気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

土曜日 過去鉄…1987年ゴールデンウィーク北海道その3

今日の名古屋は朝はお日様がニコニコってしましたが、次第に雲が多くなってきましたね。

そんな今日の天気の話しもそこそこに2日間開いてしまいましたが、木曜日の続きhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2023/05/03/233917を始めましょう

そうそう、今日はネガスキャンしたカットも多いですが、車両の色を基準に補正してるので、全体的に色調が揃ってない事だけはご承知おき下さいませ。


それでは改めて始めましょう。

1987年ゴールデンウィーク北海道旅行3日目は名古屋への帰路に着くのですが、名古屋へは1956.2kmあるので帰路ってイメージは無いです(笑)

まずは稚内駅前で駅舎を撮ってました
f:id:okinawa-rail:20230506191601j:image駅舎全景
f:id:okinawa-rail:20230506191715j:image駅舎の壁の駅名碑ですが、写真は焼き込み不足で真っ白にすっ飛んでるので、ネガスキャンで濃く補正してあります。

稚内からは札幌行き急行「宗谷」に乗車です
f:id:okinawa-rail:20230506191745j:image撮影は旭川駅、理由は後ほど。

この列車は同じ区間を走る夜行急行「利尻」の下り列車とペアになっていて、前夜札幌を出発した下りの「利尻」で到着した編成がそのまま上りの「宗谷」で折り返すので、寝台車を連結していて
f:id:okinawa-rail:20230506191839j:image
f:id:okinawa-rail:20230506192227j:image(87年1月に撮影した同じ編成の急行天北)
寝台車はベッドから座席に転換して座席車になってました。
最初はその座席扱いの寝台車が珍しくて寝台車に座ったのですが、ベッドの幅が70センチあるので、背もたれに背中を付けると短足なので足が床に届かなくてプラプラして座り心地が悪くて、背中を背もたれに付けてくつろぐには、ベッドの上で正座するか、胡座をかくしかしないんですよ。

ベッドの上で胡座をかいてる様は牢名主です(笑)

それによく考えてみると混雑したら一区画に6人座る事になるので、その状況を想像したらゾッとしたので発車前に座席車に移動しました。f:id:okinawa-rail:20230506192335j:image(山と渓谷社 国鉄車両形式集8より)
寝台仕様ですが、座席扱いだと中央の転落防止柵が収納されてベッドに3人座れるので、この区画に向かい合わせで6人です(笑)

因みに下りの「宗谷」は天北線経由で稚内と札幌を結ぶ急行「天北」の上り列車とペアになっていてf:id:okinawa-rail:20230506192443j:image(Wikipediaより)
座席車オンリーなので、急行「宗谷」は上りと下りで編成が異なる変わった列車で、これは急行「天北」も同じです。

さて、稚内を定刻に発車した急行「宗谷」は南稚内を過ぎるとクマザサが生い茂る荒涼とした抜海の丘に登って行きます。
その丘の頂上付近で日本海越しに利尻島が望めるのですが、見た記憶が無いし、写真も撮ってないので、どうやら雲に隠れてたようです。
f:id:okinawa-rail:20230506192615j:image(鉄道ジャーナル別冊36より)
これくらい見えてたら感動して覚えてるし、写真にも撮ってますもの。

混雑したら1区画に6人座る事になる座席扱いの寝台車から移動した座席車も簡易リクライニグシートなのでf:id:okinawa-rail:20230506192649j:image(山と渓谷社 国鉄車両形式集8より)
それに約4時間30分座ってて疲れたのか、あるいは「宗谷」自体に飽きた(笑)のかは忘れましたが、札幌まで乗り通す事なく旭川で降りています。

旭川からは後続の特急ライラックで札幌に向かってます。
f:id:okinawa-rail:20230506192751j:image覚えてないですが、雨降ってたんですね。

ライラック」は室蘭、札幌~旭川間の電車特急で、ルーツは1975年に札幌~旭川間で運転開始した北海道初の電車特急「いしかり」で、1980年10月の千歳線室蘭本線の苫小牧~室蘭間電化で札幌~室蘭間が延長されて列車名も「ライラック」に変更されました。

そのライラックの車内で青森から名古屋までのルートを東北経由にするか、奥羽~羽越~北陸のいわゆる日本海縦貫経由にするかを時刻表を見ながら電卓で特急料金を計算してたら、車掌さんに笑われました(笑)

で、行程表を見ると日本海縦貫経由にして直江津から信越本線に入り長野経由に変更したようです。f:id:okinawa-rail:20230506193000j:image

そんな車掌さんに笑われながら札幌駅に到着した後は北海道の特急撮影タイムです。

f:id:okinawa-rail:20230506193037j:image旭川から乗車した特急ライラックです。
旭川で撮影したのは札幌寄りの先頭車でクモハ781で、こちらは旭川寄りの先頭車クハ781ですが、これ意図せず撮ってたのが凄いです(笑)

f:id:okinawa-rail:20230506193121j:image撮影順は前後しますが、特急「北斗」10号です。
塗装はJR北海道カラーですが、この塗装は国鉄末期の1986年11月にデビューした183系500番台からなので、歴とした国鉄色です。
運転台の下にはJNRマークも残ってるので、まだまだ国鉄を堅持してますね。
f:id:okinawa-rail:20230506193218j:image特急「北斗」と「ホワイトアロー」の並びですが、ホワイトアローには何かが貼られた跡があります。
これ、なんだっけなぁ?JR移行から1ヶ月なので「よろしくJR北海道」のステッカーが貼られてたのかな?

f:id:okinawa-rail:20230506193250j:image水平対向12気筒30リッター500馬力ターボエンジンDML30HSが一斉に咆哮を上げて特急「北斗」10号が発車します。
この北斗10号をパワーワインダー唸らせて馬鹿みたいに連写してました(笑)
f:id:okinawa-rail:20230506193341j:imageグリーン車キロ182です。
183系気動車には食堂車が無いので、キロ182は売店があり、そこには簡単な調理が出来る電子レンジが備えられていて、ドアの向こうはその売店部分です。
f:id:okinawa-rail:20230506193501j:image中間車のキハ182です。
こだま色と呼ばれた国鉄特急色から新塗装への過渡期なので、この編成にはこだま色が混じってました。
北斗10号は所定が7両編成ですが、この日は8両編成だったので、このキハ182が増結車だったのでしょうか。
f:id:okinawa-rail:20230506193541j:imageキハ183-1500番台です。
「北斗」10号は編成中に発電機を持ったキハ184が組み込まれる場合もありますが、この日は183系500番台の先頭車で(分かりにくいですが、車両前方に運転台があります)、発電機付きのキハ183-1500番台でした。このキハ183-1500番台については後ほど詳しく書きます。
f:id:okinawa-rail:20230506193623j:image最後部はこだま色のキハ183でした。

f:id:okinawa-rail:20230506193653j:image特急ライラックと並ぶ711系です。
711系は北海道専用電車ですが、当日は特急列車を撮るのを優先させてたようで、ネガを見ても711系を記録したのは、これが唯一です。

f:id:okinawa-rail:20230506193734j:image特急「おおぞら」7号です
「おおぞら」は札幌~釧路間の列車で、車両は国鉄最後のダイヤ改正となる1986年11月ダイヤ改正で登場した183系気動車のニューバージョンの183系500番台です。
先頭車は短編成化と分割併合を容易にした貫通型になり、グリーン車は眺望が良いハイッデッカーグリーン車に、普通車も客窓の天地を拡げて開放的になり、座席も在来線の特急車では初となる背面テーブル付きのフリーストップリクライニングシートを装備して、主に「おおぞら」で使用されてました。
このおおぞら7号も馬鹿みたいに連写してました(笑)が全ては貼れないので3枚だけです。
f:id:okinawa-rail:20230506193823j:image550馬力に出力アップしたインタークーラーターボエンジンDML30HSJが咆哮を上げて発車です。
f:id:okinawa-rail:20230506193859j:imageハイッデッカーグリーン車のキロ182-500番台で、87年当時はおおぞら専用車でした。
f:id:okinawa-rail:20230506193948j:image7カット連写(笑)してましたが、写真で残ってたのはこの1枚だけです。
今気が付きましたが、後ろから2両目と3両目は発電機付きのキハ184です。
183系0番台は先頭車のキハ183に自車を含めて4両まで給電可能な発電機を持ち
f:id:okinawa-rail:20230506194706j:image(84年8月撮影 発電機がある機械室部分)
8両編成以上にはキハ184を組み込んでましたが、短編成化で8両以下の編成が増えてキハ184が余剰気味になってたので、これを有効活用する為に183系500番台の先頭車は発電機無しのキハ183-500番台と、自車を含めて4両まで給電可能な発電機付きのキハ183-1500番台の2種類が製造されて、キハ183-500番台はキハ184とペアを組んでいたので、500番台で運用される列車には必ずキハ184が組み込まれてますが、この「おおぞら」7号は、所定の8両編成に1両増結の9両編成で運転されてるので、“電源車”キハ184が1両追加されていて、事情が分かれば納得の組成ですが、事情を知らなければ、ゴールデンウィーク真っ只中の編成増強の為の寄せ集め感が半端ないです。

f:id:okinawa-rail:20230506195200j:image函館行きの特急「おおとり」です。
特急「おおとり」は函館~網走間の特急で、千歳、室蘭本線を経由するので、札幌で方向転換してました。
f:id:okinawa-rail:20230506195237j:image方向転換して函館に向けて出発しましたが、函館方の先頭車は国鉄色のキハ183-0番台でした。
これ、前から撮りたかったなぁ。
4ヶ月前のお正月に札幌駅で183系0番台の「おおとり」を撮影してますが、
f:id:okinawa-rail:20230506213004j:image雪でヘッドマークが見えなかったもん。

f:id:okinawa-rail:20230506195341j:image特急ホワイトアローと併走してるようにも見えますが、先のコマではホワイトアローの姿が無いし、札幌~白石間で方向別複々線函館本線千歳線は、左側が函館本線で右側が千歳線なので、千歳線に入る「おおとり」は右側を走るので、これは構内でのすれ違いっぽいです。

f:id:okinawa-rail:20230506195414j:imageまたまた特急「おおとり」ですが、函館行きが戻って来た訳ではなくて、千歳線内ですれ違った網走行きです。
f:id:okinawa-rail:20230506195446j:image網走行きは網走方も183系500番台でした。
札幌で方向転換するので機関士が乗り込んでますね。
f:id:okinawa-rail:20230506195521j:image特急「ホワイトアロー」との並びです。
特急「ホワイトアロー」は1986年3月ダイヤ改正でデビューした特急で、札幌~旭川間をノンストップ1時間29分で結び、表定速度は92.2km/hに達する高速列車ですが、87年の時点では6往復で、ライラックの20往復には及ばず、ライラックを補完する特急でした。
f:id:okinawa-rail:20230506195554j:image今では当たり前ですが、87年当時は昼間はヘッドライトは点灯してなかったので、昼間のヘッドライト点灯が珍しくて、クロスフィルターを付けて撮ってました。
特急「おおとり」は一往復だけなので、この列車が発着する時間帯に札幌駅にいないと全ての北海道の特急列車は撮影出来ません。
だからと言ってこれは撮りすぎです(笑)

因みに特急「おおとり」は翌年の3月ダイヤ改正で札幌で系統分割されて、函館~札幌間の「北斗」と札幌~網走間の「オホーツク」に吸収されて廃止されてしまうのですが、これを知ってかのように撮りまくってますね。

ネガを見ると「おおとり」を撮影した後で一旦札幌の街に出てプチ観光したようですが、撮影したのは札幌時計台だけの謎の行動してます(笑)f:id:okinawa-rail:20230506212255j:image
この札幌時計台は羊ヶ丘みたいな広い場所にあると思ってたんですが
f:id:okinawa-rail:20230506212329j:image(89年7月撮影)
札幌市中心部のビル街にあったのでビックリしました(笑)

札幌市内観光…と言えるのか?…はおそらく2時間くらいで札幌駅で再び列車を撮影してますが、懲りずに余計な事書き過ぎて長くなったので、残りは明日にでも書きます。

それでわぁ~