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視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

火曜日 過去鉄…1987年ゴールデンウィークの北海道その1

今日の名古屋は朝から良い天気でした。
風は強かったですが、気温も暑くもなく寒くもなくて、ゴールデンウィークに突入してるので絶好の行楽日和ですが、デブ…違う、出不精なのでどこにも行く気にならないですね。

そんなデブ…素で間違えた(笑)…出不精な私ですが、若い頃…今も若いですよ?…はゴールデンウィークに2年連続で北海道旅行に行ってるので、今日はその旅日記にしましょうか。

北海道旅行に行ったのは1987年と1988年で、どちらも一度記事にしていて、1987年の方は完全に思い付きで書いていて、なんと4日間に分けて書いてたので、それらを一纏めした大幅加筆修正版でお届けしましょう。

写真は極力再スキャンしてありますが、ネガスキャンの方は色が悪いのはご承知おき下さいまし。

北海道旅行は1984年夏と1986年から1987年の年末年始にかけての旅行に次いで3度目になっていて、それらどちらも一度記事にしてるので宜しければお読み下さいませ。

okinawa-rail.hatenablog.jp

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それでは過去鉄、1987年ゴールデンウィーク北海道旅行スタートです。

1987年のゴールデンウィークは5月1日から5日までの5連休だったので、5日間ぼっ~と過ごす…ボッチなので誰からも誘われない(マジです)…のも勿体ないので、この年のお正月に北海道へ行ったばかりですが、再び渡道する事にしました。
とは言え単に北海道へ行った訳ではなくて最終目的地を宗谷岬と決めて、そこに行くまでにあと1年で運航終了を迎える青森と函館を結ぶ青函連絡船に乗ったり、漸く春が訪れた北海道の雄大な風景を車窓から堪能しようと考えてました。

そんな北海道旅行の行程表が奇跡的に残ってたので、貼っておきましょう
f:id:okinawa-rail:20230502184540j:imageワープロ購入前なのでレポート用紙に手書きです(笑)
この行程表によると名古屋を9時前の新幹線に乗ってるので、名古屋駅へは普段通勤で乗ってる列車で向かった覚えがあり普段通勤で乗ってる列車で旅行に行くのは気持ち良かった覚えがあります。f:id:okinawa-rail:20230502184623j:imageイメージで国鉄時代の姿ですが通勤で乗ってた中央西線です。
因みに行程表からも分かりますが出発したのは5月1日なのでメーデーの大会が鶴舞公園で開催されていて、当時勤務してた会社では労働組合員だったので、そのメーデー大会に出ないといけないのですが、丸無視して旅行に行くので大会会場の鶴舞公園を素通りしてました(笑)

名古屋駅から東海道新幹線
f:id:okinawa-rail:20230502185113j:imageイメージです
東北新幹線f:id:okinawa-rail:20230502185138j:image(Wikipediaより)
を乗り継いで盛岡駅に到着、この旅の記録はその盛岡駅から始まっていました。

国鉄からJRに移行してから1ヶ月が経ちましたけど、急速に替わる訳もなくて、JRマークが付いただけで国鉄と何ら変わらない車両がそこにいました。
f:id:okinawa-rail:20230502192147j:image盛岡と青森を結ぶ特急「はつかり」です。先頭車は屋根上のヘッドライトが2灯なので、北海道に暫定的に投入されてたクハ481-1500番台ですね。

f:id:okinawa-rail:20230502192233j:image盛岡と秋田を田沢湖線経由で結ぶ特急「たざわ」です。
f:id:okinawa-rail:20230502192337j:imageクロハ481-1002を先頭に盛岡を発車した特急「たざわ」です。
特急「たざわ」は田沢湖線が電化された1982年11月ダイヤ改正でデビューした特急で、盛岡で東北新幹線と接続して秋田への新幹線連絡特急ですが、田沢湖への観光列車でもあるので、国鉄末期にクハ481-1000番台の車内半室をグリーン座席とした、クロハ481-1000が登場しました。
f:id:okinawa-rail:20230502192420j:image特急「たざわ」の後追いで、最後部はクモハ485-1000番台す。
485系の最少編成単位はクハ481+モハ485+モハ484+クハ481の4両編成でしたが、国鉄末期に輸送力の適正化で最低3両編成でも走れるようにモハ485に運転台取り付け改造を施したクモハ485が登場して、特急「たざわ」にもクモハ485-1000が組成されて閑散期3両編成は繁忙期は5両編成で運転されてました。
485系の特急と言えば編成中にグリーン車や食堂車が組成された12両編成ってイメージがあるので、3両編成とか5両編成は目を覆いたくなりましたね。
f:id:okinawa-rail:20230502192718j:image国鉄時代の北陸本線の特急雷鳥
f:id:okinawa-rail:20230502192807j:image国鉄時代の特急白山
先頭はボンネット車なので東北にはいなかったですが、編成中にグリーン車1両、食堂車1両が組成された12両編成は東北特急と同じです。
因みに5両編成ですと編成中4両が電動車なので超強力編成になります。


f:id:okinawa-rail:20230502192904j:image東北本線か山田線のローカル列車で、国鉄末期に各地に登場した地方色を纏ってます。
確か盛岡色だったかな?

f:id:okinawa-rail:20230502192937j:imageまたまた「はつかり」ですがホームが違うので、先の「はつかり」とは別の列車です。
因みにこの車両は後にオリジナルな姿を保った485系で最後まで残った新潟車両センターのT18編成の6号車を務める事になるクハ481-1508で、現在は新津鉄道記念館で保存されてます。
……と前に記事にした際に書きましたが、ルーペで文字通り目を皿にして車番を確認したら1508ではなくて、1506だと分かりました。

なぁんだ、1508じゃあなかったのかぁ。1508なら先に書いたように新津鉄道館で保存されてる他に、国鉄時代には青森運転所から鹿児島運転所に転属する電動車ユニットf:id:okinawa-rail:20230502193114j:image(イメージです)
を牽引して西鹿児島まで行ってるので、かつては北海道で特急「いしかり」として走ってた事からf:id:okinawa-rail:20230502193200j:image(鉄道ジャーナル別冊No.2より)
北は旭川から南は西鹿児島まで国鉄の電化区間をほぼ走破した車両だと書けたのに、残念です←って書いてんじゃん(笑)

f:id:okinawa-rail:20230502193332j:image中線を挟んで583系はつかりが入線してクハ481と並びました。
特急「はつかり」はかつては上野~青森間を走る昼行特急でしたが、東北新幹線が本格的に開業した1982年11月ダイヤ改正で盛岡~青森間に運転区間が短縮されて、盛岡で新幹線に接続する「新幹線連絡特急」になりました。
編成も485系は6両編成と短くなりましたが、583系寝台特急はくつる」と共通運用なので9両編成(繁忙期は11両編成)と長かったですf:id:okinawa-rail:20230502194958j:image盛岡ですが撮影は1986年8月です。
f:id:okinawa-rail:20230502195107j:image特急はくつる(Wikipediaより)
青森へはその583系はつかりに乗って向かってるのですが、昼行の583系の座席は4人掛けのボックスシートですけど、夜には座席を引き出して長さ1.9メートルの寝台になるだけにシートピッチが広くて、大人4人が座っても窮屈ではなかったです
f:id:okinawa-rail:20230502195143j:image座席仕様(山と渓谷社 国鉄車両形式集6より)
f:id:okinawa-rail:20230502195239j:image寝台仕様(山と渓谷社 国鉄車両形式集6より)

特急「はつかり」は北に向けて走ってるのですが、浅虫辺りで西南西に向く所もあるのでf:id:okinawa-rail:20230503014958j:image(日本交通公社時刻表81年11月号より)
夕陽が北西寄りに傾く5月は進行方向の右寄りから照らすのですが、最初は北に向かってると思い込んでるので、なんで右側に夕陽が見えるん?と不思議でした。
f:id:okinawa-rail:20230503015411j:image夕陽のイメージです
中部空港の対岸の鈴鹿の峰を覆ってる雲の向こうに沈む夕陽ですが、特急「はつかり」の車内から見た夕陽は陸奥湾の対岸の津軽半島の向こうに沈むので、イメージ的に合ってます。

青森からは廃止まで1年を切った青函連絡船に乗船です。
f:id:okinawa-rail:20230503015531j:imageイメージで84年8月の撮影です。
青函連絡船は青森~函館間を結ぶ鉄道連絡船で、その歴史は古くて1869年(明治2年)に開拓使が運航を開始、その後は三菱商会~日本郵船に運航担当が変わりながら1908年(明治41年)に国有化されて国鉄が運航するようになりました。
青函連絡船と言えば、1115名が死亡した1954年9月26日の台風による洞爺丸沈没事故があまりにも有名で、この事故がきっかけで青函トンネルの計画が本格化したと言われています。
青函連絡船は8000トン級の巨大な客貨船なので乗客の他に貨車も運搬していて、船内は喫水線から上は三層構造になっていて
f:id:okinawa-rail:20230503015627j:image鉄道ジャーナル社 旅と鉄道52号より、
第一層が貨車を搭載する車両甲板で、青森、函館共に岸壁から直接連絡船にレールを繋いで、貨車を船内に出し入れしてました
f:id:okinawa-rail:20230503015659j:image(Wikipediaより)
二、三層が客室になっていて、客室はグリーン客室と普通客室のクラス別でそれぞれに座席と桟敷席がありました。
f:id:okinawa-rail:20230503015726j:imageグリーン座席(鉄道ジャーナル別冊No.35より)
f:id:okinawa-rail:20230503015752j:image普通座席(鉄道ジャーナル別冊No.35より)
f:id:okinawa-rail:20230503015821j:image普通桟敷席(鉄道ジャーナル別冊No.35より)
因みにグリーン桟敷席は普通桟敷席と殆ど同じです。

1988年3月の青函トンネルの開通で廃止まで1年を切った青函連絡船ですが、普段丸無視しながら廃止される路線に乗りに来たり、引退する車両を撮りに来る“葬式鉄”は廃止間際じゃないと現れないので、まだ普通の繁忙期の混み具合だったでしょうか。

函館までは3時間50分かかるので、食堂で海峡ラーメン食べて、マス席と呼ばれるカーペット敷の普通船室でゴロゴロしてた記憶が微かにあります。


そうそう、机の引き出しから青函連絡船の絵はがきが出てきましたけど
f:id:okinawa-rail:20230502200129j:image
f:id:okinawa-rail:20230502200152j:image
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f:id:okinawa-rail:20230502200326j:image(14枚組なので部分的に抜粋)
これはこの旅行で買ったと思われるんですが、買った記憶がありません(笑)

函館には23時45分に到着して日付が変わる2分前に発車する14系座席車の夜行の急行「すずらん」で札幌に向かいますが
f:id:okinawa-rail:20230503020900j:image(鉄道ジャーナル別冊JR北海道より)
余計な事を書きすぎて長くなったので、続きはまた明日にでも書きたいと思います。

それでわぁ~