今日の名古屋は曇りがちの天気で、昨日と同じでちょっと蒸しってましたねぇ。
そんな天気の話しもそこそこに昨日の続きでマリンジャンボ撮影記です。
マリンジャンボはそのデザインから大好評でしたが、機種がB747-400Dで、日本の国内線用にアレンジされてるとは言え、滑走路の長さが最低でも2500メートル必要なので、発着出来ない地方空港があります。
そこで少しでも多くの子供達に見てもらいたいと、地方空港でも発着可能な中型機B767-300にもマリンジャンボと同様の塗装を施したマリンジャンボJr.が93年12月に登場しました。
このマリンジャンボJr.も当然撮影してまして、こちらは名古屋空港にも定期便で入ったので楽に撮影出来ましたね。
この写真は原板からかなりトリミングしてます。
春霞みでしたけどまずまずの青空でした。
ところで、B747のマリンジャンボは就航から3ヶ月後の93年12月に一度だけスペシャルフライトで名古屋空港に飛来してるのですが、その日は仕事で空港には行けなかったんですよね。しかも職場が名古屋空港へのファイナルアプローチコースの真下なので、仕事中にマリンジャンボが真上を通過してるのですよ。
普段は仕事の息抜きで真上を通過する飛行機を缶コーヒー飲みながら眺めてましたが、この日ばかりはそんな職場環境を恨みましたね(笑)
写真はイメージで、名古屋空港から2kmほどの庄内川堤防上からの撮影ですが、職場はここよりもう4kmほど離れてますが、標高が高いので、こんな感じで通過してました。
余談ですが、2年後には名古屋空港から1kmほどの職場に移動になりました(笑)
撮影記に戻りましょう
マリンジャンボを撮りに何度か東京羽田空港に行きましたが、93年夏から94年春頃にかけては天候不順で、曇りが多く、晴れても視界が良くなかったりと決して満足がいく写真は撮れなかったです。
でも天候が安定してきた5月のとある公休日の前日に見た天気図や仕事中に聞いてた(笑)ラジオの気象通報で、翌日の東京地方は安定した晴れ間が拡がると確信したので、定時の20時で帰れるように鬼のように仕事を片付けて帰宅、すぐさま名古屋駅から東京行き夜行普通348Mで東京に向かいました
写真はイメージです。
東京到着後は浜松町から始発のモノレールで羽田空港に向かい(Wikipediaより)
ビックバード…羽田空港ターミナルビルの愛称です…のオープンと同時に展望デッキに出ると予想通りの良い天気だったので、テンションマックスでマリンジャンボを撮りまくってました。
午前6時頃(笑)の全日空エリアです。
プッシュバック、ランプアウト、テイクオフです。後ろのJALのライン整備ハンガー…鉄道なら交番検査庫でしょうか…にはJALに整備委託してる政府専用機が入ってます。
新千歳に向けて五月晴れの空に上がって行きます。
この青空で撮りたかったんですよねぇ。
マリンジャンボJr.も当然撮影してます。
マリンジャンボが新千歳空港から帰って来ました。
機材トラブルとかではなくて、羽田~新千歳間を往復してるので、その間の約4時間ずっ~とビックバードの展望デッキにいたのですよ(笑)
流石にこれだけ撮影したら満足したのか、この日以降にも羽田空港や新千歳空港に行ってるのですが、マリンジャンボは撮ってません。
沖縄那覇空港での撮影も考えてましたが、行かなかったですね。
マリンジャンボは1994年末で運航終了して、ノーマルカラーにリペイントされる予定だったので、もう撮影する事はないだろうと思っていましたが、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で山陽新幹線が不通になったので、代替輸送で、羽田、大阪伊丹~福岡線の増便や、羽田~岡山、広島線にB747が投入されるなどした為に運航ラインから外してリペイントする余裕がなくなったので、マリンジャンボのまま運航が継続されたので、被災地が落ち着きつ始めた95年4月にふらりと行った大阪伊丹空港で撮影出来ました。
これを撮影した1ヶ月後にマリンジャンボの運航が終了したので、これがマリンジャンボの最後の撮影になりました。
撮影した写真ほぼ全てを公開した二日間に渡るマリンジャンボ撮影記にお付き合いありがとうございました。
最後にノーマルカラーになったマリンジャンボB747-481D JA8963の姿を紹介して締めましょう
1996年4月 大阪関西空港
2004年11月 大阪伊丹空港
2枚も貼る必要あるの?と思われるでしょうが、04年の方はタイトルロゴが[全日空 All Nippon Airways]の漢字と欧文表記から、シンプルな[ANA]に変わっています。
ちょっとした変化も漏らさず記録するのはマニアの基本です(笑)
それでは。