今日の名古屋は昨日の暑さから一転して最高気温が17.4℃と昨日の最低気温とほぼ同じと言う「寒い」一日でしたねぇ。
そんな天気の話しはそこそこに今日は先週土曜日に予告しながら、なんか記事が纏まらず、写真の用意にも手間取って延び延びになってた国鉄最後のお召し列車撮影記です。
国鉄最後のお召し列車に関しては昨年の11月14日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2019/11/14/231437に書いてありますけど、お召し列車を撮影したネガが見付かったので、翌15日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2019/11/16/012230から阿佐ヶ谷駅で撮影した中央線の列車の記事を合わせた大幅な加筆修正版でお届けしましょう。
まずは国鉄最後のお召し列車についてざっくり説明しすると、86年秋の国民体育大会は山梨県で開催された「かいじ国体」で、10月12日行われる開会式に昭和天皇がご出席されるので、前日の10月11日に原宿~甲府間にお召し列車が運転されて、国鉄の分割民営化を翌年に控えてた事から、国鉄最後のお召し列車と呼ばれてました。
そのお召し列車が運転される前日には14日のブログで書いたように「さよなら165系急行型アルプス号」が運転されて、それを撮りに山梨県まで来てたので、東京に1泊して人生初…表現には誇張があります(笑)…のお召し列車撮影に挑みました。
それではお待たせしました、お召し列車撮影記の始まりです。
毎度の事ですけど、写真とネガスキャンの混合なので、色調がバラバラなのはご容赦下さいませ。
原宿駅宮廷ホームに入線する1号御料編成です。
原宿駅には皇室専用の宮廷ホームがあり、お召し列車が運転される際には1号御料編成が保管されてる大井工場(現在の東京総合車両センター)から原宿宮廷ホームに回送されます。
因みに回送なので日章旗は付いてません。
牽引機は八王子機関区所属のEF64 77号機で、ボディーに白帯が入れられました。
この77号機はお召し列車牽引後の11月改正で稲沢機関区に転属してくるのですが、撮影時はそんな事は夢にも思ってませんでした。
この77号機に関しては今年の1月16日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/01/16/002737に書いてありますので、宜しければお読み下さいませ。
宮廷ホーム遠望です。
50ミリ標準レンズで撮影したので小さく写ってるので、ネガスキャンしてEF64を画面に入れつつ限界近くまで拡大しました。
宮廷ホームに向かう1号御料編成です。
ネガスキャンして色補正してるのですけど、露出がアンダーのコマは原色に近い色になりますけど、適正からオーバー気味のコマは補正しきれないので、御料車が茶色になるように補正したので、汚ないのはご容赦下さいませ。
原宿駅で撮影した後は走りを撮影すべく新宿から快速で3つ目(各駅停車で5つ目)の阿佐ヶ谷駅へ移動しました。
この駅で撮ろうとした理由は覚えてませんけど、ここは三鷹までの快速線と緩行線の複々線の途上で、快速線を走るお召し列車が来る新宿方が直線で見通しが良かったからだと思われます。
しかし完全に出遅れて快速線を望む緩行線のホーム先端はこんな情況でした。
2枚目には一体何事?とカップルが恐る恐る見に来てます(笑)
そんな喧騒の中で空気のような存在の通勤電車を撮るのは私くらいです(笑)
国鉄から営団地下鉄(現、東京メトロ)東西線への乗り入れ車両は301系が用意されましたが、アルミ車体に地下鉄線内のコンクリート道床での走行音を抑える為に空気バネ台車装備だったので、製造価格が高くて初回ロットの8編成56両で製造が打ち切られて、以降は103系1200番台が増備されました。
お召し列車の運転時刻は分からなかったのですが、お召し列車はその性格上対向列車とは走行中はすれ違わず、複々線区間では他の列車とは並走しないので、お召し列車が接近すると、対向する快速や各駅停車や、並走する各駅停車は最寄りの駅で運転抑止される事は聞いていたので、頻繁に走ってた快速や各駅停車がピタリと来なくなったので、いよいよ来るか!と思ったら、降りだした雨の中を日章旗をなびかせながらEF64 77号機が牽引するお召し列車が通過しました!
結構な速度が出ていて雨に濡れた日章旗が2枚共に運転席窓に貼り付いてますけど、機関士は前が見えるのでしょうか?
上の写真と同じコマをネガスキャンして拡大、アングルを左に寄せてみました。
ホーム端には撮り鉄がいないので、当局から排除されたようです。
あれほど群れてた撮り鉄…当時そんな言葉有りませんけど…はお召し列車が通過したら潮が引くようにいなくなったので、雨が降る中で落ち着いて中央線の撮影が出来ました(笑)
因みに165系は全てネガスキャンしてトリミングしてあります。
アルプス3号です。
松本寄りにクハが2両連続して連結されてるのが急行「アルプス 」の特徴でした。
1枚目の写真のホーム先端に落ちてる傘がつい先程までの混乱ぶりを物語ってます(笑)
三鷹電車区に回送される115系です。
中央線の中距離列車は高尾、立川着発ですけど、新宿まで来るのも何本かあったので、この115系も長らく新宿発の中距離列車だと思っていましたが、このブロクを書くのに購入した交通公社(現、JTB)時刻表86年7月号を見ると、新宿発の下りの中距離列車は夕方まで無いので、午前10時に新宿に到着した上り列車の回送だと分かりました。
回6405Mです。
この編成は新宿からアルプス5号になる編成で、アルプス5号は甲府から身延線に入る「みのぶ」 を併結していて、「みのぶ」 は甲府でスイッチバックして身延線に入るので、通常は松本寄りに連結される付属編成が新宿寄りに連結されてます。
この様に多彩な編成が見られたのもアルプスの特徴の一つです。
ところで、撮影したのは午前10時45分頃で随分と遅い「出勤」のようにも見えますけど、この編成はこの日午前4時50分に「夜勤」のアルプス12号で新宿に到着してから一旦三鷹電車区に回送されて5時間ほど「仮眠」してから前日から三鷹電車区に泊まってた付属編成と一緒に「日勤」で新宿へ向かってるのです。
臨時の急行?です。
この列車は長らく松本運転所の165系付属編成からクハを1両外したクモハ165+モハ164-800番台+クハ165の3両編成×3本の9両編成だと思っていたのですが、助手席側に松本運転所の付属編成が付けてる赤い編成番号札が無いので、これは85年3月ダイヤ改正から三鷹電車区に配置された波動輸送用の165系だと分かりました。
この臨時列車を撮影してから引き上げたのですが、名古屋を夜行の銀河52号…14系座席車です…で出発したので、2泊3日の撮影行は流石に疲れましたねぇ。
でも楽しかったです。
さて、10月17日のブログhttps://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/10/17/222456から、
10月21日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/10/21/235700
11月14日https://okinawa-rail.hatenablog.jp/entry/2020/11/14/215931
と都合4度に渡ってお送りしてきた急行アルプス号関連の記事はいかがだったでしょうか?
まさか自分でも4度に渡って書くとは思いもしなかったですよ(笑)
それだけ松本運転所の165系に思い入れがあったのでしょう。
最後に松本運転所の165系の動向を書いて締めましょうか。
86年10月の時点で松本運転所が受け持ってた急行は「アルプス」の他に「アルプス」併結されていた
新宿~身延間「みのぶ」
新宿~飯田間「こまがね」
「アルプス」とは別系統の
新宿~甲府間「かいじ」
新宿~河口湖間「かわぐち」(大月まで[かいじ]に併結)
長野~飯田、小淵沢間「天竜」
がありましたけど、「アルプス」の昼行と「かいじ」「かわぐち」「みのぶ」「こまがね」は全廃。「天竜」は新急行「かもしか」に列車名が変更されて長野運転所に運用移管されました。
唯一残った夜行の「アルプス」は使用車両が183系1000番台に変更されたので、松本運転所の165系、169系は急行運用を失ったので、165系は紀勢本線の紀伊田辺~新宮間のローカル用として日根野電車区に転出して、松本運転所には169系だけが残り、中央東線や大糸線のローカル列車の他に、87年3月31日 日野春
波動輸送で活躍して名古屋にも顔を出しました。 左側の手描きのヘッドマークを付けてるのが松本運転所の169系です。
87年2月 名古屋
90年5月 名古屋
JR移行後には車体色が長野色に変更されました。91年2月 名古屋
一部の車両はシートを特急車と同じ簡易リクライニングシートに取り替えられて、車体色も新急行色に変更されました。92年8月 大曽根
90年代になると詳細は省きますが、経年車なので次第に数を減らしていき、2001年12月には全車廃車されて、中央高地からその姿を消しましたけど、165系、169系を愛する私の胸の中では今日も八ヶ岳の麓を抑速勾配ブレーキを効かせながら甲府盆地に降りて行き、甲府を出発してMT54モーターを力強く唸らせながら笹子峠へかけ上がって行きます。
いつまでも。
いつまでも。