今日は1月15日で小正月です。
かつては小正月に行われていた元服の儀に由来した「成人の日」で祝日でしたが、今はハッピーマンデーで3連休になるように1月の第2月曜日に移動してるので、今年は先週の月曜日が成人の日でした。
祝日にはきちんとした由来があるので、日にちを変えるのはダメってのが私の持論なので、毎年この時期には眉を顰めてます。
今年は15日が日曜日なので翌日は振替休日で3連休になるので移動させる必要はないじゃない。
ねぇ。
とは言えトヨタに支配されてる愛知県は殆どの企業がトヨタカレンダーで動いてるので、祝日は関係ないんですけどね←偏見です。
そんな事とは全く関係ないんですが、今から40年前の1月15日は土曜日で祝日だったので高校時代の部活鉄道部の冬合宿で国鉄越美北線に乗りに行ってるので、日にち合わせで、今日は「過去鉄、国鉄世代の懐かしい鉄旅」と題してその時の様子をダラダラと書いていきましょう。
例によって写真とネガスキャンの混合なので、画質と色に纏まりが無い事だけはご承知おき下さいませ。
それでは始めましょう。
誰が言い出したのかは忘れましたが、雪が見たいただそれだけの理由で当時存在した北陸地方の国鉄路線が特急の自由席も使って自由に乗れる北陸ワイド周遊券を使って真冬の越美北線に乗りに行く事になりました。
先に“部活の冬合宿”と書きましたが、学割を使うので生活指導部に学割申請書を出すのですが、個人で遊びに行くって理由では受理されなかったので、冬合宿と理由付けしただけの事で、実際は単なる雪見旅行です(笑)
ルートは名古屋から高山本線経由で富山へ出て、富山~福井~越美北線往復~米原~名古屋の一筆書きルートで、名古屋発は23時50分発の夜行急行「のりくら」9号でした。
乗車する座席は自由席なので早くから並ぶのを兼ねて普段では出来ない夜の名古屋駅での撮影を楽しんでました。一見すると何の変哲も無い急行型ですが、この車両は153系の電動車モハ153です。
1958年にデビューした153系は老朽化が進んでたので最後まで残ってた大垣電車区と下関運転所の153系は1982年11月ダイヤ改正で引退しますが、大垣電車区は神領電車区から転属する165系に置き換えられるのですが、置き換えがダイヤ改正の絶対条件ではないので置き換えのペースは緩やかで、最後の車両が運用から離脱したのは83年3月31日でした。
これらの事は後年に読んだ鉄道誌で知った事なので、当時はそんな事は知らなくて、「去年11月のダイヤ改正で引退したはずなのにまだ走ってる!」と慌てて撮影してました。
寝台特急「さくら」です
のりくら9号の出発がかなり遅い時間なので名古屋駅を通過するブルトレを撮影する絶好の機会でしたけど……初っ端から友人がモロ被りになりました(笑)
撮影した時の記憶は曖昧ですけど、友人は撮影者の前に割り込みする人ではないので、敢えて友人を入れたのかもしれません。
寝台特急「さくら」に続いて到着した「はやぶさ」です。
年末年始の郵便局の配達バイトで資金を貯めて憧れの一眼レフカメラ、キャノンAV-1を購入しましたけど、予算不足でストロボまでは購入出来なかったので、唯一のマニュアルと呼んでたストロボシンクロ1/60固定を使ってホームの明かりを頼りに撮影しましたけど、当然ながら露光不足でした。
露光不足で同時プリントしてもらえなかったのか、あるいは処分したのかは定かではありませんが、写真が残ってないのでネガスキャンして明るめに補正してあるので、粒子が目立つのはご勘弁下さいませ。
ブルートレインを撮るぞ!と意気込んでましたが、ストロボ無しでは無理と分かったので、ブルートレインを撮影したのは「さくら」と「はやぶさ」だけでしたね。
てか、ホームでストロボ使ってはダメでしょ。
中央西線の夜行急行「きそ」3号です。
名古屋から長野までは251.5km、昼間の電車急行「赤倉」が4時間ちょうどで走るところを、客車列車でゆっくりゆっくり走っても5時間15分で着いてしまいます。
そんな距離と所要時間ですけど、83年当時は当たり前のように夜行急行があり、82年11月ダイヤ改正までは10系寝台車が連結された旧型客車で運行されてました。因みにこの列車は長野で1時間停車してから普通になって直江津まで行くので、行き先は直江津になってました。
12系客車列車は当時はありふれた存在で、ましてや寝台車が連結されてなければ何の魅力もないのか、友人達は撮影する気もないようで、ホームで車座になって談笑してるのが面白いです(笑)
急行「きそ」に牽引機の篠ノ井機関区のEF64 55号機が連結されました。
ストロボがないので同じキャノンユーザーの友人からストロボを借りて撮影しましたが、中線を挟んでるので被写体まで光が十分に届かずに露光不足でした。
写真が残ってないのでネガスキャンしましたが、明るさの記憶がないので明るさが正確かどうかは分かりません。
ところで似たカットが2枚ありますが、どちらも同じ列車で、1枚目はEF64をメインにトリミング。2枚目は右側のきしめんスタンドのコーヒーの文字に昭和感が溢れてるので、きしめんスタンドを敢えて残しましてみました。
急行「きそ」に牽引機が連結される頃には私達の一夜の宿になる急行「のりくら」9号の乗客の列も伸びてくるので、列に並んで「のりくら」9号に乗車です。
日付が変わる10分前に名古屋駅を発車した急行「のりくら」9号は岐阜駅で進行方向を変えて高山本線に入り深夜~未明の飛騨路を走りますイメージで昼間の急行「のりくら」です。
「のりくら」9号は金沢行きなのでそのまま金沢まで乗車してても良かったのですが、今回の鉄旅にはもう一つ目的がありました。
それは富山~糸魚川間の快速列車が82年11月ダイヤ改正から特急「しらさぎ」に使用する編成が間合い運用されて2両連結されてるグリーン車が普通車扱いで開放されるので、その快速列車で富山~糸魚川間を往復する事でした。イメージ写真で昼間の名古屋駅に停車中の「しらさぎ」です。
なので、早朝の4時37分に富山駅で「のりくら」9号から降りてます。
4時37分って…
てっきり5時くらいだと思ってたんですが、この記事を書くのに購入した…半分冗談です(笑)…時刻表復刻版1982年11月号を見たら4時37分だったのでびっくりしました。
のりくら9号の富山到着から6時01分発の糸魚川行き快速の発車まで1時間半くらいあったのでその間の記憶は曖昧ですが、残ってた写真からどうやら早朝の富山駅ホームに早くもスタンバイしてた5時27分発の特急「雷鳥」2号を撮ってたようです。列車の近くでストロボ使ったので、同時プリントでは見事に白飛びしてました
ネガスキャンしてヘッドマークが分かる程度に暗めに補正してあります。
485系の快速で富山~糸魚川まで往復した後は福井へ向かうまでの間プチ放牧(笑)だったので、この鉄旅では個人的に楽しみにしてた富山地方電鉄の車両を撮りに国鉄富山駅に隣接してた電鉄富山駅まで行きました。富山地方電鉄の14760系です。
14760系は1979年から製造された富山地方電鉄初の冷房車です。
地方電鉄にしては大きな番号を付けてますが、これは万~百位はモーターの出力を馬力で表した富山地方電鉄独特の付番なので、この車両は147馬力モーターを装備した60系って事になりますね。
富山地方電鉄14711系です。
富山地方電鉄の車両で最も楽しみにしてたのが、元名鉄3800系の14711系なんですけど、前面は非貫通化されて、ヘッドライトも白熱灯1灯からシールドビームを左右に付けた“蟹目”2灯化されてたので、ガッカリしました。
富山地方電鉄14710系、クハ10型です。
先に書いたように富山地方電鉄の型式は万~百位はモーター出力を馬力で表してるので、モーターがないトレーラーは型式が二桁になります。
この車両も元名鉄のク2800で、1968年に名鉄から譲渡されました。前面が非貫通化されてヘッドライトも蟹目2灯化されてますが、譲渡時期が早くて名鉄時代に更新修繕を受けて無いので、窓の上下の補強帯ウィンドシルとウィンドヘッターが残されいているので、側面は製造時の原型をほぼ保ってました。
参考までに名鉄に残ってた3800系も貼っておきましょう1977年頃
スカーレットになる前のストロークリームにスカーレット帯で、ヘッドライトも白熱灯のままです。
富山地方電鉄の行き先系統板です。まるで博物館の展示物みたいですけど、歴とした現役の系統板で、電鉄富山駅の片隅に系統板置き場があってそこに纏めて置かれてました。
こういうのは見てるだけでも楽しいですね。
プチ放牧も終わって周遊券の特典…特典?…で特急自由席に乗れたので、特急で福井まで移動しました。
福井駅構内に停車中の交直流急行型です。
1982年11月ダイヤ改正で北陸本線の急行は、「ゆのくに」が廃止、「立山」は季節列車に格下げされて使用車両が583系に変更されて、唯一急行型で残った「くずりゅう」も6往復から1往復にバッサリと減らされたので、交直流急行型が大量に余剰となってローカル運用に進出しました。
北陸本線の急行編成はMcM’TsT’c+McM’T’cまたはMcM’TsT+McM’T’cだったので、編成中からTs(グリーン車)を抜くだけで、容易にMcM’T’cの3両編成が組めたり、McM’TMcM’T’cの6両編成での運用もあったので、東北地方みたいに先頭車化改造車はほとんどなかったそうです。
因みに2枚目の車両は473系だったりします。
473系は471系の出力増強系列で、国鉄の新たな標準型モーターで出力120kwのMT54を装備して1965年2月に製造されましたが、同じ頃に抑速勾配ブレーキを装備した475系が開発中だったので、クモハ473-1+モハ472-1の1ユニット2両のみで製造が打ち切られた超レア車です。
そんなレア車を撮ってないか?とネガを探して見つけたのがこのカットでネガを限界まで拡大しても型式表記は読み取れませんが、ジャンパ線が2本(475系は3本)なのと、パンタ付きのモハ車の2-4位側(このカットでは線路側)車体側面に変圧器冷却風取り入れ口が無い(モハ470には存在する)事と、極め付けはクモハの貫通扉の列車番号表示器に[473 1]と表記されていて、でたらめな列車番号にしては出来すぎな数字なので、これは金沢運転所が見た目が同じの473系を他の交直流急行型と区別する為の表示と考えるのが自然なので、この車両は473系と見てほぼ間違いないでしょう。
撮影当時はそんなレア車だとは知らなかったとは言え、何でもっと間近で撮らなかったのかと、撮影当時の自分を詰問したいです←理不尽(笑)
473系は1編成だけなので1986年に廃車になり、電装品は車体更新車の413系に転用されましたが、モーター出力が120kwの為に100番台になり、100番台はクモハ413-101+モハ412-101の1ユニット2両のみなので、ここでもレア車になってます。参考写真で413系0番台です。
ところで、福井駅滞在中にで特急「雷鳥」や「白鳥」が停車してるはずなんですが、ネガを見てもそれらは撮影してないんですよね。
なんで?
さて、ここで越美北線についてざっと説明しましょう。
越美北線は北陸本線の越前花堂から九頭竜湖までの52.5kmの路線で、福井駅と岐阜県の美濃太田駅の間を岐阜県郡上八幡を経由して結ぶ越美線として福井、美濃太田の双方から建設が始まり、福井県側は九頭竜湖まで、岐阜県側は北濃まで建設されたところで建設はストップしてそのまま凍結されて、福井県側は越美北線になり、岐阜県側は越美南線になりました。
福井県側はJR西日本が継承しましたが、岐阜県側の越美南線は赤字ローカル線の第二次廃止対象路線となって1986年12月に廃止、第三セクターの長良川鉄道越美南線となりました。
その越美北線に乗って最終目的地の九頭竜湖駅に到着です。1983年当時の九頭竜湖駅はコンクリートブロックの簡易な駅舎があるだけの粗末な駅でしたが、今は道の駅 九頭竜と一体となったログハウス風の立派な駅舎になり、それは車で立ち寄った際にそこが九頭竜湖駅だったとは気が付かないほどです。
Wikipediaより
それは駅としてどーなんでしょう(笑)
ところで雪深い九頭竜湖駅に停車中の車両、永らくキハ25だと思ってたんですが、ネガスキャンして限界まで拡大したら貫通扉の渡り板にキハ52 115と記されました。キハ52 115と言えば現在津山まなびの鉄道館で保存されてるじゃないですか。
まさか現役の首都圏色時代を撮ってたとは!
九頭竜湖駅は近くにスキー場があるくらいなので、雪深い山間にあって、その積雪量は半端なくて、キハ52に装着されてるスノープロウがしっかりと雪をかき分けてるのが分かるほどです。
ここに来た目的はそんな雪深い光景を見る為だったので、テンションが上がりまくりで、定番の雪合戦や“人型スタンプ”と称して雪に埋もれてみたりと、子供のようにはしゃぎまくり、記念写真を撮ってから、楽しい思い出を胸に
快速「おくえつ」で名古屋への帰路につきました。
福井から名古屋への帰路は特急「しらさぎ」12号で(イメージ写真です)周遊券で自由に乗れる敦賀までは食堂車で夕食を食べて、敦賀からは指定席でした
敦賀からの指定席券ですがなんでも残してあるなぁ(笑)
ついつい長くなった「過去鉄、国鉄世代の懐かしい鉄旅北陸編」最後までお付き合いありがとうございました。
次の過去鉄の大型企画…企画?…は春頃を予定しております。
それにしても改めて振り返ってみると、周遊券を使ってるとは言え、特急、急行を乗り回して特急の食堂車で食事して、特急の指定席で帰る……
バイトとお年玉で懐が豊かだったのか高校生にしては贅沢な鉄旅だったんですね。
そんな鉄旅から40年かぁ←遠い目
それでわぁ~