気ままに、思いつくままに。

視聴したアニメの感想を気ままに書き綴ってるアニメブログでしたが、最近は鉄道や夕焼けの話題ばかりです。

土曜日 瀬戸線ブログ…600ボルト車

今日は曇りだったり雨だったりと落ち着かない天気でしたねぇ。

そんな天気の話もそこそこに一昨日から始まった瀬戸線ブログの第2回目をお届けしましょうか。

前回は瀬戸線の生い立ちを文字が多めに書いてしまったので、今日は写真メインで、600ボルト時代末期を紹介します。

例によって写真とネガスキャンの混合なので、画質と色に纏まりがないのはご勘弁下さいまし。

撮影は全て1978年2月忘日 喜多山駅付近です。

では先ずはこちらから

f:id:okinawa-rail:20210821190302j:imageモ900型です。
モ900型は現在の名鉄河和線の前身の知多鉄道が1931年(昭和6年)に製造したデハ910型で
f:id:okinawa-rail:20210821190458j:image[交友社 私鉄電車のアルバムより]
1943年(昭和18年)に戦時下の交通統制で名鉄に合併させられてからはモ910を名乗りました。

名鉄に車体がスマートな新型車両が増えると昭和初期に造られたモ910型は陳腐化してきたので、1964年(昭和39年)に車体を新しくした3730系にモーターや制御器などの電装品を譲って、制御車(モーターを持たない運転台付き車)ク2330型になりました。
ク2330型になってからも本線系統で使用されてましたが、1965年(昭和40年)に瀬戸線で使用していた木造車を淘汰する為に瀬戸線に転入して、喜多山工場で木造車から電装品を移設して再び電動車化されてモ900型になりました。

因みに古い車両の電装品を流用して車体を新しくするのは車体更新車と呼ばれ、この様な車両は他の私鉄にもありましまたが、他社は旧車体は用途廃棄、解体していたので、旧車体を制御車化して引き続き使用し、再び電動車化するのは異例です。

話しをモ900型に戻します。

トヨタのお膝元に路線網を持つ名鉄は車に対抗する為に1965年頃から特急のネットワーク化を進めていて、瀬戸線にも特急を運転する事になり、その専用車にモ900型が抜擢されて、シートを転換クロスシートに取り替えて、車体色はスカーレットに白帯を纏い、正面にはパノラマカーと同じ逆さ富士型の行き先表示器を取り付けて、更にはミュージックホーンも装備して、同様の改造を受けたク2300、2320型を相棒に、ミュージックホーンを鳴らしながら尾張瀬戸大津町間を27分で走破する特急で活躍しました。

その特急も1977年には急行に格下げされ、白帯も解かれましたが、逆さ富士型の行き先表示器は最後まで外される事はなかったです。


f:id:okinawa-rail:20210821190651j:image小さく写ってるのをネガスキャンして限界まで拡大してるので、酷い画質ですがモ900の相棒のク2300型です。
ク2300型は名鉄の東半分の前身の愛知電気鉄道が1927年(昭和2年)に製造した電7型で
f:id:okinawa-rail:20210821190734j:image[交友社 私鉄電車のアルバムより]
1935年(昭和10年)に名鉄の西半分の前身の名岐鉄道と合併して誕生した名鉄ではモ3200型になりました。

このモ3200型もモ910型と同様に1964年から車体更新で電装品を3700系に譲って制御車化されて、1965年に瀬戸線に転入しています。


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f:id:okinawa-rail:20210821190855j:image3700系です。
3700系は1957年から製造された車両で、電装品は古くなった木造車から再利用した車体更新車です。

瀬戸線は本線系統から“鬼は外”された中古車両ばかりで、先のモ900、ク2300以外は扉が手動だったので、運輸省から危険だから手動扉車をなんとかしろと行政指導を受けたので、手動扉を一掃する為に1973年に本線系統から転入しました。
この3700系の入線で、良い言い方をすれば個性的、悪い言い方をすれば雑多な車両が姿を消しました
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f:id:okinawa-rail:20210821191158j:image[中日新聞社 せとでん100年より]

転入に際しては特急に使用するのでスカーレットに白帯を纏いましたが、特急廃止に伴って白帯が解かれた車両もありましまた
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f:id:okinawa-rail:20210821191406j:image2枚目の右端に見切れるように写ってる自転車は私の“愛車”です(笑)


f:id:okinawa-rail:20210821191518j:imageモ750型です。
モ750型は名鉄の西半分の前身の名岐鉄道が1928年(昭和3年)に製造したデセホ750で、名鉄になってからはモ750になり、旧名岐鉄道線のほとんどの架線電圧が1500ボルトに昇圧した1962年頃に瀬戸線に入線しています。

入線時は手動扉でしたが、車体状態が良かったので、1973年の行政指導時には自動扉化されて瀬戸線に残り、1500ボルト昇圧時に揖斐線に転出して、世紀を越えて2001年9月まで活躍しました。


1978年8月に瀬戸線は念願の栄町乗り入れを果たしますが、それに先立ち同年3月に架線電圧を600ボルトから1500ボルトに昇圧するので、車両の総入れ替えが行われました。
その際に瀬戸線としては瀬戸線の前身の瀬戸電気鉄道が1936年(昭和11年)に製造したガソリンカー、キハ301、302号以来42年ぶりの新製車となる6600系が12両投入されました。
この事は小学校卒業間近い鉄道少年にも喜びは一入で、運転席の日除けが新聞紙で養生されてる搬入直後のピカピカな新車を、正面、サイドビュー、パンタグラフ、台車、連結器、車番と撮りまくってました。
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f:id:okinawa-rail:20210821192038j:image当時12歳児にしてこのマニアっぷりは、前年のクリスマスプレゼントで買って貰った私鉄電車のアルバムの誌面構成の影響を多分に受けてます(笑)

新製車は6600系12両だけで、他は本線系統から冷房付きの3780系20両と、3770系2両の総勢34両で1500ボルト昇圧と栄町乗り入れを迎える事になります。

では最後にさよなら600ボルト車の写真を貼って締めましょう。
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地元のスーパーで開催された懐かしの鉄道風景展…だったかな?…で展示された写真を希望者に抽選で譲ってたので、申し込んだらこの写真が当選しました。

車両は先に紹介したク2300ですね。

それでは。