気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

水曜日 雑談…車に積もる花粉と道路開通

花粉かよ!

っていきなり何の事やらですが…この書き出し好きだね…車のフロントガラスが埃っぽいので雑巾で拭いたら雑巾が黄色くなって、フロントガラスの拭い跡も黄色ので、黄砂が降ったのかな?と思いましたが、飛来情報は見聞きしてないので、直ぐに花粉だと気が付きました。

雑巾や拭い跡を黄色くするって、どんなけ花粉飛んでだよ。

そういえば太陽の周りに薄らと虹の輪、花粉光環が見えるような……

花粉光環についてはウェザーニューズの記事に書いてあるのでこちらhttps://weathernews.jp/s/topics/202402/270075/を見て頂くとして、花粉光環を初めて見たのは2019年3月8日で、その時は花粉光環なんて光学現象は知らなくて、夕陽を見たら太陽の周囲に何重にも虹が見えるので、その日の名古屋は異常乾燥注意報が出てるくらい空気が乾燥して、さらに中央アルプス御嶽山がくっきりと見える視程50km快晴なので、天気が悪くなる前の日暈が出るはずないので目の疾患で緑内障の症状の一つの、虹視症を発症したのか?と思って直ちに屋内の照明を見たけど、照明の光には虹は見えず、どうやら太陽の周囲にマジで虹が出てて、虹視症では無いと一先ず安堵しました。

でもスマホで撮った太陽の写真
f:id:okinawa-rail:20240229020507j:imageには虹は写ってないので不安は払拭出来ずにあれこれ調べたら日本各地で花粉光環を観測なんてのがウェブニュースに書かれてたので、これかぁ!と心底安堵しましたね。

因みに花粉光環は単に太陽を撮っただけでは写らなくて太陽をビルで半分隠す部分日食状態とか、配水塔や清掃工場の煙突などで遮って皆既日食状態で撮ると写ります。

 

ところで、初めて花粉光環を見た時はあまりの驚きに2019年3月9日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2019/03/09/010608にも書いてますが、それには次の事も書いてありました。

[外出時のマスクも欠かせないけど、昨年11月頃に風邪を引いてその後もインフルエンザ予防でマスクをして、今は花粉対策でマスク着用でしょ。これが5月初めまで続くので、半年間マスクしっぱなしですよ。
外出時に顔を隠せるので色々と楽ではありますけどね(笑)]

いや、いや、半年間マスクしっぱなしどころか、翌年から年中ずっ~とマスクしっぱなしになるとは、思いもしませんでした(笑)


笑ってますが、笑い事じゃあないですけどね。


話し変わりまして極めてローカルな話題ですが、名古屋市守山区小幡に新しい道路が開通しました。

この道路の開通は極めてローカルな話題ですがヤフーニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/2de1745266b21e8166cdee433cda4df6333e40b3でも取り上げられてたのでビックリしました(笑)
なので詳しくはそちらを見て頂くとして…今日はそんなんばっかですがな…この道路、実は従来の道路の付け替えで
f:id:okinawa-rail:20240229021015j:image(Googleマップ航空写真より)
雑なラインで分かりにくいですが、従来は緑色のラインの位置にありましたが、今日の未明から赤色のラインの位置に変更になりました。

ヤフーニュースにも書いてありますが、この道路は県道名古屋瀬戸線、通称瀬戸街道と市道千代田通り線を結び、その先は名東区内を通って東名高速道路の名古屋インターへのアクセス道路の東山通りに繋がる交通量の多い道路ですが、旧道は道幅が普通車がすれ違うのがやっとの狭い道路で
f:id:okinawa-rail:20240229021207j:image(Googleストリートビューより)
住宅街の中を通るほとんど生活道路と言っても過言ではなく、見通しが悪い信号が無い交差点では自転車や歩行者に、本来ならば停止線の手前で一時停止しなければならない車の飛び出しもあるので、通行したくないけど、必要に迫られて通行する際には常に緊張を強いられた道路だったので、新道の開通はとても嬉しいですね。

あとこの道路には名鉄瀬戸線との踏切があるのですが、新しい踏切なので赤色灯が、これまで名鉄にはなかった個人的にランタン型と呼んでる、どの位置からでも赤色灯が見える全方向踏切警告灯だったので嬉しかったですね。
f:id:okinawa-rail:20240229021300j:image(Wikipediaより)

因みにこの踏切がある場所は線路の高架工事中で、この踏切が設置されてるのもあと数年間…令和8年度完成予定ですが、完成するかどうか…だけの期間限定なので、このランタン型警告灯は早めに撮影しておきましょう。


話しそれたので、道路開通に戻ります。

新道開通に伴って瀬戸街道から旧道への交差点が廃止されてましたが、昨日まであった信号器が跡形もなく撤去されてたので、通過する際にちょっと戸惑いましたね。

交差点にあった歩行者横断帯も交差点の手前は消されてましたが、向こう側はまだ消されなくて、一晩じゃ消せないので除去工事の途中かぁ…と交差点だった場所を通過しようとしたら、交差点の向こう側の歩行者横断は横断歩道として残したようで、歩道上にその横断歩道を渡ろうとしてる自転車がいたのに気が付いて、やや急ブレーキ気味で停止しました。

横断歩道の手前の路上に、この先横断歩道有りの菱形表示と、横断歩道の標識なかったぞ?

これは可及的速やかに表示と標識を整備すべきです。

てか、元々交通量が多い道路なので、横断歩道ではなくて歩行者専用信号器を設置すべきですよ。


道路開通と言えば、春の桜散歩ブログ
f:id:okinawa-rail:20240229021604j:image
f:id:okinawa-rail:20240229021617j:imageで度々登場する地元の市道山の手通線が、尾張旭市道霞ヶ丘線と3月31日に漸く繋がります
f:id:okinawa-rail:20240229021654j:image(守山土木だより より)
f:id:okinawa-rail:20240229021738j:image(Googleマップ航空写真より)
着工前の航空写真で、途切れてる道路が繋がります。

この名古屋市市道山の手通線と尾張旭市市道霞ヶ丘線は双方が一体となって初めて尾張旭市から国道302号やその地下を通る名二環道へのアクセスが向上して、瀬戸街道のバイパスとしても機能するのに、名古屋市側の延長に向けた整備が始まったのは、尾張旭市側の道路整備がほぼ完了した時だったりするで、本来ならば双方が同時に施行しなければ意味が無いのに、それが出来なかったのは、縦割り行政の弊害と言わざるを得ません。

この尾張旭市 市道霞ヶ丘線は名鉄瀬戸線にほぼ並行するように整備されて、尾張旭市霞ヶ丘付近では瀬戸線と完全並行して
f:id:okinawa-rail:20240229101528j:image(2019年4月6日撮影)
瀬戸線の新たな撮影場所が爆誕したのですが
f:id:okinawa-rail:20240229101545j:image(2019年4月6日撮影)
この場所は道路が出来る前は雑木林があって、沿線開発が進んでる瀬戸線に於いて数少ない自然を感じられる場所だっただけに、道路建設で雑木林がばっさりと伐採されたのは残念でした。

画角とレンズが違うので、単純な比較にはなりませんが、道路整備が始まる前と、現在の様子の写真を貼っておきましょう。
f:id:okinawa-rail:20240229101626j:image道路整備が始まる前の2014年4月6日撮影。
f:id:okinawa-rail:20240229101648j:imageほぼ同じ場所で昨年12月10日の撮影で、右側の住宅の奥に見える線路脇まで迫ってるもっさりした雑木林がすっかりなくなって、道路のガードレールが見えてるのが、お分かり頂けるかと。

余談ですが、この写真を撮影した後の散歩中にで転んで、膝に全治1ヶ月の擦過傷を負いました(笑)

この道路、名古屋市側は壇ノ浦公園の交差点改良工事が道路の付け替えを伴う大規模な工事で、お散歩コースでもあったので、進捗状況を度々記録してましたが、それらの画像を記録したマイクロSDカードがクラッシュしたので、全て消えてしまいました。

残ってたら写真を交えて詳細なブログが書けたのになぁ……

この山の手通、桜の木が伐採されたり、枝が剪定されたりして桜のボリュームが以前より減ったとは言え、近所では有名な桜並木で毎年花見散歩するのが楽しみでしたが、道路の開通で山の手通りの通行量が増えるので、今後は落ち着いてお花見散歩が出来なくなります。

交通量が少ないので車が来ない隙に道路に出て(車道真ん中じゃあなくて、路側帯ですよ)
f:id:okinawa-rail:20240229021943j:imageこんな写真も撮れたのに、不可能になります。
因みに上の写真はカーブ外側の路側帯上から300ミリフル望遠で撮影してる事を書き添えておきます。

今年は名古屋の桜の開花予想が3月21日で、開花から1週間で満開になるので、道路が開通する前になんとか間に合うかなぁ?


それでは。

火曜日 鉄道ブログ…過去鉄、1988年パノラマエクスプレス アルプス撮影記

今日の名古屋は一日中北寄りの強い風が吹いていて最大瞬間風速は16時に9メートルを記録してます。
その強い北風で晴れてましたが、最高気温は11.9℃と寒かったですね。

そんな前置きとは全く関係ない、今日は久しぶりに鉄道ブログの過去鉄、「1988年1月パノラマエクスプレスアルプス撮影記」をお届けしましょう。

と言っても今日のネタはぶっちゃけ2020年7月5日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/07/05/235800に書いた、「古いネガから蔵出し写真」の再編集版です。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、色と画質に纏まりが無い事だけはご承知おき下さいまし。透明感があって色が綺麗なのが写真のスキャン、色がくすんで汚いのがネガスキャンで、どれも原版より大胆にトリミングしてるのを白状しておきます。


それでは始めましょう。

 

国鉄時代には各地の鉄道管理局に古い車両を改造した様々な団体専用車両、いわゆるジョイフルトレインが続々と登場して、国鉄最末期には東京西鉄道管理局に三鷹電車区165系電車f:id:okinawa-rail:20240228013952j:imageから改造された前面展望室付きのパノラマエクスプレスアルプスが登場しました
f:id:okinawa-rail:20240228014043j:image(Wikipediaより)

パノラマエクスプレス アルプスは三鷹電車区に配置されて、JR移行後はJR東日本が継承して、列車名のパノラマエクスプレス アルプスに違わず展望室から雄大日本アルプスを眺められる中央東線大糸線をメインに、JR東日本エリア内の関東、甲信越地域で走ってたので、JR東海エリア内には滅多に来なかったのですが、1988年1月忘日にJR東海エリア内の豊橋まで来るとの情報を得たので、友人と車で静岡県鷲津まで撮影に向かいました。

詳しいルートは忘れましたが、おそらくは名古屋から国道1号線をひた走ったと思いますが、愛知と静岡の県境辺りの道路沿いにある倉庫の駐車場に、何やら新幹線100系f:id:okinawa-rail:20240228014208j:imageダブルデッカー(2階建て)グリーン車みたいな物が置かれるのを見付けて、まさかこんな所に新幹線車両がいるはずないので、よく出来たハリボテ(笑)だなと見に行くと、ハリボテでは無くて実物の149型ダブルデッカーグリーン車でした。
f:id:okinawa-rail:20240228014251j:image縦構図でドン!
f:id:okinawa-rail:20240228014353j:image次いで横構図で全景です。
モノクロに見えますがカラーですよ(笑)

JR東海の新幹線100系は主に愛知県豊川市にある日本車輌豊川製作所で製造されて、JR東海の新幹線車両のメンテナンスを行う静岡県浜松市の浜松工場まで輸送しますが、今は陸送ですが、100系までは国鉄時代と同じで飯田線東海道本線甲種輸送していました。

使える写真が無いので今一つ伝わり難いですが、新幹線車両は図体がでかいので、ホームに接触しないように腰高の仮台車を履いて、対向列車とすれ違う事がないように当時設定されてた昼間に列車を運休して線路保守を行う保線間合いの時間帯を活用して輸送されてましたが、ダブルデッカーグリーン車の149型は流石に図体がデカ過ぎて腰高の仮台車を履かせると屋根が架線に接触するので陸送されましたが、何故この場所に置かれてたのか疑問です。

今は豊川製作所から浜松工場までは一晩で輸送してますが、撮影当時は一晩で輸送出来なかったのでしょうか?
あるいはトレーラーに不具合が発生したとかでしょうか?

何れしても昼間に立ち入りを規制するロープもなければ、車両を監視する警備員も配置されず、触り放題(勿論触りませんが)撮り放題ってのは、今では考えられない事です。


そんな思いもよらない「大物」に良い物が撮れたと上気分でその日のメインの撮影に挑んだのですが、来るのは
f:id:okinawa-rail:20240228014655j:imageEF66 37号機牽引の高速貨物
f:id:okinawa-rail:20240228014837j:image豊橋まで快速なので快速表示を出してる117系普通列車
f:id:okinawa-rail:20240228015013j:imageEF65 1037号機牽引の高速貨物列車
f:id:okinawa-rail:20240228015047j:imageEF65 127号機牽引のコンテナが殆ど載ってない貨物列車
f:id:okinawa-rail:20240228015125j:imageまたまた快速表示を出してる117系普通列車ばかりで、予定時刻を過ぎてもパノラマエクスプレスアルプスは来ないので、若干イライラしてたところに現れたのはf:id:okinawa-rail:20240228015201j:imageスーパーライナーヘッドマークを付けたEF66でしたが、その後ろには空車のコキ延々と続いて、これもハズレか…と思いきやf:id:okinawa-rail:20240228015244j:image最後部のコキに「国鉄」の文字とJNRマークが残ってるC36型コンテナが一つだけ積載されてました(笑)


パノラマエクスプレスアルプスは情報が誤ってたのか、運転されなかったのかは定かではありませんが、予定時刻を過ぎても来なかったのですが、長々と連なったコキにコンテナが一つだけの珍列車に脱力してイライラも吹き飛び、「まぁた鉄道ダイヤ情報に欺されたなぁ、帰るかぁ」と朗らかな気持ちで帰路につきました(笑)

鉄道ダイヤ情報に欺されたって凄い話しですが、当時はツアー客が最小催行人数に達しなかったから運休とかはよくある事で、待ち惚けを喰らうのも、これまたよくある事でした。

今は情報過多なので、スマホで運行状況がすぐ分かるので、待ち惚けを喰らう事はなくなりましたね。

 

帰りも国道1号線を走ってるので、ダブルデッカーグリーン車が置かれる場所を通ってるのですが、ネガを見ても撮影してないので、立ち寄らずに通過したようです。

因みにこの時撮影出来なかったパノラマエクスプレスアルプスはその1年5ヶ月後にJR東海エリアに入線して
f:id:okinawa-rail:20240228015918j:image
f:id:okinawa-rail:20240228015639j:image東海エリアのど真ん中、愛知県春日井市中央西線高蔵寺神領間の“出川カーブ”で撮影して、更にその2年後には
f:id:okinawa-rail:20240228015823j:image名古屋市東区中央西線大曽根駅でも撮影出来ましたので、結局静岡県まで行ったのは何だったんでしょうか(笑)


過去鉄、「1988年1月パノラマエクスプレスアルプス撮影記」は以上ですが、余談と言うかオマケでパノラマエクスプレス アルプスについてもう少し書いて締めましょう。

JR東日本では20世紀末から経年車の165系の引退…廃車とは気持ち的に言いたくないです…を進めていて、165系から改造されたパノラマエクスプレス アルプスもその対象なので2001年8月にJR東日本での運行を終了して、翌月に富士急行に譲渡されて、2000形電車に形式変更されました。

パノラマエクスプレス アルプスは6両編成でしたが、富士急行内のホームの有効長さが3両編成までだったので、譲渡時に3両編成に分割されて2001号編成
f:id:okinawa-rail:20240228031000j:image(Wikipediaより)
2002号編成
f:id:okinawa-rail:20240228031033j:image(Wikipediaより)
になり、2002年2月28日より「フジサン特急」として定期運用を開始しましたが、改造種車が1966年から1969年にかけて製造されてるので、老朽化が著しく補修部品の入手も困難な事から、2014年に2002号編成が小田急から購入した20000系
f:id:okinawa-rail:20240228031139j:image(Wikipediaより)
を改造した8000系
f:id:okinawa-rail:20240228031208j:image(Wikipediaより)
に置き換えられて引退。
2016年には2001号編成がJR東海から購入した371系
f:id:okinawa-rail:20240228031249j:image
f:id:okinawa-rail:20240228031313j:imageを改造した8500系
f:id:okinawa-rail:20240228031431j:image(Wikipediaより)
に置き換えられて引退しました。

因みに直流急行型電車は
f:id:okinawa-rail:20240228031630j:image(代表してJR東海165系)
JR東海が2000年、JR西日本が2002年、JR東日本が2003年に引退してJR線上から消えて、JR東日本から譲渡された秩父鉄道3000系
f:id:okinawa-rail:20240228031714j:image(Wikipediaより)
は2006年に引退、北陸新幹線長野先行開業でJR東日本から分離された篠ノ井~軽井沢間を引き継いだ第三セクターしなの鉄道に譲渡された169系
f:id:okinawa-rail:20240228031817j:image(Wikipediaより)
が2014年に引退してるので、富士急行2000系の引退は、国鉄直流急行型電車の引退でもありました。

厳密には165系の台車やモーター、制御装置を再利用して製造されたJR東日本107系
f:id:okinawa-rail:20240228031959j:image(Wikipediaより)
を購入した上信電鉄の700系
f:id:okinawa-rail:20240228032017j:image(Wikipediaより)
が絶賛運用中で完全引退とは言い難いかもですが、こちらはいわば部品で、国鉄直流急行型電車の範疇には入らないので“完全引退”としても良いでしょう。

細かい事ですが、書いておかないと細かい事まで指摘する粘着質鉄オタが突っ込んで来できますから(笑)

 

本編よりもオマケの方が濃いのでは?と思われる過去鉄「1988年1月パノラマエクスプレスアルプス撮影記」最後までお付き合いありがとうごさいました。

最初にも書いてますが、過去鉄と言いつつ2020年7月に書いた記事のリメイクですが、これはInstagramの方でも最近はネタの枯渇で初期に投稿した写真を再スキャンしてのリメイク投稿してるので、それをブログでもやってしまおうとの安易な企画だったりします。

さぁ次は何をリメイクしようかなぁ。

瀬戸線から赤い電車が引退してから今年で10年なので、瀬戸線ブログをリメイクしましょうか。

書いてる途中で止まってるし←忘れてるとも言う(笑)

それでは。

月曜日 雑談…夕陽が眩しい、ヤニ臭いの嫌い

ヤニ臭っ!!

っていきなり何の事やらですが、自宅はマンションの1階にあるのですが、自室の直ぐ外側で誰かがタバコを吸いやがって、換気で窓開けてたので自室内がすんごいヤニ臭いです(笑)

いや、笑い事では無い。

腹立ったのでファブリーズを鬼噴霧したら
f:id:okinawa-rail:20240226234713j:image降り注ぐファブリーズミストでスマホの画面がビッショビショになりました(笑)

 

私、元々タバコは吸わなかったけど、周りが吸ってたのでタバコの臭いは気にならなかったのですが、20世紀末頃から禁煙が進んで周りにもタバコ吸う方がいない環境になって久しいので、以前は何とも思わなかったタバコの臭いが大嫌いになったので、タバコの臭いには敏感だったりします。

例えば書店内ですれ違う人から漂うタバコの臭いも直ぐに分かりますし、電車内で隣に座った人から漂うタバコの臭いも分かるので、「このオッサン、乗る前にタバコ吸ったな、服に臭い移るじゃん」と眉を顰めてます。

実際、10分近く隣にいただけで服に臭い移りますから。

じゃあ席変われば良くね?って思うでしょう?座ってる時は疲れてるので、障がい者やお年寄り、マタニティマーク、ヘルプマークを付けてる人に席を譲る以外は動きたくないのよ。


あと、レンタルDVDを入れるレンタル袋のヤニ臭いのも嫌でしたね。

たまに頭がクラクラするくらいヤニ臭いのがあって、そんなのを剥き出しで部屋の中に置いておくと、部屋の中が“汚染”されるので、レンタル袋は二重のビニール袋の中に入れて厳重に密封するか、1週間レンタルだったけど、ちゃっと(名古屋弁で素早くの意)見て翌日返却してたかですね。

最近はレンタル袋自体が廃止されたので、ヤニ臭さは無くなったので嬉しいです。

それにしてもレンタル袋にタバコの臭いが移るって、どんなけタバコ吸ってるん?新品と思われるレンタル袋がヤニ臭いのには閉口したわ。


話し変わりまして、夕方5時30分頃に西に向かって車運転してると夕陽が真っ正面にあるので、もう眩しい、眩しい
f:id:okinawa-rail:20240226234902j:image(イメージ写真です)
以前にも似た事書いてますが、夕焼け散歩してる時は良いですが、車運転してる時は最悪です。

最近は高照度のLED式信号が増えてるので、信号灯火は西陽の眩しさにも負けずに判別出来ますが、電球式信号では西陽に負けて判別出来なくて、前を走ってた車は赤の灯火でも止まらずに交差点通過しましたから。

そんな眩しい夕陽でも沈んだ後のマジックアワーは綺麗でした。
f:id:okinawa-rail:20240227002831j:image珍しく写真は撮らなかったので9月末のマジックアワーで代用してますが、実は9月末頃の日没時刻と日没方向は、今の時期の日没時刻、方向とほぼ同じなのですよ。

でも9月末頃はまだ夏の空気に覆われていていますが、今の時期は冬の空気に覆われてるので、体感温度がまるで違うので、同じマジックアワーとは思えないです。

 

そんな綺麗なマジックアワーを外にいたのでずっと見てたかったですが、風が強くて寒いので見てられなかったですね←ほら体感温度が違う

何より花粉症が始まったので、雨上がりの晴れた風の強い日に外に出てるのは、とんでもない事です(笑)

 

あ~目がショボショボして鼻がムズムズする。

 

明日も風が強そうなので、花粉飛びまくりですね。

 

それでは。

木曜日 2月22日はにゃん、にゃん、にゃん、でネコの日

ながらスマホかよ!

っていきなり何の事やらですが、生活道路と片側1車線の県道が交わる、信号による交通整理が行われていない交差点…回りくどい!信号の無い交差点で良くね?…で、県道に右折しようとしてた中型車がいて、対向車線の車が途切れてたので、中型車に道を譲って、ドライバーは「ありがとう」と手を上げたのですが、その手の中には画面に灯りが点いてるスマホがありました。

画面に灯りが点いてるって事はスマホ見ながらの運転、いわゆるながらスマホじゃあないか!

なんだよ、違反車に道譲る事なかったな。


最近でもないですが、交差点の信号が青になり、交差点の向こう側がガラガラに空いていても一向に発進しない車がありますが、そんな車のドライバーは大概スマホ見て信号が青になったのに気が付かないんだよ。

一向に発進しない車にクラクションを鳴らのは道路交通法違反になるので、パッシングして知らせるのですが、それでも気が付かない時は違反を承知でクラクション鳴らしてます。

それでも気が付かない車もいるので、その車のドライバーは一体何を夢中になって見てるのやら。

ゲーム? LINEのやりとり?
どっちにしても運転中はスマホは鞄の奥底に掘り込んで、簡単に出せないようにしてしておくれ。


さて、今日は朝は雨が降ってましたが、日中は陽が差す時間帯があるかと思いきや、雨が降ったりもして、私の心の気分と同じで落ち着かない日でしたね。

心の気分って……


それはともかく、今日は2月22日で、数字の並びからニン、ニン、ニンで「忍者の日」とか、にゃん、にゃん、にゃん、で「ネコの日」とか言われてるそうですね。

忍者の日は伊賀市とかごく一部の自治体で盛り上がってそうですが、ネコの日は空前ペットブームなので全国レベルで盛り上がってるようで、それは私がブログのネタにしてる事からも分かります(笑)

私、犬が好きですが、ネコも好きで…それなのに今日がネコの日って始めて知りました(笑)…、ネコを見るとついつい目で追ってしまいますね。

もう20年くらい前かな?草生した空き地にネコが伏せていて、何してんのかな?とネコの目線の先を見ると小鳥がいました。

なるほど、あの小鳥を狙ってるのか…とその様子を暫し見てたのですが、身体を伏せながら小鳥ににじり寄る姿はサバンナで草食動物を襲うネコ科の肉食動物そのものでした。

小鳥との距離を詰めて満を持して小鳥に飛びかかったのですが、悲しい事に小鳥とネコの間には空き地を囲う金網があったので、ネコは見事に金網に激突して狩りは失敗してしまいました。

実は私、ネコと小鳥の間に金網が有るのを知ってた上で狩りの様子を見てたので、そりゃそうなるわなぁ、なんてアホ可愛いんだぁ!と爆笑してたのを今でも覚えてます。

当時は写真を撮るだけのガラケーでしたが、今ならスマホで動画撮影してますね。


写真と言えば、はてなプロフィールのアイコンにしてるのは散歩の途中で見かけたノラ猫?のシグレ(命名、私)です。
f:id:okinawa-rail:20240222220000j:image
夕陽を見ながら物思いにふけってた姿が絵になってたので撮ろうとしたら、こっち向いてしまいました。
でも逃げないので、撮らせてもらいました。


自宅マンションの周りにはそのシグレの他に、いかにもボスって貫禄がある“ボス”に黒ネコの“ジジ”、茶色の“キャラメル”(全て私が勝手に命名)の4匹のネコがいて、互いに距離を保ちつつ共存してたので、余所者が来た時は大変です。

とある未明におしょんに起きたら“なぁ~お”とネコの鳴き声が聞こえたので、トイレの窓から外を見たら街灯の下で二匹のネコが対峙してました。

なぁ~お!と威嚇しあい時折ジャブを繰り出す未明の決闘に暫く見入ってましたね。
その決闘は車が通ったので水入りになりましたけど、あの二匹のネコはその後どーなったのかな?


そんなネコ達ですが最近は見ないんですよね。

あの子達、どこ行ったんだろ……


ネコと言えば、以前職場で朝出勤直後に倉庫のドアを開けたらどこから入ったのか倉庫の中に可愛い仔ネコがいて、にゃあ~(おはよ~)って挨拶されました(笑)
その時は猫の手も借りたいくらい忙しい時期でしたが、流石に手を借りる訳にもいかないので、丁重にお引き取り願いました。

挨拶と言えば以前ブログにも書いてますが、生活道路を走行中にネコが道路を横断しようとしてたので、ネコに道を譲ったら、道路を横断し終わったネコが「ありがとう」って言うみたいにこちらを向いたので、なんて可愛くて律儀な奴なんだ!とメロメロになると同時に、その日は生活道路に行くまでに悪名高き名古屋走りの車に遭遇しまくりでイライラしてましたが、そのイライラも吹き飛び爽やかな気分になりましたね。


そんなネコ好きな私なので、アニメ見ててネコが出て来ると話しよりもネコに集中してしまいます。

でもね、アニメに出てくる猫って、可愛いのと可愛くないのとの差が激しいんですよね。

これまで見てきたアニメで最も可愛いかった猫はかなめもって作品に出てきた「ぶんた」かなぁ。
禁則事項に触れるので画像は貼れないから今一つ伝わりませんが、何話だったか「にゃっはぁ!」ってセミを捕ってたのがすっごい可愛いかったもの。

あと、スケッチブック~full color's~に出てくる猫たちも可愛いんですよ。
f:id:okinawa-rail:20240222220359j:imageそのネコ達の中の一匹、自称永遠のヒロインのサバトラのハーさん。
私、この作品が気に入ってDVDソフトをコンプリートしてますが、f:id:okinawa-rail:20240222220434j:image猫がメインの話しが三回あったので、テレビ放送を録画したDVDから編集してそれらをまとめたDVDディスクを作ったくらいですから(笑)

因みにスケッチブック~full color's~は07年秋クールに放送された作品で、福岡県大宰府の高校の美術部が舞台のいわゆる「ゆるふわ」なアニメです。

ただ、今のゆるふわと違うのは男子も登場して、ガッツリ話しに絡んで来る事ですね。
なので今放送したら、ゆるふわ作品に男は要らん!って連中から大不評です。

07年に放送されて良かった。


話し横にズレました、ネコに戻しましょう。

そんなにネコ好きなら飼えば?と思われるかも知れませんが、自宅マンションはペット禁止ですし、なによりもペットを飼うのには生半可な意識では飼えない…いや、飼ってはいけないので、道行くネコを愛でたり、ねこすたぐらむ(インスタグラムでUpされてるネコの写真です)を見たりするので、満足ですね。

これは犬も同じです。

そう言えばインスタグラムには犬の動画はいっ~ぱいあるのに、ネコの動画は少ないんですよね。

何ででしょ?


さて明日は天皇誕生日国民の祝日で、明日からは3連休ですが、私には関係ありません。

週休二日制が浸透してるので、三連休になるのは都道府県庁か市、区役所、町村役場の窓口業務の公務員くらいですよ←偏見です。


それでは。

月曜日 雑談…面倒くさいオタクに仕事しない電子レンジ、そして菜種梅雨

めんどくさっ!!

っていきなり何の事やらですが、詳細を書くとここでも絡んで来るかも知れないので…絡まれらブロックしますが…詳細は書きませんが、とある事からオタクは粘着質で面倒くさいってのが、よっ~く分かりました。

あれではオタクは世間から忌み嫌われるのも納得だわ。

そう言えば某アニメ感想まとめブログにも粘着質に絡んで来るのがいたなぁ。
○○(私のハンドルネーム)のオ○ニー投稿…全く健全な内容なのに、何をもって自慰行為なのか意味不明…まだぁとか、○○は死ねばいいのにと書きやがったから、こんな奴がいるブログには嫌気がして、そいつ以外にも投稿者には対して罵詈雑言を浴びせるコメントを平気書くなど閲覧者の質も落ちてきたので、そのまとめブログはブックマークから外して行かなくなったんだっけ。

因みに今はアニメ感想まとめブログ全般を見てません。

 

余談ですが、死ねと書き込みやがった時はあまりも腹立ったから、その野郎とその書き込みを放置したブログの管理人に、そのブログはlivedoor blogの一つだったので運営してるlivedoorも訴えてやろかとマジで思いました。

 

あとYouTubeでも鉄道動画見てたらホーム上を白杖者が歩いてるのに誰も介助しようとしないのが映ってたので、その旨をコメント欄に書き込んだらそれに絡んで来た奴がいやがったので、元々不正Up動画がはびこり、YouTuberにも良い印象はなかったから、それ以来YouTubeは見なくなりましたからね。

YouTubeアプリをアンインストールしたいんだけど、出来ないのでアプリアイコンはホーム画面から外して、アプリは強制停止させてます。

 

ホント、オタクは粘着質で面倒くさい。

因みに、アニメオタク、鉄道オタク、ミリタリーオタクが粘着質で面倒くさいオタクだそうです。

 

じゃあokinawa-rail、あんたもその粘着質で面倒くさいオタクだろって声が聞こえきます(笑)


話し変わって……

最近でもないですが、自宅の30年使用してた電子レンジを買い換えたんですけど、今の電子レンジって温める終わった食品をレンジに入れっぱにしてると、温め終わってるよ、忘れてない?早く出してと、ピピ、ピピって1分毎に鳴って催促…いや、教えてくれるんですね。

これ、マジで忘れてる時は有難いんですが、調理や洗い物で手が離せない時は鬱陶しくて、「分かってる!今、手が離せん!」と愚痴るんですが、機械なのでそんなのお構いなしにピピ、ピピってアラーム鳴らすので、「ったく碌に仕事もせんくせに催促だけは一人前だな!」と調理や洗い物の手を止めてレンジから食品出してます(笑)

因みに「碌に仕事もせん」って言うのは、このレンジ出力が[200W解凍]、[500W]、[強]の三つだけで、冷凍食品の解凍方法に従って500Wで解凍しても指定された時間では冷たいままなので、「碌に仕事もしない」って愚痴るんです(笑)

余談ですが、「碌に仕事もせんくせに催促だけは一人前だな」って言うのは、今はパワハラになりますね。

若い頃は「碌に仕事も出来んくせに有給休暇の申請は一人前だな」って嫌味言われたので、これが社会では普通だと思って、嫌味言われないように頑張ろって奮起したものですけど、今は違うんだね。

この様に昔の事を懐かしく部下とかに話すのをソフト老害って言うんだっけ?

 

この言葉もなんだかなぁ…って思います。

 

そもそも私、今の便利な世の中の基礎は、団塊世代の方々が1年365日休む間もなく、働いて働いて働いて(以下362回続きます)働き抜いて造って下さったのに、その労に感謝しないで、その方々を老害呼ばわりするとは何事だ、無礼者!!って考えなので、老害って言葉自体が嫌いなんです。

 

またまた話し変わって、今日は朝から雨で、一日しっかり降りましたね。

雨は鬱陶しいから嫌って人もいますが、私は落ち着くからそんなに嫌って訳でも無いです。

但し車を運転してる時の雨は嫌ですね。
最近は水捌けが良い舗装道路が増えてますが、路面が濡れてる道路もまだあって停止線が見にくい所もあるので、嫌だなぁって運転してます。
あと、以前にも書いてますが、私、ミラー見ながらバックすると気持ち悪くなるので、バックでの車庫入れとか、駐車スペースに頭から入れてバックで出る際にはミラーに頼らず窓開けて頭出して目で直接見ながらじゃないとバック出来ないので、土砂降りだと頭は勿論、服や車の中がずぶ濡れになるので、雨降りの車の運転は嫌です。

今週は“菜種梅雨”で雨降りが続くそうです。


ううっ、嫌だなぁ

 

何か今日は一見すると纏まりの無い話しばかりですが、要は私が一番面倒くさい奴って話しでした(笑)


それでわぁ~

火曜日 鉄道ブログ…2日遅れの日付ネタ

今日の名古屋は朝から良い天気でしたね。

そんな今日の天気の話しもそこそこに早速ですが、今日は久しぶりの鉄道ブログです。

さて、前々からJR東海の211系5000番台について鉄道ブログで書こうと写真も用意してたのですが、中々タイミングが掴めなくて、ならば日付ネタで一昨日の2月11日に書こうと思ってたんですが、Instagramの方で日付ネタで211系を集中投稿したらそこで力尽きて(笑)ブログにまで手が回らず、昨日は病ブログになったので、2日遅れですが、日付ネタで今日211系5000番台ブログを書いてしまいます。


まずは211系5000番台についてざっと説明しましょう。

211系5000番台は国鉄時代の1986年にデビューした211系をJR東海が名古屋の輸送事情を考慮して、独自にアレンジした車両です。
211系については2022年3月9日のブログに詳しく書いてあるので

okinawa-rail.hatenablog.jp

こちらも宜しければお読み下さい。

オリジナルからの変更箇所は外観では運転室助手席側の窓が大型になり、車内から前方の眺望が良くなった事とf:id:okinawa-rail:20240213013931j:image(左側211系5000番台、右側オリジナルの211系0番台)
クーラーが東京のラッシュ時200%超えの車内でも快適にする強大な能力42000kcal/hを持つAU75Gでは東京ほど混雑しない名古屋では能力が過大なので、JR東海が開発した名古屋の混雑時に適した能力18000kcal/hを持つC-AU711D×2基になった事で、オリジナルのカマボコ型クーラーが屋根中央に1基デンと鎮座する姿から
f:id:okinawa-rail:20240213014112j:image
弁当箱クーラーが2基載ってる姿は
f:id:okinawa-rail:20240213014201j:image登場時は違和感がありました。
211系は好きな車両なのですが、名古屋には国鉄末期に導入された2編成だけだったので、JR東海が大量導入するとプレスリリースした際には諸手を挙げて喜びましたが、弁当箱クーラーが2基載ってる姿を見てガッカリしましたね。

因みに個人的に弁当箱クーラーと呼んでるC-AU711Dでは、昨今の38℃を平気で超える炎暑には明らかに能力不足で、“わぁぁぁ~ん”と悲鳴を上げてフル稼働してました。

211系5000番台は国鉄から継承した老朽化した113系f:id:okinawa-rail:20240212172342j:image(1987年6月 中央西線 高蔵寺定光寺)
の取り替え目的で1988年に中央西線から投入が始まり、1989年には東海道本線の名古屋地区、1990年には東海道本線の静岡地区に投入されて、1991年までに242両が製造されました。

これだけ数が多いとそれなりに撮ってるので、ここからはその写真をダラダラと貼っていきます。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、画質に纏まりが無い事はご勘弁下さいませ。

 

まずはいきなりマニア過ぎな事から(笑)

f:id:okinawa-rail:20240212172520j:image1989年1月 高蔵寺定光寺
f:id:okinawa-rail:20240212172455j:image1989年6月 神領高蔵寺
中央西線を走る211系5000番台です。
2枚とも偶数向きのクハ210を写してますが、一目見て双方の違いが分かった方は211系マニアです(笑)

冗談は置いといて真面目に書きますが、1枚目は編成番号札が黒色なので神領電車区所属車、2枚目は編成番号札が白色なので大垣電車区所属車で、撮影当時は大垣電車区所属車も中央西線を走る事がありました。

そしてもう一つ違いがあるのがお分かりでしょうか。それは貫通扉に取り付けられてるホロです。
比較出来る写真が無いので文字だけでは伝わり難いですが、国鉄時代の名古屋鉄道管理局の電車のホロは大垣電車区神領電車区共に偶数向き(東海道本線上で大阪方)に取り付けられてました。
一方で静岡鉄道管理局の電車は静岡運転所と沼津機関区共に奇数向き(東京方)に、豊橋機関区は偶数向きに取り付けられてました。
国鉄時代は特に問題はなかったのですが、JR移行後はホロの位置は統一した方が良いと判断したようで、1989年春頃に113系JR東日本に乗り入れて、JR東日本113系との併結運用がある静岡運転所の車両に合わせて神領電車区、大垣電車区共に所属車両のホロの取り付け位置を奇数向きの先頭車に変更したので、1枚目にはホロが付いてますが、2枚目にはホロが付いていません。
この様な僅かな変化はマニア心を擽りますね。

いや、それはoklahoma-rail、あんただけだよ(笑)

あんまりマニア過ぎな事を書くのもどーかと思うので、ここからは普通に貼っていきます

多分(笑)

f:id:okinawa-rail:20240212174556j:image(1989年11月)
東海道本線の現在では南大高駅になってる大高~共和間を走る普通列車です。
中央西線は沿線に日本三大ニュータウンの一つの高蔵寺ニュータウンを抱える通勤線区で駅間距離も短く、なにより103系が走ってたのでf:id:okinawa-rail:20240213022844j:image(1987年 6月高蔵寺定光寺)
ロングシートの211系5000番台が走っても違和感なかったですが、東海道本線は駅間距離が長くて4人掛けのボックスシート113系が当たり前だったので、ロングシートの211系は違和感ありました。
因みに中央線の103系は211系5000番台がデビューするとほとんどが1966年製の経年車で陳腐化が目立ってきたので、車内は211系5000番台と同じ仕様になり外観もスカイブルー単色から211系5000番台に似せてホワイトに湘南色帯を巻いたJR東海色にリニューアルされましたf:id:okinawa-rail:20240213023124j:image(1990年8月)
この写真は双方が頭揃えてますが、撮影時はパワーワインダーは使わずシャッター1発押しだったのを書き添えておきます。
f:id:okinawa-rail:20240213015518j:image(1989年11月)
清洲駅に到着する東海道本線普通列車です。
助手席側の窓上部には列車番号表示器がありますが、列車番号が掲出される事は稀で専ら車番号が掲出されてました。
それを踏まえて写真を見ると5001と掲出されてるので先頭車はトップナンバーのクモハ211-5001です。
この車両は神領電車区の所属ですが、撮影当時は大垣電車区の211系5000番台と神領電車区の211系5000番台は共通運用だったので、神領車でも東海道本線を走ってました。

f:id:okinawa-rail:20240213172826j:image(1990年1月)
冬の夕陽を真っ正面から浴びて浜松駅に到着する静岡運転所のSS1編成です。
東海道本線の「するがシャトル」に投入されていた119系はf:id:okinawa-rail:20240213172908j:image(1986年8月沼津機関区一般公開)
駅間距離が短くて運転速度が低い飯田線に特化して開発されてたので、駅間距離が長くて運転速度が高い東海道本線を走るのには全く不向きで、2両編成で混雑も激しかった事から、その119系の取り替え用として1989年6月に211系5000番台3両編成11本が新製されて静岡運転所に投入されましたが、この時に製造されたクハ210はトイレ付きの5300番台になり、クハは長距離運用がある神領電車区に配置して4両編成に組み込み、捻出されるトイレ無しのクハを静岡運転所に転出させてます。


トイレ無し静岡の歴史はこの時から始まったんですね。

因みに静岡車両区の211系も引退が始まりましたが、SS編成は1編成も欠ける事なく健在です。

f:id:okinawa-rail:20240213170214j:image(1990年5月)
地上線時代の勝川駅に到着する高蔵寺行き普通列車です。
中央西線で最も変わったのはこの勝川駅周辺でしょうか。
高架化の計画はありましたが工事が始まる気配はなく、背後には中央西線を跨ぐ後の名古屋第二環状自動車道になる東名阪自動車道の高架橋がまだ無いので、初夏の空が広いです。

f:id:okinawa-rail:20240212181655j:image(1990年10月)
顔が半分だけですが、名古屋駅1番線に停車中のクモハ211-5041が先頭に立つ大垣電車区C18編成の普通列車です。

大垣電車区には老朽化した113系初期車の取り替え用として1989年からクモハ211-5000+モハ210-5000+クハ210-5000の3両編成が新製配置されて、神領電車区から転入車も加わって、かつて165系の3両編成、4両編成
f:id:okinawa-rail:20240212184307j:image(1988年1月岡崎)
113系3両編成
f:id:okinawa-rail:20240212185159j:image(1989年11月清洲)
が付けてたC編成を名乗り、最大20編成の211系5000番台が所属してましたが、2006年に全車静岡車両区に転出して、同区のLL編成になりました。

静岡車両区の211系も引退が始まりましたが、クモハ211-5041が先頭のLL17編成は2023年12月1日の時点では健在のようです。

f:id:okinawa-rail:20240212185751j:image(1990年10月)
f:id:okinawa-rail:20240212185818j:image(1990年10月)
f:id:okinawa-rail:20240212185848j:image(1990年10月)
何が何やらな写真ですが、1990年頃は普通の撮り方に飽きたのか、あるいは何かに影響されたのか、車両を添え物にして駅の日常の風景を撮るのがブームだったようです。
撮影したのは名古屋駅第4ホームで、1990年当時の第4ホームはまだ嵩上げを兼ねた改修前なので階段の囲いは、2代目名古屋駅が1937年(昭和12年)に完成した時の意匠を凝らした造りのままです。

改修後もこの囲いは残して欲しかったです。

それにしても嵩上げ前のホームは低くかったんですね。1枚目はドアの下に床下に吊されてる抵抗器の絶縁碍子が見えてます。

f:id:okinawa-rail:20240213024146j:image(1991年3月)
f:id:okinawa-rail:20240213024225j:image(1991年3月)
f:id:okinawa-rail:20240213024303j:image(1991年3月)
何が何やらな写真は1年後も撮ってました(笑)
1、2枚目は公衆電話と絡めて撮ったのが分かりますが、3枚目は何が撮りたかったのやら……
撮影したのは名古屋駅第4ホームで、ホームの改修後なので階段の囲いの形状が様変わりしてるので、1990年との比較写真にはなるかな?

凝った撮り方をするとおかしな写真を量産するので、ここからは普通の写真です。
普通列車だけに(笑)

f:id:okinawa-rail:20240213025152j:image(1990年11月)
矢田川橋梁を渡る中央西線普通列車です。
後ろが切れてますがどうやら10両編成のようなので、後ろが切れたのは惜しいです。違う場所ならf:id:okinawa-rail:20240213025633j:imageこの様に12両編成まですっきりと入るので211系は撮影する場所が悪かったですね。

f:id:okinawa-rail:20240213174516j:image(1990年11月)
17時頃に大曽根駅を発車した名古屋行きの11両編成です。
中央西線の営業列車の最大編成両数は10両編成ですが、この列車は昼間3両編成や4両編成で走ってる列車(後ほど出てきます)に、夕方のラッシュ帯で増結する車両の送り込みを兼ねてるので、4両編成+4両編成+3両編成の11両編成でしたが、先に書いてる様に営業最大両数は10両なので、先頭車は締め切り扱いでした。
更に最後部は荷物扱いしていたので、乗務員室後ろの座席は荷物室扱いで着席出来ないユニークな列車でした。

この列車の存在を知ったのは、撮影した1ヶ月ほど前で、翌年のダイヤ改正では10両編成になってしまい、季節的に日没が早くなって行くので、撮影したのはこの時だけでした……
と永らく思っていましたが、意外な事実が判明したので、それはまた後ほど。

因みに211系オリジナル車は最大16両まで組成出来ますが
f:id:okinawa-rail:20240214004451j:image(Wikipediaより、JR東日本の211系オリジナル車の15両編成)
名古屋ではそこまで長い編成は必要ないので、運転台メーターパネルの車両状態表示灯が12マスなので
f:id:okinawa-rail:20240214004518j:image(Wikipediaより、メーターパネルの左側が車両状態表示灯)
組成は最大12両編成までに変更されているようです。

f:id:okinawa-rail:20240213192408j:image(1991年1月6日)
南岸低気圧の通過で朝から大雪の名古屋駅に到着した岡崎行きです。
これ随分と大胆なカットですが、これを撮影した頃は列車から離れた場所から望遠で乗客と絡めて列車を撮るのがマイブームで、原版は左半分が列車を降りた乗客が写っていて顔がはっきりと分かるので、左半分を大胆にカットしたのを白状します。

因みに編成番号がC19なので大垣電車区の211系5000番台で、2006年に静岡車両区に転出してLL18編成になり、現在でも健在です。

この日は降りしきる雪の中で撮り鉄していて、その様子は2022年1月10日のブログ

okinawa-rail.hatenablog.jp

で書いてるので、宜しければお読み下さいまし。

f:id:okinawa-rail:20240213194328j:image(1991年3月)
f:id:okinawa-rail:20240213194346j:image(1991年3月)
大曽根駅を発車した名古屋行き11両編成です。
このラッシュ帯への送り込みを兼ねた11両編成の211系は1990年11月に撮影したカットだけだと思ったのですが、別件で213系のカットを探してる途上で91年3月と記されたネガの中から見付けました。

いやいや、流石ですね私、日没が遅くなって明るくなるのを待って撮ってたんですねぇ。

ん!?でもちょっと待って、そこそこ良いカットなのに何で写真が残ってないの?

当時の自分を褒めてあげようと思いましたが、やっぱ詰問したいと思います(笑)

因みに211系の隣の空き地は、今はナゴヤバンテリンドームになってる日本専売公社三菱重工への専用線の跡地で、その専用線が健在の頃はニチユのスイッチャーと呼ばれる小型のDLが黒い貨車を忙しく入れ替えしてるのを、学区外ですが東図書館に来たついでに、図書館から1キロ程離れた大曽根駅まで来た鉄道大好き小学2年生は、目を輝かせて見てました。

f:id:okinawa-rail:20240213192514j:image1991年6月
中央西線大曽根駅に到着する快速列車です。
背後にマンションが建ち並ぶのは都会的で“通勤電車”に相応しい光景ですが、縦構図の方が良かったですね。
因みに最も高いマンションは撮影当時名古屋で唯一のでタワーマンションだった地上30階建てのザ、シーン徳川園です。

f:id:okinawa-rail:20240213192549j:image(1991年9月)
名古屋駅7番線に停車中の中央西線の多治見行き普通です。
ピントが甘いので編成番号は読み取れませんが、先頭車は助手席側の列車番号表示器が無いので、予算区分[平成元年度第3次車]として1990年3月に製造されたクモハ211-5618~5620のどれかだと分かります。

クモハ211-5600番は小断面トンネルの通過対策で折り畳み高さが低いパンタグラフのC-PS24Aを装備し、極小断面トンネルが有る身延線にも入線出来る様にパンタグラフ部分の屋根を若干低くして、パンタグラフ折り畳み高さを3960ミリに抑えたタイプで、静岡運転所と神領電車区に配置されました。

この第3次車は同じ時期に製造された311系2次車や213系2次車と同様に白色の貫通ホロを装備してたので、異彩を放ってましたね。

f:id:okinawa-rail:20240213192644j:image(1991年9月)
クハ211-5312を先頭に名古屋駅に到着する中央西線の快速列車です。
クハ210-5000番台にはトイレは設置されてなかったのですが、100キロ近い距離を走る中央西線ではトイレが無いと不便な事から1989年にトイレ付きの5300番台が製造されました。
その際に静岡運転所のSS編成向けのクモハ211-5600+モハ210-5000番台と共に製造された5307~5317は神領電車区の4両編成のK0番台編成に組み込まれて、既存のトイレ無しのクハ210-5000番台は静岡運転所に転出しているので、神領電車区K0番台編成はクハだけが車体側面の行き先表示器が大型f:id:okinawa-rail:20240213213654j:imageの最新バージョン、一方で静岡運転所の211系SS編成はクハだけが行き先表示器が細長いf:id:okinawa-rail:20240213192746j:image(Wikipediaより)
初期車の、仕様が異なる編成になりました。

ところで、撮影当時は名古屋駅第4ホームの東京方に機関車留置線があって、撮影日には長野の方面から某の臨時列車を牽引して来たと思われるJR東日本北長野運転所(現、長野総合車両センター)のEF64 41号機が休息中です。

f:id:okinawa-rail:20240213234829j:image1991年10月
名古屋駅で並ぶ東海道本線で運用されてた211系0番台クモハ211-1と中央西線の211系5000番台クモハ211-5002の並びです。
撮影当時は好んでこのアングルで撮ってましたね。

そこそこ良いアングルなのに写真が残ってないのは、写真ではおそらく右側の0番台が真っ白にすっ飛んでたからだと思われます

f:id:okinawa-rail:20240213234911j:image(1991年11月?)
中央西線新守山駅を出発して庄内川橋梁に向けて加速する多治見行きです。
庄内川橋梁の手前は架線柱の処理にちょっと工夫が必要ですが、カーブの内側から編成全体が撮れる良い場所でした。
今は線路沿いに2メートルくらいのフェンスが設置されたので、撮影しにくくなりました。

f:id:okinawa-rail:20240213234949j:image(1991年12月)
東海道本線の211系0番台と中央西線の211系5000番台の並び別バージョンです。集中型クーラーを装備した0番台が入線中なので、行き先を無視すれば名古屋駅ではなくて熱海などのJR東日本管内に見えてきます。

因みにこのカットの次のコマが、この記事で最初に貼った211系0番台と5000番台の比較写真になります。

f:id:okinawa-rail:20240213235114j:image(1991年12月)
f:id:okinawa-rail:20240213235156j:image(1991年12月)
クモハ211-5029が最後部の大垣行き普通列車です。
1枚目は映える様に大胆にトリミングしてますが、牽引機のEF66を含めて16両編成の寝台特急はやぶさ」が停車出来る約330メートルの長~いホームに、3両編成60メートルの列車がちょこんと停車してるのは2枚目の原版の様に実にユニークです。

隣は7番線に停車中の中央西線の211系5000番台ですが、この211系同士が中線を挟まず隣り合って並んでる光景は、東海道本線から211系が撤退してからは見られなくなりました。

編成は大垣電車区のC12編成で、2006年に静岡車両区に転出して同区のLL10編成になり、2022年3月に引退してます。

f:id:okinawa-rail:20240213235338j:image(1991年12月)
名古屋駅8番線に停車中の中央西線の快速列車で、乗客の少ない昼下がりなので、4両編成でした。
望遠で撮ったので今一つ伝わり難いですが、12両編成の列車が停車出来る250メートルの長~いホームに4両編成80メートルの短い列車がちょこんと停車してるのはユニークでした。

ダラダラと貼って来た211系5000番台、最後はこちらで締めましょう
f:id:okinawa-rail:20240213235452j:image(1991年12月)
f:id:okinawa-rail:20240213235544j:image(1992年3月)
どちらも長時間露光して光の帯だけなので、211系なのか?と思われるでしょうが、明るくて大きな窓から211系で間違いないです(笑)

この頃は何かに影響されたのか、重装備と手間を嫌う私には珍しく、ホームに三脚立てて(本当は禁止行為です)カメラの水平を調整してバルブ撮影してました。

因みにこの頃は撮影の主軸が飛行機に移りつつあったので、20世紀に211系5000番台を撮影したのはこれが最後になりました。

二日遅れの日付ネタ211系5000番台20世紀編(そんなタイトルだっけ?)最高までお付き合いありがとうございました。

20世紀編と言う事は21世紀編もある訳で、それはまた後日に公開します。

それでわ~

 

月曜日 雑記…感染性胃腸炎に罹患

お久しぶりでございます。

前回更新したのが1月10日なので、丸っと1ヶ月ほったらかした事になりますね。

寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は感染性胃腸炎に罹患して5日間寝こんだくらいで、他は大した事ないです。

いやいや、十分大した事です(笑)

先月26日の夜遅くに急に悪寒と頭痛がして、風邪ひいたか?と体温測ると36.8℃でした。

私、平熱が36.2℃くらいなので明らかに体温が上昇してました。

とりあえずは風邪薬を飲んで就寝、翌朝になっても頭痛と身体の怠さに節々の痛みがありましたが、体温を測ると36.8℃で発熱に至ってないので様子見してましたが、午後になったら急に体温が37.8℃に上昇したのでロキソニンを飲んで暫し寝てました。

発熱はしてるけど咳は全く出ないので、新型コロナとかインフルエンザでは無いだろうと思いつつも咳が出ない新型コロナの症状もあると聞いた事があるし、何より新型コロナのワクチン接種した後の副反応と同じなので、市販の抗原検査キット
f:id:okinawa-rail:20240212223619j:imageで抗体検査したら……
新型コロナやインフルエンザABどれも陰性反応だったので、擬陰性の可能性もあるけど、とりあえずは一安心しました。
f:id:okinawa-rail:20240212223705j:image測定結果で、最も上のCは正常な試験が行われた結果でその下の
S2は新型コロナ
BはB型インフルエンザ
AはA型インフルエンザ
で、どれも反応して無いので陰性です。

じゃあこの発熱は一体なんぞや?
背中が鈍く痛むので腎盂腎炎か?
それだと40℃くらいまで発熱するしなぁ…
などと考えながら土曜日は就寝しました。

翌朝になったら体温は37℃くらいまで下がりましたが、胃痛が強くなり嘔吐には至らないけど、吐き気も出てきましたが、これは風邪薬の連続服用とロキソニンの服用の副作用だと思ってましたが、午後になってから下痢が始まって頻度も増えてピーク時は30分毎になったので、あぁこれは感染性胃腸炎に罹患したなと確信、月曜日になっても下痢は治まらず体温も38℃超えたので、かかりつけの内科医院に電話して受診して来ました。

かかりつけの内科医院に電話したのは新型コロナが5類に下がったとは言え、37℃以上の発熱がある人や過去1週間以内に発熱があった人は予め電話するようにと入り口に張り紙がしてあるので、それに従ったからです。

で、電話したら10時過ぎに来院して下さいと言われたので行ったら駐車場はほぼ満車で、なんとか空いてる場所に車止めてインターホンで受け付けの職員呼んで発症からの経過を書いたメモと診察券を渡して、寒い日でしたが車の中で診察を待ってました(笑)

定期検査で通ってる際に車の中で待ってる発熱患者さんと、その患者さんを診察してる先生を何度となく見て、大変だなぁ…と思ってましたが、まさか自分がそうなるとわ!

診察時に抗体検査もしたので、結果は新型コロナ、インフルエンザABどれも陰性だったので、胃腸風邪と診断されました。
胃腸風邪とは感染性胃腸炎の俗称なので、私の推測通りでした。

胃腸風邪なら発熱患者でも院内に入れるので、暖かい院内で処方箋が出るまで待ってましたが、処方箋を発行する機器が故障したようで、30分近く待たされましたね(笑)

処方されたのは腸内に入った細菌を殺す抗生剤と腸内の働きを整える整腸剤に解熱剤でした。

解熱剤は2度ほど服用、抗生剤と整腸剤は処方された5日分を服用したら、ほぼ正常に戻りましたね。

いや、いや往生こいたわ←名古屋弁で大変だったの意

久しぶりに38℃まで発熱しましたから(笑)

何が原因だったんだろう?

ノロウイルスほどじゃないので、カンピロバクターかな?

罹患する3日前にチキンソテー食べてるので、その時の鶏肉に十分火が通ってない部分があったのかも。

皆様も肉類は十分加熱しましょうね。

それでわ~