唐突ですけど、今日は前置きなしで昨日の続きの、過去鉄 1984年夏、北海道(後編)さくっと始めましょう。
名古屋から臨時急行「あおもり」と函館本線の旧型客車の夜行普通列車2連泊でたどり着いた北の都、札幌では3泊目は流石にビジネスホテルに泊まりました。
二日間ぶりにフカフカのベッドで寝て翌日14日の朝…書き忘れてましたが、旅行に行ったのは8月11日から15日にかけてです…はさぞかしゆっくりして、ホテルで優雅に朝食を食べたと思いきや、早朝から札幌駅で撮影してたようです(笑)北海道の夜行急行トリオで、上から稚内からの「利尻」、釧路からの「まりも」、網走からの「大雪」ですが、「利尻」は札幌到着が5時55分です。
いったい何時に起きてホテルチェックアウトしたのやら(笑)
この辺りの記憶は曖昧なのですが、ビックリするくらい早く起きた記憶が無いので、利尻は遅れてのでしょうか?
でもネガ見ると、時刻表通りに撮ってるので、ビックリするくらい早く起きて、ホテルチェックアウトしたようです(笑)
あ、書き忘れてますが、札幌駅は記事構成の都合上、撮影順ではありません。あと色が濁ってるのはネガスキャンです。
網走行きの特急「オホーツク」です。
「オホーツク」は札幌始発の特急ですが、北海道の特急は函館基準で構成されてので、登場時(1972年)は本州を無視した異色の特急と言われたそうです。
オホーツクに使用されてる車両は北海道向けに開発された183系で、最大の特徴は着雪対策でスラントノーズと呼ばれた斜めにカットされた前面形状でしょうか。
82系気動車のように分割併合を考慮しない固定編成で、先頭のキハ183と、7両編成以上には中間車のキハ184に機械室を設けて発電機を搭載しています。
エンジンも水平対向12気筒30リッター出力440馬力のDML30HSIを装備して最高速度100km/hで、北の大地をかけてました。
711系です。
711系は北海道初の電車として、函館本線小樽~滝川間が電化された1967年に登場しました。厳寒の地を走るので車内保温の為に出入口は車端部に寄せたデッキ付きの2扉で、その扉配置は本州の急行型と同じなので、普通列車の他に札幌~旭川間の急行「かむい」にも使用されてました。
特急「ライラック」です。
「ライラック」は室蘭~札幌、旭川間の特急で、車両は北海道向けに開発された781で、着雪対策で前面は本州の485系よりも丸みを帯びてるのが特徴です。
運転台屋根付いてる厳つい物は最後部の運転台窓に走行風を吹き付けて着雪を防ぐスタビライザーで、84年頃から装着が始まったので、デビュー時のスキッリとした姿は撮れなかったです。
ED76-500番台です。
電化区間が室蘭~札幌と小樽~旭川間の307.9kmだけと短い北海道にもELはいました。
蒸気暖房を搭載してるので、同じく蒸気暖房を搭載した九州向けのED76の派生型でED76を名乗ってますが、正面は重連対応で貫通型になり、車長も0番台の17.4mから1m伸びて18.4mになり、更には制御方式も0番台とは違う制御方式なので別形式を名乗ってもおかしくないのですが、登場時の1967年は国鉄の労使関係が最悪で、ただでさえ電化に際してSLの機関士から強い反発があるのに、そこに新型式の機関車を投入するとなると、労使交渉に手間取る事が予想されたので、ED76の派生型になりました。参考で85年7月に敦賀機関区で撮影したED76 0番台の写真を貼っておきます
因みに同様のケースは、左右非対称で限界まで拡がった幅広の車体を持ち、基本番台とは全く別物になったEF64-1000番台や、2扉転換クロスシートなのに、3扉ボックスシートの115系の派生型になった115系3000番台があります。EF64基本番台
EF64-1000番台
話しを北海道に戻しましょう。
ED76は函館本線のみで使われていて、貨物列車や旅客列車を牽引してました。それにしてもこれはどアップ過ぎですね。ED76は常に小樽寄りのパンタを使用してるので、パンタが写ってないと何が何やらです(笑)
函館駅に停車中の特急北斗です。
札幌で一通り撮影した後は名古屋への帰路に着いて函館へ向かったのですが、私は他の3人と別れて1人でこの183系「北斗」に乗っています。
これは喧嘩した訳ではなくて183系に乗りたかったからですが、他の3人は82系「北斗」に乗って食堂車で昼食を食べて、途中から客車急行「ニセコ」に乗り換えて函館に向かってるので、今思えばそっちの方が良かったなと後悔してます。
函館到着後は他の3人と合流して、直ぐに青函連絡船に乗って青森に向かってます。
特急「はつかり」と「鳥海」の並びです。
青森からは23時55分発の寝台特急「ゆうづる」10号だったので、函館市内をブラブラして路面電車などを撮る余裕があったのにもかかわらず直ぐに青函連絡船に乗ってたのは、この並びが撮りたかったようです。
特急鳥海です
「鳥海」は青森~上野間を奥羽、羽越、上越線経由で結ぶ特急で、82年11月ダイヤ改正までは「いなほ」を名乗ってましたが、「いなほ」は新潟からの新幹線接続特急にシフトしたので、1往復だけ残った上野に直通する列車は新たに「鳥海」を名乗る事になりました。
この「鳥海」よほど撮りたかったのか、ヘッドマークだけを狙ってこんな凝ったのも撮ってました
特急「はつかり」です
「はつかり」は上野~青森間の特急でしたが、82年11月ダイヤ改正からは運転区間が盛岡~青森間になり、盛岡からの新幹線連絡特急になりました。
写真の車両は運転台屋根のヘッドライトが二つ目なので、北海道帰りのクハ481-1500で、北海道からの帰り道で、北海道帰りの1500番台が撮れたのは嬉しかったですね。
青森駅構内から撮った青函連絡船摩周丸です。
色が緑色なのはライトアップとかではなくて、光源補正フィルターなしで長時間露光してるからです。
往路は名古屋から20時間連続乗車の急行「あおもり」と、旧型客車の夜行普通41列車だったので、帰りは贅沢に寝台特急「ゆうづる」でした←お金、使う時は使うんです。青森駅では撮ってないので、85年3月に上野駅で撮影したので代用しました(笑)
お盆のUターンの真っ只中なので、購入出来た寝台は中段でした
中段は半身を起こしても天井に頭が当たって前屈みになるので、上野までの約8時間は横になってるしかない最悪な区画でしたが、それでも初めての寝台特急なので嬉しくて旗を持って記念撮影までしたようです。旗を持ってるのは私ですけど、ワールドワイドでお見せして良い顔ではないので、秘密とさせていただきました(笑)
青森駅を日付が変わる寸前の23時55分に出発した「ゆうづる」10号は電車らしい俊足で上野に向かいます。
途中八戸辺りで車掌の検札があったのは覚えますが、そこからは記憶がありません。
上野駅に到着後はせっかく東京に来たのだから、放牧と言う名の自由解散になりましたが、打ち合わせた訳ではないのに、名古屋への新幹線が4人共に同じだったのには笑ってしまいました。
前後編に渡ってお届けした1984年夏、北海道は以上です。
最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。
次に北海道へ行くのは1986年の冬休みになります。
この1986年冬、北海道も記事にする予定なので、その際はお読み下さいませ。
多分季節合わせて年末かなぁ?
それでわぁ~