気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

水曜日 過去鉄…1984年お正月の新疋田

今日は朝から雨でしたねぇ。
雨は好きなんですけど、それは程度によって、激しく降るのは嫌ですね。


そんな天気とは全く関係ないのですが、最近某はてなブロガーさんが雪降る新疋田での撮影紀行を書いておられましたので、それに対抗する訳ではありませんけど、私も雪の新疋田で撮影した事があるので、その時の事を書いてみましょうか。

先ずは新疋田についてざっくりと説明しますと、新疋田駅滋賀県福井県の県境付近にある北陸本線の小さな駅ですけど、ロケーションの良さから、撮り鉄は一度は訪れると言っても過言ではない超メジャーな所です。

そんな所に始めて行ったのは1984年1月3日でした。

細かい日にちまで覚えているのは、当時紙ブログ…要は日記です…を書いていたからだったりします。


それではその紙ブログを元に撮影紀行を始めましょうか。

例によって写真とネガスキャンの混合ですが、今回はネガスキャンがメインなので、画像が汚い事だけはご承知おき下さいまし。


先ずは敦賀駅からです。
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見切れた交直流急行型電車の脇からひょっこりと現れたのは日本海縦貫線のクイーン特急「白鳥」です。

f:id:okinawa-rail:20210519231626j:image「白鳥」は大阪~青森間の特急なので、敦賀はまだまだ旅が始まったばかりですね。



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大阪行きの特急「雷鳥」です。



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EF81です。
後ろには旧型客車を従えてます。

当日は私が寝坊したので、名古屋を出るのが遅くなり、米原から新疋田駅への普通列車に乗れずに、高校生の分際で(笑)特急加越に乗って一旦敦賀まで来て、上りの普通で新疋田駅へ折り返す事になったので、この旧型客車に乗って新疋田駅へ向かってます。


新疋田に到着しました。



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特急「雷鳥」とブレブレですけど、特急「加越」です。

いきなり構内外れの今では立ち入り出来ない場所で撮影してます。




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特急「しらさぎ」です。
しらさぎ」は名古屋でいくらでも撮れますけど、そこは新疋田、撮らないと言う選択肢はありません。

撮影してる場所は上下線が大きく離れる場所で、今では当然立ち入り禁止ですが、当時は国鉄黙認で素人でも入る事が出来ました。



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またまた特急「雷鳥」です。
なんとも凄い場所で撮影してますが、保線作業員の待避する開けた場所で撮影してます。



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特急「加越」です。
「加越」は大阪からの「雷鳥」が1975年から湖西線経由になり米原を通らなくなったので、それを補完する為にデビューした米原~金沢間の特急で、グリーン車1両を組み込んだ7両編成は今では長いくらいですが、当時の北陸特急はグリーン車2両、食堂車1両を組み込んだ12両編成が当たり前だったので、デビュー当時は「ミニ特急」と呼ばれてました。



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EF81が12系客車を引き連れて現れました。
急行サボが入ってるので、急行列車ですね。

 


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新疋田では数少ない普通列車です。
キハ48なので、湖西線に直通する列車でしょうか。



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下りの普通列車です。
電車なので米原発でしょうか。
この車両、台車の後ろにコンプレッサーが見えるので、抑速勾配ブレーキを装備しない為に抵抗器が小さい471系か、僅か1ユニット2両のみの製造で終わった超珍車の473系ですけど、調べたら473系は84年1月にはヘッドライトは原型で、種別表示器の窓が鉄板で埋められてるので、これは471系ですね。

 

道なき道を雪中行軍して山の反対側まで来ました。


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583系の下り「雷鳥」です。
敦賀新疋田間を複線化する際に上り線を下り線に張りつけ線増すると上り線は急勾配になるので、勾配を緩和する為に上り線は山肌をぐるりと周るループ線になり、この辺りは上下線の位置が入れ替わって、上り線は左側の山肌を通っています。



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ネガスキャンで色が出ないですけど、カラーです(笑)
いかにも日本の里山って感じですね。



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ループ線を周って山を降りて来た上り「しらさぎ」です。


再び雪中行軍して新疋田駅に戻って来ました。


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福井と滋賀県の県境に跨がる深坂トンネルに突入する「加越」と深坂トンネルから出て来た「加越」です。


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特急「雷鳥」です。
新疋田駅構内は3本線路があって、上りの特急、急行は真ん中を通過するので、編成写真を撮るには都合が良かったです。
この「雷鳥」はパンタが6基なので、向日町運転所(現、吹田総合車両所京都支所)の6M6T、12両編成です。



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雷鳥三連続です。
北陸本線は「雷鳥」が圧倒的に多いので撮るのも「雷鳥」ばかりになります。
1枚目はヘッドライトに惑わされてクソアンダーになりました。

雷鳥には先ほどの向日町運転所の6M6T、12両編成と、金沢運転所の白山と共通運用で食堂車とグリーン車が1両づつの489系8M4T、12両編成があるんですけど、どうやら向日町運転所の雷鳥ばかり撮ってたようです。



再び敦賀駅です。

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12系客車に急行サボが入ってるので急行ですけど、列車名は分かりません。

日記を元に書いてますけど、日記にも書いてないのよ。

下り列車で、交流区間を走るので、送電区分の交交セクションでの短絡防止で、片パン上昇になるのは必然ですけど、EF81の片パンは不思議と違和感があるんですよねぇ。


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またまたEF81です。
1984年なのでまだEF70は稼動してたはずですけど、この撮影行では姿は見ませんでした。


当日の記録はここで終わってるので、EF81を撮った後で名古屋に戻ってます。

日記を見ると敦賀から普通で米原まで行きと書いてあるのですが、米原行きの普通に乗るなら新疋田からでも乗れるのにわざわざ敦賀まで来たのが謎です。

新疋田を通過する普通でもあったんでしょうか?

その辺りはなぁ~んにも書いてないんだもんなぁ。

ちゃんと書いておけよ、自分!←ふぇ、理不尽に怒られました。


84年お正月新疋田撮影紀行、長々とお付き合いありがとうございました。

この時撮影したのは30カットですけど、写真で残ってたのは僅かに4カットだけでした。

こられは当時はまだ撮影技術が未熟だった結果なんですよね。

なのでネガスキャンは全てトリミングしてある事を白状します。


新疋田にはこの後何度なく行く事になるので、それらの撮影紀行もいずれ書きたいと思ってます。


次は写真が多めになるかなぁ。

 

それでは。