列車で、85年3月ダイヤ改正から客車化されましたが、上下で編成が異なっていて、上りは札幌発稚内行きの下り急行「宗谷」とペアを組んで14系座席車オンリーでしたけど、下りは稚内発札幌行きの上り急行「利尻」とペアを組んでいたので、座席扱いされた寝台車が2両連結された異色な列車でした。



f:id:okinawa-rail:20210312221413j:image1996年2月 札幌

北斗星専用機です。
午後に単機で札幌駅を通過したので、検査で空知機関区への回送途中でしょうか?

 

 

DD51メモリアル、如何だったでしょうか。

 

さて、最初にも書きましたが、DD51は今日、定期仕業から引退しました。

 

DD51の引退が囁かれ始めたのは2018年頃だったでしょうか。

 

それから3年、近鉄塩浜駅に隣接したJR貨物塩浜駅に行って、4基のDML61Zが一斉に咆哮を上げて編成重量1000トンの石油貨物を引き出す姿を見よう、撮ろうと考えつつも、歳を取ってデブ……違う!出不精になり新型コロナ禍の県を跨いでの移動自粛も加わって見に行けず、今日を迎えてしまいました。


とは言え、185系のブログでも書きましたけど、SNSで素敵画像がいっ~ぱい見れるので、それで十分補完出来ます。


今日は午後から本降りの雨になりましたけど、関西本線の名撮影地には多くのファンがDD51を見送った事でしょう。


59年にも及ぶ定期仕業、お疲れさまでした…とエールを送って締めましょう。


それでは
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注釈
1: 番台区分されてますが番号形態は複雑です

2: ディーゼル機関車が第一機関区、電気機関車が第二機関区に別れてました。

3: テイチクビデオJR特急1号の購入特典でL判写真が付いてました。