気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

日曜日 過去鉄…1983年春、懐かしい鉄旅

今日の名古屋市は夕方から雲が多くなりましたけど概ね晴れで最高気温は19℃と過ごしやすい一日でしたね。

平年なら桜もちょうど見頃で、絶好のお花見日和ですが、ここ数年は桜の開花が早くなっていて名古屋市も落下盛んだったりします。

そんな天気予報でよく聞く前置きで始まった今日のブログですが、桜とはなぁんの関係ない鉄道ブログだったりします。

今年1月15日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2023/01/15/235800で次の過去鉄は春頃を予定しております…と書きましたが、その予告通りに今日過去鉄1983年春の懐かしい鉄旅です。

例によって写真とネガスキャンの混合で、ネガの劣化が激しい…ネガ真っ赤でした(笑)…ので、ネガスキャンは汚いカットばかりなのでお見苦しいですが、何卒ご了承下さいませ。

それでは長いのでサクサクっと始めましょう。


今から40年前の1983年の春休みの部活鉄道部の春合宿は、青春18きっぷを使って2泊3日…全て車中泊(笑)です…の乗り鉄でした。
f:id:okinawa-rail:20230403125345j:imageイメージで春合宿の切符ではありません。

出発は高校3年生への進級も決まって…留年者には家に電話連絡があるので、連絡日はドキドキです…何の憂いも無くなった3月25日の夜で、鉄道ファン憧れの大垣発東京行夜行普通列車340Mでした。
f:id:okinawa-rail:20230405004326j:image写真が無いのでイメージです
340Mの大垣発車時刻は20時49分ですが、全席自由席で人気の列車なので発車時刻の数時間前から並ばないと座れないので、発車時刻の2時間くらい前までに大垣まで各自…5人で行きました…集まって鉄旅のスタートです。
大垣発の夜行普通列車340Mは早朝4時40分に東京に着くのですが、東京到着後は皆それぞれ行きたい場所があるので放牧…自由行動の事です(笑)…されるのですが、私はネガを見ると総武本線錦糸町駅からこの春旅の記録が始まってるので、東京駅から錦糸町駅に行くまでの行動が全く謎だったりします。
鉄道部の愉快な仲間たちからは“鉄道部のアーカイブス”と呼ばれてるくらい記憶力が良い私ですけど、珍しく放牧時の記憶が殆ど無くて、東京到着後から錦糸町駅まではどーしてたのやら(笑)

先に書きましたが、東京駅に4時40分に着いてるので、上野駅に向かえば続々と到着する東北本線寝台特急はくつるf:id:okinawa-rail:20230403125533j:image常磐線経由の「ゆうづる
f:id:okinawa-rail:20230403125607j:imageに82年11月ダイヤ改正で新設された羽越線からの寝台特急「出羽」
f:id:okinawa-rail:20230403125630j:imageが撮れて、更には有楽町とかで朝早い時間帯に到着する寝台特急「瀬戸」f:id:okinawa-rail:20230403130519j:imagef:id:okinawa-rail:20230403130533j:imageも撮れてたのに、それらを丸無視して何処で何してたのか、当時の自分にそこに座れ!と正座させて小一時間ネチネチと詰問したいです。

因みに記録して無いはずの写真がありますが、それらは全て友人からの提供して頂きました。提供を快諾して頂きありがとうございます。
あ、友人の名誉の為に書きますが、原版はピントもバッチリ来てる綺麗な写真ですよ。

では改めて錦糸町駅からスタートです。

f:id:okinawa-rail:20230405004654j:image錦糸町電留線に並ぶ総武快速線の横須賀色の113系1000番台です。
幼少の頃に名古屋の中央西線を走ってた70系
f:id:okinawa-rail:20230404214624j:image(鉄道ピクトリアル誌より)
を見て以来大好きになった横須賀色。1978年に70系が引退して以来名古屋では見られなくなった横須賀色が久しぶりに見られるとこの鉄旅で最も楽しみにしてたので、テンションマックスでした。
この113系1000番台については後で詳しく書きます。
f:id:okinawa-rail:20230403012147j:image中央、総武線各駅停車の103系です。
ヘッドライトがシールドビーム改造車で10両貫通編成っぽいので、元は山手線で走ってた車両でしょうか
f:id:okinawa-rail:20230403012241j:image錦糸町に到着する総武快速線113系1000番台です。
首都圏のラッシュを救う為の国鉄線改良プロジェクト「東京5方面作戦」では総武本線は千葉~錦糸町間は快速線を建設して複々線にして、その快速線錦糸町から地下に入って東京駅に乗り入れる計画なので、2kmを越えるトンネルを有する線区を走る車両は不燃化、難燃化対策を施すべしとの運輸省(現、国土交通省)通達に従って1968年から製造されたのが113系1000番台で、写真の車両は総武快速線開業に備えて1972年から製造されたタイプで、東京地下線区間の信号がATCになったのでATC機器を搭載し、乗客サービス向上で冷房付きになりました。
更に、運転士の作業環境改善で運転席の奥行きが広くなったので、乗務員室扉の前に小窓が設けられて、客席窓も製造工程の簡略化と隙間風防止で四隅が四角いユニット窓になったので、既存車とは違う外観になったのですが、1972年から同様の車体で製造された115系300番台
f:id:okinawa-rail:20230403012611j:image1986年東中野
と違って新たな番台起こしはされずに既存車の追番になったので、便宜上1000番台’(ダッシュ)と呼ばれてます。

このタイプは先ずは幕張電車区に配置され、快速線で活躍を始めて、既存の1000番台初期車は千葉以遠に閉じ込められたりf:id:okinawa-rail:20230403165800j:image(山と渓谷社日本の鉄道5より)
東海道本線国府津電車区に転出しました。
その国府津電車区に転出した1000番台の内の3両が1985年3月ダイヤ改正で大垣電車区に転入してるのですが、それを名古屋駅で撮影してました。
f:id:okinawa-rail:20230403165850j:image2両目からが1000番台です。
東京5方面作戦では横須賀線も品川から地下線で東京を経て総武快速線と直通運転する計画なので、1973年からは大船電車区に配置されて、横須賀線用の113系0番台は
f:id:okinawa-rail:20230403012823j:image(鉄道ピクトリアル誌より)
名古屋の中央西線の旧型国電取り替えや、電化開業する大阪の関西本線用で、神領電車区や鳳電車区(当時は奈良電車区日根野電車区はまだない)に散って行きました。
神領電車区へは横須賀色のまま転入しましたが、東海道本線と共通運用するので、直ぐに湘南色に塗り替えられてしまい、横須賀色大好きな小学生だった私は大変がっかりしました。
f:id:okinawa-rail:20230403013203j:image神領電車区113系で、分かりにくいですが、左側のクハ111には塗り分け跡が薄らと見えます。

f:id:okinawa-rail:20230403013406j:image錦糸町駅を発車して走り去る津田沼行きです。
最後部車両は中央総武線各駅停車の冷房化促進で投入された車両で、山手線や京浜東北線ATCf:id:okinawa-rail:20230403104807j:imageと同じ装甲車みたいな高運転台車ですが総武線各駅停車はATC化の予定が無いので、乗務員室にATC機器を搭載しない分だけ客室が拡がったので、分かりにくいですが乗務員室にATC機器を搭載してたATC車には無かった乗降扉の前に細い戸袋窓が復活しました。

f:id:okinawa-rail:20230403013558j:image錦糸町駅に入線する中央総武線各駅停車の201系です。
老朽化101系(後で出てきます)の取り替えで1982年から投入が始まった当時の総武線各駅停車の最新車両です。原版は車両が小さく写ってるので大胆にトリミングしましたが、その原版がこちらです。f:id:okinawa-rail:20230403013640j:image右側の映画館に昭和を感じますね。
そうです、そうです。春休みには東映まんが祭りと称してまんが映画…要はアニメです…を放映してました。

f:id:okinawa-rail:20230403013714j:image錦糸町に到着する特急「さざなみ」と錦糸町を発車する総武線各駅停車に、錦糸町に到着する総武線各駅停車です。
このように複々線区間を行き交う複数の列車が一つのフレームに収まるのが東京らしいです。

f:id:okinawa-rail:20230403013758j:image特急「さざなみ」を拡大してみました。
特急「さざなみ」は東京~内房線の館山間の列車で、総武快速線が開業した1972年に外房線安房鴨川へ向かう「わかしお」と共にデビューしました。
1975年3月ダイヤ改正からは総武本線の銚子に向かう「しおさい」と鹿島線鹿島神宮に向かう「あやめ」が加わり
f:id:okinawa-rail:20230405013217j:image(鉄道ジャーナル別冊No.6より)
東京地下ホーム発着の房総特急群を形成しました。
車両は1972年にデビューした183系で、房総特急は東京から概ね140kmの近距離を走り、輸送需要の変動が大きい事から、食堂車は無くて普通車の乗降扉は2箇所になり、先頭車は151系「こだま」由来のボンネットスタイルf:id:okinawa-rail:20230405013356j:imageから分割併合を考慮した貫通扉付きになるなど、全く新しいスタイルの特急車になりました。
その183系の右側を走るのが国鉄新性能電車の祖と言える101系で、1958年に中央線でオレンジバーミリオンの塗装でデビューしました。
f:id:okinawa-rail:20230403170036j:image(鉄道ジャーナル誌より)
1961年にカナリアイエローで山手線に投入されましたが、1963年に山手線に特化して開発された103がデビューしたので、カナリアイエローままで総武線に移り、この時に同線のラインカラーがカナリアイエローになりました。
そのような経緯から総武線の101系は老朽化が顕著だったので、新製された201系や201系が投入された中央快速線から転入した103系に置き換えられてこの頃から徐々に数を減らしてました。
そんな新旧交代のような一コマがありました。
f:id:okinawa-rail:20230403014202j:image左側は201系、右側は分かりにくいですが運転席下のジャンパ線が2本なので101系です。このカットは総武快速線ホームから撮影してますが、各駅停車ホームと快速線ホームの間に線路1本分の隙間があるのは、快速線市川駅のように通過線の計画があったからだそうですが、錦糸町は当面特急も含めて全列車が停車するので、スペースだけ確保して通過線は造られなかったそうです。

f:id:okinawa-rail:20230403014255j:image錦糸町駅を発車する183系1000番台の特急「わかしお」です。

1982年11月ダイヤ改正で房総急行
f:id:okinawa-rail:20230403103938j:image(鉄道ジャーナル別冊No.6より)
は全て廃止されて房総特急に吸収されるので、増発分の特急車は上越線の特急「とき」f:id:okinawa-rail:20230403014926j:imageの廃止で余剰になる183系1000番台が転用されるのですが、東京地下線区間は保安装置がATCなので、先頭車はATC機器の搭載改造が必要となりました。
更に「とき」の12両編成から房総特急の9両編成に組成し直すと先頭車が不足するので、ATC機器を搭載したクハ183-1500番台が6両製造されるのですが、幕張電車区へ転属する8両のクハ183-1000番台はダイヤ改正前日までにATC機器搭載改造を完了させる必要から、1978年8月23日に製造されたクハ183-1031、1032以来3年ぶりの1981年11月にクハ183-1501と1502が先行新製され新潟運転所に配置して順次クハ183-1025~1032(改造後は元番号にプラス500)へのATC機器搭載改造を開始しました。
残りの新製車4両は1982年に製造されましたが、その中の1505と1506は、落成日が1982年10月5日なので、国鉄在来線特急電車の最後の新製車になります。

わかしお」の最後部のクハは偶数向きのクハ183-1500番台なので1506の可能性もありますが、車番が見えません。
上越線からの改造車は台車にスノープラウが付いてますが、新製車は台車にスノープラウが付いてないので、そこでATC機器搭載改造車と区別出来ますが、このアングルからではそれも分かりません。

あ~気になる(笑)

因みにですが総武快速線の東京地下トンネルは、山岳トンネルと同じ断面で建設されていて車両側扉から脱出可能なので、先頭車は非貫通型でも構いません。
183系0番台の貫通扉も開けるのにかなりの手間がかかるので、即効性が必要な非常口にはなりませんから。

先に書きましたが1982年11月ダイヤ改正では房総特急は同じ走行区間を走ってた房総急行を吸収して各特急の勢力を増やしてますが、その中で急行がそのまま特急に格上げされたのが「すいごう」です。
この「すいごう」運転時間帯が変に片寄っていて時刻も碌すっぽ調べずに適当に行動してる者には撮影出来なかったのですが、友人様はしっかり撮影されてました
f:id:okinawa-rail:20230405015811j:image目的を持って精力的に行動して人は違いますね。

ネガを見ると「わかしお」の後は上野駅に移動してますが、余計な事書きすぎて(笑)長くなってるので、続きは明日にでも書きましょう。

 

それでは。