今日の名古屋はそこそこの天気でしたね。
そんな定番の前置きもそこそこに昨日からの続きにいきましょう。
1983年の春休みの部活鉄道部の春合宿はで春18きっぷ
(イメージで春合宿で使ったきっぷではありません)
を使っての乗り鉄…当時そんな言葉はありません…旅でした。
3月25日の夜に大垣発の夜行普通列車340M東京行きで出発して、東京到着後は各自自由行動で、私は主に錦糸町駅https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2023/04/02/235800と上野駅https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2023/04/03/235800で撮影していて、いつぞやの鉄旅みたいに2時間の大遅刻する事なく(その顛末はこちらのブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2022/09/15/235800書いてます)約束の時間に愉快な仲間たちと合流して東京から「大垣夜行」と呼ばれる大垣行き普通345Mで一路大阪に向かいます。
フィルムが無くて345Mは撮れなかったので、使い回しのイメージ写真です
2度目の夜行列車泊ともなれば乗車して直ぐに寝てしまい、戸塚付近で横須賀線と併走してるのは覚えてますが、そこから先は豊橋まで記憶がありません。
岡崎付近で夜が明けて名古屋には6時06分に到着しましたJRの姿ですが、こんな感じです。
大垣夜行は名古屋で8分停車して6時14分に発車しますが、私はここで降りて一緒に旅してる愉快な仲間たちを見送ってます。
と言うのも私は旅の資金が乏しくなっていて(笑)、資金を取りに一旦家に帰ってるからだっりします。
家に帰って一休みして資金も補充して鉄旅再開です。
大阪駅で出発を待つ特急「雷鳥」ですけど、当時はボンネット車のヘッドマークもイラスト入りになってたはずなのに、なぜか文字だけのヘッドマークでした。
先に書いたように東京から大垣夜行で大阪へと向かったのですが、私は旅行資金が乏しくなってたので名古屋で一旦降りて家に帰って旅行資金を補充して大阪に向かったのですが、大阪駅に何時に着いたのかは覚えがありません。
写真の左奧に時計が写ってるのですが、写真をルーペで見てもは時計の針は見えないので時間は分かりません。あとは写真の「雷鳥」が連結器が剥き出しで、開放テコが付いてるので金沢運転所のクハ489-500番台だと分かるので、83年当時の金沢運転所持ち下り「雷鳥」は3号、25号、31号で、3号は7時35分発なので除外して、14時35分発の25号か、17時05分発の31号のどちらかです。
家で仮眠しなければ25号で、仮眠して昼頃に名古屋を出発してたら31号ですね(笑)
ネガがあればもっと詳しく分かるのですが、この大阪編はネガを紛失したので残ってる写真以外の事は分かりません。
スカイブルーの201系(友人様からご提供頂きました)。
も撮ってると思うんですけど、ネガが無いのでなんとも言えないです。
ネガ、何処探してもありません。
ホント何処にあるのやら……
名古屋駅で別れた愉快な仲間たちとは夜の大阪駅で待ち合わせだったので、大阪~京都間を新快速と201系で往復して…これはなんとなく覚えてます…から、大遅刻やらかす事無く(笑)大阪駅で愉快な仲間たちと合流して暫しの撮影タイムです。
大阪駅で出発を待つ寝台特急「彗星」1号です。
「彗星」は大阪~宮崎間の寝台特急で83年当時は電車と客車がそれぞれ1往復ずつありました。
国鉄時代から斜陽になってた関西ブルトレですが、82年11月ダイヤ改正では変化がなかった「彗星」も次の84年2月ダイヤ改正では電車1往復が廃止されるので、これが電車「彗星」を記録した唯一の写真だったりします。
ところでこの「彗星」1号を友人様も撮影されてますが、友人様は最後部を撮影されてるんですよね。友人様お写真提供ありがとうございます。
当時の記憶が全く無いので、なんで12両240メートルも離れた所で撮影したのか、さっぱり分かりません(笑)
大阪駅で出発を待つ寝台特急「なは」です。
「なは」は新大阪~西鹿児島間の寝台特急で、寝台特急としてのデビューは、山陽新幹線が博多まで開業した1975年3月ダイヤ改正からですが、「なは」自体は1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正、いわゆる「ヨン、サン、トー」で、新大阪~西鹿児島の昼行特急でデビューしました。
列車名の「なは」は沖縄の那覇市からで、当時アメリカ民政府行政下だった沖縄の本土復帰への願いが込められてたそうです。
この「なは」は翌年の84年2月ダイヤ改正ではリストラ対象外ですが、客車化されるので、電車「なは」を記録した唯一の写真です。
更に581系は84年2月ダイヤ改正で寝台特急仕業から全て退くので、寝台特急姿の581系を記録したのはこの時が唯一です。
因みに寝台特急仕業から退く事で581系は大量の余剰車が発生しますが、車齢は15年で法定耐用年数に達してないのと、当時の国鉄の財政状況からおいそれとは廃車に出来ないので、車両の有効活用で近郊型に“魔改造”されて419系になります。85年5月 米原
大阪駅での撮影タイムですけど、友人様は客車ブルトレも撮影されてますが、彗星
あかつき
私は客車ブルトレの写真が残ってません。愉快な仲間たちと合流して行動してるので、撮影しないはずは無いのですが、ネガがねぇがや状態なので確認する術もありません。
撮影した記憶、薄らとあるのでネガの紛失が悔やまれます。
大阪駅からこの日の宿になる紀勢本線の夜行普通「はやたま」が出発する天王寺駅に移動しました。
天王寺駅で撮りたかったのが、この阪和線色の113系でした。
阪和線色は東海道本線にブルーライナー(Wikipediaより)
と呼ばれた新快速の運転が開始されたのと同じ1972年に阪和線にもブルーライナーと同じ塗装を施された113系による新快速が設定されて、それ以降その塗装が阪和色として定着しました。
この天王寺駅でも113系の他に103系を撮ったような気がするのですが、ネガが無いので確認する術がありません
天王寺からは27日の宿になる23時00分発の紀勢本線の夜行普通「はやたま」で亀山へ向かいました。
「はやたま」は普通列車ですが新宮まで10系のB寝台車が連結されていて
友人様お写真提供ありがとうございます。
普通列車なので寝台券を購入すれば新宮まで横になって寝れますが、4500円を支払う余裕は無いので、旧型客車の狭~い座席で一晩過ごしますがイメージです
3度目の夜行列車なので直ぐに寝たのか、終点の亀山までの記憶がありません(笑)
因みに「はやたま」はかつては名古屋行きで、関西本線の名古屋~亀山間が電化された際に亀山止まりになりました。
12時57分に名古屋に到着した「はやたま」です。ネガの劣化が酷いので空の色が不気味黄色いのはご勘弁下さいませ。
話し亀山行きに戻します。
記憶にありませんが旧型客車にガタゴト揺られてイメージです
11時21分に亀山に到着しました。
亀山は天王寺管理局内ですが、名古屋行きの電車も発車してるので、名古屋に帰って来たとも言えるのですが、私と愉快な仲間たちは名古屋行きには乗らずに、奈良行きに乗って奈良まで来ました(笑)
そんな奈良駅で撮影した関西線色の113系です。
関西線色の113系は1973年に関西本線奈良~湊町が電化開業した際に横須賀線大船電車区から転入した113系に施された塗装で、朱色は春日大社の柱をイメージしてるそうです。
国鉄は首都圏の横須賀、総武線以外は113系が広範囲移動した際に、移動したその日から車両が使用出来るように、全国どこでも同じ湘南色で統一を図ってましたが、その中で阪和色と共に独自の塗装を制定するのは大阪らしいなぁと思いましたね。
余談ですけど、左側に見切れるように写ってるウグイス色の車両は関西線の101系です。この101系も通勤型大好きっ子の私の事ですから撮影しないとは思えないのですが、写真がありません。
くどいですが、ネガが無いので確認の術がありません。
なので友人様からお写真提供して頂きました。
友人様お写真提供ありがとうございます。
ところで、友人様からのお写真はどれもボケボケですが、これには理由がありますが、書くと長くなるので省略します。
原版はどれもきっちりとピントが合ってる綺麗なお写真である事だけは友人様の名誉の為に記しておきます。
さて、奈良からは大阪湊町への関西線、大和盆地をぐるっと周って関西線の王子に繋がる桜井線、京都への奈良線が発着しています。
鉄旅の2日目とかなら関西線で湊町へ向かったり、桜井線で高田まで行き、和歌山線に乗り換えて和歌山へ向かう事もあったでしょうけど、流石に3日目の午後なので、名古屋に帰るべく奈良線で京都に向かいました。
その京都を出発する大阪行きの特急雷鳥です。
雷鳥が小さく写ってるのでトリミングしようかとも思いましたが、左側の郵便車(オユ10でしょうか?)が良さげな感じなので、あえてトリミングはしていません。
117系新快速です。
117系は名古屋でも撮影出来ますけど
1983年9月 熱田~名古屋
新快速のヘッドマークに電気連結器を備えた姿は名古屋の117系とは違う魅力があるので撮影しないと言う選択肢はありません。
京都での写真は先の雷鳥とこの新快速の2枚だけが残ってますが、他に撮影したかどうかは何度も書きますがネガが無いので確認しようもありませんが、おそらく夜行列車3連泊で疲れきっていて撮影してないかもしれません。
この新快速を撮影した後で名古屋への帰路につくのですが、元気が有り余ってる17歳の高校生とは言え、夜行列車3連泊はキツイ物があったようで、帰りの車内では誰も喋らなかった記憶が薄らとあります。
余計な事を書き過ぎて3日に渡ってお届けした1983年春、懐かしい鉄旅は以上でございます。
最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
次の過去鉄、大規模なのは夏頃に1991年夏、北海道を予定しております。
その前に小ネタ的なのを気まぐれで書くと思うので、期待しないでお待ち下さいませ。
え!?誰も待ってない?(笑)
それでわぁ~