気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

金曜日 過去鉄 北海道シリーズ第5弾…1991年夏(前編)

一ヶ月ぶりの更新でございます。梅雨明け前から猛暑の日々が続いてますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

前回更新したのが6月21日なのは、丸っと一ヶ月ブログ放置した事になりますね(笑)

この放置の理由は書くと長くなって今日の本題を圧迫するので、バッサリと省略して…書くのが面倒くさいとも言う(笑)…早速今日の本題にいきましょう。


今から32年前の7月21日から24日まで、またまた北海道に撮り鉄乗り鉄に行ってるので、今日は過去鉄北海道シリーズ第5弾としてその時の事をだらだらと書いていきましょう。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、色と画質に纏まりが無い事はご承知おき下さいませ。

あと記事の構成の都合上、必ずしも撮影順って訳でもないです。


では北海道へびゅ~ん!と飛びます。
f:id:okinawa-rail:20230721104545j:imageイメージです。

前回の北海道シリーズ第4弾

okinawa-rail.hatenablog.jp

では北海道ワイド周遊券を使いながら、特急や急行の指定席や寝台車を利用して周遊券があれば北海道内の特急の自由席は無料になる周遊券の恩恵は何一つ受けず、更に復路は飛行機で帰ったので、普通に乗車券を購入した方が安かったと言う反省から、今回は北海道への往復は空路で…北海道へびゅ~んと飛びましょうは、ここにかかってます(笑)…、北海道内は北海道限定販売の「北海道フリー切符」を使用しました。f:id:okinawa-rail:20230721104659j:imageこの北海道フリー切符は特急、急行の指定席も無料で利用出来る優れ物でした。

ワープロは購入済みでしたが、長年の伝統(笑)でレポート用紙に手書きの行程表によりますとf:id:okinawa-rail:20230721104749j:image千歳空港に10時35分に到着してるので、札幌にはお昼前頃には到着してたでしょうか。

札幌へは1988年GW以降も89年の夏と90年の冬にも来てますが、何れも撮り鉄する暇はなかったので、3年ぶりに加えて高架化された札幌駅での初めての撮り鉄に心踊ってました。

ではそんな高架化された札幌駅に発着する列車をダラダラと貼っていきましょう。

f:id:okinawa-rail:20230721105006j:image札幌駅に入線する特急「とかち」です。
特急「とかち」は札幌~帯広間の特急で、札幌~釧路間の特急「おおぞら」から分離独立して1990年にデビューしました。
運行開始当初はハイデッカーグリーン車も連結されず、「とかち」用に塗装変更された専用車が充当される程度の地味な列車でしたが、後にダブルデッカーグリーン車を連結した「スーパーとかち」に大変貌するのですが、f:id:okinawa-rail:20230721105214j:image(Wikipediaより)
その「スーパーとかち」のデビューがこの写真を撮影した1週間後だった事を昨年知りました(笑)

タイミングが良いのか悪いのか、どっち?

ところで最初の写真はネガでは編成全体が入ってますが、プリント時に後ろが切れてるので、ネガスキャンして編成全体の姿も貼っておきますf:id:okinawa-rail:20230721105547j:image

f:id:okinawa-rail:20230721105626j:image札幌駅を発車する旭川行きの特急ライラックです。特急ライラック781系について話し後ほど詳しく書きます。

f:id:okinawa-rail:20230721105755j:image列車が小さくて何が何やらですが、札幌駅を同時発車した旭川行き特急「ライラック」と帯広行き特急「とかち」です。
札幌~白石間は函館本線千歳線の方向別複々線になっているので、函館本線を走る旭川方面行きの特急と、千歳線を走る特急「北斗」や「おおぞら」、「とかち」が併走する事もありました。
国鉄時代には札幌駅9時30分発の網走行きオホーツク3号の発車が5分遅れて、f:id:okinawa-rail:20230721110031j:image
9時35分発の函館行き北斗6号f:id:okinawa-rail:20230721110106j:imageと併走していて、それを苗穂駅で目撃した友人の談によると、ホームの両側を気動車特急がエンジン全開で通過する迫力は凄かったそうです。
あ、写真はイメージで、実際の併走シーンではないですよ。

f:id:okinawa-rail:20230721110202j:image札幌駅に入線する快速「いしかりライナー」です。
函館本線には札幌駅を境に小樽~札幌間を快速運転する「マリンライナー」と札幌~江別間を快速運転する「いしかりライナー」の二つの快速があって、旅行者には分かりにくかったですね。

車両は711系で、711系は北海道初の電車で、厳寒の地を走る事から2扉デッキ付で、そのスタイルは本州の急行型と同じなので
f:id:okinawa-rail:20230721110303j:image(本州の急行型165系  1985年7月 名古屋)
急行「かむい」や札幌~旭川間のノンストップ急行「さちかぜ」にも使用されました。

711系の車体色はデビューから永らくは赤色(赤2号)で
f:id:okinawa-rail:20230721110403j:image(1984年8月 札幌駅)
これは交流電気機関車
f:id:okinawa-rail:20230721110448j:image(ED76-500番台1984年8月 札幌駅)
由来の交流標準色で、正面には警戒色のクリームの帯を纏っていましたが、1985年3月ダイヤ改正から札幌圏で高頻度運転を始めた「くるくる電車ポプラ号」f:id:okinawa-rail:20230721110554j:image(Wikipediaより)
の登場を期にイメージアップを図って車体色が深紅の赤2号から、若干明るい赤1号にクリーム1号の帯を纏った塗装になり、JR移行後も変わってないので、歴とした国鉄色を纏った車両です。

f:id:okinawa-rail:20230721110705j:image
711系は一見すると急行型に見えますが、型式の十位が1なので、近郊型に区分されます。その証が側面に回り込んだ運転台窓の後ろに乗務員室扉がある事でしょうか。
711系かデビューした1968年当時は急行型には運転台窓と乗務員室扉の間に小窓がありましたが、f:id:okinawa-rail:20230721111050j:image近郊型にはまだなくて
f:id:okinawa-rail:20230721112914j:image(クハ111初期車)
1973年から冷房付きで製造されたクハ111やクハ115、クハ411は新車体に設計変更されて急行型と同様に小窓が設けられましたが
f:id:okinawa-rail:20230721111201j:image(冷房付きで製造のクハ111-2100番台)
クハ711では1980年の最終増備車まで設けられませんでした。

f:id:okinawa-rail:20230721111301j:image札幌駅に進入、若しくは出発する711系で、行き先表示器があるので、千歳線室蘭本線室蘭~苫小牧間の電化開業用として1980年に製造された第3次量産車で100番台です。
第3次量産車は約10年ぶりに製造されて、1、2次量産車とは細かな仕様が異なるので、新たに100番台が起こされて、クハ711は1、2次車では奇数向き偶数向きの双方に使える両渡り構造でしたが、100番台は編成が固定化されたので一方向だけの片渡りになり、全国的なトイレ個数の見直しで、トイレ無しで奇数向き(小樽向き)の100番台と、トイレ付きで偶数向き(旭川向き)の200番台に別れました。
711系は防寒対策で乗降扉はデッキ付きの2扉車でしたが、乗降客が増えた札幌圏では2扉では対処出来なくなり一部のクハは3扉化されて、3扉車は扉にクリームの帯が2本追加されました。
f:id:okinawa-rail:20230721111414j:image(Wikipediaより)

f:id:okinawa-rail:20230721113015j:imageクハ711の台車TR208です。
711系は近郊型ですが台車は空気バネ台車になり、455系や481系で実績があるDT32系台車
f:id:okinawa-rail:20230721113050j:image(Wikipediaより)
と同様に揺れ枕内に空気バネを装備したインダイレクトマウント方式ですが、車軸を受ける軸箱を支持する軸箱守がウングバネ式から、バネの内側に二重の円筒を取り付けて互いに滑らせて振動を吸収する円筒案内軸箱守方式になりました。
私、この円筒案内軸箱守方式の台車は好きなので、ついついマニア丸出しで語ってしまいました。

f:id:okinawa-rail:20230721113259j:image
f:id:okinawa-rail:20230721113327j:image7月21日なので721系です(笑)
721系はJR北海道が始めて開発製作した車両で1988年にデビューしました。
北海道の車両では初の3扉車ですが、防寒対策でデッキ付きなのでf:id:okinawa-rail:20230721113406j:image(Wikipediaより)
扉間の客室は転換クロスシートと相まって広めのコンパートメントみたいでした。
f:id:okinawa-rail:20230721113512j:image(Wikipediaより)
快速エアポートにも使用されたましたけど、新千歳空港駅では、名古屋や大阪伊丹、関西発便から乗り継ぐ乗客は転換クロスシートに慣れてるので自然にシートを転換してましたが、羽田発便から乗り継ぐ乗客は転換クロスシートに慣れてない、若しくは転換クロスシートその物を知らないのか誰もシートを転換しないので、座席数528席のB747SRや569席のB747-400D
f:id:okinawa-rail:20230721161429j:image
が満席になる羽田発便の乗り継ぎ客と一緒になると「数の力に負けて」シートが転換出来なくて逆向きで座ってましたね(笑)

f:id:okinawa-rail:20230721114011j:imageクモハ781を先頭に札幌駅に到着する781系特急「ライラック」です。
北海道の電車特急は1970年7月に札幌~旭川間で運転開始した「いしかり」が最初ですが、運転開始前は北海道向けに開発された711系485系の接客設備を組み合わせた特急電車を製造する計画でしたが、1968年に発生したカネミ油症事件に端を発したPCB油使用禁止で、PCB油を変圧器の冷却油に使う711系のシステムを踏襲した車両も製造出来なくなったので、本州で使用してる485系の耐寒耐雪構造を可能な限り強化した485系1500番台を急遽製造して運転開始しましたf:id:okinawa-rail:20230721114055j:image(鉄道ジャーナル別冊No.2より)

しかし485系は本州向けに開発されているので、パウダースノーと言われるきめ細かい北海道の雪には全く対処出来ずに、可愛いトラブルではドアの隙間から侵入した雪がデッキに積もって、その雪で走行中の列車内で子供達が雪合戦したり、重大なトラブルでは、床下の抵抗器内部に侵入した雪が抵抗器の熱で解けて抵抗器内部が水に浸かってショートして運転不能運転なるなどトラブルが頻発して、運転開始した最初の冬には「いしかり」全列車が運休する憂き目に会い、事態を重く見た国鉄本社は変圧器の改良が済んだ711系をベースにした厳寒の地に相応しい特急車両の開発を進めて1978年11月に試作車が完成しました。
厳冬期の試験走行を経て1979年4月から485系1500番台に混じって特急「いしかり」で量産化に向けた実証走行を行い
f:id:okinawa-rail:20230721165316j:image(鉄道ジャーナル別冊No.2より)
それを元にして量産車が製造されて、千歳線室蘭本線苫小牧~室蘭間の電化が完全した1980年10月ダイヤ改正から「いしかり」の運転区間を室蘭まで延長して列車名も「ライラック」に変更して、室蘭~札幌~旭川間の特急として本格的にデビューしました。

余談ですが、特急「いしかり」としての役目を終えた485系1500番台は本州に戻り青森運転所を新たな職場として特急「はつかり」などで活躍しました。
f:id:okinawa-rail:20230721171505j:image1984年8月 青森駅

781系の先頭車はクハ481-300番台と同様の非貫通型ですがf:id:okinawa-rail:20230721221815j:image(1985年3月 名古屋駅)
冬季の着雪対策でクハ481などよりも丸味を帯びていて、前面には雪の中でも遠くから目立つように警戒色を兼ねた赤色の帯が巻かれてるので、クハ481などよりも違う印象があります
f:id:okinawa-rail:20230721172211j:image1984年8月 札幌駅

編成は国鉄特急電車では異例の1M車で、電動車に制御器やブレーキ用抵抗器を装備し、付随車と制御車にパンタグラフと主変圧器、主整流器を装備するMTユニット方式で、登場時はクモハ781+サハ780+モハ781+サハ780+モハ781+クハ780の3ユニット6両編成でしたが、
f:id:okinawa-rail:20230721114449j:image(1984年8月 札幌駅)
全体の車両数は増やさず短編成化して列車を増発する全国的な流れに沿って、1986年に一部の中間車を先頭車化改造して4両編成に短編成化され、「ライラック」「ホワイトアロー」が増発されました。

制御方式はサイリスタ位相制御で、交流回生ブレーキも使用出来ますが、製造当時は沿線に与える誘導障害に問題があったので、回生ブレーキは見送られて発電ブレーキになり、クモハ781とモハ781の屋根上には集中式クーラーと外気交換器の他に自然通風式のブレーキ用抵抗器が搭載されていて、この為に運転台が有るクモハ781の車体重量はヘビー級になり、交直流寝台電車で図体がでかく交流機器を搭載して重たいモハネ582の48.3トンを上回る48.5トンになりました。
f:id:okinawa-rail:20230721114927j:image(Wikipediaより)


f:id:okinawa-rail:20230721114957j:image旭川方の先頭車のクハ780で、このカットでは見えないですが、パンタグラフを装備してるので、見た目は電動車と間違えられます。

1990年に785系がデビューしてからは電車特急の主役の座を退き、1992年に新千歳空港駅が開業してからは快速エアポートにも使用される様になり、乗降扉の2扉化と車体塗装がパープルを基調とした色に変更されるので、
f:id:okinawa-rail:20230721115039j:image(1996年2月)
“こだま色”のオリジナルな姿を記録したのは、この旅行が最後になりました。

f:id:okinawa-rail:20230721115114j:image札幌駅を発車した785系の特急「スーパーホワイトアロー」です。
785系は札幌~旭川間の道央自動車道を走る高速バスやマイカーに対抗する為にJR北海道が開発した特急車両で1990年9月に札幌~旭川間の「スーパーホワイトアロー」でデビューしました。
在来線の交流電車としては初めてVVVFインバータ制御を採用した車両で、営業最高速度は130km/hで、札幌~旭川間136.8 kmを1時間20分で結び、表定速度は102.6 km/hと100km/hを超えました。
編成はデビュー当時は基本4両編成と付属2両編成で、朝夕の多客時は付属編成を連結した6両でした。

余談ですが、永い間この車両を783系だと思っていて、この記事を書くにあたりデビュー時期とかあれこれ調べたら785系だと、つい先日分かりました(笑)

じゃ783系はどこに?と調べたらJR九州ハイパーサルーンだと分かりましたf:id:okinawa-rail:20230721115220j:image(Wikipediaより)
交流電車の型式、北海道は700番台、九州は800番台じゃなかったんですね。
国鉄世代にはJRの型式はさっぱり分かりません(笑)

f:id:okinawa-rail:20230721115301j:image撮影は前後しますが小樽方から札幌駅に入線する785系です。
撮影した時の記憶がないので、あくまでも推測ですが、1991年当時785系は札幌~旭川間の特急「スーパーホワイトアロー」だけに使用して札幌から小樽方面への列車はありません。
特急「スーパーホワイトアロー」は毎時1本で札幌、旭川共に毎時00分の発車で、所要時間が1時間20分なので、双方での折り返し時間は40分間です。
発着列車が少ない旭川はともかく、列車が頻繁に発着してる札幌駅ではホームを40分も占有して折り返し整備する訳にもいかないので、小樽方に引き上げ線があったので、(と記憶してます)そこに引き上げて折り返し整備を受けてから札幌駅に入線してたのでしょうか。

f:id:okinawa-rail:20230721115354j:image札幌駅を出発したキハ400系です。
キハ400系は客車で運行されていた急行「宗谷」「利尻」「天北」を気動車化する為にキハ40から改造された車両で、1988年11月に登場しました。
冷房を搭載して座席はボックスシートから183系気動車と同じフリーストップ式のリクライニングシートになりましたが、窓割りを変えてないので、一部の座席は窓がなかったです。
この91年夏じゃないですが、一度車内を見た覚えがありますが、窓自体が幅の狭い二重窓で、背もたれが高いリクライニングシートと相まって車幅は2.9メートルありますが、なんだか狭苦しい印象がありました。
このカットは撮影した覚えがないので(笑)どんな列車か分かりませんが、札幌駅でお昼頃に撮影した覚えはあるので、時間帯的に急行「宗谷」だと思うのですが、巨大なヘッドマークがありません。
f:id:okinawa-rail:20230721115442j:image(Wikipediaより)
ヘッドマークはキハ400系化された時から装着されてたので、宗谷以外の臨時の急行でしょうか?

f:id:okinawa-rail:20230721115540j:imageキハ59「アルファコンチネンタル」です。
国鉄時代の1985年12月に、国鉄とホテル アルファトマムと狩勝コンチネンタルホテルがタイアップして札幌、千歳空港(現在の南千歳)~石勝線トマム間のスキー列車用として登場した北海道リゾートトレインの第1弾です。
車体は新製ではなくて先頭車のキハ59はキハ56から、中間車のキハ29はキロ26からの改造車で
f:id:okinawa-rail:20230721115611j:image(Wikipediaより)
この様なリゾートトレインは本来はグリーン車扱いになりますが、スキートレインなのでグリーン料金の負担軽減で普通車になりました。
このアルファコンチネンタルは夏はリゾートトレインとして札幌~北見間の特急「ペパーミントエクスプレス」などで運行されていて、この写真もそうかな?とネガを限界まで拡大してみたらヘッドマークは「FURANO EXPRESS」になってました。
f:id:okinawa-rail:20230721115758j:image
本家フラノエクスプレスは検査中だったんでしょうか?
f:id:okinawa-rail:20230721115842j:image(1987年1月 旭川駅)


アルファコンチネンタル、フラノエクスプレス、トマムサホロエクスプレス
f:id:okinawa-rail:20230721120005j:image(1988年5月 札幌駅)
に続く北海道リゾートトレインの第4弾で1988年に登場したニセコエクスプレスです。
f:id:okinawa-rail:20230721120039j:image
北海道リゾートトレインは56系気動車や82系気動車種車とした改造車でしたが、このニセコエクスプレスは183系気動車をベースにした新造車で、JR北海道が苗穂工場で自社製造しました。
編成はキハ183-5001+キハ182-5001+キハ183-5002の3両編成で、冬は札幌~ニセコ間のスキートレイン「ニセコエクスプレス」で走り、夏は札幌~函館間の臨時特急「函館エクスプレス」やANAがツアー客用に丸っと借り切ってキャビンアテンダントも同乗した「ANAビックスニーカー」として活躍してました。

f:id:okinawa-rail:20230721214732j:imageニセコエクスプレスに続く北海道リゾートトレインの第5弾のクリスタルエクスプレス トマム&サホロ」で1989年に登場しました。
ニセコエクスプレス同様に183系気動車をベースにした新造車で、苗穂工場で自社製造されて、北海道では初めて前頭部が展望室になりました。
冬はトマムリゾートへのスキートレインとして走り、夏は富良野や小樽方面への臨時特急として走っていて、写真は小樽行きの臨時特急です。
この91年夏の北海道旅行は指定席も利用可能な「北海道フリー切符」を使っていてこれを撮影した後は意気揚々としてこの列車に乗り込み、小樽に向かいました。

ところで、ニセコエクスプレスの次がいきなり夕方になってますが、この間何してたかと言うと乗り鉄……してた訳ではなくて、札幌市内観光してました。

若い頃なら寸暇を惜しんで撮り鉄したり、乗り鉄したでしょうが、25歳にもなると…はいそこ!今の年齢計算しない!(笑)…じっくりと市内観光もしたくなるので、以前に札幌に来た時に行けなかった観光地を市内観光バスで巡ってました。
巡ったのはサッポロビール札幌工場、雪印乳業資料館、大倉山シャンツェ等ですが、写真はネガを見ると大倉山シャンツェで撮っただけで、天気が悪かったからか写真は残って無いし、ネガスキャンしても酷い色なので、奇跡的に残ってた市内観光バスのパンフレットから引用したのを貼っておきます。
f:id:okinawa-rail:20230721214916j:image観光バスの指定席券です。
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f:id:okinawa-rail:20230721215033j:image
f:id:okinawa-rail:20230721215127j:image
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市内観光を終えた後は先に書いたようにクリスタルエクスプレス トマム&サホロで小樽に行って夜の小樽の街を見て回り…写真は撮ってないです(笑)…この日の宿になる釧路行きの夜行急行「まりも」が入線するまで札幌駅で撮り鉄してたので、長くなってますが、もう少しお付き合い下さいまし。

f:id:okinawa-rail:20230721215220j:image網走行きの急行大雪です。
牽引機はラッセルヘッドを外したDE15で、札幌運転所から札幌駅までの回送はDE15が牽引するのか?と思ってましたが、回送の牽引機にヘッドマークが付くのも変だし、なにより慌て取り付けかのようにヘッドマークが傾いてたので、本来牽引するDD51が故障してDE15が緊急で牽引したのでしょうか?
余談ですが、32年前の事なので、このまま網走へ向かって出発したかどうかは覚えてません(笑)
f:id:okinawa-rail:20230721215319j:image撮った記憶が無いので(笑)どんな列車かは分かりません。DD51の次位に1号車の号車札を差した14系座席車が連結されてるので、青森行きの急行「はまなす」でしょうか?
ネガを見るとこの夜は何かに影響されて車両をバックに見送りの光景とかを撮ってたようです。
f:id:okinawa-rail:20230721215423j:imageこの日の宿の急行「まりも」ですが、牽引機は北斗星カラーのDD51だったんですね。写真が残ってないし、撮影した記憶もないので32年経て初めて知りました(笑)

その北斗星カラーのDD51が本来牽引する寝台特急北斗星」を全く撮影して無い事にお気付きになられたでしょうか?
奇跡的に残ってたこの旅行の行程表を見ると、下り3号と上りの全列車は撮れたはずなのに撮ってないのは、先に書いたように札幌市内観光を優先してたからだったりします。
札幌には91年以前にも何度か来てましたが、じっくりと観光したのは一度だけで、その時に回れなかった場所に行くのもこの旅行の目的だったので、「北斗星」は撮影しなかったのですよ。


名列車よりも観光を優先するのは年をとった証拠ですね(笑)

 

夜行急行の「まりも」に乗って釧路に向かい、2日目は釧路から始まりますが、この続きはまた後日です。

では最後はこの旅行では撮影しなかった寝台特急北斗星」の編成写真を貼って締めましょう
f:id:okinawa-rail:20230721215612j:image
背後の原生林の深い緑に青い車体溶け込んで何が何やらですが、千歳線を上野向けて走る寝台特急北斗星2号です。
撮影したのは1994年7月で、この頃は鉄道よりも飛行機ばかり撮影してるいわば休鉄状態で、この時も飛行機を撮影してる合間でしたが、新千歳空港の展望デッキからはJR千歳線を走る列車が見えるので、寝台特急北斗星が通ると、心の奥底で眠ってる鉄の魂が目覚めて、脊椎反射で連写した内の1カットをパノラマ写真にしたものです。

それでわぁ~